「新たな目標は、創作落語500作。今316作なので、あと184作つくって世に残してやろうと思っています」と語る桂 文枝さん
「新たな目標は、創作落語500作。今316作なので、あと184作つくって世に残してやろうと思っています」と語る桂 文枝さん

今年7月16日で80歳を迎える桂文枝さん。そんなタイミングで新番組が始まり、YouTubeにもデビューするなど、新しいことに挑戦し続けている。創作し表現し続ける文枝さんの新たな目標、死生観、そして引退論――――。

【写真】深夜ラジオ番組で一躍大人気になった桂文枝さん

■妻と母を亡くして変化した死生観

――今年の7月16日桂文枝さんは80歳、つまり傘寿(さんじゅ)を迎えます。80代となることをどうとらえていらっしゃいますか?

文枝 戦い方が変わってきますよね。自分は元気なつもりでも、いろんな機能が働かなくなってくる年齢ですから。特に、物忘れが多くなってきましたね。新しいことを覚えるよりも、昔覚えたものを忘れないようにするほうが大変なんです。

――年を重ねるということは死へ近づくということでもあると思うのですが、文枝さんは死への恐怖というものはありますか。

文枝 小学生の頃なんかは怖かったですね。自分の見たり聞いたりしているもの、つまり、意識のようなものはどこへ行ってしまうのか、と。でもだんだんと、死は、周りの残された人間にとっては大事だけど、本人にとっては大したことないんじゃないかと思うようになってきて。

僕は一昨年の1月に妻と母を1日違いで続けて亡くしたんです。そのときも泣いたりわめいたりしているのは周りの生きているほうで、本人たちは静かに眠っていてね。夜寝たら朝起きなかった、くらいのことなのかもなって最近は思うんです。

MBSの深夜ラジオ番組『MBSヤングタウン』で、「オヨヨ」「いらっしゃーい」「アリーッ!」などのギャグで一躍大人気になった
MBSの深夜ラジオ番組『MBSヤングタウン』で、「オヨヨ」「いらっしゃーい」「アリーッ!」などのギャグで一躍大人気になった

――でも、例えば病気で余命宣告を受けて、死を逆算して生きなければならなくなったとしたら心は穏やかじゃない気がします。

文枝 そうしたら、その期間をできる限り充実して生きられるようにするしかないでしょうね。昔からお世話になっている医者の先生は、僕より10歳くらい上なんですけど、「先生は死ぬのが怖くはないですか」って聞いたら「全然怖くない。あの世のほうが知り合い多いから」って(笑)。そんなもんなのかなと思いますね。

先日も上岡龍太郎さんが亡くなられて寂しいけど、そういうとらえ方もある。だから死ぬことも、しゃあないと思うんじゃないかな。いつかは皆に順番が来るわけですから。むしろ、認知症になることのほうが怖いですね。

――認知症も、本人よりも家族など周りの方々が大変そうですよね。

文枝 認知症は、本人は幸せやっていいますよね。僕の母も99歳でしたから、最後は、もう僕のこともわからなくて。僕は悲しくてつらくて泣きましたけど、本人は何もわかっていない。でも、それは幸せなんじゃないかと思いましたね。

認知症のことを英語でロンググッドバイって言うことがあるんですが、今度の落語会では『ロンググッドバイ-言葉は虹の彼方に-』という演目をやるんです。

――誕生日の日に開催される「桂文枝 傘寿記念 落語会」ですね。

文枝 はい。いつもは30分くらいの短いバージョンでやるのですが、久々に50分ほどのロングバージョンでやろうと思っています。88歳のお父さんが物をどんどん忘れていってしまうお話なのですが、「僕はロンググッドバイにはならんぞ」という意味も込めて。

誕生日当日に、なんばグランド花月にて傘寿記念の落語会を敢行予定
誕生日当日に、なんばグランド花月にて傘寿記念の落語会を敢行予定

――今年は誕生日の日がちょうど日曜日で、落語会を開催するにはよかったですね。

文枝 そうなんですよ。たまたま日曜日で。これまでも節目節目はだいたい何かやってもらってきたんです。芸能生活50周年記念企画のファイナルステージでは、加山雄三さんとさだまさしさんがゲストに来てくださいました。

今回は、親交の深い三遊亭好楽師匠と林家三平さんがお祝いに駆けつけてくれます。あとは僕の希望で漫才師の中川家さんと、ぐっさん山口智充)も呼びます。

――豪華なメンバーですね!

