21年10月に岸田政権が掲げた「新しい資本主義」には、成長戦略の1つとして「経済安保」が盛り込まれました。成長戦略に経済安保を入れることを不思議に思う向きもありましたが、経済安保の強化は世界的な流れであり、日本にもこれを強化する仕掛けづくりが求められています。本稿では本稿では、ニッセイ基礎研究所の矢嶋康次氏が、直近のデータを基にこれからの日本の経済安保の行く末を考察します。

1―はじめに

2018年に米国が導入した鉄鋼・アルミ関税は、同盟国の西側先進国を含む措置であったため、トランプ大統領(当時)が、その権限を用いることで実施されたが、そこで導入された対中追加関税の多くは、議会の総意として今でも実施されている。その目的は、次世代競争における優位性を確保すること。米国の規制は半導体や機微情報を含む、多くの領域に広がっている。

経済安全保障(以下、経済安保)や、国家安全保障に絡む対応が米国で進む中、日本でも「本格的に体制を整えるべき」とする意見が高まっている。

日本における経済安保、その最大の焦点が“中国”だということは間違いない。日本は地理的にも近い中国と経済的な結び付きが深く、米国のように強硬な対応を迫られると、企業のマイナス影響が強く出てしまう。本来、企業としては避けたい事態と言える。しかし、ロシアウクライナ侵略が始まって以降、経済安保が必要だという認識は、企業の間でも急速に広がっている。

本稿では、経済安保に関する課題や問題意識、新冷戦構造の特徴、さらには民間企業にとっての経済安保の位置づけまで整理し、制約要因であるはずの経済安保を、如何に成長につなげていけるかについて考えを述べたい。

2―グローバル化の恩恵を受けた日本、取り残される恐れ

筆者が経済安保に関して持つ問題意識の1つは、このままでは日本が取り残されてしまうのではないかといった懸念である。その大きな要因は“反グローバル化”だ。つまり、グローバル化の恩恵を大きく受けてきた日本は、分断による影響を大きく被るだろうということだ。

グローバル化の流れが強まる中、マクロな経済成長は世界的に鈍化し、粘着的な物価上昇が続いている。マルチ・ステークホルダー主義や脱炭素化といったコスト増要因は山積し、企業のコスト削減努力は追い付いていかない。コストカットで生産性を高めてきた企業は、付加価値の創出という競争で、勝利することができるのかといった心配がある。

もう1つの問題意識として、経済安保と民間企業の関係がある。日本の潜在成長率は、10年ほど低い水準のまま上がっていない。経済安保は、民間企業にとって制約要因となり国の関与が大きくなる。直感的には、国の関与が増して、成長率を上げることができないのではないかと感じる。

国内総生産(GDP)を四半期ベースでみると、日本は2019年に消費税引き上げもあり、新型コロナウイルスの感染拡大前は、米国など海外主要国より低い水準から始まっている[図表1]。しかし、感染拡大を経た後も、その差は開くばかりといえる状況だ。

今年2023年は、米国を中心にリセッションの懸念も強い[図表2]。ただ、これまで米国は、リセッションが起きても、その後の回復期には、前の景気拡大期を超える株のパフォーマンスをみせて来た。10年といったタームで考えれば、安くなった米国の株やビジネスは、投資する絶好のチャンスと言えるだろう。世界の「分断」が進み、経済安保の重要性が高まれば、エネルギーなどの自給率が高く、金融の中心でもある米国は注目され、自律回復が達成される可能性は高いだろう。一方、エネルギー自給率が低く、安保環境でも厳しい環境に置かれる日本は、自律回復メカニズムが働くと期待できるのか、危機感を持っている。

3―新冷戦構造、一時的ではなさそうな特徴

新冷戦の構造は、一時的なものではないだろう。足元の消費者物価指数は、米国も日本も30年ぶり、あるいは40年ぶりとも言える水準になってきている。これを経営者に聞くと「これまではコストカットを必死にやることで企業は存続できた。しかし、これからは付加価値を高め、売上高を伸ばす方向に経営の舵を切らなければ生き残れない」と語る人が増えている。今回の物価上昇が一時的なものではなく、構造的なものだということを直観的に感じている。

