ルキノ・ヴィスコンティやミケランジェロアントニオーニ、フェデリコ・フェリーニやピエル・パオロ・パゾリーニなどなど…映画史では外すことのできない巨匠たちを輩出したイタリアの映画界。芸術性、作家性の高い作品が多いような印象があるイタリア映画だが、実は万人受けする娯楽映画の系譜もきっちりある。現在、Amazon Prime Videoチャンネル「スターチャンネルEX」では、そのジャンルでは第一人者と言われるエドアルド・レオを取り上げた特集企画「イタリア娯楽映画の進行形 エドアルド・レオ」が配信中だ。そこで、作品の独自買付や上映イベントなどを通じてイタリア映画の魅力を発信し続け、本企画のセレクションや解説も担当する京都拠点のラジオDJ、翻訳家の野村雅夫に、イタリア映画に魅了されたきっかけやイタリア娯楽映画の現在地などを語ってもらった。

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イタリア映画との出会いはテレビで放映された『ニュー・シネマ・パラダイス

イタリア映画に最初に触れたのは、テレビで放映された『ニュー・シネマ・パラダイス』だったと思います」とイタリア映画との出会いを語る野村。「映画と言えばハリウッド映画か日本映画くらいしか観ていませんでしたから。本格的に興味を持ったのは1997年に大阪外国語大学でイタリア文化を専門的に学ぶようになってからですね。大学の図書館にビデオがたくさんありまして。ソフト販売されていたものはもちろん、大学の教員がテレビ放映されたものをせっせと録画していたものが大量に保管されていたんです。そのなかにはもちろんイタリアから取り寄せた字幕なしのものもありました。知らないタイトルがズラッと並んでいたので、リストの上のほうから順番に片っ端から観始めました」と続ける。

そこで野村が最初に手を出したのがヴィットリオ・デ・シーカ監督作。『自転車泥棒』(48)や『ひまわり』(70)だった。「『自転車泥棒』なんてまったく娯楽性がないですし、文字どおりそのままの泥棒の話かと思っていたくらい。でも、当時の僕は近現代史に興味を持っていたので、これがズバッとハマった。それこそ『自転車泥棒』はネオレアリズモ(第二次世界大戦後、ファシズムへのアンチテーゼとして生まれた文化潮流)の代表作なので、映画の知識はまったくなかったけど、ものすごい感動したんです。それでもっと深く知りたいと思うようになり、その同時代のものから観ていきました」。

■ターニングポイントになったピエル・パオロ・パゾリーニ監督作との出会いとイタリア映画祭

そこから、野村は専門的な勉強を始めていったという。「まずは映画史を知らないと、と思いました。第二次世界大戦を境に、戦前、戦中の映画の流れや、戦後のネオレアリズモ運動が起きたことによって、それがやがてフランスのヌーベルバーグにつながったことを知りました。そのヌーベルバーグの時代のイタリアは、巨匠の時代だったとか。そういうことを知って、それに即した映画を観ていきました。そんなことをしていた2000年頃、2つ大きな出来事があったんです」。

一つ目が、1975年に亡くなったピエル・パオロ・パゾリーニ監督作との出会い。没後25周年で大々的なレトロスペクティブが大阪でもあったことだった。「ひととおりスクリーンで観られる機会でしたから。全部観ました。でも全然わからない。なんだこりゃ、となりまして。どんなことでもそうなんですが、僕はわからないことがあったら調べてもっと知りたいと思うもので、パゾリーニを論文のテーマにしてしまいました。おかげで僕の20代は、パゾリーニに付き合った10年間、という感じでしたね」。

そしてもう一つは2001年に始まったイタリア映画祭。「初年度は、おもに90年代の良作をまとめて上映するという映画祭でした。でも、そのころの僕は古い作品ばかり観ていたので、リアルタイムイタリア映画がどういうものかを知ったのはこの映画祭がきっかけです。その当時作られていた作品も、巨匠時代のイタリア映画とは別物ですがクオリティが高く、もっと観てみたいと思ったんです」。

