労働人口の減少や企業の生産性低下に伴い、終身雇用制度の崩壊が取り沙汰されています。制度自体には、社歴が浅かったり年齢が若かったりすると正当な評価を受けにくい、といったデメリットもあるものの、実は日本企業にとって終身雇用制度は失くなるほうがリスクは高いと、NTTデータ経営研究所グローバルビジネス推進センターのシニアスペシャリスト岡野寿彦氏はいいます。本記事では、日米の研究者が論じた「日本的経営」についての論考をもとに、日本企業の特徴について分析します。

「日本的経営・研究」が明らかにした日本企業の特徴

本記事では、日本的経営研究の代表的な論考を整理し、現在の企業人(グローバルでビジネスに取り組む日本企業人、日本とのビジネスに取り組む中国企業人)の認識も踏まえて、日本的経営のエッセンスを抽出する。

日米の研究者は「日本的経営」をどう論じているか

「日本的経営」がどのような論点について研究されてきたのかを包括的に整理した飯田史彦『日本的経営の論点:名著から探る成功法則』(PHP新書、1998年)によると、「日本的経営」を論じた研究書は、「それぞれの論者が他の論者の研究書をほとんど参考にしていない」、「他の論者との関係を明らかにしないままで独自の定義を用いて『日本的経営』を論じている」などの要因で、日本的経営の全体像を客観的にとらえることができる文献は存在しない。 

筆者の調査では、日本的経営の研究対象は、

終身雇用、年功制、企業内労働組合など人事システム

②改善などの管理技法

③企業統治

④系列・企業集団などの企業間関係

と多岐にわたる。日本的経営の評価についても、日本企業の国際競争力の変化も踏まえて、肯定的に評価する論調と否定的に評価する論調が混在している。 

本書では、日本企業の経営の特徴と強さ・弱さ、環境変化に伴う経営変革のあり方を一貫して論じている研究者として、ジェームス・C・アベグレン※1、伊丹敬之※2、野中郁次郎※3、ウリケ・シェー※4の4氏の著作から、日本的経営のエッセンスを抽出する。

また、これを補うものとして、労働経済学者である小池和男氏の論考、米国の経営学者であるウィリアム・G・オオウチ氏が日本企業・日本的経営の本質を分析して世界的なベストセラーとなった『セオリーZ』(1981年、日本語版CBSソニー出版、1982年)、不況下でも成果を出している日本企業30社を研究して日本の優秀企業の特徴を抽出した新原浩朗『日本の優秀企業研究』(日本経済新聞社、2003年)、飯田(1998)の要旨を示す。そして、日本的経営論のエッセンスをまとめる。

※1:米国、日本の経営学者。ボストンコンサルティング・グループの設立に参加し、1966年から日本支社の初代代表を務める。1997年日本国籍取得。上智大学教授。

※2:日本の経営学者。一橋大学教授、国際大学学長。

※3:日本の経営学者。「知識経営」研究の生みの親。

※4:ドイツ人経営学者として、日本を対象とした企業戦略、組織論、金融市場、企業再編、起業論などを研究領域に、米ハーバード経営大学院、米スタンフォード大学、米カリフォルニア大学バークレー校経営大学院、一橋大学経済研究所、日本銀行経済産業省財務省、政策投資銀行等で研究員・客員教授を歴任。現在、米カリフォルニア大学サンディエゴ校グローバル政策・戦略大学院教授。

日本企業の成長の源は「終身雇用」

米国の研究者ジェームス・C・アベグレンフォード財団研究員として1950年代半ばから日本各地の工場を訪問し、日本企業の経営を調査した結果をまとめた書籍『日本の経営』(1958年)は、日本的経営に関する包括的学術研究の端緒とされる。日本企業の人事・労務の諸制度や慣行を取り上げ、企業と従業員の間の社会契約、年功制、企業別組合の3つを日本的経営の主要な特徴として指摘した。

その柱である企業と従業員の間の社会契約は、企業で働く全成員の経済的な安全を確保するために皆で協力するという約束を意味し、「終身の関係(lifetime commitment)」と名付けられた。この「終身の関係」が「終身雇用制(lifetime employment)」の意味で普及し、年功制、企業別組合とあわせて日本的経営の「三種の神器」と称されるようになる。

『日本の経営』は米国の研究者を主な想定読者としており、終身雇用制など日本の経営の非合理だと見える制度が、近代化、工業化という目的に照らせば合理的であることを説明している。

