7月10日(月)に発売となるアーティスト・稲葉浩志初の著作にして初の作品集「-シアン[特装版]」。デビューから35年間にわたる稲葉浩志の作詞家としての側面をフォーカスした作品で、400曲以上に及ぶB’z、ソロの歌詞、自筆の歌詞ノート、さらには未公開の詞まで収録されている。中でも注目すべきは、15時間以上にわたる歌詞にまつわる稲葉本人への超ロングインタビューだ。稲葉本人が作品のあとがきで「優しくて濃い時間でした」と語った同インタビューの取材を担当したのが音楽評論家・宗像明将氏。計15時間以上にわたり、稲葉浩志と向き合った宗像氏に“素顔の稲葉浩志”をテーマに話を聞いた。

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■シアンのインタビュアー/ライターに抜擢された心境

——今回、どういう経緯で稲葉さんの10万字インタビューを担当することになったのでしょうか?

そもそも、2021年に「Yahoo!ニュース オリジナル 特集」で稲葉さんのインタビューを担当したんです。そのインタビューをレコード会社や事務所の方が気に入っていてくださって、ご指名いただいたと聞いています。

——白羽の矢が立って、どう思いましたか?

「マジかよ」と(笑)。一回インタビューさせていただいただけで光栄でしたし、読んでくださった方々からも大変な反響がありましたから。さらに今回は稲葉さんの初の著書で、過去の歌詞を振り返るということで、当初から大仕事になることは察していました。

——迷いもありましたか?

いえ、もう他の仕事を減らす覚悟で「やります」と即答しました。稲葉さんに取材できる機会がまた生まれる、という昂揚感のほうが強かったですね。

——35年の歴史を振り返るとなると、インタビューの準備は大変だったのでは?

インタビューのときに、B'z、稲葉さんのソロ、INABA/SALASの全曲を聴いていたんです。今回は事務所さんから全曲の歌詞データをいただいて、それを読みながら、もう一度、全曲を聴き直す作業をしました。それと並行して、インタビューの前に稲葉さんの撮影があったので、それにも同行させていただいて、ティザーになる動画インタビューでは聞き手も担当しました。

■撮影に同行して垣間見えた稲葉浩志、読書家の一面

——「シアン[特装版]」のフォトブックに収録される撮り下ろしの写真は、埼玉・所沢の「ところざわサクラタウン」と神奈川横須賀で撮影。同行もされたそうですね。

印象的だったのは、ところざわサクラタウンの角川武蔵野ミュージアムの本棚劇場での撮影です。本棚劇場には、その名の通り膨大な蔵書があるんですが、稲葉さんがちょこちょこ本を手に取って、「これ読んだな」とおっしゃっていて。その本も、アンソニー・ボーディンの「キッチン・コンフィデンシャル」だったり、ピーター・シスの「かべ 鉄のカーテンのむこうに育って」だったり。

撮影用に持ってきてくださった本も含めると、ホップスの「リヴァイアサン」、ジャックロンドンの「白い牙」、ジョセフ・コンラッドの「ロード・ジム」、小川隆夫の「マイルス・デイヴィスの真実」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、F・スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」、コーマック・マッカーシーの「すべての美しい馬」、吉川英治の「宮本武蔵」などなど、ジャンルが広くて驚いたんです。明らかに読書家じゃないですか?

——確かに。

でも、ご本人はそんなことはないと。長いツアーの移動で本を読んでいたからだと。そういう姿勢がまたかっこいいなと思いました。私なら、きっと読書家ぶってしまいますから(笑)。

——(笑)。

本棚劇場では、稲葉さんの作詞ノートや筆記用具を見ながら、動画インタビューを撮影したんです。びっしりと書きこまれたノートを見ると、作詞への情熱や葛藤がそのまま刻まれていて、稲葉さんのパブリックイメージとは異なるパーソナルな面を見たように感じたんです。

——15時間向き合った宗像さんだから感じた稲葉さんの魅力とはどんなものでしょうか?

