過激でバイオレンス、官能的で独創性あふれる作品を発表し、鬼才、異端、変態…と様々な言葉で形容されるカナダの巨匠、デヴィッドクローネンバーグ監督。映画ファンに“困惑”という名の劇薬を注入してきた彼の最新作『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』が8月18日(金)より公開される。本作は人類が“痛み”を失った近未来が舞台で、ヴィゴ・モーテンセン演じる“加速進化症候群”の芸術家ソールが主人公。新たな臓器を体内に生みだすことができるソールは、その臓器を公開手術で取り出すというパフォーマンスで人気を博していた。そんな彼のもとに、生前プラスチックを食べていた少年の遺体が運び込まれる。

【写真を見る】『スキャナーズ』より、有名な頭爆発シーン!

話題作から往年の名作、オリジナルの映画&海外ドラマまで配信するAmazon Prime Videoチャンネル「スターチャンネルEX」では、本作の公開を記念してクローネンバーグの特集企画を実施。現在配信中の『シーバース/人喰い生物の島』(75)、『ザ・ブルード/怒りのメタファー』(79)、『ファイヤーボール』(79)、『戦慄の絆』(88)、『裸のランチ[4Kレストア版]』(91)、『危険なメソッド』(11)を、クローネンバーグ作品を形作る6つの要素から紹介していきたい。

■【1】抑制された暴力衝動の解放

クローネンバーグといえば、『ザ・フライ』(86)などに代表される肉体の崩壊や変容による恐怖を描いた“ボディホラー”の作品が有名。一方で、彼自身は人間の内面に強い興味を抱いており、そこに潜む狂気や精神の限界点も題材にしている。実験的な中編『ステレオ/均衡の遺失』(69)、『クライム・オブ・ザ・フューチャー 未来犯罪の確立』(69)に続く劇場映画デビュー作『シーバース/人喰い生物の島』もまた、人間の理性のタガが外れてしまうことによる性衝動の暴走を描いた意欲作だ。

モントリオール郊外の島に建設された高級マンションを含む複合施設を舞台に、人間から性欲の抑制を排除してしまう寄生虫によるパンデミックが展開。感染者が増え続ける様はゾンビ映画のようであり、内臓のようなグロテスクなビジュアルの寄生虫は『エイリアン』(79)に登場する肉食生物を思わせる。感染者たちがいたるところで狂ったように性欲をまき散らし、恍惚の表情を浮かべ向けてくる視線には「こっち側においでよ」と誘われているような感覚も。突飛な設定にも思われるが、知的になりすぎた現代人から原始的な本能を呼び覚ますため、媚薬と性病を組み合わせてこの寄生虫が開発されたという経緯が語られるなど、医学にも精通したクローネンバーグらしいインテリジェンスも感じさせる。

『ザ・ブルード/怒りのメタファー』も人間の心の闇に迫った作品。主人公のフランク(アート・ヒンデル)は精神障害を患い研究施設に入院している妻ノーラ(サマンサ・エッガー)と、5歳の娘の親権を巡って争っている。ある日、妻の元から戻って来た娘にアザやひっかき傷があるのを発見し、ノーラによる虐待を疑うのだが、フランクの周囲では小人のような奇妙なクリーチャーによる殺人事件も発生し始め、さらなる混乱に陥っていく。本作はクローネンバーグが妻と離婚したあとに製作されており、その際の負の感情が崩壊していく夫婦関係やクリーチャーによる惨劇という形で映像化されていると思われる。

クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』では人々が痛みを感じなくなったことで、ある種の安全ストッパーのようなものが取り払われている。より過激なものを追い求め、自らの身体を傷つけるアート・パフォーマンスがブームに。主人公ソールによる公開手術や刃物で顔や手足に切り傷を付けていく様子に大勢が熱狂しており、人間が持つ本能的な暴力性をあぶり出すクローネンバーグの作家性はここでも一貫している。

■【2】テクノロジーへの興味と独創的なガジェット

クローネンバーグがレース映画を撮っていたなんて!?そんな意外性に迎えられるのが『ファイヤーボール』。ドラッグレースという400mほどの直線コースを2台のレーシングカーが競い合うアメリカ発祥のモータースポーツが題材になっている。オイルメーカーがスポンサーのチームに所属するベテランのスターレーサー、ロニー(ウィリアム・スミス)は、金儲け主義の企業担当者と対立し、チームを追われてしまう。しかし、仲の良いエンジニアや自身を慕う新人と新たなチームを結成し、かつての雇い主と組んだ敵対チームによる妨害行為にもめげず、再び表舞台に戻るために奮闘していく。

全編を通して底抜けに明るく、閉鎖的な空間で展開する物語が多いクローネンバーグ作品のなかにおいては比較的珍しい、ロードムービー的要素も持ったB級テイストな作品。一方で、レーシングカーのボディやエンジンの細部を舐め回すように映しだす映像には、車好きで知られるクローネンバーグのこだわりや趣向も見て取れる。クライマックスでは、事故によってレーシングカーが黒煙を上げながら燃え上がるシーンもあるなど、自動車事故に性的興奮を覚える人々を描いた問題作クラッシュ』(96)と対比してみるのも興味深い。クローネンバーグはテクノロジーへの感心も強く、『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』には身体の機能を補助する“ライフ・フォーム・ウェア”や手術器具の“サーク解剖モジュール”といった未来的なガジェットも登場しており、こだわりがつまった美術造形にも注目だ。

