今年15周年を迎えた「きいやま商店」の3人。左から崎枝亮作(リョーサ)、崎枝大樹(だいちゃん)、崎枝将人(マスト)
今年15周年を迎えた「きいやま商店」の3人。左から崎枝亮作(リョーサ)、崎枝大樹(だいちゃん)、崎枝将人(マスト)

5月、東京・代々木公園のイベント広場で開かれた「OKINAWA FES.2023」。沖縄の料理や酒の屋台が並び、ライブステージでは沖縄出身アーティストたちの演奏が、ほろ酔いの聴衆の体を心地よく揺らしていた。

雨上がり夕暮れ、フェス初日のトリ、きいやま商店がステージに姿を現すと、待ってましたとばかり聴衆のボルテージは一気に最高潮に達した。

【写真】写真撮影中も歌いまくるきいやま商店

石垣島出身のきいやま商店は、崎枝亮作(リョーサ)、その弟の崎枝将人(マスト)、彼らのいとこ、崎枝大樹(だいちゃん)による3人組親族ユニットだ。今年で結成15周年を迎えた。

代表曲のひとつ「ドゥマンギテ」が始まった。フラメンコ調にギターをかき鳴らし、歌詞は全編八重山方言を早口でまくし立てる。彼らのライブで最も盛り上がる、インパクトのある一曲だ。

だいちゃんのカスタネット・ソロが冴えわたる。リョーサが「カスタネットすごいな! もう一回聞きたくない?」と煽り、再びソロが始まる。「だいちゃん! だいちゃん!」と合いの手を入れていたリョーサが調子に乗ってスキャットマン・ジョンのスキャットをがなり立て、妨害する。「やかましい!」とだいちゃん。定番のオチに聴衆が笑う。

優れた音楽性に加え、「笑い」もきいやま商店に欠かせない要素だ。彼らの理想は子供の頃から大好きなザ・ドリフターズ。小さな子供から中高年まで、きいやま商店のファン層は幅広い。

2013年発表のアルバム『ダックァーセ!』に、元THE BOOM宮沢和史氏が解説文を寄せている。

《きいやま商店の音楽の底には切なさや悲しみといった人間の営みの「ままならなさ」があって、その土壌の上に笑いという花が咲いている》

今回のインタビューを始めるにあたり、筆者がこれを読み上げると、「さすが宮沢さん、詩人だな。ホント俺らには苦労話しかないよ!」と3人は笑った。

「きいやま商店」の名前は、彼らの祖母(現在97歳!)が営んでいた駄菓子店からそのまま拝借した。結成15周年だが、彼らはもう40代後半で、それぞれ別のバンドで活動していた時代を含めれば音楽のキャリアは30年以上になる。

物心ついたときから、3人はエンターテイナーだった。

だいちゃん じいちゃん、ばあちゃんの家は崎枝の本家だから、盆正月とか行事があると親戚や隣近所が大勢集まっていた。そこで俺らは率先して歌やコントを披露してみんなを楽しませていたね。

当時、石垣島のテレビはケーブルテレビを別として、NHKしか映らなかったが、沖縄本島で放送された民放番組を録画したビデオを島の電器店が100円ほどで貸し出していた。

土曜日になるとだいちゃんは戦隊モノなどのビデオを借りて、祖父母の家でリョーサ、マストと一緒に楽しんだ。3人のイメージカラー(リョーサ=青、だいちゃん=赤、マスト=黄)は、大好きだった『太陽戦隊サンバルカン』に由来する。

中学生になるとそれぞれバンド活動を開始。その頃、石垣島出身のBEGINがTBSの音楽オーディション番組『イカ天』(『三宅裕司のいかすバンド天国』)でブレイクし(イカ天石垣島では放送されていなかった)、プロデビューを果たしていた。3人ともBEGINの母校である八重山高校に進学し、航空会社がスポンサーにつきBEGINも出演した「八重山音楽祭」のステージに立った。

崎枝大樹(だいちゃん)=1976年1月3日生まれ。きいやま商店のほか、BEE! BANG! BOO!のボーカル
崎枝大樹(だいちゃん)=1976年1月3日生まれ。きいやま商店のほか、BEE! BANG! BOO!のボーカル

最初に島を飛び出したのはだいちゃんだった。高校を中退し、東京の音楽専門学校に入学。やがて島の高校を卒業し上京してきた仲間と結成したバンド「Booing Sheyner」でメジャーデビューを果たす。2枚目のシングルがアニメ『天才バカボン』の主題歌に起用されたが、その後セールスは下降。やがてバンドは解散した。新たに管楽器を加えた大所帯バンド「BEE! BANG! BOO!」で再浮上を目指したが......。

