まさか本当にやるとは――韓国のメディア関係者の間で衝撃が広がった。これまで電気料金と一括徴収していた韓国の国営放送KBS(韓国放送公社)の受信料制度が約30年ぶりに変わることになった。

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 経営に大打撃となるKBS経営陣や野党は「政権によるメディア掌握の動きだ」と猛反発しているが、政府与党は、もっと大きな放送界の改革をもくろんでいる。

 2023年7月11日、韓国政府は首相が出席して開いた国務会議(閣議に相当)で、KBS受信料の徴収方式を変更するために放送法施行令の改定を決議した。

 これまで電気料金と一括して韓国電力公社が徴収していた方式が終わることになる。尹錫悦(ユン・ソンニョル=1960年生)大統領が近く裁可する。

「電気料金と一緒に払っているという話をどこかで聞いたことはあったが・・・。KBSどころかテレビを見ないし、意識したこともなかった」

 ソウルの30代の会社員は、徴収方式変更という今回のニュースを見るまでKBSの受信料について考えたことすらなかった。

1994年から電気料金と一括徴収

 日本のNHKに相当する韓国のKBSにも受信料がある。テレビ受信機を持っている場合には、KBSを見ようが見まいが支払う必要がある。

 だが、日本とは決定的に異なる点がある。電気料金と一括で徴収している点だ。

 アパートなどに住んでいる場合、電気料金は管理費と一括して払う場合が多い。その明細書をよく見ると、TV受信料などの項目がある。これがKBS受信料だ。

 1か月の料金は2500ウォン(1円=9ウォン)。

 ずいぶん安いような気がするが、調べてみたら1981年にカラーテレビ放送が始まった時から受信料はそのままだ。

 電気料金との一括徴収だから、KBS受信料の徴収率は99.9%だという。電気代を支払う世帯から漏れなく徴収しているのだから、KBSからみれば、実に便利な制度だ。

 1994年に始まったこの制度に尹錫悦政権が終止符を打った。

 放送通信委員会が7月5日に放送法施行令の改正を決議し、11日に国務会議でも決議した。

自発的に支払う人はいるのか?

 30年ぶりの改正だ。その後はどうなるのか?

 詳細な変更方式はまだ明らかではない部分が多い。11日時点での政府や韓国電力の説明はこうだ。

 自分で電気料金を支払っている場合は、KBS受信料相当分を除いた金額を韓国電力に支払えばよい。

 これまで通りの「一括徴収でいい」という場合、そのまま支払い続けてもいい。

 銀行自動引き落としの場合には、支払い方式を変えたい場合には、韓国電力に「KBS受信料は別に支払いたい」旨を連絡する必要がある。

 アパートなどの管理事務所が管理費として電気料金を徴収している場合は、各世帯と管理事務所の間でKBS受信料をどうするのか、意思確認などが必要で混乱が予想される。

 実際に始まってみないとどのくらいの世帯がKBS受信料を払い続けるのか、どんなペースで減るのかは分からない部分が多い。

 8月から急激にKBS受信料の支払いが減ることはないかもしれないが、筆者の周辺で聞く限りでは「積極的に支払います」という声を聞いたことがない。

 放送業界関係者も口をそろえて「いずれ大変なことになる」と言う。

 KBSと韓国電力との業務契約は2024年末まで。その後も「請求書」の送付などを委託が続くのかどうか。

 もし、韓国電力がすべてのKBS受信料業務から手を引いた場合、KBSが直接、請求書の送付から徴収まで手掛けることになる。 

 こうなったらKBSにとって大打撃は避けられない。

 KBSの2022年の総収入は1兆5305億ウォンだった。このうち受信料収入は6935億ウォンで45%を占めた。

 この受信料収入がいったいどれほど減るのか?

収入がどれだけ減るのか?

