写真撮影では「ジャクユー(ありがとう)」と言いながらポーズを決めるのが土子さんの定番
写真撮影では「ジャクユー(ありがとう)」と言いながらポーズを決めるのが土子さんの定番

日本でもウクライナ情勢には高い関心が持たれているが、外務省から退避勧告も出る中、実際に現地へ赴く日本人は決して多くない。しかし土子文則(つちこ・ふみのり)さんは、74歳でそれまで縁のなかったウクライナに入り、支援活動を続ける。

戦地の現状とその行動力の源を、ウクライナと近隣諸国の取材を行なうカメラマン・小峯弘四郎氏がじっくり聞いた。【戦地ウクライナの日本人①】

【写真】常時30~50人程度の列ができるFuMi Caffe

■毎日約400~500人が来店する「無料食堂」

ロシアの侵攻を受け、各地で激戦が続くウクライナ。昨秋にウクライナ軍が奪還した北東部の都市ハルキウのサルティフカという地域で、今年4月から無料食堂「FuMi Caffe(フミカフェ)」を営む75歳の土子文則さんは、もしかすると今、ウクライナで一番有名な日本人かもしれない。

筆者は昨年8月、侵攻開始以来2度目のハルキウ取材の際に、当時地下鉄で暮らす避難民を支援するボランティアをしていた土子さんのことを知り、それから連絡を取り続けている。土子さんはよくしゃべり、よく食べる明るいおじいさんだが、人々の生活を破壊し続けているロシアに対しては深い怒りがある。

昨年8月のハルキウは一日中砲撃音が続き、日に数発は街中に着弾していた。特に変電所などインフラ施設や大きなマーケットなどが狙われ、数日間ずっと攻撃を受け続けて甚大な被害を受けた地域もあった。取材時はミサイル攻撃が少ない地域を確認し、ホテルやアパートの地下の部屋に宿泊した。

昨年8月、地下鉄駅の至近に着弾したミサイル。FuMi Caffeの共同経営者ナターシャが営むレストランの入り口なども破壊された
昨年8月、地下鉄駅の至近に着弾したミサイル。FuMi Caffeの共同経営者ナターシャが営むレストランの入り口なども破壊された

今年6月、筆者がFuMiCaffeを訪れるためにハルキウを再訪した際は、土子さんが駅まで迎えに来てくれた。昼でも警備の警官や兵士の姿ばかりが目立った昨年とは違い、街は活気を取り戻しつつあった。

「ミサイル攻撃はほとんどなくなったので、人が戻り始めています。ただ、海外のメディアやボランティアはほとんど来なくなった。今は洪水被害のあったヘルソンに行っているんでしょう。目立つ外国人は私くらいのもんです」

FuMi Caffeの日々の運営は、もともと自らレストランを営んでいた共同経営者のナターシャ(土子さんとは地下鉄で一緒に暮らした仲で、筆者も面識があった)に任せ、土子さんの役割は主に宣伝と寄付集め、そして毎日の掃除や片づけだという。

FuMi Caffeのスタッフは一日5人の交代制で計10人体制。開店3時間前の朝9時から食材の仕分けなど準備を行なう
FuMi Caffeのスタッフは一日5人の交代制で計10人体制。開店3時間前の朝9時から食材の仕分けなど準備を行なう

土子さんとナターシャのコミュニケーションはほとんどがGoogle翻訳経由で行なわれている
土子さんとナターシャのコミュニケーションはほとんどがGoogle翻訳経由で行なわれている

子供や貧しい人々に無料で食事や物資を提供するFuMi Caffeは、年中無休で12時から15時まで営業。毎日約400~500人が来店し、多くの人が家族分もテイクアウトしていく。一日平均600~800食を提供するために総勢10人のウクライナ人スタッフを雇い、現地の社会課題である雇用創出にも貢献している。

本当に生活に困っている地元の人と兵士は無料、それ以外は有料(金額は気持ちでOK)というシステムだが、たまに兵士が来店すると、無料だと伝えても皆ちゃんとお金を置いていくそうだ。メニューはスープ、牛肉をのせたマカロニ、パンなど一般的な家庭料理。特別なものではなく、皆が普段から食べている料理を出すようにしている。

FuMi Caffe周辺は貧しい人が多く、開店中は常時30~50人程度の列が店の外にできていた。来店し食事をした後は、皆必ず感謝を述べて帰っていく
FuMi Caffe周辺は貧しい人が多く、開店中は常時30~50人程度の列が店の外にできていた。来店し食事をした後は、皆必ず感謝を述べて帰っていく

入店の順番を待ち切れず店内をのぞく子供。毎週土曜は子供の日として、お菓子やおもちゃなどを配っている
入店の順番を待ち切れず店内をのぞく子供。毎週土曜は子供の日として、お菓子やおもちゃなどを配っている