非常に謙虚で理知的な方ですよね。それでいて、自分のことを「くよくよしてる人間」だとも言うし、歌詞に「田舎出身の一青年」が出てくるとも表現されるんです。今風の言葉で言えば、稲葉さんは決して自己肯定感が高い方ではないかもしれないし、稲葉さんの抱え続けている少年性が、今回の10万字インタビューの重要なテーマだと感じていました。稲葉さんほどの成功者が、ご自身について往生際が悪いと言うんですよ。そういう葛藤も表現されてきたことが、歌詞に対して多くの人が共感する理由のひとつなのではないかと思うんです。

——数多くのアーティストと向き合う宗像さんが感じた稲葉さんの特異性があれば教えてください。

大スターとしてステージに立ちながら、俗世とは離れた個の部分を持っているのが稲葉さんだと思うんです。でも、歌詞は内面に入り込みすぎることはなくて、ちゃんと大衆性もある。なかなかできないバランス感覚だと思います。しかも、稲葉さんの歌詞って、実は社会状況を見据えているものが多いじゃないですか。『Highway X』収録曲の歌詞は、コロナ禍の影響も濃いですし。今回、「Symphony #9」の真意を聞いて驚愕しました。ただ、稲葉さんはそこで声高に何かを主張するわけでもない。そうした絶妙なバランスに、稲葉さんの美学や矜持を強く感じます。

■取材の休憩中に思わず「LADY NAVIGATION」を鼻歌で…

——インタビューの裏話などあれば教えてください。

稲葉さんは、ユーモアと茶目っ気を忘れない方ですよね。最後の取材の際に、「10万字のインタビュー原稿をまとめていたら、正月(休み)がなくなりました」と言ったら大ウケされていました(笑)。あとは取材の時期に稲葉さんの作品を聴きすぎていたので、取材の小休憩中、稲葉さんの目の前で「LADY NAVIGATION」をつい鼻歌で歌ってしまってその時は焦りました(笑)。

——(笑)。完成した「-シアン[特装版]」を手にしていかがでしたか?

2023年に、こういう印刷物が出版されること自体が大きな意味を持っていますよね。これが実現したのは、まさに35年にわたる稲葉さんの創作活動があってこそですし、特装版の重さにそれを実感しました。

——「-シアン[特装版]」は、どんな内容に仕上がったと思いますか?

「-シアン[特装版]」は、稲葉さんが「ある意味、これは危険な本ですよ」と語っていたように、歌詞の謎解きの一面もある書籍ですし、同時に日本のポピュラー音楽のシーンで稲葉さんがなぜこれほどまでに支持を得られてきたかを紐解く書籍だとも思います。稲葉さんのファンの方はもちろん、作詞に興味がある人にもぜひ手に取ってほしいですね。

今回、稲葉さんに多くの時間を割いていただいて、毎週1回、2〜3時間のインタビューを合計6回したんです。インタビュー前にところざわサクラタウン横須賀での撮影があり、インタビュー後には私がプロデューサーを務めているYahoo! JAPANの「RED Chair」にもご出演いただきました。稲葉さんに会う機会が多い濃密な時間を過ごさせていただきましたし、私にとって大きな財産になる経験をさせていただいて感謝しています。稲葉さんと接していると、どんなときも慢心してはいけないなと思うんですよ。あの稲葉さんが謙虚なんですから。「-シアン[特装版]」を手にして、改めて気を引き締めましたね。

宗像明将(むねかた・あきまさ) 

1972年生まれ、神奈川県出身。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、日本のロックやポップス、世界のワールドミュージックなど、ポピュラー音楽全般について執筆する音楽評論家/編集者。著書に『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。2022年以降では、桜井和寿Mr.Children)、EXILE ATSUSHI、広末涼子、BiSH、あの、劇団ひとりなどのインタビューを担当している

言葉にまつわる作品にちなんで撮影はところざわサクラタウンの本棚劇場でも行われた/(C)平野タカシ/「シアン[特装版]より」