『日本の経営』が上梓された1958年第二次世界大戦後の経済復興期だが、高度成長を経た1985年にアベグレンが著した『カイシャ』でも、終身雇用、企業単位の労働組合組織、年功序列型の昇級、合議制による意思決定など、「人」の側面にかかわる特徴を日本的経営として指摘している。 

バブル崩壊による不況を経た2004年に上梓した『新・日本の経営』でも、アベグレンは日本企業の成長の源は終身雇用にあり、企業という共同体の長期的な維持と繁栄こそが最大の目標である、との基本認識を堅持している。トヨタキヤノンなど経営者の「社員が優秀で会社への忠誠心が高いことが重要であり、この強みは雇用を守る会社の姿勢から生まれる」との発言が背景にあるとされる。

終身雇用以外の三種の神器のうち、年功制は大規模な再設計の過程にあり、企業内組合は労働組合自体の役割が低下したと指摘する。しかし、日本企業の経営システムの基礎にある、家族、村や隣近所と同じように「全員が公平に参加する共同体」という原理は変わっておらず、継続性、集団の団結、平等主義を重視する主要な慣行も変わっていないと論じた。

「日本型」と「米国型」の企業統治を比較

『新・日本の経営』では、さらに、企業統治について米国型と日本型を比較している。米国型の企業統治は、会社は株主の所有物だとする見方が出発点にあり、米国企業は経営陣と投資家からなる少人数の成功と短期的利益という経済的目的のために運営されている。

一方の日本企業は株主利益を主要な目的としておらず、社員が全員の共通利益のために働き、人間関係を密接にすることで不正を防ぐ方法が、日本企業の企業統治として最も効率的だと指摘する。

日本文化に基づき築かれた経営システムからの離脱は、リスクが高い 

アベグレンの日本的経営論のベースには、日本の経営システムを特徴づけているのは「企業と社員との関係(人間に関する部分)」であり、人に関する制度はその国の文化に基づいてつくり維持していく必要がある、という考えが見られる。

「日本社会の基本的な価値観は二千年を超える歴史の中で培われてきたものであり、そう簡単に変わるものではないし、日本企業の人事管理制度の価値観も変わっていない」、「日本経済が成功を収めたのは何よりも、日本の文化と価値観に基づいて経営システムを築き上げたことによるものである。この基盤から離れる動きをとることは、リスクがきわめて高いことを覚悟しなければならない」と提起している。

そして、日本的経営の本質について、社員の共同体であり、共同体の全員が将来にわたって幸福に生活できるために長く生き残ることを目標とする社会システムだとする。日本的経営の特徴である終身雇用制、年功序列制に基づく昇級と昇進、そして社員全員がひとつの労働組合に所属する企業内組合、合意に基づく意思決定は、日本企業が社員の共同体であることの制度的表われだと論じている。

「資本主義」と対比…日本的経営の基礎原理「人本主義」

伊丹敬之著『人本主義企業:変わる経営 変わらぬ原理』(ちくま学芸文庫、1993年)および『経営の未来を見誤るな:デジタル人本主義への道』(日本経済新聞社、2000年)では、日本的経営の基礎となる原理を「人本主義」として論じている。

「人本主義」とは、「人が経済活動の最も本源的かつ希少な資源であり、安定的な人のネットワークをつくり維持することを経済組織の編成原理とする」と定義している。資本主義を、「カネを経済活動の最も本源的かつ希少な資源と位置付け、カネの提供者のネットワークをどのようにつくるかを経済組織の編成原理とする」と定義し、「人本主義」を「資本主義」と対比する概念で用いている。

伊丹は日本的経営を終身雇用年功序列、企業別組合、系列などの制度・慣行のレベルで表現しては本質を誤り、日本的経営の原理である「人本主義」に遡って考える必要がある、日本企業を取り巻く環境が変わっても、原理を変えてはならず、環境変化に対して経営の制度・慣行を変える必要がある、と指摘する。

日本型「人本主義」と米国型「資本主義

伊丹は、企業システムは①企業主権の概念(企業は誰のものか)、②組織内シェアリングの概念(誰が何を分担し、どんな分配を受けるか)、③市場取引の概念(企業同士はどうつながり合うか)、の3つの概念でその特徴を把握できるとして、日本型人本主義と米国型資本主義とを対比している。