 放送業界では、「受信料収入は5分の1になる」との見方がある。放送行政に長年携わった元高官がこう話す。

「受信料の徴収率は5割くらいに時間をかけて下がる。一方で、受信料徴収にかかるコストは急増する」

 いまは、KBSの受信料(月2500ウォン)から教育放送である韓国教育放送公社(EBS)に70ウォンを払う。さらに韓国電力への手数料は169ウォン。残りの2261ウォンがKBSの収入だ。

 徴収手数料は受信料の1割以下で済んでいた。これからは徴収率が急激に下がり、コストは急増する。

 受信料を徴収するためのコストは今後年間2000億ウォン前後になるとの試算がある。そうだとすれば、徴収率5割だとしても受信料収入の半分以上が経費で消えてしまう。

 コストを差し引いた実際の収入は1500億~2000億ウォンになる。徴収率がさらに低いと、収入が5分の1以下になってしまう。

 どのくらいの時間がかかるかまだ不透明だが、経営への打撃は計り知れないのだ。

96%が賛成?

 では、そもそも、どうしてこんな「荒業」に出たのか?

 韓国紙デスクは、3つの理由を挙げる。

 まずは、そもそも電気料金とKBS受信料を一括して徴収するのはおかしいという意見はずっと前からあった。

 テレビ受信機があれば受信料の支払いは義務だとはいえ、電気料金との一括徴収はやりすぎだとの意見は根強くあった。

「最近はテレビ受信機など持たない世帯も急増している。こういう場合、手続きを踏めば受信料は支払わなくてもよいが、面倒だし、そもそも電気料金との一括徴収ということを知らない一般国民も少なくなかった」(経済閣僚経験者)

 全く見ていない、テレビ受信機もないにもかかわらず、受信料を支払っていた例も少なくないはずだ。いまの一括徴収方式が時代に合わなくなってきたのは確かだ。

 いつか改めなければならなかった点を改めようということだ。

 尹錫悦政権は「国民の声を聞いたら96%がKBS受信料徴収方式の改善に賛成だった」と説明する。

 2023年3月初めから1か月間、大統領室はホームページで「TV受信料の徴収方式に関する意見をお聞かせください」という「世論調査」を実施した。

 5万8251人が参加し、「今のままでいい」との回答は0.5%だった。
国民の圧倒的な声が徴収方式改定を求めている。こういう理屈だ。

高給で偏った報道?