そしてイタリア留学後は、リアルタイムで製作された映画にどっぷりハマっていったと言う。「2000年前後からイタリアに毎年通っていましたが、留学は2005年から2年ほど。その時に公開された作品はもちろん、古い作品もたくさん観ました。それがいまの活動につながっています。その時、気づいたのは、日本と比べてイタリアの映画館も興行も元気だということ。古くから営まれている映画館がたくさん残っていたんです。それだけでなく、夏には野外上映がそこかしこで行われていますし、映画イベントが日常生活の一部としてたくさんあるんですよ。イベントで上映されるのは新作ではありませんが、古い映画を文化財として愛でるカルチャーがある、ということですね」。

■日本とイタリアの映画界の共通点を考察

イタリア特有の映画事情が、いまの若手の映画人にも影響していると分析する。「イタリアの若手監督たちは、自分たちのルーツを再発見するみたいな探求をしているんですよね。例えば、クラシックの名作の修復などにはずっと力を注いでいますし、その分野では世界でも最前線にある国であることは間違いないです。ただ、世界的にもそうだと思いますが、90年代に映画産業が斜陽期に入ってしまうと同時に、映像がデジタル化したことによって、映画というものがより身近なものになっていきましたよね。いまでこそ誰でも映画を作ることができるようになっていますが、そのサイクルに入っても、イタリアは一定以上のクオリティを保ち続けている。それは、ルーツを愛でる文化によるところが大きいと思います。ただし、国際的な大ヒットを導きだすイタリア映画は少ないんですけどね」。

「日本とイタリアの映画界ってすごく似てると思います」と2国の映画事情に関しても分析。「日本で国際的に評価が高くてヒットするのって、アニメじゃないですか。それ以外のジャンルでも優れた映画作家はたくさんいるはずなのに、国際映画祭とのコネクションをきっちり持っている一部の名が通った監督の作品だけが世界の舞台に出てる感じ。じゃ、その監督たちの作品だけが日本の映画カルチャーを表しているか?というと、そうじゃない。イタリアもまったく同じで、他国で持たれているイメージと現地のそれが乖離してるんです。だから、イタリアではすごく高い評価を受けているのに、国際舞台ではまったく知名度がない、っていう映画作家は、実は山のように待機しています。一方、21世紀に入ってからの韓国は、はっきりと自国だけでなく外国のマーケットにも届くようシフトしましたよね。日本もそうだけどイタリアも、世界的に評価が高い芸術的な作品や作家は常にいるけど、もっと大衆に受ける娯楽作は自分の国で受ければそれでいいし、それだけで収支もペイできちゃう、っていう問題を抱えている。その点で日本とイタリアの映画界はよく似てると思います」。

■エドアルド・レオのすごいところは映画を作りながらも、自ら舞台にも立っていること

そんなイタリア娯楽映画のキーマンとなるのが、エドアルド・レオだ。「彼の代表作で、日本でもスマッシュヒットした『いつだってやめられる』シリーズを観ればわかりますが、イタリア国内ではもちろん国際的にも受ける娯楽作であると同時に、芸術的にも評価できる作品を作りだしていますから。レオはまだ51歳ですから、これからもっとすごいものを作りだす可能性を持った才能だと思っています。一連の作品を観ていて感じるのは、インテリだけどおもしろい人物ということ。脚本を自分で書けて、監督もできて、おまけに芝居もできる。しかも、ちゃんとした中身のある作品をつくるから、興行成績も非常にいい。これほどの才能なので、期待せざるをえませんよね」。

レオがすごいのは、映画を作りながらも、自ら舞台にも立っていることだそう。「イタリアには、スタンダップコメディと演劇の中間みたいな、1人か2人しか出ない話芸中心の舞台があります。日本の落語に近いかな。彼はそれを映画製作の合間をぬって継続的にやっているんです。しかもお客さんもかなり動員している。レオはもう十分セレブなので、本来そんなことしないで映画作りに没頭していてもいいはずなんですけど、ライブでお客さんを相手にした芝居も続けているのは、彼がイタリアの演劇や映画などの伝統文化を受け継いでいるんだ、という信念みたいなものを感じるんですよね」。

