有人実用機としての世界最速記録をもつSR-71戦略偵察機。同機が実用化できたのはP&W社がマッハ3クラスを出せる実用エンジンを開発できたからこそ。ただ、その構造は特殊でした。

海軍の依頼で開発 興味失われたところでCIAへ

名機とされる航空機には、必ずと言ってよいほど優秀なエンジンが搭載されています。そのような因果関係が生まれるひとつの要因に挙げられるのが、新型機の開発に際してまず最初に搭載エンジンを決め、そのエンジンに合わせるように機体を設計する手法が採られる場合があるからです。

「世界最速の有人機」として知られるロッキードSR-71偵察機も同様で、マッハ3の飛行を実現するために開発されたプラット・アンド・ホイットニー(以下P&W)J58エンジンの使用を前提に開発が始まりました。

音速、すなわちマッハ1はおよそ1062km/h(高度2万m以上の場合)です。ゆえにマッハ3を時速に直すと約3190km/h(同)になります。ここまで速い飛行速度を目指して最初に研究を始めたのはアメリカ海軍でした。

1950年代、P&Wでは海軍の依頼を受けて高度8万フィート(約2万4000m)でマッハ3の飛行を可能にするジェットエンジンの研究を行っていました。ただ、研究が進むにつれ実用化には多額の費用が必要と判ると、海軍は興味を失います。アメリカ海軍としては、艦船の建造予算を削ってまでマッハ3級の航空機を開発する理由がなかったからです。

しかし、ちょうどその頃、打ち切り寸前のプロジェクトに救世主が現れました。それはCIA(アメリカ中央情報局)です。

きっかけは、1960年5月1日にソ連(現ロシア)上空でフランシス・ゲーリー・パワーズ操縦士が乗るU-2偵察機が撃墜された「U-2撃墜事件」でした。この事件により、ソ連上空はいかなる高度であってもミサイルによって迎撃される恐れがあることが明らかになりました。

そこでCIAが目を付けたのがP&Wで行われていたマッハ3を目指したエンジン開発でした。CIAは高高度をマッハ3というとてつもない速さで飛べば、ソ連戦闘機地対空ミサイルによる迎撃を回避するができると考えたのです。

燃料すら冷却剤として使用

ただ、高度2万4000mをマッハ3超の速度で巡航可能なジェットエンジンの開発に立ちはだかったのは熱の問題でした。完成したJ58エンジンは多くの独創的なメカニズムが搭載されていましたが、その多くは高温における安定した動作のためでした。

マッハ3で巡航する時のエンジン吸気温度はおよそ430度。この高温に耐えられるよう、エンジン本体は一部がチタニウム製で、大部分はインコネルなどの鉄・ニッケル系の耐熱合金で作られています。エンジンは熱膨脹すると常温時に比べ、長さで15cm、直径で6.3cmも大きくなるため、対策は重要でした。タービンブレードは材料の結晶方向を均一にすることで、熱や遠心力が加わった状態においても形状の変化を規定値内に収めています。

燃料制御装置には電子回路を内蔵した機器が使用されることが一般的ですが、当時は半導体集積回路(IC)の登場前で、しかも高温に耐えられるような電子機器はありませんでした。そのため、気圧や温度などをメカニカルなセンサーで計測して、その数値を基にカムやバルブを巧みに動かすことで流量制御を行う燃料制御装置が開発されました。

また高温環境下においてもエンジンが問題なく作動するよう、潤滑油も400度までは安定性を保つ特別な合成油が使用されていましたが、この潤滑油を冷却するために採られた方法は、「燃料を冷媒として使用する」ことでした。

高温のベアリングから出てきた潤滑油は、タンクから供給される燃料により200度まで冷やされて再びエンジンを循環する構造となっていました。このとき燃料自体も高温になるため燃料はJ58エンジン専用の「JP7」とよばれる特殊な燃料が使用されました。ちなみに、JP7は高純度のケロシンが主成分のため、常温では揮発成分が少なく着火しないという特徴を持っていました。

CIA向けA-12を基にYF-12とSR-71の2機種も開発

このJ58エンジンの構造上における大きな特徴は、特殊なバイパス機構を採用していたことです。ファンを持たない単軸のターボジェットエンジンではあるものの、圧縮空気の一部が抜き取られ、燃焼室を迂回(バイパス)してアフターバーナー部へ導かれています。なお、このバイパス機構は超音速飛行時のみ機能するようになっていたそうです。

なお超音速飛行時にはアフターバーナーが常用されるため、J58エンジンはアフターバーナーの連続使用が可能な最初のエンジンでした。

このJ58エンジンを搭載して最初にCIAが開発した機体がA-12とよばれる単座機でした。同機は12機の偵察機型と1機の複座練習機型が作られています。次にアメリカ空軍向けとして開発されたのが、A-12を複座にした戦闘機型YF-12と戦略偵察機SR-71でした。ただ、戦闘機型YF-12は採用されず、部隊配備はSR-71のみに留まりました。

こうして3種類の機体が作られましたが、どの型も円錐形の「スパイク」と呼ばれる空気取り入れ口が外観上の大きな特徴になっています。この円錐形のスパイクマッハ1.6になると後退が始まり空気取り入れ口の内部へ位置が移動します。これは空気取り入れ口の喉にあたる部分の形状と組み合わせることで圧縮効果を得るためです。

このメカニズムはSR-71などJ58エンジン搭載機のもうひとつの特徴で、これによりマッハ3.2の連続飛行を可能にしていました。

マッハ3.4出せるか挑戦! その結果は?

円錐形のスパイクは最初の圧縮を行う重要な役割を果たしますが、速度がマッハ3.4に到達するとスパイクで発生する衝撃波を飲み込んでしまうため気流が乱れエンジンが停止してしまいます。これにより、諸説あったSR-71の最大速度はマッハ3.3であったことが明らかになっています。

なかには、実際にSR-71の最大速度を無許可で試したパイロットもいたそう。そのパイロットはミッションからの帰投時にフルスロットルでどこまで加速するか試したところ、速度がマッハ3.3を超え3.4に達したところでエンジンが2基とも停止してしまったといいます。ここでパイロットはマニュアルに従いエンジンの再始動操作を冷静に実施、幸いエンジンが左右両方とも再始動したことで、無事に基地への帰投を果たしています。

なお、SR-71にはコックピット・ボイス・レコーダー、フライト・データー・レコーダーをはじめ、パイロットの心拍数など10以上の記録装置が搭載され、200以上のパラメーターが3秒毎に記録されていました。当然、前出のマッハ3.4にチャレンジした飛行に関しても、その際に起きたエンジン停止や各種データについて詳細に記録されていたため、飛行計画にない無謀な飛行として着陸後には全てバレたというわけです。

こうして60年以上前に3200km/hオーバーで巡航する飛行機として開発されたSR-71は、一時、沖縄を拠点に運用されていたこともあります。四半世紀にわたった第一線での現役時代には敵地上空や紛争地帯上空を飛び続け、何度もミサイルや戦闘機による追尾を受けましたが、撃墜による損失ゼロという輝かしい記録を打ち立てています。

A-12、YF-12、そして SR-71の全てのJ58エンジン搭載機は多くが全米各地の航空博物館で展示されています。それらの博物館ではJ58エンジンも展示されています。アメリカ旅行をする機会があれば、ぜひ見学してみてはいかがでしょうか。航空技術の発展の一端に触れることができるかもしれません。

世界最速の実用航空機といわれるSR-71「ブラックバード」偵察機(画像:アメリカ空軍)。