だいちゃん ニューアルバムを出しても買ってくれるのは同じ人で、なかなか新しいお客さんはつかなかった。音楽を続けるか、島に帰って別の仕事をするか、悩んでいた。その頃、リョーサから一緒にやってみないかという話が来て、きいやま商店が始まるんだけど、当時はホントにお金がなくて、結婚して子供が生まれたのに電気が止められたこともあった(苦笑)。

崎枝亮作(リョーサ)=1975年12月8日生まれ。きいやま商店のほか、八重山モンキーのボーカル
崎枝亮作(リョーサ)=1975年12月8日生まれ。きいやま商店のほか、八重山モンキーのボーカル

リョーサもまた、「ままならない」日々を送っていた。だいちゃんが音楽の道を邁進していた頃、本家の長男であるリョーサは福岡の大学に進学し、教師を目指していた。

リョーサ 高校のバスケットボールの先生になるのが夢だったけど、大学2年のとき、バイト先にバイクで向かっていたらトラックにはねられた。救急車の音で意識が戻ったら、顔の横に折れた自分の脚があった。何これ!って。

脚は奇跡的に回復していったが、バスケの指導者の夢は諦めざるをえなかった。見舞いに来る友人に病床でギターを教えた。退院後、「Captain Supermarket」というバンドを結成する。

リョーサ ギャンギャン鳴らすロックバンドで、もちろんメジャーデビューを目指していた。有名になるために就職活動もしなかった。リクルートスーツなんか買うか!と。だけど売れない。バイトに追われ、家賃も電気代も払えない。大学卒業後の5年間はずっとそんな感じだった。

同級生たちが充実した社会人生活を謳歌する中、バンドのメンバーは心を塞いでいき、やがて空中分解した。しかしこれとは別にリョーサは大学時代、「八重山モンキー」という民謡グループにも所属し、老人ホームなどで演奏していたことがあった。

リョーサ その後しばらく活動休止状態だったけど、27歳のときに八重山モンキーのメンバーのひとりから、ふたりで再結成しないかという話が来て。三線とギターで。音楽だけで食えるようにはならなかったけど、3日に1回はライブをやっていた。

崎枝将人(マスト)=1977年3月10日生まれ。きいやま商店のほか、ノーズウォーターズのボーカル
崎枝将人(マスト)=1977年3月10日生まれ。きいやま商店のほか、ノーズウォーターズのボーカル

弟のマストは、リョーサやだいちゃんとはやや志向性が異なる。大学受験に失敗し、浪人生活をたてまえに福岡のリョーサ宅に1年間居候した後、音楽の夢を胸に秘めて、だいちゃんを頼って上京。中学時代に結成し、高校卒業後に解散していたバンド「ノーズウォーターズ」を、同じく島から上京したメンバーらと再結成した。

マスト メジャーデビューの話は何度もあったんだけど、あまり乗り気じゃなかった。メジャーデビューしたら、売れるために自分たちの音楽を会社に変えられるという怖さがあった。それで売れても面白いのかなって。そうしたらメンバーがどんどん離れていって、ふたりだけになった。

身軽になったノーズウォーターズは、「旅芸人スタイル」を確立していく。

マスト 全国のライブハウス居酒屋に電話して、3ヵ月後のライブをブッキングするっていうのを毎日やっていた。そんな生活を1年くらいやって、音楽だけで食えるようになっていった。東京の家にはほとんどいないから家賃がもったいないさ。愛媛に引っ越そうと思ってた。日本で一番家賃が安いって何かに書いてあったし、福岡にいるリョーサとも近いから。そんなときに、きいやま商店の話が出た。

その頃、本家の長男、リョーサは32歳になっていた。両親からは何も言われなかったが、祖父母からの「早く帰ってきて先祖の墓を守りなさい」というプレッシャーが年々強まっていた。2008年、ついに帰郷を決意する。

リョーサ 一度島に帰ったらもう出られんと思ってたから、最後に一度だけ3人でライブをやりたいと、だいちゃん、マストに声をかけた。

きいやま商店はこうして東京の沖縄ライブ居酒屋で始まった。

リョーサ お客さんはほぼ身内で、オリジナルの曲は『さよならの夏』と『ゆーしったい』しかなかった。BEGINの曲とかもやったけど、あとはほとんどしゃべっていた(笑)。