■場所の制限なく多くの人々にイタリア作品を届けたい

レオなどイタリア映画界の才能を数多く日本に紹介している野村。彼自身はイタリア最新映画情報をどうやってリサーチしているのか聞いてみると、「日本ではイタリア映画祭が主だった作品を上映してくれるショーケースとして機能しているので、そこから漏れたおもしろいものはなにか、ということをチェックします」とのこと。「僕らが運営している京都ドーナッツクラブでは、毎年テーマを決めてイベントを開催し、作品を紹介しているんですが、テーマに即したものに絞り込んで、DVDやブルーレイを取り寄せ、現地の映画評を読みながらさらに絞り込んでいきますね。とにかくうちはお金がないので(笑)、上映回数を限定しておもしろい作品の上映実績を作っています。この活動を続けていくことで、定点観測ができたのもよかったんだと思います。流行りの映画作家や俳優がわかるようになりますからね。また、ローマ在住で僕と同世代の映画プロデューサーが買い付けに協力してくれているので、交渉事を任せられるのはアドバンテージになってますね。例えば、狙ったタイトルがすごく高額だったら、似たようなテーマでこういう作品があるよ、とか提案してくれるんです」。

だが、「字幕をせっかくつけたのに、上映権が切れちゃってもう上映できないという作品もたくさん眠っています」と言う。「そういう蓄積があるのに、DVD化もできないし、どうしようと思っているところにスターチャンネルの飯森プロデューサーからお話をいただいたんで、本当にありがたいことでした。僕らは東名阪ではイベント上映することができても、そのほかのエリアの人には届けられませんでしたから、スターチャンネルさんのように加入者だったらどこでも観ていただける環境を作ることができたのはものすごくうれしかったです」。

そして、今回の特集で配信されるのが、エドアルド・レオが出演している『わしら中年犯罪団』(19)と『帰ってきた中年犯罪団』(21)だ。「実は字幕作業がめちゃくちゃ大変で(笑)。圧倒的なセリフ量なんですよ。イタリア映画祭で上映される作品も僕らが字幕を請け負うことがあるんですが、映画祭に出品されるような作品はセリフがすごく少ないけれど、娯楽作、それもエドアルド・レオの作品は、映画祭の出品作と同じ上映時間だったとしても、セリフは倍かそれ以上。それも、すごく練りに練ったセリフ回しなので、字幕も相当苦労しています。でも、それをきちんとした翻訳で見せないと、抜群にうまい役者の芝居の楽しみが半減しちゃいますから」。

■見た目の若さより実力を重視するイタリア

ちなみに、『わしら中年犯罪団』と『帰ってきた中年犯罪団』含めて、登場人物は男女共に若者よりも中年以上の人が多いのもイタリア映画の特徴だ。「イタリアらしいことなんですが、若さが美徳という価値観じゃないからなんですよね。いわゆるアイドルが存在しない。『Xファクター』などのオーディション番組が流行していることもあって、若い才能が以前よりは表舞台に出ることは増えましたが、見た目の若さなどは人気のバロメータにならないんです。内容と実力がないと人気が出ない。音楽でいうと、20代のアーティストで大ブレイクすることはほとんどないですし、シンガーソングライターだったら30代以降じゃないと芽が出ません。映画も同じで、ある程度の年齢を重ねた俳優じゃないと、説得力に欠くというイメージがありますね」。

「大人の世代の俳優や監督が本気を出してくるのがイタリアの娯楽映画」とも力説する。「なので、作品自体もおもしろくなるのは当たり前なのかもしれません。異例だったのは『いつだってやめられる』シリーズの監督シドニー・シビリアですね。彼はあの三部作を30代で作ってしまったんですよ。シビリアはいま41歳ですが、彼のようにハリウッド映画のいいところを取り入れたうえでローカルに落とし込む作品を作りだす才能は、これからバンバン出てくるんじゃないかと期待しています」。

取材・文/よしひろまさみち

野村雅夫がイタリア映画の魅力を語る(『わしら中年犯罪団』)/[c]2019 IIF and RAI CINEMA