7月2日中野サンプラザが閉館した。当日は、最終日の雄姿を一目見ようと、明るいうちから来訪者が絶えなかった。時には上空で撮影ヘリが旋回し、夜には大勢の人が集まり、いつにも増してにぎやかな1日になった。ホテルやレストランは6月一杯で閉業。地下の花屋やインターネットカフェも撤収が終わり、看板も撤去され、館内はひときわ寂しくなった。しかし「さよなら中野サンプラザ音楽祭」に出演したアーティスト達のサインボードや来館者の寄せ書き、記念撮影用の書き割りなどは残され、別れを惜しむ人であふれた。

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 待ち合わせスポットでもあった正面広場のカリヨン時計。ずっと調子が悪く、いくつか出ない音があって、時々期間限定で動かす程度だった。この日ばかりは朝10時から毎時ちょうどにフル稼働だ。「演奏」の様子を動画や写真に収めたり、プロ顔負けのマイクを向けて音を残そうとしたりする人もちらほら。カリヨン時計がこんなに注目されたのは初めての事ではないだろうか。18時、最後の曲が始まった。「カタリ・カタリ(つれない心)」だ。2分35秒にわたる「最終公演」を終えると、見守っていた人たちから、自然と大きな拍手が沸き起こった。

 中野サンプラザの大トリは、山下達郎のライブだ。正面広場には16時前から入場者の行列ができ始め、開場の17時頃からゆっくりとホールに吸い込まれていった。しかし、ライブが始まった後も人がどんどん集まってくる。ライブが終わる21時頃には、広場はサンプラザ最後の時を見守ろうとする人で一杯になった。21時50分過ぎ、ホール入り口の大階段で、メディア向けの閉館セレモニーが始まった。外に集まった数百人の群衆は、ガラスドア越しにセレモニーの様子をちらちら見るだけ。中野区長や中野サンプラザの社長も何やら挨拶していたようだ。外で見守る人たちには、何を話しているか、まったく聞こえない。途中、サンプラザ中野くんが特別ゲストとして登場したが、結局、何を話しているのやらさっぱりわからなかった。どうやら「新しいサンプラザができるまで、名前は自分が守る」といったことを話したようだ。

 最後に従業員が整列し、深々とお辞儀をして、セレモニーは終わった。大きな拍手が起き、あちこちから「ありがとう」と感謝の言葉が飛び交った。セレモニーが終わってしばらくしても「拍手」と「ありがとう」が断続的に続き、群衆はなかなか帰ろうとしない。業を煮やしたスタッフが「ただいまをもちまして、セレモニーはすべて終了いたしました。50年間のご愛顧、誠にありがとうございました。皆さま、お気をつけてお帰りください。本日はありがとうございました」とマイクで告げた。「なんだよ。ちゃんと音、出せるんじゃないか。せめて外に集まった人たちにもセレモニーの音を聞かせてくれればよかったのに……」そう思った人も少なくないと思う。アナウンスをきっかけに、徐々に群衆は散っていったが、夜遅くまで広場に佇んで別れを惜しむ人たちも少なくなかった。

 正面広場には以前、ファイアボール、その名の通り本物の「火の玉」があった。普段は黒い球だが、何か特別なイベントが開催される時に火が灯された。夕刻の空に燃える炎はさながら丸い聖火。なかなかの迫力だった。それが後にカリヨン時計に置き換わった。カリヨン時計の最後の演目「カタリ・カタリ(つれない心)」は、カタリーナという名の女性に振られた男が恨み言を並べ立てるナポリ歌曲。「カタリ? 私があなたに心を捧げたことを忘れないで」という調子の切ない曲だ。サンプラザのステージに何度も立った美空ひばりも歌っていた。その歌詞にはこんな一節もあった「たのしきあの日忘れじ カタリ 忘れじ」。中野駅のすぐ北側に燦然と光輝く白い大三角。一生忘れることはないだろう。(BCN・道越一郎)

中野サンプラザの正面広場には最後の時を見守ろうと数百人の人たちが集まった