文枝 歌を歌いたいって思ってね。ぐっさんにギターを弾いてもらって、僕はウクレレを持って。ちなみに、僕のウクレレには加山雄三さんのサインが入っているんですよ。

■ブレイキングダウンが流れるTikTok

――7月からBSよしもとで新番組『桂文枝の全国の首長さんに逢いたい!』が始まるんですよね。全国の首長に会うということは、日本中を飛び回るわけですね。

文枝 いやあ、えらい忙しなったなと思いましたね。去年、51年2ヵ月務めていた『新婚さんいらっしゃい!』の司会を退いて、少し息がつけるかなって思ったら、その代わりに落語の仕事が増えたんです。

関西の寄席、(天満天神)繁昌(はんじょう)亭(大阪・天神橋)や喜楽館(兵庫・神戸新開地)で新しい落語会が始まったり。すっかり落語シフトになったところで、ロケの仕事が入ったもんやから......。でも、いろんな地域のおもしろい特徴がわかって、ネタにもなりそうな感じがするんですよね。

また、BSよしもとにて『桂文枝の全国の首長さんに逢いたい!』という新番組も。これはYouTubeにも配信される
また、BSよしもとにて『桂文枝の全国の首長さんに逢いたい!』という新番組も。これはYouTubeにも配信される

――文枝さんは常日頃から、上方の落語家は顔を売るためにもテレビにどんどん出たほうがいいと話していました。

文枝 たまにテレビに出させてもらえるとうれしいものですよ。ずっと出ていなくて、急に出ると、「この人老けたな......」みたいに感じられちゃうやないですか(笑)。僕は、ずっとテレビに出続けている(明石家)さんまさんにだって、「老けよったなあ」って思っちゃいますから。

さんまさんと僕の年齢はちょうどひと回り違うので、もうじき68歳ですよ。テレビに出ていたら、老けていくのを緩やかに見てもらえる。そういう意味でも新番組はありがたいですね。

――この番組はYouTubeでも公開されるそうで、実質、YouTubeデビューともなります。文枝さんは早くから創作落語に活路を見いだすなど、新しいことに貪欲な印象があるので、これまで出ていなかったことは意外といえば意外ですよね。

文枝 実はしょっちゅう見ていましたけどね、YouTubeやTikTokは。ダンス動画とか、あとはケンカをするやつ。顔に入れ墨をした人が出てくる。

――『ブレイキングダウン』ですか!?

文枝 そうそうそう(笑)。なんか、やたらとそういう動画ばっかり(おすすめに)出てくるんだよな。弟子に「そういう動画を見てるから多くなるんですよ」って言われてからは、あんまり見ないようにしてるんだけど、気になってポッと押してしまうと、また、そういうのばっかりになる。

あとは、ABEMAの将棋とか麻雀(マージャン)番組を見たり、Netflixで韓国ドラマを見たり。『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』とか、昔は『梨泰院(イテウォンクラス)』とか。話題になった作品はだいたい見ていますよ。

「TikTokにやたらと女のコが踊る動画ばかり出てきてね。弟子が『そういうのを見てるから多くなるんですよ』って(笑)」
「TikTokにやたらと女のコが踊る動画ばかり出てきてね。弟子が『そういうのを見てるから多くなるんですよ』って(笑)」

――新しいものに対して無条件に抵抗感を覚えてしまうタイプもいますが、文枝さんは逆ですよね。

文枝 新しいもの好きなんですよ。なんでも新しいものを見つけると試したくなる。最近は、カメラ付き耳かきっていうのを買ってね。スマホで耳の中の映像を見ながら、耳かきができるんですよ。

――そんなものがあるんですね。便利なんですか?

