視聴者からの投稿映像を紹介する心霊ドキュメンタリーの祖として、1999年の第1巻の発売から20年以上もファンから愛されてきた「ほん呪」こと「ほんとにあった!呪いのビデオ」シリーズ。その記念すべき第100巻である『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100』(公開中)がついに劇場公開となった。

【写真を見る】ほんとに映ってる?合唱をしている女子生徒の背後に異変が…

本稿では、100本以上もの心霊ドキュメンタリー作品を取り扱っている評論誌「霊障」を発刊した、「心霊ビデオ研究会」に厳選してもらった、「ほん呪」の投稿映像を紹介する。思わずゾッとしてしまうものから、謎に包まれ考察せずにはいられない不可解な映像まで、時代やメディアの変化と共に進化してきたシリーズの魅力に迫っていく。

■「かくれんぼ」(「ほんとにあった!呪いのビデオ71」収録)

ほんとにあった!呪いのビデオ」の醍醐味といえば日常風景を捉えた映像ながらも、ふと不思議な世界に迷い込んでしまったかのような出来事を視聴者も追体験できることだろう。「かくれんぼ」の冒頭には、親族が祖母の七回忌で集まり、子どもたちが庭で楽しそうに遊んでいる姿がスマホのカメラで記録されている。その後投稿者は、子どもたちとかくれんぼをすることになったが、先ほどの活気あふれた映像から一転し、不思議な体験をすることになる。

オニ役になった投稿者は、「もういいかい?」と声をあげる。「もういいよ〜!」と子どもの声が聞こえてきたので、振り返ってあたりを見渡すが、子どもたちの姿はどこにもない。それどころか、先ほどまでいた親族の姿も見えないではないか。「ほんとにあった!呪いのビデオ」に端を発する心霊ドキュメンタリーやJホラーと呼ばれる映画では、“ひとりかくれんぼ”を記録した恐怖映像が数多くあるが、本作では楽しくかくれんぼをしていたはずなのに、いきなり異世界に来たかのような光景が映し出される。

辺りを見渡していると、家の角に隠れた一人の子どもがこちらを見ている。誘い込まれているかのように後を追いかける投稿者。途中、かくれんぼの前半で子どもたちが隠れていた小屋の中を見るが、誰もいない。小屋から離れカメラを右の方向へ動かすと、庭の奥の方で右から左の小道へ駆けていく子どもが目撃される。狭い庭で撮影されていることもあり、スマホの縦画面とも相まって、投稿映像を通して私たち視聴者も”まるで本当に目撃してしまった”かのように思える。

後を追いかけるも、子どもどころか猫一匹もいなさそう行き止まりにたどり着く。不思議に思っていると、横にかかっている葦簀の穴からこちらを見ている子どもの眼に気づくが、開けてみると誰もいない。その直後、戸惑う投稿者のもとに「いた!いた!」と子どもたちが駆けてくるではないか。

ほかの親族によると投稿者はかくれんぼの最中、誰もいない方向に向かっていったのだという。そして投稿者が聞いた「もういいよ」という子どもの声は、誰も聞いていないらしい。まるで狐につままれたような話である。

■「合唱」(「ほんとにあった!呪いのビデオ26」収録)

学校や地域などの催し物の映像が紹介されることも多い「ほんとにあった!呪いのビデオ」。そのどれもが他人に見られることを前提としていない、いわばプライベートな映像である。それゆえに、まったく見知らぬ人たちがイベントに興じている姿を見るのは、他人の生活をのぞき見しているようで、どこか居心地の悪さを感じてしまう。こんな感覚を味わえるのも魅力といえる。

この数あるイベント物から、「合唱」という映像を紹介したい。結婚を控えた投稿者が実家を整理していたときに見つけたこの映像には、中学時代の合唱コンクールの様子が記録されている。そこには投稿者が当時思いを寄せていた女子生徒が映っているのだが、彼女の背後に異変が起きている。合唱がクライマックスに差し掛かかった瞬間、カメラが彼女を捉えると、背後にもう一人の彼女の姿が残像のように浮かんでいる。そして彼女の耳元でなにか囁いているのだ。

ナレーションによる解説では、女子生徒はこの映像が撮影されたあとすぐに持病で死去しており、さらにこの怪現象は“投稿者が撮影した映像だけ”に記録されていたことが告げられる。懐かしさと怖さ、そして哀しさといったあらゆる感情が入り乱れること請け合いである。