自分たちをネタにして、集まった数十人の「身内」のお客さんを大いに笑わせ、喜ばせた。このライブの評判は彼らの故郷に口コミで伝わり、請われて島で演奏することもあったが、きいやま商店はそもそも「一夜限定ユニット」だったため、3人はそれぞれのバンド活動へと軸足を戻していった。

きいやま商店としての活動が本格化するのはその3年後だ。きっかけは2011年の東日本大震災だった。

マスト 震災の後、宮沢(和史)さんが、『東京はおかしな状態だから、島に帰ったほうがいいよ』って。当時は計画停電とかもあって、こんなときにライブなんかやるなっていうミュージシャンへの批判があったでしょ。

すでに一児の父になっていただいちゃんは生活のために島に戻っていた。これにマスト、リョーサが続く。リョーサの場合は、住んでいた福岡の団地が老朽化のため取り壊しになり、住む場所がなくなったのが決定的な理由だった。

それぞれ理由は違えど、ほぼ同じタイミングで故郷に戻った3人。そしてマストの提案で、同年夏に沖縄本島で「合宿」を敢行、曲づくりや本島各地でのライブに没頭し、人気者になっていく。

2013年、BEGINとコラボユニット「ビギやま商店」を組み、石垣島新空港のPRソング「おかえり南ぬ島」を発表。同年、NHK『みんなのうた』で「カチャーシ☆ブギ」が採用され、15年にはBSフジbeポンキッキーズ』にレギュラー出演。きいやま商店の名は沖縄から全国に飛び出していった。

ただ、2008年の初ライブで身内の人たちを喜ばせたように、きいやま商店の原点は、自分たちを主語に親族や島の絆、日々の喜怒哀楽を歌うことにある。

結成当初に書いた「土曜日のそば」という曲がある。

子供の頃、土曜日は祖父母の家でビデオを見て、3人で戦隊ごっこをするのが定番だった。そして、「ばあちゃん」が作ってくれる八重山そばを食べる。

苦労してきた「ばあちゃん」をねぎらい、感謝の言葉を歌うこの曲の中で、《大きな街で くじけてばかり 僕らは何処へ 行きたかったんだろう》という一節は心に染みる。

宮沢和史氏が書いたように、東京や福岡での「ままならない」青春時代を経て、きいやま商店の花は少しずつ開いていった。

だいちゃん 『土曜日のそば』は2009年に書いた曲。3人で床に寝転がりながら書いたのを覚えてる。もともとメロディはあったけど、歌詞が決まってなくて。『ばあちゃんのそば』だなって。すぐにできたよ。

ほかにも家族・親族のことを歌う曲は多数ある。彼らの叔父さんの失敗談を挙げ、《そんなスミオが大好きさ》と歌う「頑張れ!スミオおじぃ」は初期からの人気曲だ。子供時代から長らく続く両親の別居生活を赤裸々に明かす「離れてても家族」は、《僕らは二人の間を行ったり来たりして 孫を抱いて喜ぶ顔を見る》と結ぶ。

極めて私的な内容の歌詞なのに、彼らの歌は多くの人に共感される。

マスト 『頑張れ!スミオおじぃ』は市議会議員選挙に落選して落ち込むスミオを励ますためにつくった。自分たちの親、親戚、仲のいい友達が笑ってくれるような、面白いものにしようっていうのは最初から決まっていたコンセプト。あいつが笑ってくれればそれでいいんじゃない?って。そしたら不思議と、みんなも共感してくれた。

本家の長男として先祖の墓を守る使命があったリョーサは、いつ日の目を見るかもわからない音楽を続けていることを、以前は祖父に言えなかったという。

リョーサ だいちゃんやマストが自分のCDやポスターを持って帰ると、みんな『わー、すごいね』って言ってもらえるけど、俺が音楽やってることは、じいちゃんには隠されていた。だから、『早く帰ってこい』と言われても、島には帰りづらかった。

じいちゃんは無口で、なかなか褒めてくれない人だった。でも、きいやま商店が有名になって、ばあちゃんの店にファンが来て写真を撮ったりするのを見たじいちゃんが、『お前ら、大したもんだな』って褒めてくれた。あれはめっちゃ嬉しかった。

祖父は10年前に95歳で天寿を全うしたが、祖母は97歳を迎えて健在だ。沖縄には97歳の長寿を祝う「カジマヤー」という行事がある。その祝いの席でリョーサがスマホで撮った祖母の写真が、きいやま商店の15周年記念ベストアルバムのジャケットを飾っている。