企業は誰のものか?:米国は「株主のもの」、日本は「働く人々のもの」

企業は誰のものか? という問いに対する日本企業人の一般的観念は「働く人々のもの」であり、多くの経営者が「企業は人なり」と考えている。会社は「株主のもの」であり株主の価値を大きくしようとする米国型の株主主権経営と、日本型の従業員主権の経営とは、常に対立の関係にあるわけではないが、生み出した付加価値の分配の優先順位や危機の際にどちらの利益をまず優先するかという順序が異なる。

以上の企業主権に関する概念整理の上で、伊丹は、競争力の源泉になっている「働く人々」が企業の主権をメインに持つ従業員主権は経済合理性の高い原理であり、だからこそ日本の産業発展に貢献してきたと指摘する。

例えば、終身雇用的慣行は、終身であること自体に意味があるのではなく、終身雇用が体現する従業員主権という原理によって多くの人々が企業活動に積極的に参加するという状況がつくれたからこそ、日本企業の発展において機能してきたと論じている。

情報、カネ、権力の行き場:米国は経営トップに集中、日本は平等に分散

企業組織においてシェアされる3つの要素である、①インプットとしての「情報」、②アウトプットとしての「付加価値」(カネ)、③2つを結ぶ「意思決定権限」(権力)を、誰がどのように持ち、あるいは共有されるのか。

米国企業は経営トップに情報、カネ、権力の3要素が集中する「一元的シェアリング」の傾向が強い。これに対して日本企業は、3要素によってシェアリングパターンが異なり、全体として経営トップから社員までの公正性、平等性が保たれる「分散シェアリング」傾向が強い。例えば、意思決定における「ボトムアップ」は、権限のシェアリングにおける平等性が高いことを意味する。

以上の組織内シェアリングに関する概念整理の上で、伊丹は、日本企業の分散シェアリングという原理も、平等性によるチームとしての職場集団の維持や人々の多様な欲求に応え得ることから、経済的合理性が高いと論じている。

市場取引:企業同士はどうつながり合うか? 

市場における企業間の関係のあり方について、米国型資本主義は「自由市場」、すなわち、一つの取引ごとに対等な財の売り手と買い手が自由に取引条件の交渉を多くの相手と行い、その中で最も自分にとって有利な相手と取引をする、もし条件が合わなければいつでも退出の自由があることを特徴とする。

これに対して日本の企業間の市場取引は、長期的、継続的に少数の企業と取引をすることによって協力関係をつくりだそうとする傾向がある。伊丹は、この日本の市場取引の概念は、自由市場の概念に同じ仲間と共通の目的を達成するよう協力する「共同体」の原理が浸透したものとして、「組織的市場」と名付けている。

伊丹は、この「組織的市場」の原理も、協力関係が生まれ、調整がうまくいき、共同開発もやりやすいために、経済合理性が高いと論じている。

日本の国際競争力の源泉は「組織的知識創造」

野中郁次郎・竹内弘高著『知識創造企業』(東洋経済新報社、1996年)は、新しい知識を創り出し、組織全体に広め、製品やサービス、業務システムに具体化する組織全体の能力を「組織的知識創造」と名付け、日本企業の国際競争力の最も重要な源泉だとした。 

野中らは人間の知識を「形式知(explicit knowledge)」と「暗黙知(tacit knowledge)」の2つのタイプに分類している。

「形式知」は、文法にのっとった文章、数学的表現、技術的仕様、マニュアルなどに見られる形式言語によって表すことができる知識であり、伝達が容易である。一方の「暗黙知」は、人間一人ひとりの体験に根差す個人的な知識であり、信念、ものの見方、価値システムといった無形の要素を含むため、形式言語で表すことが難しい。

イノベーションなど知識創造においては、まだ言葉にしきれないイメージのような漠然とした「暗黙知」を粘り強く育てる作業が必要であり、これを企業内のグループで組織的に行っていることが、日本企業の競争力の源泉だと指摘する。

野中らは形式知と暗黙知の相互作用が企業による知識創造の鍵だとして、形式知と暗黙知とが相互に作用し合って変換していくプロセスを説明するために、4つの知識変換モードを提示した。

①共同化(socialization) 個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する

②表出化(externalization) 暗黙知から形式知を創造する

③連結化(combination) 個別の形式知から体系化された形式知を創造する

④内面化(internalization) 形式知から暗黙知を創造する(→①に戻る)

