「ChatGPT」「Bard」などのいわゆる「生成AI(人工知能)」が話題となっています。これは学習データに基づき、比較的品質の高い文章や画像などを作成するのが特徴で、すでにビジネスシーンでも活用が進んでいます。

 一方、教育現場では、「学生の思考力低下」「情報漏えい」などを懸念し、生成AIの利用を制限しているケースがあるほか、生成AIに関する教育があまり行われていないのが現状です。

 こうした点について、事故防止や災害リスク軽減に関する心理的研究を行う、近畿大学生物理工学部・准教授の島崎敢さんが、危機感を示しています。

ガイドラインの利用基準が厳しい

 文部科学省7月4日、学校の宿題が出される夏休みに先立ち、「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」を発表しました。

 この中で文科省は、「生成AIが、どのような仕組みで動いているかという理解や、どのように学びに生かしていくかという視点、近い将来、使いこなすための力を意識的に育てていく姿勢は重要である」としながらも、「現時点では活用が有効な場面を検証しつつ、限定的な利用から始めることが適切である」としています。

 つまり、「いずれ使えるスキルは育てなければならないけど、今は慎重にいこう」ということのようです。

 私はガイドラインの原文を読みましたが、生成AIの現状や仕組み、懸念点がきちんと踏まえられており、生成AIを教育にどのように生かしていけばよいか、そのために必要なことは何かが書かれており、コンプライアンスもしっかり守られています。教育を統括する国の機関が出す文書として、極めて適切なガイドラインだと感じました。

 このように、国の文書としての適切さは申し分ないのですが、一方で、学校現場がどう受け取るかを想像してみると、この内容では「生成AIは教育現場で活用されないのではないか」とも思えます。

 例えば、ガイドラインの15ページには「各学校で生成AIを利用する際のチェックリスト」が記載され、全部で9項目が提示されています。このチェックリストも「適切」ではありますが、これをすべて満たすのは「不可能ではないが、相当困難」という印象を受けます。

 児童・生徒の保護者全員から同意を得る作業は大変な手間がかかるほか、1人でも「反対」する人がいれば生成AIを利用できません。

 また、ガイドラインの「ChatGPT(OpenAI社)は13歳以上、18歳未満の場合は保護者同意が必要」という、年齢制限や保護者同意の順守は客観的に評価できます。しかし、4項目目から8項目目にかけて、個人情報著作権などについて、「十分な指導を行っているか」という内容の表現があり、これらはどこまで指導したら「十分」と言えるかどうかの客観的な基準がありません。

 従って、どれだけ指導しても「不十分だ」と指摘される可能性があり、よほど自信のある勇敢な先生でなければ、「十分やりました」と宣言できません。

 先生方はとても忙しいため、どちらかといえば、「できれば新しいことはやりたくない」「やりたくても時間がなくてできない」というのが本音でしょう。

 このような先生にとって、このチェックリストは「生成AIを教育に利用しないこと」の言い訳に使うのに便利なのかもしれません。なぜなら、「わが校はまだガイドラインを守れていない。だから、生成AIは利用しない」という説明が成り立つからです。

 もちろん学校が生成AIの規約を守ることも、利用前に十分な指導をすることも必要です。一方で、「生成AI教育と利用」の関係は、「性教育と性行為」の関係と同じです。学校が子どもたちから生成AIを遠ざけても、子どもたちは生成AIをどこかでいつの間にか使ってしまう可能性があります。

 もしそうだとすれば、「規約が13歳以上だから、小学校では触れなくてよい」とは言ってはいられません。生成AIの特徴や注意点に関する教育は、座学でも可能です。幅広い年齢の子どもたちを対象に、すぐにでもこういった教育を始める必要があるのではないでしょうか。

 生成AIの教育を進めた方が良い理由はまだあります。生成AIは既に世の中に放たれてしまいました。そして、その力は、使える人と使えない人の格差を大きく広げてしまうほど絶大であるかもしれません。

 良しあしは別として、先述のように、使い始める人は規約など気にせずにどんどん使い、やがて使いこなせるようになっていきます。そして今後、「生成AIがある時代」を生きていく子どもたちは、将来いや応なくそういう人たちと同じ土俵で勝負しなければなりません。

「知識の賞味期限」が早まる

人工知能(AI)」が人類の知能を超える転換点、または、それにより人間の生活に大きな変化が起こるという概念を指す「シンギュラリティ」という概念の提唱者である、米国の発明家で実業家のレイ・カーツワイル氏は、シンギュラリティが起きる根拠として「収穫加速の法則」という考え方を挙げています。これは、ある発明が次の発明のために利用され、発明に必要な時間が加速度的に短くなっていくという考えです。

 例えば、さまざまな技術革新によって、コンピューターの性能が飛躍的に向上しなければ、生成AIは発明できなかったでしょう。そして、生成AIも、恐らく未来の発明を加速するのに使われていくはずです。つまり時代の流れは、未来に行くほど加速度的に速くなっていくのです。

 時代の流れがゆっくりで「知識の賞味期限」が何百年もあった大昔は、若い頃に覚えた知識で死ぬまで食べていくことができました。ところが、文明や科学の発展がどんどん早くなり、知識の賞味期限が40年を切るぐらいになってくると、若い頃に覚えた知識は、現役世代のうちに賞味期限切れを迎えます。

 現代の知識の賞味期限は、せいぜい20年ぐらいでしょうか。私が子どもの頃は、パソコンで仕事をする人など見たことがありませんでした。ところが、21世紀になると、マイクロソフトオフィスソフトが使えるのが当たり前になり、若い頃にパソコンの使い方を習ったことがない大人も、使い方を覚えることを余儀なくされました。

 それから20年ほどたちますが、その間にSNSやスマホ、機械学習など次々と新しいものが登場したほか、ネット上で商品や公共交通機関のチケットが購入できるようになるなど、生活環境が大きく変わりました。この間、私たちは次々と新しいことを覚えなければなりませんでした。

 そして、今度は生成AIの登場です。仕事の内容は激変し、わずか20年ほど前に普及したオフィスソフトを使えることなど、何の価値も持たない時代がくるのかもしれません。そして、知識の賞味期限は、今後ますます短くなる可能性があります。

 このような展開の早い時代を生きていくために必要なのは、石橋をたたいて渡るような態度ではありません。生成AIに限らず、新しいテクノロジーが登場したら、すぐに興味を持ち、実際に使ってみて、自分のためにどのように役立つかを考えられるメンタリティーが求められます。

「どうしようか悩んだ挙げ句、結局やらない」ではなく、「とりあえずやってみる」でなければ、これからの時代を生きるのは困難です。

 一方、学校はどちらかというと、これまでのやり方を踏襲したがる「石橋をたたいて渡る」組織です。

 例えば、全国の児童・生徒1人に1台のパソコンと高速ネットワークを整備するという文科省の「GIGAスクール構想」によって整備されたパソコン端末を十分に活用できていない学校はまだたくさんありますし、1960年代のテクノロジーである「シャープペンシル」ですら、いまだにほとんどの学校が、科学的エビデンスを提示しないまま使用を拒絶しています。

 学校が保守的なのは、先生方の責任というよりも組織の構造的な問題のような気がしますが、学校に対して「限定的な利用から始めることが適切」などと言っていると、教育における生成AIの利用は、想定よりも遥かに「限定的」になってしまうのではないかと、私は心配でなりません。

 次回は、「生成AIは本当に思考力を奪うのか」について、考えてみたいと思います。

近畿大学生物理工学部准教授 島崎敢

学校で生成AI(人工知能)の活用が進まない理由は?