稲葉浩志初の著書にして初の作品集となる「稲葉浩志作品集 シアン」。先行して発売された「-SINGLE & SOLO SELECTION」に続き、その完全版となる完全受注生産「-シアン[特装版]」が10日、ついにリリースされた。稲葉浩志の作詞家としての側面にフォーカスした同作では、稲葉自身がこれまで紡いできた400曲以上の歌詞が掲載されるほか、35年にわたる作詞家としての活動を総括している。そんな稲葉の35年の歴史をたどった同作は作品集2冊、フォトブック1冊、それらを収納するSPBOX付きという特別仕様。こだわり抜かれた「シアン[特装版]」は果たしてどのようにして誕生したのか。作品作りのキーマンであるアートディレクター・志村正人氏(REVEL46)と、編集長・江村真一郎氏(KADOKAWA)に作品誕生までの経緯や制作の裏側を聞いた。

【画像を見る】初出し!「シアン」ロゴのプロトタイプを一部公開

稲葉浩志初の作品集を作るため有志の編集部を立ち上げ

――まずは企画がスタートした時の話から聞かせてください。

江村真一郎(以下江村):企画がスタートしたのは2022年2月頃でした。「別冊カドカワ」でB’zの総力特集号を2003年に刊行したこともあり、事務所のバーミリオンさんからお声がけいただきました。その後、稲葉さんご本人とスタッフさんによって提案を吟味していただき、縁あってご一緒させていただけることになったのが2022年の4月頭でした。

――稲葉さんはこれまで作品集はもとより、ソロでの書籍自体が初めてですよね。

江村:はい。以前、松本さんはソロの書籍を出されていますが、稲葉さん単独の書籍は今回が初めてです。初めての著書、さらにデビュー35周年というアニバーサリータイミングでもありましたし、その歴史に見合う作品を作りたいと僕らも気合が入りました。

――元々B’zとの音楽的な接点や思い入れなどはありましたか?

江村:個人的な話で恐縮ですが、中学時代にエレキギターを始めたきっかけがB'zで。

志村正人(以下志村):えぇ!そうだったんですか?

江村:そうなんです(笑)。初めて買ったエレキギターYAMAHAのMG-MⅡGという松本さんのシグネチャーモデル。中学の同級生とバンドを組んで、文化祭で「HOT FASHION」を下手くそなりに一生懸命演奏しました。元々、自分にとって思い入れのあるアーティストさんなのですが、今回は社内でB’zが好きな女性編集者にも声をかけて、男性目線、女性目線、両方から納得いくものをつくりたいと有志の編集部を立ち上げました。

――この規模感の作品ですと、編集部以外にもスタッフの力が必要ですよね。

江村:そうですね。アートディレクターやデザイナー、ライター、カメラマンを誰にするか。印刷はどこにお願いするか。編集部側の意向と稲葉さん、そして事務所さん側の意向をすり合わせながらスタッフィングを進めました。

アートディレクターは「Pen」で活躍した志村正人氏を抜てき

――その中でアートディレクターは志村さんが選ばれたと。

江村:前述の女性編集者が以前仕事をさせていただいた志村さんがアートディレクターの候補に挙がって。今回のプロジェクトは“単純に本を作るだけでは終わらないかもしれない”という可能性が当初からあったので、雑誌「Pen」でイベントを含めたトータルデザインをされていた志村さんが良いのではと。実際に過去のデザインなどを拝見させてもらい、今回の企画に合っていると感じたんです。

志村:これまでお仕事をしたことはあったんですけど、すごく前のことなので連絡をいただいた時はビックリしました。最初、電話に出られなくて、“間違えてかけたのかな?”って(笑)。それで電話で話してみたら、B’zの稲葉さんの書籍を作ると。僕は正直、B’zの楽曲をこれまで聴き込んではいませんでした。もちろん有名な曲が多いので知ってはいますが、“僕でいいのかな?”って。でも声を掛けてくれたのは何か理由があるんだろうと思ったので「やります」と。でも2022年はサッカーW杯があったので、「W杯を観に行くので、その期間はできませんよ」ということは伝えました(笑)。

――刊行するタイミングによっては、その時期とかぶってしまう可能性がありますからね。

志村:そうなんですよ。

江村:具体的な発売日が最初から決まってたわけではないんですが、目安として考えていたのが2023年の6月頃までに出したいということ。2023年7月からはB’zのツアーが始まるので、その前に刊行できればという思惑がありました。2022年の4月から6月にかけてどんなコンセプト、内容にするのかを事務所さんやスタッフと何度も打ち合わせをしながら詰めて、夏に入った頃から実作業を始めましたね。特装版の発売日は2023年7月なので結果、約1年半作品作りに携わった形になります。

――江村さんは、実際に志村さんと会って話をしてどういう印象を受けましたか?

江村:とても柔軟な考えを持ってる方だなと思いました。こちらの構想にも対応していただけそうだなって。

――テーマ/コンセプトは最初から決まっていたのでしょうか?