文枝 うまく取れるんですけど、なんか気持ち悪いんですよね(笑)。耳毛がたくさん映ったりすると「なんじゃこれ!」って。あと、靴はナイキの「手を使わずに履けるスニーカー」というのを愛用しているんです。

こうして、こうすると、ほら(靴の真ん中部分が折れて、かかと部分と先端が分離し、サンダルのように履ける構造になっている)。これを履きだしたら、ほかの靴が履けなくなってしまってね。反発力も強いので、歩きやすいんですよ。

2022年3月に、51年2ヵ月も務めた『新婚さんいらっしゃい!』(テレビ朝日系)の司会を勇退。同一司会者によるトーク番組の最長放送としてギネス記録に認定された
2022年3月に、51年2ヵ月も務めた『新婚さんいらっしゃい!』(テレビ朝日系)の司会を勇退。同一司会者によるトーク番組の最長放送としてギネス記録に認定された

――面白いですね! 初めて見ました。

文枝 UFOキャッチャーも好きでね。この前、若い弟子数人と、ラウンドワンに卓球をしに行ったら1時間待ちと言われたので、UFOキャッチャー大会に切り替えたんです。「一番大きいのを取ったやつが優勝や」と僕が提案してね。

そうしたら、2回目の挑戦で50~60㎝くらいのデイジーダックを取りましてね。ドナルドダックの恋人です。言い出しっぺの僕が優勝させてもらいました。

――文枝さんは、お弟子さんがたくさんいますよね。

文枝 今、落語家の弟子だけで23人います。それ以外にも、漫談やマジックをやっている弟子などもいるので、全部で30人くらいかな。

――最後にお弟子さんを取ったのはいつなのですか。

文枝 1年前ですね。門戸を広げて、次につなぐというのも僕らの仕事だと思っているので。元気なうちは、やりたい人がいれば教えてあげたいなと思います。ただ、最近は稽古中に寝てしまうんですよ(笑)。ただ、弟子は目をつぶって聴いていると思ってるんでしょうね。「終わりました」と言われて目が覚める、みたいな。

■落語家の潮時

――先日、亡くなられた上岡さんもそうですが、芸人は年を重ねると引退という道を選ぶことがありますよね。ただ、同じ落語家である笑福亭鶴瓶さんは「落語は継承の文化なので引退はできない。死ぬまで誰かを育てなければならない」と話していたことがあります。

文枝 それもひとつの考え方でしょうね。でも、落語家もいろいろな幕の引き方がありますよ。桂歌丸師匠は、背中の後ろに酸素ボンベを置きながら、高座に上がっていました。あれは袖から見ていて、涙が出ましたね。

僕は一度、冗談半分で、「噺家(はなしか)は出ていくところがいちばんカッコいいので、酸素ボンベを担いで出ていったらどうですか」って言ったんです。そうしたら「重いんだよ!」と言われましたね。

足腰を悪くして、椅子に座って話す方もいました。昭和の名人とうたわれた八代目桂文楽師匠は、ある日の高座で言葉に詰まって「勉強し直してまいります」と言って去った後、二度と高座に上がることはありませんでした。

――あれは本当に詰まったのではなく、潮時を感じ取り、わざとそういうふりをしたという説もあるんですよね。

文枝 そうかもしれないですね。でも、僕も自分でもうできないと思ったら、そうしたいなと思います。人の心の中に、ああ、おもしろかったな、カッコよかったな、元気やったなというイメージを残したまま辞めたいんですよ。

高座まで歩いて出ていけるうちは続けたいと思いますけど、それができないようになったら潔く退きたいですよね。まあ、もしかしたら高座に執着して、布団を敷いてもらって寝ながらやってるかもしれないですけどね。点滴を打ちながら(笑)。ま、今の時点では、そういう最後は考えてませんけども。

桂文枝

――やはり、足腰の健康は大事ですよね。

文枝 座ってるのは大したことないんですよ。一席やって、そこから立ち上がって引っ込むのがしんどいんですよ。ずっと座っているとね。だから上方落語の場合、見台と呼ばれる小さな机のようなものを目の前に置くことが多いのですが、足腰が悪くなってくると、見台を必要としない落語の場合でも置いたりすることがあります。

そうすれば、見台に手をついて立ち上がれますからね。僕の場合は今、トリとか中トリ(前半を締めくくる人)を務めることが多いので、終わると緞帳(どんちょう)が下りるんですよ。

だから、あんまり心配はいらない。でも、お客さんを前にして退場しなければいけないこともありますからね。そういうときは落語の長さを短めにして、かつ、足が痛くならないよう体重を散らしながらやるようにしています。

――80歳になるようには見えませんが、運動をするなど、健康には気をつけてますか。

文枝 風呂上がりに体を動かすくらいですかね。もともと運動が得意じゃないんですよ。父が早くに亡くなって、母が親ひとり子ひとりで大事に育てすぎたんでしょうね。走っただけで怒るんですもん。危ないから、と。階段とかも「気をつけて上がりや」とか。