このベストの収録曲はファン投票で決められたが、21曲中半数近くは「土曜日のそば」や「頑張れ!スミオおじぃ」など初期につくられた曲だ。

リョーサ 嬉しいよね。当時からのファンももちろんいるけど、新しいファンが昔の曲を聴いてくれているのがめっちゃ嬉しい。

だいちゃん このアルバムに入っている曲はライブでやる曲が多い。ライブでやる曲=俺ら自身が好きな曲だから。

活動初期から「今年こそ紅白出場」とアピールし続けている。彼らが最も「メジャー」に近づいた一曲を挙げるとすれば、前出の「ドゥマンギテ」(2012年発表)だろう。

だいちゃん みんな『かっこいい』って言ってくれるけど、歌詞は意味のない言葉遊び。犬を踏んづけて逃げるっていうだけの歌だから(笑)。

翌年、日本テレビの朝の情報番組『スッキリ』に出演し、スタジオで「ドゥマンギテ」を生演奏。コメンテーターのテリー伊藤氏に「こんなにメッセージ性のないバンドは初めて見た!」と絶賛される。

その直後に発表したアルバム『ダックァーセ!』の表題曲は、それまでのシンプルな楽曲群とは異なり、お洒落なクラブサウンドのような趣で、今もライブで盛り上がる一曲だ。しかし――。

マスト BEGINの優にぃに(ギターの島袋優氏)に呼び出されて、『これはきいやまじゃないだろ』って怒られた。確かにきいやまじゃない(笑)。

今ではアゲアゲのパーティーチューンはきいやま商店のひとつのジャンルとして定着しているが、確かに当時は「唐突すぎた」印象が否めなかった。「ドゥマンギテ」で知名度が上がったタイミングだっただけに、紅白に色気を出したのか?

だいちゃん それはみんなに言われる(笑)。今までのきいやまで一番売れたんだけどね。

リョーサ それ以前は自分たちのセルフプロデュースだったけど、『ダックァーセ!』からプロデューサー、アレンジャーが入ったわけ。俺らにはない要素が入ることで、もしかしたらめっちゃ売れるんじゃないかっていう期待もあった。

外部のプロデューサー、アレンジャーとの共同作業はいい経験、勉強になったと認めつつ、ライブでよく演奏し、愛着があるのはセルフプロデュースした楽曲なのだという。

マスト だから新曲の『シュラヨイ』や『この歌届け』は自分たちでやった。やっぱりそのほうが長く続く気がする。

自分たちのやっていることに自信を持つことが大事、とマストは続ける。

マスト 紅白に関しても、自分たちから紅白に寄せていくんじゃなくて、自分たちは何も変わらず、紅白から寄ってくる......これくらいの姿勢でいいじゃないかって今は思ってるわけ。

コロナ禍の緊急事態宣言下では仕事も収入も激減したが、3人はそれぞれの家族との時間を大切にしていたと口をそろえる。

マスト コロナ前はほとんど島にいなかったから、あれだけ家族と長く一緒にいたことはなかった。

リョーサ ああ、全然家族と接してなかったな、嫁さんに任せきりだったなって気づけたのはよかったかもしれん。

だいちゃん ずっと家にいると、それぞれが嫁に嫌われないように頑張ろうっていう作業に入るよね。料理なんかしたことないのに料理したりして(笑)。

マスト 家族は奥さん主体になるわけだ。それが一番幸せさ。奥さんを怒らさないようにするのが(笑)。

これまで祖父母、両親のことを歌う曲が多かったが、これからは自分たちの家庭を歌う曲も増えていくのだろうか。

マスト 例えば、洗濯を覚えて干したのに、『ブラジャーの干し方が間違ってる!』と奥さんに怒られる。そんな父親の悲哀を歌っても面白いと思う。

いくら人気者になっても、きいやま商店の「ままならない」日々はこれからも続きそうだ。

●きいやま商店 
崎枝亮作(リョーサ)、崎枝大樹(だいちゃん)、崎枝将人(マスト)による沖縄・石垣島出身の3人組親族ユニット。2008年結成。15周年の今年、『きいやま商店 ザ・ベスト ~この歌届け~』をリリースした。 

●「きいやま商店 TOUR2023-2024 この歌届け」開催決定! 
11月12日(日)東京・キネマ倶楽部ほか、全6公演開催。チケットなど詳細はきいやま商店オフィシャルウェブサイトでチェック!

取材・文/中込勇気 撮影/本田雄

今年15周年を迎えた「きいやま商店」の3人。左から崎枝亮作(リョーサ)、崎枝大樹(だいちゃん)、崎枝将人(マスト)