ラファエロの作品の中でもっともよく知られているのが、優美なマリアと愛くるしい幼児イエスを描いた聖母子像です。当時から「マドンナの画家」「聖母子像の画家」として有名でしたが、そこには二巨匠の影響が大きくありました。

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文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)

聖母子像に見る三巨匠の共通点と違い

 1504年、ラファエロはルネサンス文化が花開くフィレンツェに居を移します。1508年にローマに移るまでの4年間という短い期間でしたが、同時期にのちにルネサンスの三巨匠と呼ばれる3人がフィレンツェにいたのです。

 ラファエロがこの地で描いた「聖母子像」は大人気になりますが、その絵にはレオナルドとミケランジェロそれぞれの影響を強く受けていることがよくわかります。

 ラファエロの聖母子像で評価が高い点は、人物たちを三角形として描く「三角形構図」です。《牧場(まきば)の聖母》(1506年)、《ひわの聖母》(1506-07年頃)、《美しき女庭師》(1507年)という3作品にはいずれも、聖母マリア、キリスト、のちにキリストに洗礼を授けることになる幼いヨハネという3人が描かれています。

 これらの絵は聖母の頭部を頂点とする完成された三角形構図を用いた、ラファエロの代表作です。当時はマリア、キリスト、ヨハネという3人を一緒に描いたものに人気があり、ラファエロはこの3人を三角形のかたまりとして描きました。

 この三角形構図はレオナルドの消失してしまった《聖アンナと聖母子》から学んだとされています。1501年に公開されると、行列ができるほど人気になりました。

 ルーヴル美術館が所有する《聖アンナと聖母子》(1502-16年)とよく似た作品だと伝わっていて、母である聖アンナの膝に座っているマリアがくの字型に体を曲げて幼児イエスに手を伸ばすという、動きがある3人を描いているにもかかわらず、全体が均整の取れた三角形になっているという構図でした。3人を安定した三角形にするというこの新しい構図を、ラファエロはすぐに取り入れました。

 とくに《牧場の聖母》では、指摘されるまで気がつかないかもしれませんが、マリアの足が右にグーっと伸び、その足が長過ぎて、解剖学的な肉体としてはありえない表現になっています。これは三角形をつくりたいがために不自然な表現になっているのです。

 これも同じように、マリアが不自然に足を伸ばしているレオナルドの《聖アンナと聖母子》を踏襲しています。後年のラファエロの作品では、もっと自然に整った三角形になっています。

 ラファエロの聖母子像にはいろいろなバリエーションがあります。マリアとキリストだけを描いた《ナデシコの聖母》(1507年頃)は、レオナルドの《ブノワの聖母》(1478-80年頃)と人物の配置や姿勢、仕草など、共通性が高いことがすぐにわかる作品です。

 また、《カニジャーニの聖家族》(1507-08年)は、ヨセフとエリザベツのふたりが加わって5人となっていますが、これもレオナルドから学んだ三角形構図になっています。そして体を捻っているヨセフの表現は、ミケランジェロの影響だといわれています。

 ラファエロがレオナルドから学んだのは、聖母子像だけではありません。第4回「ミケランジェロがメディチ家と教皇の無茶振りに耐え、生み出した傑作とは?」で少し触れた《マッダレーナ・ドーニ》(1506-07年)や、《一角獣貴婦人》(1505-06年)などの肖像画には、《モナ・リザ》の影響が色濃く見えます。《一角獣貴婦人》の背景の両端に柱が描かれていることから、《モナ・リザ》にもかつては柱があったのでは、とも推定されています。

 ミケランジェロの聖母子像には、《トンド・ドーニ》があります。この筋肉モリモリのマッチョで、しかも体を捻ってありえないような体勢をとっているマリアと、ラファエロの《キリストの遺骸の運搬》(1507年)のマリアを支える女性との類似性は第4回で紹介しました。意図的な構図とマッチョというミケランジェロの特徴も、のちの《アレクサンドリアの聖カタリナ》(1508年)、などの作品にラファエロは取り入れました。

 今で言うならパクリともとれますが、レオナルド、ミケランジェロを尊敬していたラファエロは気立てもよかったことから、二巨匠とはもめることなく、良好な関係でした。

ラファエロ独自の表現とは

 このようにレオナルドとミケランジェロの技巧や表現を巧みに取り入れたラファエロは、さらにそこに独自の表現を加えています。たとえば絵の背景です。レオナルドの聖母子像の代表作《岩窟の聖母》(1483–86年)は、《モナ・リザ》に見て取れるような神秘的なマリア、その背景は幻想的な洞窟という、とてもレオナルドらしい表現をしていますが、ここまでに紹介したラファエロの聖母子像はレオナルドの世界とは対象的で、太陽が燦々と降り注ぐトスカーナなど中部イタリアの風景が広がっています。

 ただ、若きラファエロの代表作のひとつといえる、トスカーナ大公フェルディナンド3世が肌身離さず持ち歩いていることからその名がついた《大公の聖母》(1504-05年頃)は、ラファエロにしては珍しく、背景を漆黒にした作品です。レオナルドの影響とも見られていましたが、近年の調査で後年に黒く塗られ、もともとは窓のある室内表現だったことがわかりました。