 2番目の理由が「放漫経営」に対する批判だ。KBSはこれまで何度も受信料引き上げを目指した。

 そのたびに経営の合理化、特に高い人件費に対する批判が出て実現しなかった。

 受信料が自然に入ってくるのだから、「経営」に対する意識が高まるはずがないのだ。

 1億ウォン以上の年俸を得ている職員が半分もいると言われ、長年改善要求が出ていた。

 さらに、放送内容についての批判も後を絶たない。

 KBSは長年、労働組合の影響力が強く、かなり進歩色に偏った報道を続けているとの批判を浴びてきた。

 実際に毎日、KBSともう一つの放送局であるMBC文化放送)のテレビやラジオの報道内容に接すると、公正中立とは程遠い内容が少なくない。

 保守的な考えの知人からは「今のような内容が続く限りKBSのニュースは見ない。受信料も払いたくない」という意見をよく聞く。

テン・チョン・ニュースと闘った労組

 看板番組である夜9時のニュースの視聴率もどんどん下がっている。

 韓国紙デスクは「ラジオの報道番組は一方的な内容が多い。国民の99%から受信料を徴収しているという自覚に欠けている」と話す。

 KBSやMBCでは労組の影響力が強く、報道内容は進歩寄りだという指摘を受けるの背景には歴史的な事情もある。

「テン・チョン・ニュース」

 韓国にはこういう言葉ある。

 1981~88年の全斗煥(チョン・ドファン)政権時代、つまり第5共和国といわれた時代のニュース番組についての言い方だ。

 当時は、午後9時のニュースが定着していた。

「テン!」と9時の時報が鳴ると始まるニュース。

 どんなに重大な経済や外交、国際、事件ニュースがあっても、トップニュースは必ず「チョンドファン大統領は・・・」という内容だった。

 だから、できたのが「テン・チョン・ニュース」という表現だった。

 筆者は1980年代後半に語学研修のために1年間ソウルで生活した。学生街での下宿生活だった。

 語学の勉強のためにソウルの電器街だった「世運商街(セウンサンガ)」に行って14インチ型のカラーTVと室内アンテナを買ってきた。

 TVを持つ下宿人などいない時代で、部屋にはテレビを見るために、いつも他の下宿生が集まってきた。筆者の部屋は出入り自由だった。

 ある日、そのテレビにスッテッカーが貼ってあった。「KBSの受信料を拒否します!」と書いてあった。

 テン・チョン・ニュースと呼んだ「偏向報道」に抗議して受信料を支払わない運動があった。KBS受信料拒否のステッカーはあちこちの家の玄関でも見かけた。

 KBSも受信料徴収にさぞ苦労したはずだ。

 1987年の民主化に向けて報道機関もそれなりに努力はした。特に報道の自由を確立するために労組が大きな役割を果たした。

 そういう伝統があるから報道機関、特に放送局の労組はその後も強く、今に至ってしまったのだ。

野党は猛反発

 背景はともあれ、3つの大きな理由から、電気料金と一括して「強制徴収」するやり方ではもう一般国民の理解が得られない。

 尹錫悦政権はこう判断した。

 今回の措置には、KBS経営陣や野党は猛反発している。

 野党や進歩系の市民団体、学者は「大きな影響力を持つKBSを掌握しようという政治的な意図がみえみえだ」と批判する。

 2024年4月の「政治決算」である総選挙を前に、KBSに致命的な打撃を与え、進歩色の強い報道内容を改めさせる狙いだというのだ。

 KBSは放送法施行令の改正にあたっての予告期間が短すぎるなど手続き上の問題があるとして憲法裁判所に効力停止を求めて仮処分を申請した。

 野党関係者は怒りを隠さない。

世論調査で96%が賛成というが、大統領室のホームページで意見を募集しただけ。放送通信委員も欠員が出て今は3人しかいない。こんな重要な問題を、これほど強引に進めていいのか」

 中立的な立場の企業人からも、「KBSの存立にかかわる問題で十分な説明や批判の声に耳を傾ける過程が必要ではないのか。少し急ぎ過ぎていないか心配だ」との声が聞こえてくる。

長年の問題点に切り込む

 では実際にどう進むのか?

 韓国紙デスクは「今の政府は単にKBSの受信料の問題だけで終わらせるつもりはない。長年放置してきた放送界の問題点に切り込むつもりだ」と読む。

 韓国の放送界には、「いつかは整理しなければならない問題」が少なくない。

 KBSについていえば、受信料徴収方式以外にテレビの地上波を2つも保有している点が今後議論の対象になるだろう。

 地上波放送としてKBSは、商業広告(コマーシャル)がない「KBS1」とありの「KBS2」を持っている。

 KBS2は、ドラマ、娯楽、芸能などが中心のチャンネルだ。

 一応、KBS1は報道や教養などが中心とはいうが、ドラマも娯楽番組もある。どうして2つもチャンネルがあるのか。

 1980年代初めにさかのぼる必要がある。

 全斗煥氏は、政権を握る過程で1980年末に「言論統廃合」を強行した。朝刊新聞、夕刊新聞、経済新聞などをすべて指定して、これ以外は廃刊した。

 放送会社も集約した。サムスングループから高視聴率を誇った民間放送「東洋放送(TBC)」を取り上げたのだ。これをKBSに吸収させたのがいまのKBS2だ。

 テレビ視聴者が減少して、コマーシャル市場も縮小する中で公営放送のKBS2が必要なのか。

 以前から、売却、民営化を主張する声があり、この議論が浮上するはずだ。

 もう一つの地上波放送であるMBCについても不自然な支配構造が続いている。

 MBCはもともと釜山で事業家が1959年に設立した民間放送だ。その後、朴正熙パク・チョンヒ)政権ができる過程で「没収」されていた。

 その後、いろいろな経緯を経て、1988年から政府機関である「韓国文化振興会」が70%、朴正熙氏が設立した財団を前身とする奨学財団が30%の株式を握る構造が続いている。