「分断」が一時的ではないといえる大きな理由は“断層”の問題だ。国家間の断層について、ロシアや中国などが独裁国家の色彩を強めているとの印象は数年前からあったが、ここに来て国民感情のレベルまで違和感が広がっている。最近の調査では、多くの国でロシアや中国にネガティブな感情を持っているという結果もある。これが、各国の政治に影響している。今後、民間レベルでは関係修復の動きも出ると思われるが、国家間の断層、新冷戦の構造は、今後10年といった時間軸では、元に戻ることはないと考えられる。この「不可逆性」が、新冷戦の1つの特徴だ。

2つ目の特徴は、「灰色」が圧倒的に多いという点だ。世界各国の政治形態を見ると、権威主義国家と民主主義国家の数が、ほぼ拮抗していることが以前から言われてきた。今回のウクライナ侵略で米国がロシアに課した輸出規制に参加した国は、22年5月時点で37ヵ国しかなかった。条件などをみながら立場を曖昧にする国や、ロシアは許せないものの米国にも良い感情を持っていない国が多いことが明らかとなった。こうした状況の中で、日本は今後どのような役割を果たしていくのか。アジアで唯一G7(主要7カ国)に参加する日本は、対露政策はG7と歩調を合わせているが、その行動は世界から注目されている。また、日本企業の行動も重要になって来る。今回のロシアのように明確に“黒”と言える国については、株主目線からも撤退が選択になりそうだが、見方によっては黒にも白にも見える「灰色」の国については、今後どのように関わっていくのか考える必要がある。

そして3つ目の特徴が、日本が抱える地政学上の厳しさだ。現在のウクライナを見ても、核を保有するロシアや中国、北朝鮮と非常に近い位置にある日本は、経済だけでなく安全保障面でも、欧州以上に厳しい状況が生じ得るということを、日本の政府も企業も十分踏まえておく必要がある。

4―中国ビジネスのリスク、具体的な認識が広がる

経済安保の強化と民間企業の関係については、企業の制約要因となることは間違いない。発端となった米国のトランプ政権による対中輸出規制では、2018年に米通商拡大法の拡大解釈が行われたが、これは通商法を国家安全保障の下に置き、経済より安全保障を優先させることを明確にしたという意味がある。日本では安保と経済を同列、あるいは車の両輪に捉える向きもあるが、世界の流れは必ずしもそうではない。足元で起きていることは、米国が安保と経済に明確な序列を付けて、世界がその流れに対応しようとしているということだ。

安全保障の一部を米国に依存する日本は、米国の政策に受動的にならざるを得ない面がある。その米国は、中国に対する半導体の輸出規制を強化し、日本にも半導体技術の先端化につながる製造装置などの輸出を制限するよう協力要請が来ている。昔の発想であれば、このような要請を第3国が受けることは有り得なかった。しかし、安保環境が厳しさを増す中では、米国による核の傘に守られる日本は、米国の序列にある程度対応せざるを得ない。

昨年2022年7月に帝国データバンクが実施した「経済安全保障に対する企業の意識調査」によると、経済安全保障推進法に謳われている4点の重点事項について、対応すると回答した企業の割合は、それぞれ基幹インフラの安全性・信頼性の確保(20.9%)、サプライチェーンの強靭化(18.0%)、官民技術協力(4.9%)、特許出願の非公開化(1.5%)であった[図表3]。しかし、それより多くの企業が「分からない」「関係はないと思う」と回答している。

一方、日本経済新聞社が実施した「100人アンケート」では、2022年7月時点で「中国ビジネスのリスクが高まっている」という回答は55.7%であったが、11月時点の「主要製造業100社への調査」では、中国からの調達リスクが高まったとの回答が80%近くになり、中国リスクの高まりを読み取ることができる。また同調査では、中国からの調達比率を下げる理由に“台湾有事”がトップに置かれている。これまで台湾有事という言葉は、企業にとって生々し過ぎると思われていたが、株主総会の質問事項としても、今後想定されるようになっていくだろう。日本企業は、この数ヵ月ほどの間に、中国ビジネスのリスクを具体的に認識するようになったと言える。