営業時間を終え一段落した頃、ナターシャに、今年の春に東部の激戦地バフムト周辺の戦闘で負傷した旦那さんのイゴールのことを聞いてみた。

「爆弾の破片が目の下やお腹に当たって、ダメージがひどくて左足が動かない状態。何度か手術をしないといけないんだけど......」

かなりひどい負傷でも命に別状がない兵士は、次から次へと前線から負傷者が運び込まれる中で後回しにされてしまうと病院関係者から聞いたことがある。イゴールも同じような状況なのだろう。

そんな中、土子さんの支援者から、負傷したウクライナ人の治療とリハビリを日本の病院が受け入れているとの情報提供があり、今は日本行きの方法を模索しているそうだ。もちろん日本の病院の許可次第だが、早ければ7月中に実現する可能性もある。

■3度の結婚を経験。生活苦で窃盗の過去も

昨年6月から地下鉄で避難民と半年間一緒に暮らし、その後も3ヵ月間この地域で配給活動をし、ついに無料食堂を開いた土子さん。2号店オープンの予定もあり地元の人々からの信頼は厚いが、もともとウクライナに縁があったわけではない。

2021年の秋頃から欧州を旅し、ロシアの侵攻が始まった22年2月24日には隣国ポーランドに滞在していた。多くの避難民やボランティアの情報を間近で目にする中、東日本大震災の際に福島県ボランティア活動を行なった経験から、自分にも何かできないかと4月にウクライナに入国。講演などで支援を呼びかけるための一時帰国以外、ハルキウで支援活動を続けてもう1年になる。

日本の外務省からは退避勧告が出る中、なぜ戦渦のウクライナに居続けるのか?

ハルキウでボランティア活動をする中国人アーティストが描いた絵。ウクライナの記念切手のパロディで、ロシア黒海艦隊旗艦に中指を立てる土子さんが描かれている
ハルキウでボランティア活動をする中国人アーティストが描いた絵。ウクライナの記念切手のパロディで、ロシア黒海艦隊旗艦に中指を立てる土子さんが描かれている

土子さんは3人兄弟の長男として、東京都練馬区で育った。父親は共産党員で、早稲田大学在学中に学徒出陣シンガポールに出征した経験があり、子供の頃には社会の不平等や不条理について話を聞かされたそうだ。

地元の高校を卒業後、明治大学政治経済学部政治学科に入ったが、当時は学生運動、全共闘の真っただ中。ちなみに入学時、4年生には後に日本赤軍の最高幹部となる重信房子がいた。

「特に政治学科は授業よりデモを優先するような学生だらけで、デモに行ったことないヤツなんていなかったよ。学費闘争もあってそのうち本当に授業どころじゃなくなり、ろくに学校に行かなくなりました。

それから成田(三里塚闘争)なんかにも皆で行った。農家の人たちが本当に感謝してくれてね。ただ、共産党も来るには来るけど、実際には何もせず帰るのを見て、なんだかなあという感じでした」

在学中には爆弾の材料を買いに行かされたことで、逮捕も経験している。

「起爆装置に使う点火プラグを車の整備工場に買いに行ったんですが、学生がそんなものを買いに来たんで、そのまま通報されたんです」

ただし当時、学生運動に関わる学生の逮捕はよくあったこと。土子さんの場合も人に頼まれただけということで、起訴猶予になった。

地下鉄に乗ってハルキウ中心部に向かう土子さん。ハルキウではロシアの侵攻が始まってから地下鉄、トラム、バスなど公共の乗り物が無料になっている
地下鉄に乗ってハルキウ中心部に向かう土子さん。ハルキウではロシアの侵攻が始まってから地下鉄、トラム、バスなど公共の乗り物が無料になっている

卒業後は東京都公務員を経て一般企業に就職。学生運動とも距離を置き、広告や販売の仕事をしながら普通の生活を送っていた。

「昔からの知り合いには、『丸くなってよかった』と言ってくれる人もいれば、『日和(ひよ)った』なんて言ってくるヤツもいましたよ。どっちも当たってたかもしれないな(笑)」

ただ、普通の生活といっても順風満帆だったわけではない。3度の結婚を経験し、ふたりの子供もできたが、3度目の結婚相手とは死別。その後、生活苦からゲーム機器を盗んで窃盗罪で逮捕され、1年2ヵ月の懲役刑を受けた(仮釈放で8ヵ月で出所)。

言い訳になってしまいますけど、奥さんとの死別で自暴自棄になっていたんだと思う。いろいろな人が『あなたは刑務所に来るような人間ではない、大丈夫だからしっかりやりなさい』と言ってくれて、ありがたかったです。それに被害者の方から許してもらうことができたので、やり直そうと思えるようになりました」

出所後はいくつかのアルバイトをして生活を立て直し、ボランティア活動をしながら暮らしていたが、「最後は好きなことをやりたい!」と、74歳で長期の欧州旅行へ。

「十分に幸せな生活を送っていた時期もあるし、しなくてもいい経験だってしましたよ。もちろん不幸じゃないほうがいいですが、幸せすぎてもダメなんですよ。やっぱり就職してからずっと心のどこかにもやもやしたものがあって、余計なことを考えず日本を飛び出したくなったんです。ポーランド各地にあるナチスの強制収容所を回りたくて、実はそのまま移住しようかとも考えていたんですよ」