「共同化」では、観察・模倣・練習、OJTなどを通じて経験を共有することで、個人の暗黙知が伝授・移転されてグループの暗黙知となる。

「表出化」では、共同化で創造されたグループの暗黙知が言語化・概念化されることで形式知に変換される。共同化においては直接体験を共有する人々の知識に限定されていたが、表出化において形式知化されることで、集団の知識として発展することができる。

「連結化」では、異なる形式知を統合して体系化することで、新たな一つの知識体系が創り出される。

「内面化」では、連結化で得られた体系的な形式知が個人の学習によって、自分の知識として暗黙知ベースで内面化される。そして、他者の知識を学習したメンバーが再び次の知識創造に関わることで、組織に新しい知識が拡散していくことになる。

西洋型組織と日本型組織の知識創造のスタイル

以上の形式知と暗黙知との相互変換プロセスの定義を踏まえて、野中らは欧米と日本の知識創造のスタイルの違いについて、図表2のように比較している。

西洋型組織では、暗黙知と形式知の相互循環がもっぱら個人で起こる。コンセプトは経営トップや製品アイデア推進者の「表出化」努力を通じて創り出され、それから組織的に新しい製品、サービス、経営システムに「連結化」されることが多い。

これに対して日本型組織では、暗黙知と形式知の相互作用がグループのレベルで起こる傾向がある。ミドル・マネジャーに率いられたチームが暗黙知の「共同化」を進め、トップのビジョンや事業現場の情報と相互作用を起こす。

このような濃厚な人間交流が、最終的な製品、サービス、経営システムなどへ向けた中間コンセプトを生み出す、と野中らは論じている。

失われた30年の中でも成長…日本の優秀企業がとった戦略

ウリケ・シェーデ著『再興THE KAISHA』:日本のビジネス・リインベンション』(日本経済新聞出版、2022年)は、日本で「うまくいっている(得意な)こと」にレンズを向けて、日本企業の「再興(リインベンション)」の独自性を明らかにすることを目的に、日本企業のうち2割のハイパフォーマー企業の戦略と組織マネジメントの取り組み、課題を分析している。

「失われた30年」といわれる中でもこれら優秀企業は、継続した改善活動で一貫性を持って高い品質を実現するという「強み」は維持しながら、同時に、中国の台頭や北東アジアの競争動向に対応してオペレーションを再編し重要な部品や素材などでディープテック(深層技術)のコンピテンシー構築を「両立」させていると指摘する。

そして、このような高度な技術を必要とし模倣が難しく、複雑で規模の拡大が見込めないニッチ製品を集めることで、サプライチェーンで不可欠なポジションを確保する戦略を「集合ニッチ戦略」と称している。

ウリケ・シェーデは、「ルーズな文化」、「タイトな文化」という社会科学フレームワークをもとに、これら日本の優秀企業の経営変革は、日本社会のタイトな文化的文脈のもとで時間をかけ社会的な安定とのバランスをとりながらゆっくりと着実に進めることに、米国と異なる独自性があると強調する。

デジタル技術を活かしてニッチなディープテックによる「集合ニッチ戦略」をグローバルで展開するためには、継続的な改善で築き上げた高度な「ものづくり」の組織能力(図表3)に加えて、飛躍的イノベーションにつながる仕組み[図表4]を導入する、「両利きの経営」が土台となる。

安全、確実性、予測可能性、体系的な適正手続きが好まれる日本の「タイト」な文化のもとで、創造性とスピード、アジリティ(敏捷性)を育む「ルーズ」な仕組み、マインドの「両立」を進めるためには、日本企業の行動規範に基づいて、あらゆる利害関係者に配慮し、社会のすべての部分に敬意を払いながら、バランスをとって変革を実行することが適切であると結論付けている。

そして、企業が「両利きの経営」を実行するフレームワークとして、「ネットとリアルの融合と『両利きの経営』」(第6章第2節)でも解説した、「重要タスク」、「人材」、「組織・人事システム」、「カルチャー(行動様式)」の4要素の組み合わせ・連携をマネジメントするためのツールである「適合モデル」を提案している。

岡野 寿彦

NTTデータ経営研究所グローバルビジネス推進センター

シニアスペシャリスト

(※画像はイメージです/PIXTA)