――でも、体形もそんなに変わらないですよね。

文枝 若いときはもっと痩せていましたよ。50㎏前後でしたから。今は、あんまり痩せてしまうと貧相に見えちゃうので68㎏ぐらいをキープしています。年を取ると、ちょっとぐらいおなかが出てないと着物が様にならないんですよ。

桂文枝

――それにしても、文枝さんの尽力のおかげで2006年に繁昌亭ができ、18年に喜楽館ができ、上方落語は本当に変わりましたよね。

文枝 僕が入門した頃は、上方の落語家は30人くらいしかいなかった。でも今は270人くらいいるらしいですから。今、桂二葉(によう)さんという落語家がすごい注目されているんですよ。

――東京でもなかなかチケットが取れませんからね。上方落語界から久々にスターが誕生した感じですよね。

文枝 この前、落語会で一緒になったんですけどね。おもしろかったですよ。あんな子が出てくるとはね。写真も一緒に撮らせてもらいました。

――うれしそうですね!

文枝 落語界も、落語自体もこれからもっとおもしろくなっていくと思います。

2011年に45年間名乗った三枝から、上方落語の大名跡「六代 桂文枝」を2012年7月に襲名することを発表した。桂文珍さん(左)、桂小文枝さん(右)に挟まれて
2011年に45年間名乗った三枝から、上方落語の大名跡「六代 桂文枝」を2012年7月に襲名することを発表した。桂文珍さん(左)、桂小文枝さん(右)に挟まれて

■落語を思い出すよりも新たに作るほうが楽

――80歳を目前にしても新しい目標は湧いてくるものですか。

文枝 もちろん。新たな目標は、創作落語500作です。

――500作!?

文枝 今、316作ですからね。あと184作。誰もやったことのない500作の創作落語を世に残してやろうと思っています(笑)。

――単純に考えたら、年10作を作ったとしても15年以上はかかりますよね。

文枝 まあ15年先までは考えられないので、88歳をひとつの目標にしようかな、と。

――88歳までにあと184作ですか? そんなこと可能なのでしょうか。

文枝 若い時分、「創作落語125選」に取り組んだときは3年半もの間、毎月3作ずつ新作を作ったんです。184作なら、8年くらいあればできるんじゃないかなって思っているんだけどね。

創作落語に力を入れた文枝が作り続けた310を超える演目は上方にとどまらず、東京の落語家にも広く受け継がれている
創作落語に力を入れた文枝が作り続けた310を超える演目は上方にとどまらず、東京の落語家にも広く受け継がれている

――そのプランはもうスタートしているのですか?

文枝 実は、18年に「大阪市24区創作落語プロジェクト」というのを始めましてね。それぞれの区にちなんだ創作落語を作って各区の公民館やらで披露していたんです。ただ、11区目あたりで新型コロナが流行し始めて。

会場が全部、ワクチンの接種会場になってしまったんです。それから3年間ストップしていまして。それが今年2月に再開して、14区までいったので、あと10区。500作を目指すのは、このプロジェクトが終わってからですね。

――毎月新ネタを作るというのは相当な負担じゃないですか?

文枝 大変は大変ですけれども、アイデアは湧いてくるんですよ。それをちょこちょこ手帳に書き留めているんです。むしろ今は、昔の落語を思い出すくらいなら、新作を作ってしまったほうが楽なところもあってね。

それ以上に心配なのは、話の内容が偏ってしまうことですかね。どうしても自分に関わることがネタになりがちなので、物忘れした話とか、病院に行ったみたいなネタばっかりになってしまいそうなんですよ(笑)。そこは気をつけなきゃいけませんね。

桂文枝

●桂 文枝(かつら・ぶんし)
1943年生まれ、大阪府出身。上方落語協会特別顧問。66年に桂小文枝(故・五代目桂文枝)に弟子入りする。67年、ラジオの深夜番組に出演し、若者に圧倒的な支持を得る。81年に創作落語を定期的に発表する「落語現在派」を旗揚げ。これまでに2度の文化庁芸術祭大賞、芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章、菊池寛賞などを受賞している

取材・文/中村 計 撮影/榊 智朗 写真/時事通信社

「新たな目標は、創作落語500作。今316作なので、あと184作つくって世に残してやろうと思っています」と語る桂 文枝さん