高齢化が進む現代、高齢者に関連した事件や事故が増えています。特に認知症を抱えた高齢者に関する事故や犯罪被害は深刻な問題です。信頼できる人であっても、身内であっても、財産などを安易に任せてしまうことの危険性が浮き彫りになっています。高齢者に関連する事故や事件を予防するためにはどのような対策が必要か、今一度考える必要があります。本記事では、弁護士で介護ヘルパーの資格を持ち、主に介護・福祉の業界におけるトラブル解決の専門家として知られる外岡潤氏の著書『弁護士 外岡潤が教える親の介護で困った時の介護トラブル解決法』(本の泉社)から、具体的な事例が書かれた箇所を一部抜粋転載して紹介します。

全財産を預けた甥が持ち逃げ! 一体どうすれば?

人や物の名前が出てこなかったり、しまったはずのものがその場所になかったりということが増えたVさんは、認知症になったときを考えて、昔から可愛がっていた甥(姉の息子)に依頼し、全財産を預け管理してもらうことにしました。甥は笑顔で引き受けてくれました。

毎月の生活費として20万円を振り込んでもらい、足りない時は追加し、年に何度か収支を合わせるという形にして最初はうまくいっていました。ところが1、2年経ったある日、甥が突然音信不通になってしまいました。

Vさんの姉夫婦はすでに他界しており、他の親族も誰も行方を知りません。よくよく聞いてみると、甥にお金を貸している人もいるようです。Vさんの全財産は、甥とともに消えてしまいました。

まるでドラマやワイドショーに出てくるような話ですが、こうした事件はじつは数多く起きています。もし起きてしまったら、甥を探し続ける他ありませんが、それは雲をつかむような話です。弁護士の職権で住民票を調べることができますが、住民票はあくまで登録地に過ぎずそこに住んでいる保証はありません。

警察に「全財産を盗まれた」などと訴えても、よほどしっかりした証拠や甥の居場所のあてがない限り積極的に動いてくれないでしょう。

Vさんのように家族のいない人が、財産などの管理を誰かに任せたいと思ったとき、一体どうすればいいのでしょうか。

おひとり様を対象にした「身元保証会社」なら安心かというと、必ずしもそうとは言い切れません。

では、親族なら安心かというと必ずしもそうとはいえません。

こうしたトラブルを防ぐには、たとえ身内であろうと一人の人を信頼しきってすべてを預けないことです。最低限、任意後見契約という制度を使うなど、 第三者が関与する形にすべきです。

これは、将来自分の後見人となる人と公証役場で正式に契約をとりかわし、いざ自分が認知症になったときにその後見人が家庭裁判所(家裁)に申し立て、家裁の監督のもと財産を管理するという仕組みです。

しかし、もっと言うとこの任意後見も完璧ではないのです。甥が後見人になるとして、当の甥自身が「おばさん認知症になった」と家裁に届け出なければ、いつまでも後見人制度が始まらないという落とし穴があります。

ですから、このようなときは弁護士や司法書士など資格をもつ法律の専門家に頼ることをおすすめします。最低限、財産を持ち逃げするということは起きないでしょう。

超高齢社会 「認知症者が主役」の制度に改めよ

2017年の事件ですが、車いすに年老いた妻を乗せたご主人が、店舗内のエスカレーターから転落し、階下で巻き込まれた歩行者が死亡するという事故がありました。新聞記事などでは、「エスカレーターには車いすで乗らないよう、呼びかけを強化すべき」という論調がみられました。

2019年に起こった池袋での高齢ドライバーによる暴走事故は記憶に新しく、これを機に一定年齢以上の免許返納の世論が一気に高まりました。しかしそれも束の間、返納のペースは下降しており、相変わらず暴走事故は繰り返されています。