■ミサイル攻撃の中、地下鉄で生活した理由

そんなときに、ロシアウクライナ侵攻が始まったのだ。

なんと最初は、自衛隊などでの軍務経験もないのに、首都キーウで領土防衛隊に義勇兵として入隊したという。

「領土防衛隊に行って入りたいと言ったら、皆驚いていましたが、遠い国から老人がやって来たと喜んでくれて、案外すんなり入隊できました。ただ、何ができるってわけでもない。病院で点滴の手伝いをしたり、掃除したりしていただけですよ」

その後、ミサイル攻撃から身を守るため地下鉄に避難している人々の存在を知り、6月にハルキウへ。昨年8月、土子さんはこう語っていた。

「ここに来るまでは、なんで皆逃げないのかと思っていたんですけど、この辺りはハルキウから出たことがないような高齢の年金生活者が多い。まったく知らない土地に行ってイチから生活を始めろなんて言っても無理ですよ。彼らの『死ぬならハルキウで死にたい』という気持ちを理解できないとダメだと思って、一緒に地下鉄で暮らし続けることにしたんです」

ハルキウ市内のカフェで声をかけられ、日本酒やワインをプレゼントされる土子さん。道行く人に握手や記念撮影を求められることも多い
ハルキウ市内のカフェで声をかけられ、日本酒やワインをプレゼントされる土子さん。道行く人に握手や記念撮影を求められることも多い

地下鉄で一緒に生活した避難民男性との記念撮影。この駅では最大約150人が改札周辺や階段、ホームで寝泊まりしていた
地下鉄で一緒に生活した避難民男性との記念撮影。この駅では最大約150人が改札周辺や階段、ホームで寝泊まりしていた

実際、多くの避難民がいたヘロイフ・プラッツェ駅の周辺には巨大な集合住宅が立ち並び、低所得者や年金生活者らが多く暮らしていた。ただ、ウクライナ人男性の平均寿命は68歳。大半の避難民より高齢の土子さんは警戒されることも少なく、人々の輪に入り込みやすかったという。

当初は手持ちの旅行資金と年金のみで支援を始めたが、戦争の長期化が予想される中で支援を求める人々が増えていく状況に、土子さんは使い慣れないSNSで支援を募るようになる。それが日本にも届き、次第に支援者が増えていった。無料食堂のオープン資金を集めるために、クラウドファンディングでも支援を呼びかけた。

FuMi Caffeのオープン後は、彼と店のことをウクライナや欧州各国のメディアが取り上げ、今では個人のみならず企業、各国のボランティア団体、さらにハルキウ州や駐日ウクライナ大使館などから多くの支援が集まっている。

ウクライナ人は皆よく働くし、手際もいいし、真面目な人が多いですよ。もちろんナターシャがきっちりまとめてくれているんだけど、スタッフも状況を理解してしっかりやってくれています。

ただ......、日本から送られてくる荷物が、紛失などのトラブルでまともに届かないことも多くて。ウクライナのためにも、自分たちのためにも、それは絶対にダメですよね。私自身もそういうことを経験したからこそ、本当にそう思いますよ」

FuMi Caffeのやや北にあるノースサルティフカという地域では、ミサイル攻撃を受けたままの状態で放置されている集合住宅も多い
FuMi Caffeのやや北にあるノースサルティフカという地域では、ミサイル攻撃を受けたままの状態で放置されている集合住宅も多い

最後に。戦渦のウクライナで活動を続けることに、お子さんは何も言わないのか?

「気にかけてくれたりもするんだけど、あんまり口うるさく言われるのもイヤだからね(笑)。本当に幸せな生活を送っているみたいだから、何もなければ連絡してくるなと言ってあるんです。

自分としては、これまでの人生の贖罪(しょくざい)のつもりもあったんですけど、そんなことがなくても、いいと思うことは続ければいいだけです。自分たちが育ったのはイヤでも社会の出来事に関心を持つような時代だったんだけど、今はあまり気にしない人が多いんですかね。

皆それで幸せなんだろうけど、この記事を見てウクライナのこととか、社会のこと、世界のことに興味を持ってもらいたいです。私は一歩も引きません。戦争が終わるまで支援を続けますよ」

日本からの支援により運営しているFuMi Caffe。一部ではあるが、寄付をしてくれた人たちの名前を壁に張って感謝の意を表している
日本からの支援により運営しているFuMi Caffe。一部ではあるが、寄付をしてくれた人たちの名前を壁に張って感謝の意を表している

●取材・撮影・文/カメラマン 小峯弘四郎(こみね・こうしろう)
神奈川県出身。ロシアウクライナ侵攻開始以来、ウクライナと近隣諸国の取材を行なう。近年では2015年トルコクルド人居住地域の内戦取材、2019年香港民主化デモのドキュメンタリー写真撮影などを手がける

取材・撮影・文/小峯弘四郎

写真撮影では「ジャクユー(ありがとう)」と言いながらポーズを決めるのが土子さんの定番