■【3】進化する人類と監視社会

前述の「スターチャンネルEX」では配信外だが、「BS10 スターチャンネル」で8月放送の、クローネンバーグの名前が世に知れわたるきっかけになった『スキャナーズ』(81)も取り上げたい。劇中での超能力者たち“スキャナー”は、テレパシーによって対象者の精神に入り込み、その身体機能をコントロールしてしまう。人体に異常をもたらしたり、幻覚を見せたり、さらにはコンピュータ遠隔操作することも可能などその能力は多岐にわたる。社会に適合できず浮浪者として生きるベイル(スティーヴン・ラック)は、ショッピングモールで自身に嫌悪の視線を向ける女性を意図せず能力で攻撃してしまい、スキャナーの研究を行っている警備保障会社「コンセック」に捕縛されてしまう。施設の主任を務めるルース博士(パトリック・マクグーハン)と面会したベイルは、世界征服を企てているスキャナーたちによる地下組織の存在を聞かされ、組織を率いる凄腕の能力者、レボック(マイケルアイアンサイド)を殺害することを要請されるのだった。

本作といえば、「コンセック」の公開実験に潜入したレボックが、彼にスキャンを試みる能力者の頭を爆発させてしまうシーンがあまりにも有名。超能力者たちによるサイキックバトルは、派手な物理的アクションではなく、互いにテレパシーを送り合うことで内側から体を破壊するというもの。その特殊メイクや映像表現は絶賛され、後世の作品にも影響を与えている。特に終盤のベイルとレボックの対決では、顔や体の皮膚が裂け、血が噴き出し、眼球が破裂、発火するという壮絶なものになっている。

このような異能力の要素は、『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』では環境汚染に人体が適応するという形で表れている。プラスチックのような有害な物質を食物に換えてしまう人々が登場。これを危険視し、コントロールしようとする政府と、進化した人類たちによって組織されたグループとの攻防が描かれている。

■【4】知識豊富なクローネンバーグだからこその“刺激的な医学”

医学の知識も豊富なクローネンバーグが医療現場を舞台にしたサスペンスが『戦慄の絆』。双子の産婦人科医がそろって診療室で死亡していたという実話に着想を得ており、一卵性双生児の医師をジェレミーアイアンズが一人二役で演じている。トロントで産婦人科医を開業しているエリオットとビヴァリーのマントル兄弟。兄エリオットは社交的だが弟のビヴァリーは内向的な努力家で、それぞれの得意分野で協力しながら医学界での名声を獲得し、女性との関係も2人でシェアしていた。しかし、そんな完璧な均衡は一人の女性によって崩れ去る。マントル診療所を人気女優のクレア(ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド)が訪れ、ビヴァリーは本気の恋に落ちるのだが、エリオットも弟を装って彼女と関係を持っていたのだ。そのことを知ったビヴァリーは生まれて初めて、兄に対する反発の感情を抱いていく。

上手く機能していたものが、異質なものの介入によって壊れていく展開はこれまでのクローネンバーグ作品にも通じるところで、アイデンティティを失い、しだいに正気を保てなくなっていくビヴァリーが痛々しい。そんな弟を突き放すのではなく、保身のためもあるかもしれないが、献身性を見せる兄エリオットの姿からはひと筋縄ではいかない複雑な兄弟の愛憎も感じられる。また、劇中にはビヴァリーの悪夢として、エリオットとつながっていた腹部から生えている管が、クレアによって噛み千切られるシーンもあり、科学者とハエが“融合”してしまう『ザ・フライ』とは異なり、双子の精神的な“分裂”を描いているのもおもしろいところ。深紅の手術着、昆虫の足のように鋭いオリジナルの手術道具も登場しており、全編に漂う禍々しさも『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』に共通する。

■【5】一度では理解できない複雑さと奥深さ

クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』では進化の途上にいる人々を政府がなんとか管理下に置きたいと考え、プラスチックを食べていた少年の遺体を巡って、ソールは地下組織との接触を政府の人間から指示される。これが本作の軸となるストーリーだが、専門的な用語や設定も多く、一度観ただけではすべてを理解しきれない奥深さ、ミステリアスさに満ちている。

そういったクローネンバーグ作品の複雑さの代表格と言えるのが、1950年代にアメリカで巻き起こったビート・ジェネレーションを象徴する作家の一人、ウィリアム・S・バロウズの同名小説を映画化した『裸のランチ』(「スターチャンネルEX」では4Kレストア版が配信中)だ。害虫駆除をしている小説家志望のビル・リー(ピーター・ウェラー)は妻を“ウィリアム・テルごっこ(相手の頭上に乗せた物=本作ではグラスを銃でねらい撃つ遊び)”で誤って殺してしまい、警察から追われる身に。奇怪なクリーチャー、マグワンプと出会い、インターゾーンと呼ばれる謎の街に身を隠したリーは、そこでタイプライターで報告書を書き続けるというスパイ活動を行うことになる。

