通常国会に提出されていた「全世代対応型の持続可能社会保障制度を構築するための健康保険法等の一部を改正する法律」(以下、全世代社会保障法)は2023年5月12日の参院本会議で、与党などの賛成多数で可決、成立しました。本稿では、ニッセイ基礎研究所の三原岳氏が、出産育児一時金制度の概要と引き上げ議論の経緯、今後の展望について解説します。

1―出産育児一時金の概要

まず、出産育児一時金の概要を見る。現在は「通常の病気やケガと異なる」という判断の下、正常分娩は自由診療、異常分娩は保険診療という区分けになっており、前者の正常分娩については、出産費用を手当てするため、出産育児一時金が支給されている。こうした「正常分娩は自由診療+手当」「異常分娩は保険診療」という区分は制度改変を挟みつつ、一貫した立て付けとなっている(戦前以来の歴史は後半に述べる)。

出産手当一時金の現行制度がスタートしたのは1994年10月。健康保険法が戦前にスタートした時点から存在していた「分娩費」(制度改正前の最低保障額24万円)が改組され、分娩後に新生児を育てる被保険者に対して支給されていた「育児手当金」(同2,000円)と統合されて作られた。

当時は合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子どもの推計人数)の低下が問題視され始めたタイミング1であり、国会答弁では「何としてもこの少子社会の進行に歯止めを掛けなければならない」という判断の下、育児休業期間中の年金・医療保険料の免除とか、保育施設の整備など他の施策と併せて、「子育て家庭を社会的に支援していくためのきめの細かい対策」を講じたと説明されている2

制度創設時の支給額は30万円。その後、段階的に引き上げられ、2009年10月から原則42万円となっていた3。最近の実績を見ると、図1、図2の通りに支給件数、金額ともに、出生数の減少に合わせて減少傾向にあり、2020年度ベースで、支給件数は90万件弱、支給額は約3,600億円。

これらの財源に関しては、健康保険組合などの保険者(保険制度の運営者)の保険料から支払われているが、後述する通り、75歳以上の高齢者で構成する後期高齢者医療制度は負担の対象外となっていた。

支給方法については、保険者から出産育児一時金をダイレクトに受け取れるルートに加えて、実際に掛かった医療費との差分を受け取る「直接支払制度」という方法がある。後者の仕組みを使うと、医療機関が保険者に支払いを申請するため、被保険者は医療機関の窓口で高額な費用を支払う必要がない。次に、今回の制度改正の概要を述べることにする。


1 いわゆる「1.57ショック」が契機になった。1989年合計特殊出生率が1.57になり、「丙午(ひのえうま)に生まれた女性は気性が激しくなる」という迷信で過去最低だった1966年の水準(1.58)を下回ったことが関係者の間で衝撃を持って受け止められた。 2 1994年3月25日、第129回国会衆院厚生委員会における大内啓伍厚相の発言。 3 ただ、分娩に関連して重度脳性麻痺となった産児に補償金を支払う「産科医療補償制度」に加入していない医療機関での出産か、加入している医療機関だったとしても妊娠22週未満で出産した場合、支給額は40万8,000円に下がる。

2―法改正の概要

1|「50万円」に引き上げ

今年の通常国会で成立した全世代社会保障4では、出産一時育児金の支給額が原則50万円に引き上げられた(産科医療補償制度に未加入の医療機関で出産した場合か、加入している医療機関でも妊娠22週未満で出産する場合には、支給額が48万8,000円)。施行日は2023年4月。

なお、「50万円」という水準の根拠については、岸田文雄首相は「平均的な出産費用を全て賄えるように」と説明している5。つまり、出産育児一時金の支給を受ければ、出産に伴う費用をゼロに抑えられる点を強調している。

実際、厚生労働省社会保障審議会(厚生労働相の諮問機関)医療保険部会に提出した説明資料6を見ると、出産費用の平均値は46万2,902円(公的病院、私的病院、診療所を含む)。正常分娩に限ると、平均値は47万3,315円とされている。このため、出産育児一時金を50万円に引き上げれば、平均的な出産費用はカバーできるようになるという判断だ。 