 民間放送とはいえ、政府系であり、かなりいびつな支配構造なのだ。

 だから政権交代のたびに社長人事で揺れ、強い労組は温存されてきた。 この問題の処理にも手を付ける可能性がある。

 朴正熙、全斗煥という2人の元大統領時代、ずいぶん昔にかなり異例の形で実行した点がそのままになっているのだ。

辣腕の放送通信委員長を起用

 尹錫悦政権は、次期放送通信委員長に、東亜日報記者出身で李明博(イ・ミョンパク=1941年生)政権時代に青瓦台(当時の大統領府)の広報首席秘書官を務めた人物を起用する意向だ。

 辣腕ぶりが知られる人物で、「放送ビッグバン」を強引に進める可能性もある。

 ただし、KBS2の民営化や、MBCの支配構造変更にすぐに踏み切るわけにはいかない。いずれも国会での法改正が必要だが、野党が多数を占める今の国会で実現するはずがない。

 だから、法改正が必要ないKBS受信料徴収方式の変更から手を付け、残りは来春の国会で野党が勝利してから。

 これが今の政権のシナリオだ。

 その前に、もう一つ、静かに進んでいることがある。

 放送会社の幹部は「法改正の必要がないが放送業界、特に報道面で大きな影響を与える話だ」という。

YTN問題

 韓国の24時間ニュースチャンネル「YTN」の経営権の売却だ。

 YTNは韓国でCATV(ケーブルテレビ)の普及に合わせて1990年代半ばに国策通信社である「聯合ニュース」の放送部門として始まった。

 ところが、たちまち経営難に陥った。

 政府は救済のために、聯合ニュースから切り離して公企業だった韓国電力、韓国たばこ人参公社(その後民営化していまはKT&G)、競馬を運営開催する特殊法人「韓国馬事会」に出資させた。

 いまも韓国電力の子会社が21.87%、KT&Gの子会社が19.95%、韓国馬事会が9.52%を出資している。合わせて過半数の株式を3社が握っている。

 ところが3社は経営に関与せず、20年以上も前に政府の要請で引き受けた株式を保有しているだけだ。

 この放送局も労組が強いことでは地上波2社と同じだ。

 今の政府は、公企業の資産圧縮を進める過程で、韓国電力子会社などが保有するYTN株式を売却する方針を明らかにしている。

 韓国電力の子会社が筆頭株主のままという支配構造はおかしいといえばおかしい。

 だが、なぜいま急にこれを変えるのか。YTN労組や野党は猛反対している。労組の影響力を弱めたいという意図が透けるからだ。

 24時間報道ニュースチャンネルという本来なら政治の影響力をできるだけ避けて中立を維持したい放送局の問題だが、当面のメディア再編をめぐる政治的な争いのど真ん中の課題になる。

 韓国紙デスクはこう話す。

「KBSの経営形態も、MBCやYTNの支配構造も、いつかの段階で手を付けるべき課題だ。与党支持者の間では報道内容に対する不満も強い」

「ただ、総選挙に向けたメディア掌握の動きだと野党は猛反発している。労組の抵抗も必至で、激しい与野党の攻防が起きるはずだ」

テレビ離れで環境激変

 KBS受信料徴収問題は、放送界の改革に向けた号砲なのだ。

 放送界にとっては大きな話だが、一方で特に若い層からはこんな声も聞こえてくる。

 30代の大企業社員と話したらこう言われしまった。

「KBS、MBC、YTNといわれても全く見ない。家にテレビ受信機がない知人も多い。受信料はいずれ支払わなくなるだけだ」

「ニュースが問題だというが、中立的な新聞やメディアってあります?」

 KBSやYTNの問題といっても、政界やメディア業界以外では、生活にかかわる大ニュースではないから、全く関心がないのだ。テレビ業界を取り巻く環境もそれだけ激変しているのだ。

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