両親の影響でクローネンバーグは幼いころから数多くの書物に触れ、自身も作家を志していたがその道を諦めて映画監督になったという。バロウズはそんな彼がかねてより敬愛していた作家であり、この作品で悲願を叶えることとなった。原作は映像化不可能と言われる難解なストーリーで、映画自体も複雑かつ、バロウズの半生も盛り込むなど容易には理解できない構成になっている。あえて解釈するなら、主人公のリーは作家になるという望みどおりの人生を送ることができておらず、インターゾーンはいわば彼の現実逃避のような場所として捉えることもできる。そこでは巨大なゴキブリに変身するタイプライターを使って文章を書き続け、またタイプライターを巡る争いも繰り広げられるなど、作家が創作意欲をはぐくむ場所なのかもしれない(劇中でリーが書き上げた報告書が「裸のランチ」として出版されることが決定する)。『ザ・ブルード/怒りのメタファー』以降、『ロード・オブ・ザ・リング』(01)などでアカデミー賞作曲賞に輝いたハワード・ショアが、ほとんどのクローネンバーグ作品の音楽を担当しているが、本作で彼が試みたのはジャズサックス奏者のオーネット・コールマンも迎えた即興的な音楽が本作の世界観ともマッチしている。

■【6】盟友ヴィゴ・モーテンセンとの共鳴と実力派俳優たちによる競演

クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』で主演を務めるモーテンセン。クローネンバーグ作品には『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(05)で初めて出演し、『イースタン・プロミス』(07)、『危険なメソッド』に続いて本作が4度目のタッグとなる。また、モーテンセンの初監督作品『フォーリング 50年間の想い出』(20)にもクローネンバーグが肛門科医の役でカメオ出演するなど、お互いに優れたアーティストという共通点を持つからか共鳴する部分が多いようだ。

今回の特集には『危険なメソッド』がラインナップされているのだが、本作でモーテンセンが演じているのは高名な心理学者のジークムント・フロイト博士。物語は若き精神科医のカール・グスタフ・ユング(マイケル・ファスベンダー)が勤める病院に、重度のヒステリーを患ったロシアユダヤ人のザビーナ・シュピールライン(キーラ・ナイトレイ)が運び込まれるところから始まる。ユングフロイトが提唱する“談話療法”を試みたことで、ザビーナが抱えるトラウマが明らかになるなど症状は改善されるのだが、治療のなかで彼女に魅了され始め、やがて妻子がいる身ながら一線を越えてしまう。一方、尊敬していたフロイトとの対面も果たし、彼と師弟関係のような絆も結ばれるのだが、ザビーナとの関係を巡って対立が起き、袂を分かつことに…。

心理学に関する高尚な会話劇が劇中で何度も交わされ、言っていることがわかるようでわからない、ハードルの高さも感じてしまうが、一番の見どころはモーテンセンとファスベンダー、ナイトレイによる演技合戦だろう。冒頭でのヒステリーに苦しむザビーナを、顔の形が変形するぐらいの全力投球で熱演するナイトレイには圧倒されてしまうはず。また、フロイトユングが初対面を果たすシーンでは、悪気はないものの不躾な言動を取る若干空気が読めないユングに対し、フロイトが微妙に顔をこわばらせて一瞬空気が凍りつくなど、結末を知ったうえで観返すと登場人物の微妙な心情の変化にも気づかされる。

モーテンセンはインタビューなどで、クローネンバーグの撮影現場における俳優たちへの細かい気配りをたびたび絶賛しており、そうした土台作りがあるからこそ、俳優たちも自由に役に入り込むことができるのかもしれない。『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』には、ソールのパートナー役でレア・セドゥ、2人に接触する政府の秘密機関「臓器登録所」の職員役でクリステン・スチュワートが出演しており、『危険なメソッド』とは異なる“三角関係”でどのような化学反応が起きているのか、こちらも注目したいポイントだ。

バイオレンスなホラー描写だけでなく、文学や医学、科学といった教養の深さを感じられるところもクローネンバーグ作品の魅力。そのおもしろさは鑑賞回数を重ねるごとに増していくので、配信で繰り返し観ることができる「スターチャンネルEX」での特集企画はファンとしても願ったり叶ったりだ。また、映画専門チャンネル「スターチャンネル」でも、『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』公開を記念して8月、9月と2か月連続で「鬼才デヴィッドクローネンバーグ特集」を放送。『ビデオドローム』(82)など「スターチャンネルEX」のラインナップにはない作品も視聴できるので、最新作『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』に向けても、その深淵なる世界を何度も咀嚼してほしい。

文/平尾嘉浩

ウィリアム・S・バロウズの小説が原作の『裸のランチ』などデヴィッド・クローネンバーグ作品を形成する“6つの要素”を解説/[c] Recorded Picture Company (Productions) Limited and Naked Lunch Productions Limited. 1991.