4 なお、ここでは詳しく触れないが、身近な病気やケガに対応する「かかりつけ医機能」の強化に関する内容が規定されたほか、3年に一度の介護保険制度改正についても細かい案件が盛り込まれた。かかりつけ医に関しては、拙稿2023年2月13日「かかりつけ医を巡る議論とは何だったのか」(上下2回、リンク先は第1回)。介護保険制度改正に向けた議論については、拙稿2013年1月12日「次期介護保険制度改正に向けた審議会意見を読み解く」を参照。 5 2023年2月15日、第211回国会衆院予算委員会における発言。 6 2022年10月13日社会保障審議会医療保険部会資料。

2|引き上げに伴う財源

引き上げに伴う財源は630億円程度とみられており、これまで通りに健康保険組合などの保険者が負担するほか、75歳以上の高齢者が加入する後期高齢者医療制度にも7%の費用支出を求めることになった7

この点について、医療保険部会が2022年12月に取りまとめた「議論の整理」では、▽2008年度の後期高齢者医療制度が創設される以前には、国民健康保険に加入していた高齢者世代も出産育児一時金を含めて、子ども関連の医療費を負担していた、▽少子化に全ての世代が正面から向き合い、克服に向けた取り組みが必要――といった問題意識で検討した旨が示されている。

併せて、今回の法改正では、後期高齢者医療制度に加入する所得の高い人については、限度額を引き上げる制度改正(66万円→80万円)も講じられている。これを加味した加入者1人当たりの保険料への影響試算8として、年間ベース(2024年度試算)で健康保険組合と協会けんぽは600円程度、国民健康保険で約200円、後期高齢者医療制度で約600円の増加になるとされている9

では、今回の制度改正に至るプロセスでは、どんな点が論じられたのだろうか。議論の経過を振り返るとともに、今後の論点も取り上げる。 


7 ただし、後期高齢者医療制度から健康保険組合などに対して、負担金が実際に支出されるわけではない。後期高齢者医療制度は健康保険組合などから「支援金」を受け取っており、今回の制度改正による後期高齢者医療制度の増額分は支援金の収入と相殺される。 8 2023年12月15日社会保障審議会医療保険部会資料。 9 ただし、後期高齢者の負担増については、2年間の経過措置が入るため、負担増は段階的になる。さらに、後期高齢者医療制度の負担を肩代わりするため、2023年度限りの暫定措置として、約76億円が全額国費で暫定的に計上された。

3―引き上げに至るプロセスと論点

1|少子化対策の一環として政治主導で議論がスタート

今回の引き上げ論議は政治主導で始まった。議論の流れを主導したのは自民党の「出産費用等の負担軽減を求める議員連盟」(以下、自民議連)だった10。自民議連は2020年10月に発足した際、自民党総裁選で敗れた直後だった岸田氏を共同代表に発足した経緯があり、菅義偉政権期の2020年11月と、岸田氏が首相に就いた後の2022年5月に出産育児一時金の引き上げを要望していた。

その後、岸田首相は2022年6月の記者会見で、「少子化対策は喫緊の課題」とした上で、「私の判断で出産育児一時金を大幅に増額いたします」と表明11。同年9月の全世代型社会保障構築本部でも、出生率の低下に対する危機意識を披露し、「出産育児一時金の大幅な増額を早急に図る」12と述べ、実施方策に関して、全世代型社会保障構築会議や医療保険部会を中心に、検討が進んでいた。

これらの経緯を踏まえると、出生率の低下に対する危機意識を踏まえ、政治主導で議論が展開して行った様子を指摘できる。 


10 出産育児一時金引き上げに繋がる自民議連の動きについては、2022年5月30日『週刊社会保障』、同年5月17日朝日新聞デジタル』配信記事、2020年11月28日毎日新聞』などを参照。 11 2022年6月15日、首相官邸ウエブサイト「岸田内閣総理大臣記者会見」を参照。 12 2022年9月7日、全世代型社会保障構築本部における岸田首相の発言。

2|便乗値上げの可能性が議題に

だが、法改正の国会審議が進んでいた傍らで、早くも一層の制度改正として、保険適用の是非が論点として浮上している。

その背景として、便乗値上げに対する警戒感を指摘できる。図3の通り、出産費用は年間1%前後で上昇しており、「出産育児一時金を引き上げれば、便乗的に出産費用も上がってしまうのでは」という懸念である。

この点については、「出産育児一時金を引き上げることが更に出産費用の増加につながるという懸念もございます」といった形で国会審議で何度か話題になった13ほか、メディアでも「便乗値上げをされては元も子もない」とする内閣府幹部のコメントも出ていた14

