今月1日、歴代最高のプレーメーカーの1人である元スペイン代表MFセスク・ファブレガスが36歳で現役引退を発表した。

 セスクバルセロナカンテラ(育成組織)出身で、16歳の時にアーセナルに移籍すると同クラブで世界的プレーヤーへと成長。その後、バルセロナチェルシーモナコ、そして2022-23シーズンはセリエBのコモでプレーをした。

 バルセロナ時代の2012-13シーズンにラ・リーガ制覇に貢献したほか、チェルシーでは2度(2014-15、2016-17シーズン)もプレミアリーグ優勝を経験。そして、スペイン代表としてFIFAワールドカップ南アフリカ2010を制したほか、2008年と2012年にはEURO連覇も達成している。輝かしい選手キャリアを送ってきたわけだが、20年にも及ぶプロ生活を振り返ると少し変わったエピソードもたくさんある。

 それではセスク・ファブレガスの選手キャリアにおける“裏エピソード”を紹介しよう。

[写真]=Getty Images

◆■ピザ事件

 セスクの選手キャリアにおいて最大の事件は、やはり2004年の“ピザゲート”で発生した騒動だろう。サッカーファンにとって“ピザゲート”と言えば2016年のアメリカ合衆国大統領選挙に関する陰謀論ではなく、マンチェスター・Uの本拠地『オールド・トラフォード』で起きた事件なのだ。

 2003-04シーズンに無敗優勝を達成して“インビンシブルズ”と呼ばれたアーセナルは、2004年10月24日に宿敵マンチェスター・Uの本拠地に乗り込んだ。当時、アーセナルマンチェスター・Uは2強時代を築いており、激しいライバル関係にあった。アーセン・ヴェンゲル監督率いるアーセナルは無敗優勝のあと、2004-05シーズンも開幕9試合で8勝1分け0敗という強さを誇っており、プレミアリーグでの無敗記録を「49」試合まで伸ばしていた。

 そして迎えたマンチェスター・U戦は、プレミアリーグ史に残る激闘となった。お互いの意地と意地がぶつかった試合は、結局ホームのマンチェスター・Uが2-0で勝利するのだが、73分に生まれたPKによる先制ゴールが物議を醸した。FWウェイン・ルーニーがダイブしてPKを獲得したように見えたのだ。さらにDFガリー・ネヴィルによるアーセナルのFWホセ・アントニオ・レジェスへの執拗なファウルなど、遺恨が残る90分間に。そして、試合後には両チームが選手通路で激突したのである。

 そこで事件を起こしたのが、当時17歳セスクだった。1年前にアーセナルの最年少記録である16歳177日でデビューを果たした駆け出しのミッドフィルダーは、問題のマンチェスター・U戦では起用されることがなくベンチに座っていた。試合後、いち早く控え室に戻ったセスクは、お腹が空いていたのでケータリングに手を出した。すると選手通路から物騒な声が聞こえてきたという。

 セスクが選手通路に行くと、両チームの選手が入り乱れて一触即発の状態に。後にセスク本人が明かすのだが、まだ体も小さかった17歳の彼は乱闘騒ぎに入ろうとせずに、手に持っていたピザを投げつけたのである。「誰かを狙ったわけではない」というピザは、なんと名将サー・アレックス・ファーガソンの顔面にヒット。そして高級スーツを伝って地面に落ちたという。すると、それまでの騒動が嘘のように、一瞬にして静寂に包まれ場が凍り付いたという。これが世にいう“バトル・オブ・ザ・バフェット(ビュッフェ)”なのだ。

 後にセスクは「まだ若かったからね。今ならピザを投げずに、乱闘に飛び込むよ!」と語っている。

◆■バルサの“先輩”への暴言

 敵の監督に投げつけたのはピザだけではない。すぐに熱くなった若かりし頃の彼は、2007年の試合で敵将に暴言も投げつけた。2006-07シーズンのFAカップ5回戦でブラックバーンと対戦したアーセナルは、相手チームの激しい肉弾戦に手を焼いて勝ち切れず、スコアレスドローで試合を終える。するとセスクは、敵のフィジカルなプレーに苛立ちを募らせ、その不満を敵将にぶつけた。

 試合後、セスクはブラックバーンを率いるマーク・ヒューズ監督と握手を交わした際、現役時代にバルセロナでもプレー経験のある元ウェールズ代表ストライカーに嫌味を言ってしまう。「本当にバルセロナプレーしたことがあるの?」と尋ね、ヒューズが「イエス」と答えると、セスクは首を横に振って「全然、バルセロナサッカーじゃなかったけどな」とブラックバーンのスタイルを非難したのだ。

 その後、19歳のセスクはクラブスタッフに促され、ブラックバーンの控え室を訪れてヒューズ監督に謝罪したという。このように、若い頃のセスクは過ちも犯した。だが、その度に周りの先輩が彼を正しい方向へ導いてくれたのだ。そんな頼もしい先輩の1人が、元フランス代表FWのティエリ・アンリだ。