本シリーズをはじめとした心霊ドキュメンタリーにおいて、事象をもう一度見る=リプレイが定番演出となっているが、この映像ではリプレイがさらに恐怖を増幅させる効果を発揮している。この映像自体、画面下にスイッチングノイズが常時発生していることからもわかるようにビデオテープで撮影されたものであり、解像度はかなり悪く全体的にボケボケとなっている。そんな粗い映像を極端に拡大し、執拗にリプレイする編集がほどこされている。拡大された生徒たちの顔はつぶれ、もはや原型が判別できないほど歪に映る。さらにはスロー再生まで加えられることで、テンポの狂った「大地讃頌」が不気味に鳴り響く。視覚と聴覚を通してなんとも言えない嫌悪感に襲われるだろう。霊障そのものに派手さはないが、頭のなかでいつまでも残像している、そんな映像である。

■「空中楼閣」(「ほんとにあった!呪いのビデオ51」収録)

ほんとにあった!呪いのビデオ」では、投稿者の映像を紹介するだけではなく、映像を検証してみたり、投稿者へ取材をしたり、撮影された場所に行ってスタッフが検証するなどのパートがある。その結果の推論はもっともらしく説明されるのであるが、得体のしれない映像ほど、その解釈は正しいのか?とスッキリしない後味の悪さが残る。「空中楼閣」は、投稿者たちが山奥の貸別荘で「幽霊の現れる場所」と書かれたノートを見つけ、実際にその場所へいってみると怪異に遭遇するといった映像である。

その怪異は幽霊のようなものではなく、それはただの「窓」なのだ。ただ、その「窓」が明らかにおかしい。なぜならば、タイトル通り空中に浮遊しているからだ。しかも、その窓から手を振る人影のようなものが見えるではないか。それまで「幽霊いる〜〜?」と騒いでいた投稿者たちは急転直下、パニックになってしまう。

この投稿映像はおよそ3分程度の作品であるが、スタッフによるインタビューおよび現地調査の検証パートが入るので10分程度の映像になる。結論としては、20年以上前にこの山林で幼児の遺体が発見された事件をベースに、その幼児が投稿者たちを誘い出したのではないかと、もっともらしい推論を立てている。しかし、ナレーションで「犯人は逮捕され死刑になっている」と情報が開示される。

この窓には2名の人物が見えるので、殺された幼児と犯人がそこにいるのか?と思うかもしれないが、どこか違和感を覚える。犯人は死刑になっているからだ。ここで犯人が捕まっていないならば、もしかしたら犯人の思惑通りにことが進んだから、子どもが捕まっているように見える解釈ができるかもしれない。ただ、死刑になっていてそんなことあるのだろうか。幼児は成仏したと思う方が論理的には正しい気がする。考えれば考えるほど論理の迷宮に迷い込むようだ。

最後に「何者であったのだろうか」と話す中村義洋のナレーションは、その推論に疑問を呈しているようにも聞こえる。まるでスタッフも混乱してしまっているかのように。果たしてこの映像はなんなのであろうか。

■「放送室」(「ほんとにあった!呪いのビデオ5」収録)

とある中学校のお昼の校内放送に紛れ込んだ音。「ほんとにあった!呪いのビデオ」取材班は、実際にそれが録音された放送室へ話を聞きにいく。放送室の窓から見渡せるグラウンド。その奥の木々の繁みの中には祠があり、放送室から祠の近くでなにかを見た放送部員や放送中に視線を感じた生徒もいるという。顧問の先生によれば学校は昔、旧日本軍の駐屯地だったという。そして再生される校内放送の音声…。

シリーズのベストで「怖い」作品というわけではないが、「ほんとにあった!呪いのビデオ」という形式の魅力が詰まった一本である「放送室」。「軍服を着た男の人が祠の横に立っていた」という証言はされど、それが実際に映されることはなく、なんと校内放送の録音音源のみなのである。もはや純粋な恐怖映像ですらない。

校内放送の音源には、「9月18日かいわれ大根の日です。日本かいわれ協会が設けたPRデーです」という放送部の生徒のアナウンスの合間に、「ゼンターーイトマレッ」と叫んでいるような野太い声が確かに挿入されている。「戦時中の駐屯地だったみたいで、練兵のかけ声かもしれないですね」という顧問の先生の発言を信じ、シリーズのセオリー通りに考えたならば、厳しい訓練で命を落とした兵の怨霊の声が…となるだろう。しかし「祠は戦前から存在していたもので、特に戦没者をまつったものではない」とも先生によって注釈される。ではいったい謎の声の正体は? 

