映画『サントメール ある被告』より、登場人物が法廷で次々と証言する姿などを収めた本編特別映像が解禁。併せて、西川美和監督、三宅唱監督、セリーヌ・シアマ監督、俳優のケイト・ブランシェットら著名人からの絶賛コメントも到着した。
【動画】実際の裁判記録をセリフに 『サントメール ある被告』本編特別映像
本作は、フランス北部の町サントメールで実際にあった裁判をベースに描く衝撃の法廷劇。2022年の第79回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)と新人監督賞の2冠に輝き、セザール賞最優秀新人監督賞を受賞、今年度アカデミー賞(R)のフランス代表にも選出されるなど、世界の映画祭を席巻した。
若き女性作家ラマは、ある裁判を傍聴する。被告は、生後15ヵ月の幼い娘を殺害した罪に問われた女性ロランス。セネガルからフランスに留学し、完璧な美しいフランス語を話す彼女は、本当に我が子を殺したのか?
監督を務めたのは、国際的に注目を集めるセネガル系フランス人女性監督アリス・ディオップ。撮影監督に『燃ゆる女の肖像』のクレール・マトン、脚本にはゴンクール賞作家のマリー・ンディアイが参加している。
このたび、登場人物が法廷で次々と重要な証言をする姿などを収めた、事件の様々な側面が見えてくる本編特別映像が解禁。被告のロランスが「無実を主張します。娘が死ぬまでの2年間は最悪な時期でした」「赤ん坊を殺した女に、同情などありません」などと訴える姿をはじめ、ロランスの弁護士・ヴォードネが「参審員の皆さん、これは亡霊の女性の話です。誰の目にも触れず、知られていない女性です」と呼びかける姿、女性裁判官、検察官、娘の父親、ロランスの母親が語る姿が次々と映し出されていく。そして最後は、裁判を傍聴し影響を受ける作家のラマが「ああなるのが怖い」とつぶやき、「誰のことだ?」と問われ「私の母よ」と答えるシーンで幕を閉じる。
また今回、本作を観た国内外の著名人からのコメントも到着。『すばらしき世界』の西川美和監督は「あらゆる世界をつなげる細くて強い糸を持っている」と評し、『ケイコ 目を澄ませて』の三宅唱監督は「『みること』と『誰かをジャッジすること』を切り離し、わたしたちを勇敢にさせ、地獄から救い出そうとする」と称賛。
俳優のケイト・ブランシェットは「まさにここ10年のフランス映画で最もパワフルな映画のひとつ。いつかディオップ監督に演出されたいと願い、夢見るばかりだ」、同じく俳優でヴェネチア映画祭の審査員長を務めたジュリアン・ムーアは「シネアストとして、アリス・ディオップの声は新しく、待ち望まれた、必要不可欠なものなのです」と賛辞を贈っている。
『ムーンライト』のバリ-・ジェンキンズ監督は「この映画は、極めて稀な周波数で振動しているのだ。真摯で、具体的なイメージの上に成り立つ崇高な表現。揺るぐことがなく、勇敢。この作品を前に、私は茫然自失となった」、『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマ監督は「アリス・ディオップ監督の言語は、映画言語の歴史だけでなく、彼女自身の歴史に属するものであり、それは危険であり、かつ輝かしいものなのだ」と語っている。
さらに、アリス・ディオップ監督の来日も決定。7月14、15、16日の3日間、都内でトークイベントを行う予定。
映画『サントメール ある被告』は、7月14日より全国順次公開。
著名人コメント全文は以下の通り。
<著名人コメント全文>
■飯岡幸子(撮影監督)
衒いなく置かれるカメラは気付けば見ているこちらまで撮り始める。映画の外側に隠れていることは出来ないのだ。
■小野正嗣(作家、仏文学者)
裁くのではなく、ただ耳を傾けること。慈しむ母と支配する母のあいだで揺れる娘の耳に届くのは、善悪の彼岸から聞こえてくる真実の声なのだろうか。
■川和田恵真(映画監督)
人種、性別、望まれる“私”から逃れようとするたびにどんどん道が塞がれてしまった彼女のこと。どんなに想像してもその心の深淵は見えない。それでも他者をわかろうとすることを諦めたくない、という希望が最後に残った。
■児玉美月(映画文筆家)
『サントメール ある被告』の政治的な美学は、ほかの追随を許さない。セリーヌ・シアマは「これは私たちの時代の“ジャンヌ・ディエルマン”」と賛辞を送るが、シャンタル・アケルマン同様、今後間違いなくアリス・ディオップは映画史で言及されつづけることになる。
■北村道子(スタイリスト)
この作品はいい意味でアバンギャルドである。かつて、この様な映画があっただろうか。軽い眩暈が起きそうな経験をしてしまった。
■高橋ユキ(裁判傍聴人/ノンフィクションライター)
もし私がこの裁判を取材するとしたら どう書くだろう?裁判で明らかになったのは動機ではなく社会における女性の現在地、そして孤独だった。
■和田彩花(アイドル)