ただ、日本にとって中国との経済関係は、切っても切れないものである。日本の貿易総額に占める中国の貿易額は、米国を上回って最大となっている。多くの日本企業にとって、原材料調達、製造、販売のすべてのレベルにおいて、中国なしには成り立たない構造が出来ている。中国リスクの高まりは事実としても、どう対応すれば良いのかといった悩みが大きくなっている。

なお、少しミクロな視点で、輸出に占める他国の付加価値を見ると、日本の比率は上昇傾向にある[図表4]。これは、日本がグローバル化の中でサプライチェーンを構築し、他国からモノを仕入れて製品に加工し、輸出する流れを強めてきた結果だ。これに対して中国は、同比率が2000年代半ば頃から低下している。これは、中国が日本などにキャッチアップして来たと捉えることもできるが、日本などから機密技術やノウハウを流出させて、内製化を進めてきた結果と見ることもできる。

日本の対中輸出品(金額ベース)のトップは、米国が日本に対中輸出規制を求めている半導体等製造装置だ[図表5]。中国が日本から欲しいといっている製品は、米国が中国に渡してはいけないと求める製品である。逆に、米国が対中規制で求めていないものは、主要な対中輸出品目となっていない。この非対称性は、日本の産業界にとってやっかいな問題だ。企業の対応策としては、ダブルのサプライチェーンを構築するといったことも考えられるが、掛かるコストは大きくなる。どれくらいの範囲で、どれくらいの時間をかけて、実際の対応策を進めるか。経済安保への対応で、日本企業が受ける影響も変わってくる。

5―国際ルール形成の中核、経済安保推進で価値観の変化を捉える

最後に、制約要因である経済安保を成長につなげる方法について考えたい。

2021年10月に岸田政権が掲げた「新しい資本主義」には、成長戦略の1つとして経済安保が盛り込まれた[図表6]。なぜ経済安保が成長戦略に入っているのかという多くの疑問の声を聞いたが、経済安保の強化は世界的な趨勢であり、日本も成長につなげる仕掛けを考えなければならない。

まず前提として、日本が絶対に降ろしてはならないのが“自由貿易”の旗である。日本はグローバル化で恩恵を受ける国であり、資源に乏しい日本が成長していくには、殻に閉じ籠るという選択はあり得ない。

その上で日本は、国際的なルール形成の場で、勝ち抜くことが必要になる。超大国の米国と中国が対立する中、欧州は大きな需要国となることで、ルール形成のど真ん中に出ようとしている。少子化で人口減少が進む日本は、需要国としてのパワーは落ちていくが、ルール形成の場で踏ん張ることが、日本の製品やサービスを世界に売るルートを確保することにつながることを理解しなければならない。例えば、環境分野ではEV(電気自動車)が主戦場になりつつあるが、早く国内の議論などをまとめ、日本の主張を国際的なルールに反映しないと、グローバルで勝ち抜く前提が崩れてしまう。

日本には、追い風が2つ吹いている。その1つは、価値判断基準の変化だ。日本は「成長センター」となる潜在能力を秘めるASEAN東南アジア諸国連合)からの信頼が高い国である。これまで日本の製品は、韓国や中国などの製品より高いといった理由で、なかなか売れない時代が続いて来た。しかし、経済安保が世界の趨勢になると、信頼性が高いことが、製品を購入する際の判断基準として重要になる。信頼性があり高品質な日本の製品にはプラスとなる。

もう1つは、デジタルとリアルの融合だ。日本はデジタル化で、米国や中国から大きく引き離されて来た。しかし、これからはリアルな製造の現場に、デジタルが組み込まれるシーンが増えて行く。そうなれば、世界的にみても裾野が広い製造基盤を持つ日本は有利になるはずだ。経済安保の中核には、製造業や基幹インフラがあり、日本の製造業には復権の追い風になる