ただ、出産費の増加要因は必ずしも明らかになっておらず、国会の審議で厚生労働省から「例えば一時金を引き上げたら、それに伴って出産費用がどう変わるかという把握についてはできてございません」という答弁が示された15。このため、岸田首相が「厚生労働省において必要な調査、これを行うこととしたい」と述べる一幕もあった16

このため、出産費用の増加理由については今後、細かい実証を要するが、医療サービスの特性を踏まえると、整合的な動きとなっている。一般的に医療サービスの需要は患者のニーズだけでなく、医師の判断や行動で変わり得る。例えば、「取り敢えず入院しますか?」と医師から打診された際、患者―医師の情報格差が大きいため、患者が医師の薦めを断るのは難しい。

一方、医師は「患者のために良いサービスを提供したい」という意識を持っているし、ここに医療機関の経営的な判断も相俟って、臨床的に許される範囲で、医療サービスの水準は提供体制の上限に近付くことになる。いわゆる医療経済学で言う「医師需要誘発仮説」と呼ばれる事象である。

これを出産育児一時金に当てはめると、出産費用は原則として保険適用ではないため、医師は出産育児一時金を含めた患者の支払い能力を見つつ、医療サービスの内容だけでなく、サービスの価格も調整できる。この結果、出産一時育児金の増額に合わせるような形で、出産費用が増える事態は十分に想定できる。


13 2023年4月5日、第211国会衆院厚生労働委員会における高木宏壽衆院議員の発言。 14 2023年3月30日読売新聞』。 15 2023年4月25日、第211回国会参院厚生労働委員会における厚生労働省の伊原和人保険局長の発言。 16 2023年5月9日、第211国会参院厚生労働委員会における岸田首相の発言。

3|出産費用の「見える化」

こうした便乗値上げを防ぐ方策として、厚生労働省は出産費用の「見える化」を医療機関ごとに図る方針を示している。2022年12月の医療保険部会「議論の整理」では、「出産育児一時金の引上げによって必要以上の値上げが行われたり、意図しないサービス付加が生じたりすることがないよう、妊婦の方々が、あらかじめ費用やサービスを踏まえて適切に医療機関等を選択できる環境を整備することが重要」と指摘された。

その上で、「議論の整理」では、医療機関の特色(機能や運営体制)、室料差額や無痛分娩の取り扱いのサービス内容、その医療機関におけるサービスの内容や価格に関する公表方法――に関して、医療機関に報告を求めるとともに、平均入院日数や出産費用、妊婦合計負担額などの平均値に係る情報を医療機関ごとに公表する必要性を訴えた。イメージは医療保険部会の提出資料などに示されており、図4の通りである。

こうした「見える化」の利点として、厚生労働省は「妊婦の方々が各医療機関等における出産費用やサービス内容などの情報を入手しやすくなる、それは結果的に、適切に医療機関等を選択できるようになる」「医療機関にとりましても、妊婦の方々にその特色やサービス内容、出産費用の状況などを理解いただいた上で、出産施設の選択肢の一つとして検討いただきやすくなる」などと説明している17

しかし、金額を一覧化したり、機能が異なる医療機関の情報を一括して提供したりする方向性については、適切な情報提供にならないという懸念が日本産婦人科医会から示されている18。このため、今後は「どんな情報を集めるか」「どういう形で公開するか」など詳細な議論が進む見通しだ。


17 2023年4月5日、第211回国会衆院厚生労働委員会における伊原保険局長の発言。 18 2022年12月9日社会保障審議会医療保険部会に提出された「出産費用等の見える化に関する意見書」。

4―早くも一層の制度改正に向けた議論が浮上

1|保険適用の可能性が浮上

一方、政府全体で「次元の異なる少子化対策」が議論される中、出産費用の保険適用の是非が争点となっている。具体的には、自民議連が2023年4月の提言で、「出産費用に保険適用」「自己負担なし」という方向性を公表19。それに先立って、小倉將信こども政策担当相が2023年3月に示した「こども・子育て政策の強化について(試案)」では、「出産費用(正常分娩)の保険適用の導入を含め出産に関する支援等の在り方について検討」という文言が入った。