年齢、性別、国籍、人種などのいくつかの属性が交差した複雑な情景が広がるこの映画を通して、日本でもしばしば報道される「乳児を殺害した母親」の立場がどのようなものであるか、どんな点が自分や周囲の出来事と共通しているかを考えていきたい。
■西川美和(映画監督)
この作品の人種的、社会的、歴史的、言語的な背景の複雑さの多くを、日本に暮らす私が読み解くことは難しい。けれども、子供を持つということの決して語られざる絶望、多くの女性をのみこむ洞穴のような孤独、という点において、この映画はあらゆる世界をつなげる細くて強い糸を持っている。
■三宅唱(映画監督)
忙しいと、どうしても目が届かなかったり、つい見逃さざるをえないことも多い。それに慣れてしまわないと生きづらいから、いっそ見ないふりすらする。ときには目に入るものを瞬時にジャッジし続ける快楽に溺れることもある。そうした習慣がやがて誰かや自分自身を致命的な不幸に追い込むことには薄々気がついているけれど、つい目を背けてしまう。
この映画は、裁判所という空間を捉え直すことで、「みること」と「誰かをジャッジすること」を切り離し、わたしたちを勇敢にさせ、地獄から救い出そうとする。
■久米宏(フリーアナウンサー)
カメラは 被告席に立っている女性に向かっていてビクとも動かない。我々も被告を凝視し続けることになる。この作品は、実際にあった裁判の記録に沿って創られている。被告の女性は、生後15ヵ月の赤ん坊を渚に置き去りにしたのだ。2015年に起きた事件だった。被告を演じるガスラジーには、監督は⼀切の演出をしなかったと聞く。
■山崎まどか(コラムニスト)
「女が語る」ということの重要性と本質をスリリングに、ハードボイルドに捉えた作品。法廷で証言する被告、弁護士、裁判官の女性たちの顔と言葉に釘付けになった。
各国著名人からも絶賛の声
■ケイト・ブランシェット(俳優)
この映画はセイレーンのように私を岩礁へ呼び寄せ、魅惑的で、かつ胸が張り裂けるような物語で、私を催眠術にかける。スクリーンが溶けて消えていくように感じ、登場人物たちの境遇に入り込み、それによって自分が永遠に変わったのを感じた。つたない意見だが、『サントメール ある被告』は、まさにここ10年のフランス映画で最もパワフルな映画のひとつ。いつかディオップ監督に演出されたいと願い、夢見るばかりだ。
■テッサ・トンプソン(俳優)
アリス・ディオップ監督は、複雑さと思いやりをもって、法廷劇というものを再定義している。彼女は観客を陪審員の立場だけでなく、有罪判決を受けた者の立場にも立たせる。『サントメール ある被告』は斬新な映画だ。容赦なく詩的であり、抑制され、完全に魅惑的な作品なのだ。
■キウェテル・イジョフォー(俳優)
美しく、洞察力に満ちている。文化や階級、人種間のインタラクション(相互の影響)を的確に深く捉えている。呪術の比喩に深い衝撃を受け、キメラを語るくだりでは感動の涙を流した。あらゆる場面で、驚かされ、喜び、好奇心を抱かされた。この作品のとりこになってしまったのだ。圧倒的な成果だ。
■バリー・ジェンキンス(映画監督)
この映画は、極めて稀な周波数で振動しているのだ。真摯で、具体的なイメージの上に成り立つ崇高な表現。揺るぐことがなく、勇敢。ガスラジー・マランダは信じられないほどに素晴らしい。この作品を前に、私は茫然自失となった。
■セリーヌ・シアマ(映画監督)
『サントメール ある被告』を見ることは、1975年に『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』を見ることに比べられる。人は映画の詩を見ていることに気づく。アリス・ディオップ監督の言語は、映画言語の歴史だけでなく、彼女自身の歴史に属するものであり、それは危険であり、かつ輝かしいものなのだ。
■ローラ・ポイトラス(映画監督)
これは崇高な映画だ。『サントメールある被告』を観た瞬間、自分が偉大な映画作家の手の中にいることを確信した。ディオップ監督は主人公と観客に大きな敬意を表しながら、深い複雑さを持つ物語を見事に編みあげた。私はこの映画について考えることを、やめられないでいる。
■オードレイ・ディヴァン(映画監督)
上映後、審査員たちの議論は熱を帯び、情熱的なものになった。映画の質の高さに関しては、即座に満場⼀致だったので、議論はそのことについてではなく、この映画が私たちに投げかけた問いの力についてだった。この映画の重要性は、その反響によって測られるのだ。アリス・ディオップ監督に贈られた銀獅子賞は、この勇気と過激さ、高いインスピレーションに満ちた長編デビュー作に対する私たち審査員の賞賛の証だった。
■ジュリアン・ムーア(俳優)
シネアストとして、アリス・ディオップの声は新しく、待ち望まれた、必要不可欠なものなのです。
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