こうした報道を見るにつけ私が思うのは、まず発想を根本的に変える必要があるということです。

それは、「事故を起こさないように気をつけて」と呼びかけるのではなく、「事故は起きてしまうという前提で予防策を講じる」ということです。

言い換えれば、「判断力の衰えた高齢者に注意を呼びかけても無意味なのだから、判断力のない状態で起こしてしまう事故トラブルをできるだけ予防できる仕組みを作ろう」となります。

今までの社会は、正常な判断ができる「健常者」が主体であることが前提でした。しかしこれからの社会は「認知症者や要介護者が主役」という真逆の発想から制度を作り変える必要があると思うのです。

もちろん、道路のガードレールや階段の手すりなど、高齢者や障がい者に配慮した工夫は少しずつ導入されてきました。しかし冒頭のような大事故に関しては、より直接的な対処が必要です。

エスカレーターの事故でいえば、写真([図表1])のようなカートの進入を防止するポールを入口に設置することで侵入を防げるでしょう。

高齢ドライバーによる自動車事故に関しては、「スピードが出ない車」の開発や乗車の義務付けを促進すべきです。

法律のあり方そのものも、この超高齢社会では通用しなくなっていると考えることが必要です。

介護はやり損? 「監督義務者」の責任は…

平成28年3月に最高裁判決が下された、JR認知症鉄道事故事件というケースがあります。これは、自宅から外出し駅のホームから線路上に出てしまった高齢男性が電車にはねられ、その運営会社であるJRが同居の奥さんや別居中の子どもたちを監督義務違反として訴えたという前代未聞の出来事でした。

結論として遺族の責任は否定されましたが、なぜこのようなことが起きてしまうかというと、そもそも法律(民法)というものが「犯人探し」をするという性格があることによります。

法律の世界ではまず事故を起こした本人が賠償責任を負いますが、本人が認知症等で責任能力なしと判断されれば責任を負いません。その代わりに近親者など「監督義務者」が監督責任を問われることになります。

JRの事件では、具体的に誰が高齢男性の監督義務者に当たるかが主な争点となりました。

しかし、その観点では、結局本人と同居するなどして深く関われば関わるほど、監督義務者と認められやすいことになります。そうなると、優しくて責任感の強い人ほど認知症の身内を抱え込んでしまい、何か他人様に迷惑をかけたら責任を負わされる……ということになってしまうのです。

以前、似たようなケースで相談者から「結局、介護はやり損ですか」と問われたことがありました。返答に詰まりましたが、考えてみればその通りなのかもしれません。

しかしそれはあくまで、法律のルールに基づいて損得勘定した場合の話です。そのような優しくて責任感のある親族が最後にばかをみるような制度自体がおかしいのであり、改めるべきと考えます。

最高裁まで争われたことからも分かる通り、責任能力や監督責任の有無の判定は紙一重であり、また監督者となる家族がいないケースも多く、そうなると被害者は救済されません。

そうであるならば、被害者救済の観点からはもはやこの「監督義務者」という概念に頼るべきではないと考えます。では社会全体として何ができるかというと、本件のような場合は、鉄道会社が認知症の方が危険な場所に立ち入らないよう予防策を講じるべきといえるでしょう。

まずは駅員をはじめとする関係職員に認知症についての教育をおこない、ホームには東京の地下鉄のようにガイドラインやホームドアを設置します。すぐには実現できなくとも、線路上に降りることができる経路があれば鍵をかける、監視カメラや赤外線アラートを設置するなど、今すぐできることはたくさんあるはずです。

このように、いつ認知症の人が入り込んでも保護できるように社会の側が変わっていくべきなのです。さもなければ、何かあれば監督者=家族や介護事業者のせいにされ、その結果高齢者は外出を禁止させられたり、屋外での活動が著しく制限されてしまうでしょう。

しかし、そのような社会が理想の超高齢社会といえるでしょうか。少なくとも私は、年をとるごとに肩身の狭い思いをしなければならないようなコミュニティで暮らしたいとは思いません。

外岡 潤

「弁護士法人おかげさま」代表

弁護士

(※画像はイメージです/PIXTA)