同年6月に示された「こども未来戦略方針」でも、出産育児一時金の引き上げや出産費用の「見える化」などの効果を見極めつつ、2026 年度をメドに、「出産費用(正常分娩)の保険適用の導入を含め、出産に関する支援等の更なる強化について検討を進める」という方向性が盛り込まれた。

もし保険適用に踏み切れば、出産費用の価格が診療報酬で設定されるようになり、出産育児一時金の引き上げが出産費用の上昇をもたらす事態を一定程度、食い止められる可能性がある。

しかし、これには異論も出ている。実は、出産費用には地域差が大きく、「保険適用は難しいのではないか」という意見が以前から示されているためだ。

実際、厚生労働省の資料によると、図5の通り、公的病院における正常分娩の出産費用には地域差が見られ、全国平均が45万4,994円であるのに対し、最高は東京都の56万5,092円、最低は鳥取県の35万7,443円と、最大1.6倍の差が存在する。このため、岸田首相も2023年3月の時点では、「地域差も見られる実態等を踏まえると、医療保険制度との整合性をどう考えるかなどの課題がある」などと消極的な見解を示していた20

この地域差の要因についても、もう少し実証を要するが、厚生労働省の科学研究費補助金を受けた研究21では、その要因として、地域の所得水準や物価、地域の医療費水準、私的病院の割合、妊婦年齢の上昇や出産回数の減少などが考えられるとしている。

ここで、もし全国平均で診療報酬が設定された場合、平均を上回る地域の医療機関は対応を迫られることになる。実際、東京都医師会からは「分娩費用に限らず、診療報酬は全国一律ということで東京都の医療機関の経営状態が他の道府県よりも悪化している現実がある」「他の診療報酬を含め、全国一律で色々と論じることの限界が生じている」「本当に今のままでいいのか、分娩に限らず都道府県の実像に合わせた医療のあり方を検討する段階に来ているのではないか」との声が示されている22。 


19 2023年4月12日、同月5日『朝日新聞デジタル』配信記事を参照。 20 2023年3月16日、第211回国会衆院本会議における岸田首相の発言。 21 2021年度厚生労働科学研究費補助金「出産育児一時金(出産費用)に関する研究」(研究分担者:田倉智之氏)を参照。 22 2023年4月11日の記者会見における東京都医師会の尾崎治夫会長のコメント。同日の『m3.com』配信記事を参照。

2|出産費用の保険適用は「古くて新しい問題」

そもそも、出産費用の保険適用は「古くて新しい問題」である。厚生労働省(前身の厚生省を含む)は保険給付と位置付けていない理由について、(1)出産は傷病ではない、(2)出産費用は事前に準備できる、(3)出産のニーズが多様――といった点で説明している23。健康保険法が1922年に制定された際の解説書でも、保険給付(=現物給付)とせず、分娩費を現金で支給することにした理由について、「産院や助産の設備を直ちに全国で完備することが困難」などの点が挙げられている24

その後、病院での出産が増え始めた1960年代に保険適用が争点になり、当時の国会議事録では「平常だという形で(筆者注:正常分娩を)保険の対象外に置いておくところに(略)無理がある」という質問が寄せられ、当時の厚相が「研究」すると答えている25。その後も、この問題は尾を引き、厚相が「現金支給ではなくて、医療給付の対象になることが妥当ではないかという考えのもとに、次の保険の改正の場合には、検討を進めておる」と述べる一幕もあった26

さらに厚生省官僚OBによる解説書によると、出産育児一時金が制度化された1994年当時も、やはり医療保険審議会(厚相の諮問機関)で保険適用が模索されたが、「出産費用に大きな地域差が見られる実態の下で産科関係団体などの理解が得られず最終段階で見送られた」という27。実際、当時の厚相は「あらかじめ準備できない段階の事由もないこと、また分娩に要する費用について地域格差が非常に大きいということ等の観点から、そうした方向での結論は得られなかった」と述べている28

こうした事情を踏まえると、保険適用は以前から論じられているものの、地域差などがボトルネックになって見送られてきた経緯を読み取れる。既に触れた通り、地域格差の問題は今回も既に話題になっており、2026年度診療報酬改定に向けて、今後の議論の行方が注視される。 


