アニメ『風の谷のナウシカ』が公開40年を前にして、今年もまたテレビ放映された。このタイミングでナウシカの声優島本須美に、来る『sings ジブリ』コンサートのリハーサル会場で改めてお話を聞く機会を得た。

―ーテレビ放映がまたあって、しかも来年でアニメが公開されて40年になるそうです。島本さんにとって、「風の谷のナウシカ」とは改めてどんな作品でしょうか。

どんな作品……。んーと、宮崎駿監督とは、劇場用アニメとしてはそれが2本目でしたから、声優としての島本須美を作ってくださったのが宮崎監督っていうところもあるように感じていまして。 見ると、いつも初心に帰らせていただける作品の1つですね。

―ーコロナの状況などもあり、残念なことに、ナウシカで描かれた世界に似てきているように感じたりしますが。

ほんとに。実は、『風の谷のナウシカ』が公開された日は”3月11日”なんです。(公開は)1984年のことですから、もちろん月日は経っていますけれども、3.11の震災のあった、まさにあの日で、それも不思議な符号のようなものがあるような気がしています。ここ3年ぐらいのコロナ禍の中で、今みたいなマスクのない生活を、私たち、ずっと求め続けてきましたけれども、ナウシカの作品には、その先の答えがまだ見つかっていいないところで終わっているので、あの映画の方はね、だから、なんか、この先のこともちょっと心配だなと思いながら、なんとかみんなで元の生活ができるようにと思い続けていたりします。

―ーアニメの制作の時には、世界観とか、どういう風に監督からは説明されるんですか。

世界観は特にはありませんでした。ただ、私は前もって原作を読んでいたので、その中で勝手な世界観っていうのを持っていたかもしれませんえ。ちょっと私がね、昔女優さんの意識が強かった時に、 ジャンヌダルクの役を1度やってみたかったので、ちょっとナウシカの中にそのイメージをダブらせていたのかもしれないですね。

―ー40年たっても、島本さんのおっしゃるジャンヌダルク的なナウシカはそのまま凛としたイメージのままですね。

40年ってすごいですよね。昔、タイガース沢田研二さん、ジュリーがすごく好きで、 この間某番組でジュリー祭りみたいのをやっているのを見ていたんですけど、お元気だなと思って、 もうすごい感動しちゃって。見ているだけでこちらも元気をいただくような、そんな印象で。だから、私も皆さんに元気をお伝えできればと思います。

―ー7月17日(月・祝)にはジブリ楽曲を極上の歌とピアノで届ける『sings ジブリ』コンサートが控えています。今回のコンサートで共演される皆さんのことはどんな風に感じてらっしゃいますか?

角野(隼斗)くんと菊池(亮太)くんのバチバチのあの演奏去年ツアーしたときも毎回楽しみで。 去年は7公演があったのかな。全部違うからすごい楽しみでありながら、ハラハラするぐらいバッチバチ面白いすごい人たちと一緒にやっているので、今回は私の歌の演奏も、あの、菊池くんがやってくださるバージョンもありますので、 どんなアレンジになっているのかしら、とちょっとドキドキしております。

―ー昨年はドイツのアニメフェスでもパフォーマンスされ、今年も行かれますが。

本当に楽しかったですよ。ただ、着いた日がめっちゃくちゃ暑い日で、だんだん涼しくなっていったんだけど、もう、暑さに負けそうなぐらい暑いという感じで、ドイツが暑いって印象がなかったので、少し驚きましたね。あと、去年の夏の段階でドイツの方たちは、ほとんどの方が、マスクをしてらっしゃらない状況でした。頑固に私はマスクしていましたけれど、なんかお国柄とか民族性って独特で面白いですよね。歴史のある国であり、町であり、側にはハイデルベルクという世界遺産の街もあったり、楽しかったですよねえ。

―ーさて、声優としての仕事とコンサートとしての仕事、違いはありますかね。

 声優の仕事はほとんど覚えなくていいんですよ。台本を見ながらセリフ言えるので。ただ、 歌の方は覚えなければいけないのがは大変で。また間違えちゃうかもしれないし、忘れちゃうかもしれないですけれども、ま、それもありの 生ライブっていうのを楽しめたらいいかなと思っています。

―ー最後に「ナウシカ」とは長いお付き合いとなりましたが、最初に出会った時のことを考えるとどうですか。こんなに長く 一心同体で過ごすことになると思われていましたか?

思っていませんでした。ナウシカをきっかけとして、いろんな他の作品に出させていただく機会にもなりました。 でも、なんか、直接的にナウシカがどうっていうことではなく、その後の声優人生を歩ませていただくきっかけともなった役でしたから、 嬉しく思っています。