舌足らず棒読みで、かいわれ大根の記念日とその由来を伝えていく牧歌的な放送。そこに駐屯地の、祠の、練兵の…という猛烈な意味の塊が中年男性の絶叫をともなって襲ってくる。しかしそれで放課後のノスタルジックな雰囲気は消えたりしない。音声がリプレイされるごとに、祠から見た校舎へと切り替わっていき、時にカメラがダイナミックに揺らされたりもする。それでもどこか微笑ましく懐かしい雰囲気が濃厚に漂う。かいわれ大根のくだりが終わった後の、「最後に今日は健康診断があります、1年1組は保健室の前に集まってください」の一言が余韻のように響く。私たちは放課後の人気のない校舎のどこかで、この放送を聞いていた、そんな気さえしてくる。そしてそこには兵隊だかなんだかわからないおっさんの絶叫があったような、なかったような…。

呪われなくたって、なにも映ってなくたって心霊ドキュメンタリーは成立してしまう。これは限りなく本物に近いと安心して思うことができる、かつて“ほんとにあった(とされる)”映像集なのだから。私たちが体験したのかもしれない記憶を掘り起こし、時に改竄されるような感覚。シリーズの”ほんとにあった”性を強く感じさせてくれる一作である。

■「訪問者」(「ほんとにあった!呪いのビデオ95」収録)

最後の一本は、昨年リリースされた比較的新しい投稿映像「訪問者」を紹介したい。シリーズ20年以上の歴史を振り返っても、この映像の得体の知れなさはトップクラスかもしれない。

夜の路上で酒を飲んでいる大学生たちが撮影した映像。不可解な現象は彼らの背後にそびえたつマンションの廊下で起こる。異変に気づいた撮影者がカメラをズーミングすると、そこには俯きながらのそのそと歩く女性がいた。その女性は各部屋の前に立ち、しばらくの間静止するという不自然な行動を繰り返している。すると今度は投稿者たちに気づいた女性がカメラに向かって手を振ってくる。友人たちのリアクションを撮るため一瞬だけカメラを女性から離してしまうが、再びカメラをマンションに向けると女性はいなくなっていた。

霊に遭遇する映像は案外ありがちで、それだけならなんら目新しさはないが、この映像に思わずゾッとしてしまったのは、この後に起こるあり得ない出来事のせいである。友人の一人が酒を買いにその場から去るのだが、わずか数十秒後にその友人がマンションの廊下を歩いている。しかも消えた女性と同じように俯きながら歩き各部屋を訪ねているのだ。

映像はここで唐突に終了する。物理的に起こりうるはずのない、あり得ない状況に視聴者の理解は置いてきぼりにされる。撮影者たちも同じようで、彼らのリアクションは恐怖というより困惑しているのが印象的だ。しかもその後のナレーションにおいて、この友人がこのまま行方不明になったことが告げられる。まさに異常事態なわけだが、スタッフによる追跡取材はなくこのまま幕を閉じてしまう。一体あの女性はなにを目的に部屋を訪ねまわっていたのだろうか。そして友人まで…。いつもならもっともらしい解釈を添えてくれるのに、ここでは考察の材料すら与えてくれない。尾を引く怖さだけがいつまでも残る。

思えば、廊下の照明が逆光となって女性の顔が暗くて判別できないのだ。それにもかかわらずナレーションでは女性と断言していたが、果たして本当に女性なのだろうか。黒くつぶれた顔の先を想像していると、静かな恐怖がジワリと押し寄せてくるだろう。

■当時は採用しなかった一本のビデオテープとは…

今回紹介した以外にも、第45巻に収録の「逢魔時の怪」など恐ろしくも魅惑的な投稿映像が「ほんとにあった!呪いのビデオ」シリーズでは紹介されている。「ほんとにあった!呪いのビデオ リング編」などの長編作品も存在するので、気になった方はぜひレンタルビデオ店などで手に取ってみてはいかがだろうか。

そしてシリーズ最新作となる『劇場版 ほんとにあった!呪いのビデオ100』では、1〜7巻の構成・演出としてシリーズの基礎をつくりあげ、現在もナレーションを担当している中村義洋が満を持して復活。24年前の日付と「試合」という題が書かれた一本のビデオテープに記録されている“呪い”とは…。ぜひ劇場で目撃してほしい。

文/心霊ビデオ研究会

数百にもおよぶ投稿映像のなかから、選りすぐりの5本を紹介!/[c]2023 NSW/コピーライツファクトリー