 2005-06シーズンのプレミアリーグ第29節リヴァプール戦に2-1で勝利したあと、アンリセスクは揃って英国放送局『BBC』のインタビューを受けた。インタビュアーがセスクに「リヴァプールの得点シーンであなたはファウルを受けましたか?」と質問すると、隣にいたアンリが下を向いたまま“ささやき女将”さながらファブレガスに「イエスと答えるんだ」と小声で指示した。もちろん、アンリはそれがマイクに拾われることも分かっており、冗談で囁いたのだが、それがネットで話題になったのは言うまでもない。

◆■ランパードとの因縁

 セスクは2011年夏にアーセナルを離れて古巣バルセロナに戻ったが、2014年夏に再びロンドンにやってきた。今度はチェルシーに加入したのである。同クラブではジョゼ・モウリーニョ監督、そしてアントニオ・コンテ監督の下で1度ずつプレミアリーグ優勝に貢献した。

 とりわけモウリーニョ監督はセスクを気に入っていた。初めて会った時、モウリーニョは「君がくれば優勝できる」とセスクを直々に口説いたという。「必要なのは2人だけだ。FWジエゴ・コスタを獲得する。そして、あとは君なんだ」と話し、自身が考える理想のチームを描き出してセスクチェルシーに誘ったのだ。

 では、なぜセスクが必要だったのか。それはクラブの英雄、元イングランド代表MFのフランク・ランパードの退団が決まっていたからだ。実は、ファブレガスとランパードは犬猿の仲で、本人たちが認めるほど互いを嫌っていた。後にランパードは、20132014限りで契約満了によりチェルシーを退団した件について「チェルシーセスクを獲得するために僕を手放した」と振り返ったことがある。「僕らはピッチ上で衝突したことがあったので、同じチームではプレーできないとクラブは考えたのだろうね」

 確かにセスクアーセナル時代、そしてバルセロナに移籍してからもチェルシーと対戦する度にランパードと言い争いになっていた。セスク自身も「隠す必要がない。僕らは何度も戦ってきたので、ピッチ上で互いを嫌っていたのさ」と認めた。だが、その不仲にも終止符が打たれることに。FIFAワールドカップロシア2018で、2人揃って『BBC』で解説を務め、一緒にランチをとったのだ。セスクは「ランチして、一緒にジムにも行ったよ。彼は素晴らしい選手だったので、嫌いだったけど、彼に対しては常に敬意を持っていたんだ」と語っている。

◆■ジエゴ・コスタの雄叫び

 チェルシー時代にはコンテ監督とのエピソードもある。同指揮官は2016年夏に監督に就任すると、走れるMFエンゴロ・カンテや強いMFネマニャ・マティッチを優先してセスクをスタメンから外した。それでもセスクは、2016-17シーズンのプレミアリーグ第14節マンチェスター・C戦で、負傷したマティッチに代わって先発の機会を貰うと、FWジエゴ・コスタのゴールをアシストして3-1での勝利に貢献した。

 だが、続くウェスト・ブロムウィッチ戦ではケガから戻ってきたマティッチが先発に復帰し、セスクはベンチスタートに。チェルシーは引いて守るウェスト・ブロムウィッチに手を焼き、なかなかゴールを奪えずに0-0のまま時間が経過。ベンチに座っていたセスクにはなかなか声がかからなかったが、業を煮やしたエースのFWジエゴ・コスタ動いた。彼は自分に完璧なパスをくれるセスクの起用を求め、タッチライン際まで来てコンテ監督に「セスクを投入しろ!」と叫んだという。

 セスク自身はこう振り返る。「コンテは聞こえないふりをしていたが、2分後に『セスク、来るんだ』と言って僕を投入してくれた。そして僕はピッチに立って、ジエゴ・コスタの決勝点をアシストしたのさ!」

 結局、チェルシーはそのシーズンに優勝するのだが、シーズン終盤にはこんなエピソードもある。セスクが家族と自身の30回目の誕生日をレストランで祝っていると、同じレストランにコンテ監督も居合わせたという。ちょうどその日は優勝争いを演じるトッテナムが試合をしていた。スマホの通知で“スパーズ”が1点リードされたことを知ったファブレガスは、コンテ監督に向かって1-0とジェスチャーを送ったという。だがコンテ監督は1-0でスパーズが勝っていると勘違いして、食事が喉を通らなかったそうだ。
 
 まだまだ他にも興味深いエピソードを残したセスク・ファブレガス。稀代のゲームメイカーのセカンドキャリアにも注目したい。

(記事/Footmedia)

スペイン代表でも“黄金期”に10番を背負っていたセスク [写真]=Getty Images