次に、これらを追い風にして成長するために不可欠になるのがエネルギーだ。電気のないところにデジタル化が起きることはない。エネルギー自給率の低い日本にとって、エネルギー確保に向けて何をするのか、すなわち原子力や再生可能エネルギーを含めて方向性をはっきり決めることが、世界から投資を呼び込むことにつながる。政府が重視する半導体産業の復権も重要な課題だ。半導体は安保や競争力の強度を左右すると同時に、能力の向上はエネルギーの利用効率性も高める。

これらの推進には、データの重要性にも注目したい。デジタルとリアルが融合する中で、製品の安全性や品質を担保するにはデータが必要になる。今のところ、日本でデータに基づく政策、あるいは企業経営ができているのかについては、疑問符を付けざるを得ない。データで何事もできるようにするため、できる限り早期にインフラを整備し、考え方を根本から転換する教育を始める必要がある。

なお、政策面では、予見性の確保も重視すべきだ。米国は対中規制を厳しく実施して来たが、中国への企業投資計画は、2021年には増加に転じている。米国では、禁止事項が明確に決まるため、企業はそれ以外に投資しようとする。一方、日本の場合は、経済安保に関する法律や制度について、裁量の幅を持ちたがるため、灰色な部分が多くなるのではないかという不安がある。そうなると何をしてはいけないかが明確にならないため、企業は行動に消極的になる。それを避けるには、日本でも法律や制度の予見性を高めることが必要だ。以上の内容を貫徹できれば、日本は経済安保の追い風を生かし、成長していくことができるだろう。

6―おわりに

岸田政権の政策の中でも、経済安保は重要なテーマである。2021年10月に政権の戦略が公表された際には、経済安保を成長戦略に入れることを不思議に思う向きも強かったが、今般のウクライナ侵略により新冷戦の構造が明確になったことで、優先順位が変化したことが明らかになった。すなわち、コスト最適化のみを追求し、制約のないグローバル化を続けることは、最早不可能になったということだ。つまり、経済安保をしっかり構築できない国は、戦略がないということになる。その意味では、昨年時点で走り出した岸田政権は、先見の明があったと言える。

現在の成長戦略の建て付けは、日本の将来を考えたとき重要なポイントを多く含んでいる。将来の国力に直結する科学技術、日本の勝ち筋であるデジタル、世界的な潮流である脱炭素化、注力すべき分野に誤りはない。

ただ、これを如何に実現するかは難しい課題だ。岸田政権の政策運営は、第二次安倍政権と同じ形になっていくと予想される。すなわち、外交安保はタカ派、内政はハト派だ。

安倍政権は発足後2年も経たないうちに、一億総活躍や全世代型社会保障といった話を打ち出した。これらは、野党が当時主張していた政策を丸飲みしたものである。岸田政権に替わって言葉は変ろうとも、基本的な骨格のほとんどを踏襲している。安倍政権では、始めに金融・財政・成長を掲げたが、マクロで進まなくなった段階で、特区といったところに政策転換した。サプライサイド改革をするという主張であったが、実際には何も進展していない。ただ、外交・安保では、2013年に特定秘密保護法、2015年に平和安全法制集団的自衛権)、2017年に共謀罪法を成立させた[図表8]。賛否は当然あるが、これが今無ければ、今般の危機に対応できなかった可能性は高い。つまり、外交・安保のタカ派的政策を通すために、内生の成長戦略である規制緩和には踏み込めなかったのが安倍政権と言える。岸田政権も今後、外交・安保はタカ派に動き、内政はリベラル色の強い政策になると考えられる。

しかし、エネルギー政策や供給面の対応は、待ったなしの課題となっている。方針を決め切って、手を打って行かなければ、既に自らの行く末を決め切った諸外国に、経済安保やデジタル・リアルの主導権を、すべて持って行かれることになりかねない。政府が方針を固めれば、民間は供給力を上げる投資に打って出ることができる。官民が全力で取り組めば、海外の評価が上がり、日本の勝ち筋への投資も増えることになろう。これをやり切れるかどうか、いま正念場に来ていると言える。

日本経済研究センター大阪支所での講演、その講演抄録をもとに作成

(写真はイメージです/PIXTA)