23 稲森公嘉(2011)「医療保険と出産給付」『週刊社会保障No.2612を参照。さらに、歴史的な経緯を解説した先行研究では、健康保険制度が労働者保護から制度がスタートした点、敗戦後の占領軍による勧告の影響といった経緯・背景に加えて、(1)出産経費の標準化が困難だった、(2)診療報酬点数が助産婦レベルに統一化される懸念が示されるなど、医師サイドに現状維持を求める意見が強かった――といった点が指摘されている。大西香世(2014)「公的医療保険における出産給付」『大原社会問題研究所雑誌』No.663を参照。さらに別の先行研究では、制度創設時には産婆が専ら分娩を介助していたものの、その後は分娩場所や分娩方法が変わったのに、同じ給付方法が続けられていることで、現状との乖離が大きくなっていると指摘されている。小暮かおり2016)「日本の健康保険における出産給付の起源と給付方法の変遷」『大原社会問題研究所雑誌』No.698を参照。 24 森荘三郎(1923)『健康保険法解説』有斐閣p165を参照。そのほかに「傷病と異なり、分娩では事故の発生が明確であり、詐病の弊害がない」という点も論じられている。 25 1960年11月28日、第36回国会参院社会労働委員会における横山フク参院議員の質問、中山マサ厚相の発言。 26 1968年4月9日、第58回国会参院予算委員会における園田直厚相の発言。 27 吉原健二・和田勝(2020)『日本医療保険制度史(第3版)』東洋経済新報社pp443-444を参照。 28 1994年6月22日、第129回国会参院本会議における大内厚相の発言。

3|政治的に焦点になりやすいテーマ?

付言すると、出産育児一時金は政治的に焦点になりやすいテーマである。この制度は喫緊の課題である少子化対策の側面を持っている上、国民に現金が直接的、または間接的に行き届く点で、政党や政治家にとって、国民に成果をアピールしやすい面がある。

例えば、出産育児一時金が2009年に引き上げられた時の経緯を簡単に振り返ると、政権獲得を目指していた民主党はマニフェスト(政権公約)などで、当時の出産育児一時金(35万円)に20万円を上乗せする方針を表明29

これに対抗するため、当時の舛添要一厚生労働相が2008年8月、「お金のことを全く心配しないで(略)分娩費用も出るということの検討を開始したい」30と述べ、検討が加速した。与野党伯仲の当時と状況は少し違うとはいえ、政治主導で引き上げ論議が始まった点は今回と共通している。 


29 民主党は2005年総選挙マニフェストで、出産育児一時金(当時の支給額は35万円)に加えて、「出産時助成金」として20万円を上乗せするアイデアを示し、2007年参院選マニフェストで踏襲された。その後、出産育児一時金が42万円に引き上げられたが、計55万円を支給する方針については、民主党が政権を獲得した2009年の総選挙マニフェストでも継続された。 30 2008年8月22日の閣議後記者会見概要、同年11月27日に開催された「出産育児一時金に関する意見交換会」資料などを参照。

5―おわりに

本稿では、出産一時育児金を巡る今回の制度改正の内容や経緯、論点を考察した。本稿で紹介した通り、岸田首相が2023年6月の記者会見で、出産育児一時金の引き上げに言及する際、わざわざ「私の判断で」と強調したシーンに見られる通り、今回の制度改正は政治主導(というよりも首相主導)だった。  

その結果、制度改正に至るスピードは早かったかもしれなかった31が、便乗値上げの可能性など制度改正の影響とか、「出産育児一時金の引き上げが出生率引き上げにどこまで寄与するのか」といった点が十分に詰められたとは言えない。そもそも論で言うと、出産費用が毎年1%ずつ伸びていた背景や最大1.6倍の都道府県格差の実証分析も十分とは言えない状況だ。  

確かに安心して出産できる環境整備に向け、費用を軽減する施策は必要だが、保険適用を含めた一層の見直し論議に踏み込むのであれば、今回の引き上げの効果や副反応(便乗値上げなど)、出産費用の「見える化」の効果なども踏まえつつ、制度改正の利害得失を十分に検討する必要がある。さらに、本稿では詳しく触れなかったが、安心して出産・育児する環境の整備には、金銭面の支援にとどまらず、出産前後の相談対応の強化なども求められる。 


31 同じ傾向は2020年度診療報酬改定で保険適用となった不妊治療でも見られた。この時も、当時の菅首相が不妊治療の保険適用を自民党総裁選などで言明し、制度改正に繋がった。主な経緯については、拙稿2022年5月16日「2022年度診療報酬改定を読み解く(上)」を参照。

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