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プリンプリン物語』の主人公・プリンプリン役で懐かしい人も多いはず

「45年ともなると『できるときにできることを、できるだけ頑張ろう』という気持ちです。いつまでできるかわからないから(笑)」

そう語るのは今年デビュー45周年を迎え、記念アルバム『笑顔の花』を発売した石川ひとみさん(63)。初めてレコーディングしたときは、そのとき歌った曲がデビュー曲だという認識はなかったと言う。

「こんな立派なスタジオでレッスンさせてもらって練習曲を気持ちよく歌わせてもらえるなんて、と感動していました。そうしたら2曲歌い終わったあと、『ひとみ、デビュー曲どっちがいい?』って聞かれて。そこで『えーー! 今のはデビュー曲のレコーディングだったんだ!』みたいな(笑)」

そのころ、ひとみさんと同じ’78年デビュー組の石野真子さん、竹内まりやさん、中原理恵さん、サザンオールスターズは、ひと足先にデビューして、すぐにヒット曲に恵まれ活躍していた。

石野真子ちゃんや中原理恵さんは半年先輩の同期ですし、渡辺真知子さんも新人賞レースでは一緒でした。でも数カ月前まで普通の高校3年生だった私は、名古屋の実家のテレビでその人たちを見ていたんですよ。真知子さんの『迷い道』なんて、レコード買って毎日歌ってましたから(笑)。そういう方たちが同期になるなんて思ったこともなくて」

■司会や声優として次第に人気者に

デビュー後2〜3年で、人気歌番組『レッツゴーヤング』(NHK)の司会や人形劇プリンプリン物語』(NHK)の主人公・プリンプリン役に抜擢されるなど活躍の幅を広げていった。

「声優も楽しかったです。周りの声優さんたちは神谷明さんやキートン山田さんといった大御所ばかりで。ゲストに来られる方も“あれ?いなかっぺ大将』(野沢雅子さん)の声だ”とか(笑)。そんな大御所の中にど素人の私がいるにもかかわらず皆さん優しくしてくれて、怒られることがなかったんですよ。だから楽しかったのかもしれません」

ひとみさんがうまく演じられないときは周りの声優さんたちが親切にアドバイスをくれたそう。

「最初は笑い声がうまくできないんですよ。『ハハハ』って何か不自然な変な笑いになっちゃって。あとは朝の起き抜けの声や気絶して倒れてしまうときの、言葉ではない息づかいとか。それをどう声にしたらいいかがわからなくて。そしたら皆さんが『こういう感じで』って実際にやってくださって。『違う! そうじゃない』とか言われると萎縮してしまうじゃないですか。そんな感じじゃなくて『そう、それでいいの、その感じで悲鳴を上げたら大丈夫、大丈夫』って優しく教えてくださいました」

■『まちぶせ』との運命的な巡り会い

司会や声優として活躍していたものの、あくまでも本業は歌手。歌謡界での同期の華々しい活躍を見て、ひとみさんはある思いを心に抱くようになっていた。

「両親とは『4年間だけ東京で社会勉強という形でチャレンジします』という約束をして上京したんです。その4年目に入ってしまったときに、自分で夢に描いていた『たくさんの人が知っているヒット曲のある歌手』という姿とは違っていて。それで次の曲でピリオドを打ってこの先の人生を考えなおそうと思っていました」

そう決心していたときに巡り合ったのが、後に大ヒット曲となる『まちぶせ』だったのだ。

実はひとみさんがこの曲と出合ったのはこれが初めてではなかった。そこから遡ること5年前。

「私が渡辺プロの音楽学院の名古屋校に通い始めたころでした。そこでのレッスンの課題曲が『まちぶせ』だったんです」

まちぶせ』は当時、事務所の先輩だった三木聖子さんが’76年に発売した曲。レッスン生は事務所の先輩の曲をレッスンで歌うのが慣例だったのだ。

「当時は『まちぶせ』をまったく知らなくて。でも、先生が『この曲をやります』ってピアノで弾いて教えてくれたときに、なにか胸が熱くなり、『この曲いいな』と思いました。それでそのレッスンの帰りにレコード屋さんに行ってすぐに『まちぶせ』を買いました。そこから毎日のようにレコードをかけて、好きで歌ってたんです。そうしたら、次の曲で辞めると決心していたときに、この曲が候補に入ってて。『私、この曲は大好きで歌詞を見なくても歌えます』と言ったのを覚えています。今までは言われた曲を歌っていましたが、『私はこの曲が歌いたいです』って、そのとき初めてディレクターさんに自分の意思を伝えました」

まちぶせ』は’81年4月の発売後、じわじわと人気に火が付き、音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)では9週連続ベストテン入りした。

昭和の歌番組は曲紹介が独特。司会者が歌手のプチ情報を入れてから曲名と名前を紹介するのが定番だった。たとえば『ザ・ベストテン』に出演したとき、司会の久米宏さんの曲紹介は「お母さんはひとみさんについてこうおっしゃっています。ひとみは小さいころ、ひどいブスでとっても心配していたんですが、最近テレビの中のひとみを見て『ああよかったなと』思っています。では『まちぶせ』、石川ひとみさんです」といった感じ。

「ひどいブスって失礼ですよね(笑)。でも母は悩んでたことがあったみたいです(笑)。ほかにも、お風呂の中でよく歌う愛唱歌北島三郎さんの『与作』と紹介されたのも、ホント、ホント。歌っていました。『トントントン』て歌(笑)」

■ロングヒットで『NHK紅白歌合戦』にも出場

ガソリンスタンドとか外で『まちぶせ』が流れていたり、イベントをするといっぱいの人がいらして一緒に歌ってくれたり。あとは歌の出だしが『夕暮れの街角』なので、小さな子どもさんが『あ! 夕暮れのおねぇさんだ』って言ってくれて。『え! 知ってるの? 私のこと』みたいな(笑)」

ひとみさんが思い描いていた「たくさんの人が知っているヒット曲を出す」という目標を、現実のものにすることができたのだ。さらに最初は芸能界入りに反対していた両親も、『まちぶせ』のヒットにより安心させることができ、歌番組に両親が応援に駆けつけてくれたことも。

「地元の名古屋城からの中継のときに両親が来てくれてビックリですよ。歌っているときに両親の顔を見たら涙腺が崩壊しましたね」

まちぶせ』の大ヒットにより今年45周年を迎え、10月1日には東京・新橋 ニッショーホールにて「石川ひとみデビュー45周年コンサート」を開催。いよいよ50周年も視野に入ってきた。

「来年もし歌えてたら46周年ですからね。もうこの際、毎年周年にしようかなと思ってます(笑)。1年1年大切ですから!」