 また、ラファエロの聖母子像の最大の特徴は、レオナルドの神秘的な女性と違って、聖母マリアを現実にいるような女性として描いていることです。それでありながら、理想的な汚れのない美しいマリアとして描くという独自のスタイルを確立し、人気を博しました。

《牧場の聖母》のキリストは、十字架を持っています。さらに《ひわの聖母》でキリストが手を伸ばして撫でているひわという鳥は、磔刑の決まったキリストが茨の冠をつけられた際、額の棘を抜こうとしてキリストの血を浴びたため頭部に赤い斑点ができたとされる鳥です。

 これらは今後、キリストに降りかかる受難の象徴となっています。愛くるしい子供とそれを見守る美しく優しい母親としての聖母でありながら、我が子の今後の受難を悟っているかのような憂いを含んだ表情もラファエロの特徴的な表現で、今も人々を魅了しています。

 このように優れていると思った技法や表現をすぐに取り入れ、独自性を持たせたことは、ラファエロの才能の高さであり、大きな特徴です。

大人気作のモデルになった女性は?

 聖母子像の最後に、ラファエロがフィレンツェからローマに移ったあとの大人気作を紹介しましょう。

 1ページ目の《椅子の聖母》(1513-14年頃)はこれまでの聖母子像とは異なり、全体に世俗的な印象も感じますが、ラファエロの才能がよく発揮されている作品です。聖母の姿勢は肉体描写としては不自然であるにもかかわらず、3人のポーズや衣服の色彩、黒い背景など、円形の画面が最大限に生かされています。愛くるしいキリストと美しいマリアの視線が見るものに向けられていることで、作品の印象を効果的に深くしています。

 同じ頃に第6回「 三巨匠の中で最も影薄?ラファエロ、実はルネサンスを象徴する大芸術家だった」で紹介した祭壇画《サン・シストの聖母》(1513年頃)を描いています。左にいる男性がユリウス2世、左下に描かれているのが教皇のかぶる帽子ということから、ユリウス2世を弔うための絵だということがわかります。

 右にいるのがバルバラという殉教聖人で、塔に閉じ込められたことから、後ろに小さく塔が描かれています。カーテン状の幕や、画枠から見ているようなふたりの天使だまし絵的効果など、高度な技法を使っている作品です。

 この《サン・シストの聖母》と《椅子の聖母》のマリアのモデルと言われている女性がいます。ラファエロをリスペクトしていたアングルの《ラファエロとフォルナリーナ》(1814年)を見てください。このフォルナリーナという女性は、ラファエロの愛人だったとされる女性です。

 アングルの絵では、ラファエロの膝にのっているフォルナリーナのほか、カンヴァスには描きかけの《ラ・フォルナリーナ》(1518–19年頃)、その後ろの壁には、彼女をモデルにしたとされる《椅子の聖母》が見えます。《ラ・フォルナリーナ》の女性の腕輪には「RAPHAEL VRBINAS(ウルビーノのラファエロ)」と書いてあります。胸に手を当てるポーズは花嫁を描く際に用いられることが多いことから、ラファエロが自分の女性だと宣言しているとも読み取れますが、フォルナリーナはパン屋の娘という意味もあります。恋人もしくは娼婦だったという説があります。

 ルネサンスの三巨匠は全員、独身を通しました。レオナルドとミケランジェロはホモセクシャルでしたが、美男子で優雅な物腰、さらに知性的だったというラファエロは、女性にモテモテでいろいろな女性と付き合ったことで知られています。のちに教皇レオ10世に枢機卿に取り立てられたビッビエーナ枢機卿の姪マリアと婚約しましたが、結婚を待たずマリアは急死してしまいます。

「美術史家の父」と呼ばれる『美術家列伝』の著者ヴァザーリは、ラファエロが美しい女性を生み出すことができたのは、とにかく多くの女性と関係を持ったからだと書いています。ラファエロ自身も「女性を描くためには女性を知らなければならない」と言っています。そのためからか、現実にいるような美しい女性像は、いろいろな女性の理想形が組み合わされた女性像だと考えられます。

 聖母マリアというと、多くの人がラファエロのマリア像に近いイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。美しいマリア像はラファエロが多くの女性と接したことから誕生したのだとしたら、致し方ないかもしれません。

参考文献
『もっと知りたい ラファエッロ 生涯と作品』池上英洋/著(東京美術)
ラファエロ−ルネサンスの天才芸術家』深田麻里亜/著(中公新書) 
ルネサンス 三巨匠の物語』池上英洋/著(光文社新書)
ルネサンス 天才の素顔』池上英洋/著(美術出版社)
『名画への旅 第7巻 モナ・リザは見た 盛期ルネサンス1』木村重信・高階秀爾・樺山紘一/監修(講談社)他

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《椅子の聖母》1513-14年頃 油彩・板 径71cm ヴァチカン、ヴァチカン宮殿絵画館