江村:今回は“ボーカリスト稲葉浩志”ではなく、“作詞家稲葉浩志”をフォーカスするものにしてほしいということだったので、そこに特化した感じですね。編集スタッフで内容を詰めて、事務所さん側に提案をして、「これだとちょっとソロではなく、B’zっぽい感じになってしまいますね」とか、細かな部分まで調整しながら進めていきました。「178178答」のようなライトな企画も当初は考えていたのですが、最終的には歌詞に関するロングインタビューを軸に、デビューからの35年の活動をしっかりと振り返る内容に着地しました。

■SPBOXは当初LPレコードのジャケットサイズだった

――作品集2冊、フォトブック1冊、それを収めるSPBOXという仕様ですがその形は当初からでしょうか?

江村:元々分冊にしようとは思っていましたが、最初はそこまで仕様は固まっていなくて。

志村:提案資料を共有いただいたりする中で、LPレコードのジャケットサイズのボックスに写真集と作品集を入れるというアイデアがあったのを覚えています。音楽関連なのでLPジャケットサイズというのもいいんですけど、デザイナーとしては「もうサイズが決まっちゃってるのか、ちょっと残念だな」ってその時は思いましたね(笑)。

――フォーマットがかっちり決まってると、そこにデザインを嵌め込むという感じの作業になりますからね。

志村:そうなんですよ。でも、「大袈裟なものにはしたくない」という意向をお聞きして。

江村:「こんな感じになります」とLPレコードのジャケットサイズの束見本を作ってお見せした時に、大仰なものじゃないほうが良いというご意見をいただき、そこから別案を考えることにしました。アイデアの起点はレコードと一緒に並べてもらったら、常に目に入るところに置いてもらえるんじゃないかという点だったのですけれど、最終的に今の大きさになって非常に良くまとまったと感じています。

志村:“華美じゃないもの”という先方の意向がありましたが、ビッグヒットを飛ばしている稲葉さんの作品集ですし、ありきたりなものにはしたくないなという思いはありました。編集部とオンラインで打ち合わせをしている時に、編集スタッフの方たちから稲葉さんの人柄、人格、個性、歌詞に対する考え方などを聞いて、ステージ上では華やかな方ですけど、ステージ以外は実直な方という印象を受けたので、なんとなくですけど、「茶室みたいなイメージですか?」ってそこで言ったんです。

江村:茶室! そうでしたね!

志村:茶室って過度に飾り立ててはいないけれど、そこに世界観があって凛とした美しさや強さもあり、何か感じるものがありますよね。茶室の中に入った人にも何か想像する余地を与えてくれる。そういうイメージがいいかなと思って。加えて稲葉さんのプライベートスタジオの名前が「志庵」というのも聞いて、まさに茶室みたいじゃないですか!と。その時にデザインのおおよそのイメージが決まった感じがありましたね。

江村:最初に「茶室」って聞いた時、どういう意図で言われたのか分からなくて、「え? “和”のイメージですか?」って聞いてしまいました(笑)。そうしたら、本質の部分での“茶室”のイメージということで。

志村:その打ち合わせには編集の方3人が参加されてたんですが、茶室と言った時、みなさんポカーンとされてましたよね(笑)。

江村:志村さんに説明していただいて、いろいろ合点がいきました。稲葉さんのプライベートスタジオの名前でもありますし、ソロアルバムのタイトルにもなっていましたので、『志庵』という言葉がいいなって。最初はアルファベットで“Shian”や“Sian”を想定していたんです。漢字じゃなくアルファベットにすることで、“私案”だったり“思案”だったり“試案”だったり、いろいろな意味に捉えることができるんじゃないかと。でも、編集部の中でどうもローマ字表記がしっくりこなくて。そんな時、稲葉さんから「カタカナはどうでしょうか?」とご提案をいただいて。それは本当に目から鱗でしたね。

――“言われてみれば”という感じですね。

江村:そうなんです。印刷の基本となる4色「CMYK」の「C」もシアンと言って青系の色を指すのですが、そこからタイトルロゴやキーカラーに青系の色を使うイメージが湧いて。稲葉さんの秘めた思いや熱量が僕の中では赤い炎ではなく青い炎っぽいと前から思っていたので、「これだ!」って。

志村:赤い炎よりも青い炎の方が温度が高いらしいですからね。ぴったりだと。作品のタイトルがカタカナのシアンに決まってからロゴを考えた始めたのですが、カタカナのシアンって実はデザインが意外と難しいんですよ。「シ」と「ン」が似ていますし、大きさを変えてしまうと「シァン」みたいに見えてしまいますし。

江村:悩みながらタイトルロゴは志村さんに7、8パターンぐらい作ってもらいましたよね。

■SPBOXのイメージは映画『2001年宇宙の旅』の謎の物体?

――BOXも、最初のLPレコードサイズから変更になって小さくなりましたが、こちらのイメージは?

