子どもが健やかに成長するためには、両親から愛されていることを実感しなければいけません。しかし、その両親が決別した場合、子供の幸せはどうなってしまうのでしょう。この連載では、『子どもの権利条約に基づいた 子どもが幸せになるための、別居・離婚・面会交流のすべて』(自由国民社)からの抜粋転載で、様々な事情により別居・離婚をすることになった親が、共同で子どもを幸せにするためにはどうしたらいいか考えていきます。

離婚争いを激化させる祖父母…

離婚の争いを激化させ、面会交流を困難にする大きな要素に、父母の背後にいる援助者たる親族、とくに子どもの祖父母の影響があります。もし、同居親の援助者である子どもの祖父母が、別居親をとことん排除しようとし、子どもが別居親と面会交流するのを妨害したりすると、大きな悲劇が起こります。

そこには、いわゆる嫁―姑問題、婿―舅問題にとどまらない、もしかしたら何世代にもわたって同居親の家族に受け継がれてきた問題がうかがえることがあります。

たとえば、①同居親とその両親(多くの場合は娘である同居親とその母親)が密着関係にある、②同居親の両親が非常に支配的である、③同居親の両親の不和など家族が崩壊している、④同居親の両親が子ども(同居親)や孫に異常に執着している、⑤他者からは理解できないほどに高い“家(家門)”に対してのプライド、などです。

「内孫」や「外孫」などの言葉があり、「里帰り」や「出戻り」が珍しくない日本では、子どもは「○○家のもの」であるという感覚も、根強くあります。また、「○○家のもの」である子どもを立派に育て上げるのは「○○家の者をおいてほかにはない」という思いもあるでしょう。

そもそも別居親を「どこの馬の骨とも知れない輩が、家の大事な娘・息子をたぶらかした」と考えており、「できれば娘・息子を取り戻したい」と、機会を狙っていることもあります。

すでに社会的にリタイアし、時間や金銭に余裕があったりする子どもの祖父母の影響は絶大なものがあります。そんな子どもの祖父母が、老後の生きがい、もしくは現役のときにはできなかった理想の子育てのやり直し、または別居親への仕返しとして、孫育てに没頭し、別居親を遠ざけることも珍しくありません。

「子どもを育て上げるのは自分たちの使命」と主張する父方祖父母

祥子さん(40)も、そうした同居親(子どもの父親)の両親(父方祖父母)に子どもを奪われた犠牲者です。祥子さんと父親(元夫)が別居したのは十数年前。別居の主な原因は、仕事が忙しく家庭を顧みない父親と祥子さんの不仲でした。

別居当初、8歳だった子どもは祥子さんと暮らすことになりました。父親は海外出張が多く、子どもの面倒をほとんどみたことがありませんでしたから、それは当然の流れでした。もちろん、子どもは祥子さんにとても懐いていました。

ところが、別居にともなうストレスから祥子さんの精神疾患が悪化したことで事態は一変します。祥子さんが入院することになり、子どもは、いったん児童相談所に保護されました。

3カ月後、児童相談所と祥子さんの間で、子どもを戻す話し合いをしていたところ、父親と父方祖父母が子どもを引き取ると言い出しました。「それはおかしい」と祥子さんも抗弁しましたが、精神的に不安定だったことから、結局、子どもは父方に引き取られることになりました。「母親(祥子さん)の生活が落ち着いたら、必ず子どもを返す。面会交流もきちんと行う」(父親)との約束で。

しかし、その約束はいとも簡単に反故にされてしまいました。仕事で不在がちな父親に代わって子どもを養育している父方祖父母は「病気の母親になんか任せられない。子どもを立派に育て上げるのは自分たち祖父母の社会的使命だ」と、平然と調停や審判でも主張しました。

子どもの前でも祥子さんの悪口を言い、祥子さんが子どもと会うことを徹底的に邪魔しました。一方、子どもに会えず、思い詰めた祥子さんは、子どもを待ち伏せして声をかけるなどし、どうにかして子どもを取り返そうとしました。

祥子さんと父方祖父母の葛藤は高まり、その間に挟まれた子どもは、次第に祥子さんに対して拒否的になっていきました。面会交流を申し入れても、子ども自身が激しく拒むようになったのです。

そんな子どもを盾に取り、父親と父方祖父母は、「子どもが『会いたくない』と言っている。子どもが『会いたい』と言うまでは、面会交流を認めるべきではない」と、祥子さんを突っぱねました。裁判所もこの主張を認め、祥子さんはずっと子どもと会えないままです。

百歩譲って、もし祥子さんの精神疾患が重く、日常的に子どもを世話できない状態があったとしましょう。しかしそれでも、「子どもとまったく会わせないほうがよい」理由にはならないはずです。

(※画像はイメージです/PIXTA)