北朝鮮当局は、公式に定められた市場ではなく、その周囲の路上や裏道で露店を開く「イナゴ商人」を目の敵にして、取り締まりを行ってきた。表向きは「美観上の問題」や「社会主義にそぐわない」といった理由を掲げているが、実際のところ地方当局の重要な税収である「市場管理料」(ショバ代)を取りはぐれるからだ。取り締まりはコロナ禍においてさらに強化された。

市場管理料を払うほどの儲けのない脆弱階層であるイナゴ商人は、丸一日の儲けが1000北朝鮮ウォン(約17円)にもならないのに取り締まりのターゲットにされ、品物を奪われたり、暴力を振るわれたりする。

デイリーNKは、咸鏡北道(ハムギョンブクト)と両江道(リャンガンド)の路上で商売をしているイナゴ商人とのインタビューを行い、生活の苦しさ、取り締まりの厳しさやそれに対する怒りについて質問した。

Q.取り締まりの状況は?

咸鏡北道の野菜売りAさん:コロナ前には中央党(朝鮮労働党中央委員会)から取り締まり班が来るなどの特別なケースでなければ、どうにか当局の目を避けて食べていけた。しかし、最近の取締官は目を光らせて毎日のように取り締まりにやってくる。

懐が寒く、儲けもなければ飢えるしかない。品物を売らなければ儲けが出ないのに、毎日取り締まりに追われて商売ができず、損ばかりしている。口にクモの巣が張るほどだ。自分たちにできるのは「いっそのこと殺せ」と取締官に突っかかることくらいだ。取締官と喧嘩しない日は1日たりともない。

両江道の餅売りBさん:国は何も(配給を)くれないのに、飽きもせず取り締まりを強化している。カネがなくて市場に入れず、道端で商売するしかない人々は犯罪者扱いされる。皆が(取り締まりに来た)安全員(警察官)に「血も涙もない連中め」と罵詈雑言を浴びせている。

生きていくために毎日、3歳の子どもを背負って1時間歩いて市内中心部まで行く。しかし、風呂敷を開く前に取締官がやって来て、帰れと言われる。他の場所に移って風呂敷を開こうとすると、また取締官がやってくる。カンカン照りの中で子どもを背負ってあちこちさまよい歩く自分は、どうやって生きていけばいいのかと思う。そんな思いが爆発し、安全員と喧嘩を繰り返す日々だ。

Q. 1日の儲けは?

Aさん:1日に3000北朝鮮ウォン(約51円)以上稼いでようやくトウモロコシ粥が食べられるが、500北朝鮮ウォン(8.5円)稼ぐのも難しい。

Bさん:1カ月に20万北朝鮮ウォン(約3400円)ほど稼げれば、雑穀飯でも食べて生きていけるが、1日の儲けが1000北朝鮮ウォン(約17円)を上回る日が1カ月に5日ほどしかない。取り締まりのせいで商売がさらに難しくなり、粥をすするのも難しい。

Q.最近の暮らしは?

Aさん:コロナ以降、すべての人の暮らしが悪化した。その中でも、道端で商売してその日暮らしをしている人々の暮らしがさらに苦しくなった。取り締まりのせいで、死ぬこともできずなんとか苦しい日々をしのいでいる。取り締まりが続いたとしても、なんとかして稼がなければ、水すら飲めない。

Bさん:米屋は3〜4日、ツケでコメを買うと、それ以上は売ってくれなくなる。1日に1000北朝鮮ウォン稼いでも、トウモロコシ300グラムしか買えないが、そんな日ですら指で数えるほどしかない。カネもなくツケも効かないなら飢えるしかない。

うちの町内は元々貧しい人が多いが、今は老いも若きも皆が生活が苦しくなった。ろくに食べられず、顔がむくれて、骨に筋しか残っていないような人もいる。このままでは大量餓死するのではないかと恐ろしくなることもある。前から豊かだった人は今でもいい暮らしをしていて、中間層はなんとかコメを食べられるが、自分たちのような(貧しい)人たちは、商売も思うようにできず、お先真っ暗だ。

こうして、毎日のように取り締まりと抗議が繰り返されていれば、ちょっとしたことがきっかけとなり、大規模な抗議活動に発展し、暴動につながる可能性も排除できない。

2012年には、黄海南道(ファンヘナムド)海州(ヘジュ)で、安全員がコチェビ(ストリートチルドレン)を殴り殺したことに怒った商人や通行人が暴動を起こし、安全員2人が死亡、暴動の首謀者は銃殺刑にされるという事件が起きている。

当局が、そんな不安要素を抑えるのは簡単だ。自由に商売ができるようにするだけで良いのだ。

北朝鮮・恵山の市場近くで警察の動きを警戒する商人たち(デイリーNK)