江村:志村さんは“モノリス”っていうイメージだったみたいで。

志村:映画『2001年宇宙の旅』の謎の物体ですね(笑)。稲葉さんは芯の強さがありつつ、ご本人はすごく繊細な方だと思うんです。そういうところを出したいと思ったのと、モノリスと言ったのは、見る人によってどうとでも解釈できるものにしたいと思ったからなんです。

特装版を購入される方はB’zや稲葉さんのファンの方で、掲載されている歌詞はもしかするとすべて知っているかもしれない。でも、歌としてではなく“歌詞”を読んでもらいたいなと思って、デザインにはなるべく余計なイメージを持たせたくないとも思ったんです。だからこそ、BOXを含めた装丁から先入観を与えないようなデザインにしたかったという気持ちもありました。

江村:BOXをはじめ作品集、フォトブックの装丁も極力シンプルで手作り感のあるものにしようと思って。そこに箔押しのブルーのロゴが載ることで、稲葉さんの凛とした強さや高貴な部分を感じてもらえたらなという意図です。

――作品集とフォトブックは、それぞれ珍しい“ドイツ装”と“スイス装”という装丁になっていると聞きました。これも志村さんからの案なんですよね?

志村:先ほども出てきた“手作り感”というのを考えた時に思い浮かんだのがドイツ装とスイス装だったんです。これは印刷会社の方は大変だったと思いますが、稲葉さんも歌詞を作る時に苦労されて作られていると思うので、作品集を作る側も一つ一つの工程を丁寧に作っていくのがいいんじゃないかと思ったんです。

江村:志村さんから「こういう装丁もあります」と、ドイツ装とスイス装を採用している本を見せてもらいました。これまで自分では採用したことがない装丁だったので面白いなって。

志村:通常の書籍と比べると脆いというか、壊れやすい装丁なんですけど、貴重な物だからこそ敢えてそういう物でもいいんじゃないかとも思ったんです。壊れやすいけれど、大切に扱うことで年月を経ると手作りゆえの味が出てくると思いますし。だからこそ大事にしたいと思ってもらえたらいいですね。

■悪天候に悩まされた横須賀ロケ、本棚劇場では床に寝転がっての撮影も

――フォトブックも今回撮り下ろした写真で貴重な内容ですね。

江村:以前「別冊カドカワ」でB’z特集号を制作した際は撮り下ろしがなかったと聞いていたので、今回ロケ撮影にご協力いただけるとなり嬉しかったですね。ロケ撮影は2つのテーマで撮り下ろしました。まずは“word”をテーマに、ところざわサクラタウンの角川武蔵野ミュージアムを中心に行いました。本棚劇場という本がたくさん並べられている場所で、そこに稲葉さんが寝転がることで“言葉に埋もれる”というイメージを表現しています。今後、本棚劇場で寝転んでいる方がいらっしゃったらきっとシアンを買われた方かもしれません(笑)。

――ロケ地巡礼ですね(笑)。

江村:(笑)。もう1日は“think”をテーマに。歌詞を作る時に稲葉さんが物思いに耽っているような、オフに近い稲葉さんを撮りたいと思い、横須賀市全面協力の下、猿島、どぶ板通り、三笠公園などで撮影を行いました。猿島に行くには定期船に乗る必要があるのですが、強風だと運航中止になってしまうんです。実は、ロケハン、撮影予定日ともに運航中止になってしまって。当日の朝にならないと運航の判断が出ないので、ロケの予備日も朝からソワソワしていましたね。稲葉さんをソロでここまで撮り下ろした作品は非常に貴重だと思います。

志村:写真がすごくカッコいいので、稲葉さんの魅力をたっぷりと感じてもらえると思います。

江村:カメラマンは、所沢の撮影が平野タカシさんで横須賀の撮影を中野敬之さんにお願いしました。平野さんにはコンセプチュアルに稲葉さんのカッコよさをメインで撮ってもらい、一方、中野さんには普段の稲葉さんの雰囲気に近いラフなイメージで撮っていただきました。

――特装版に先駆けて発売された「SINGLE & SOLO SELECTION」とは掲載されている写真が全く違いますね。

江村:最初は特装版だけ作る予定でしたが、稲葉さんに今回の作品集を広く一般の方にも届けたいという思いがあることを知り、急きょ「SINGLE & SOLO SELECTION」を発売した流れになります。おかげさまで「SINGLE & SOLO SELECTION」も発売4日で重版が決まりました。特装版からセレクションした書籍という位置付けですが、それぞれ別の撮り下ろしカットを掲載して、どちらも楽しめるようにしています。

志村:両方買われたという方も多いんじゃないですかね。特装版は保存用にして、毎日読みたい人はセレクション版を読むとかもいいかもしれません。

江村:特装版は資材調達や制作工程の都合上、2月末で予約を締め切らせていただいたんですが、その後もたくさんお問い合わせをいただきました。特装版は残念ながらこれから購入することはできないのですが、「SINGLE & SOLO SELECTION」は特装版のエッセンスを凝縮していますので、ぜひそちらを書店で手に取ってシアンの世界をのぞいてもらえたらと思います。

◆取材・文=田中隆信

「稲葉浩志作品集 シアン」キービジュアル。実はこの赤い線にもある意味が含まれている/(C)平野タカシ/KADOKAWA