鬼才、デヴィッドクローネンバーグ監督の最新作『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』(8月18日公開)。主演を務めるのは、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(05)、『イースタン・プロミス』(07)、『危険なメソッド』(11)と本作を含めて4度のタッグを重ねてきた実力派俳優のヴィゴ・モーテンセンだ。モーテンセンといえば、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作のアラゴルン役が有名だが、同作以降の現在に至るまで、ハリウッドのスター街道とは異なる独自の路線を突き進んでいる。本稿では、そのキャリアに大きな影響を与えたのがクローネンバーグの存在なのでは?という仮説に基づき、これまでの彼の活躍を振り返っていく。

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■「ロード・オブ・ザ・リング」三部作のアラゴルン役でブレイク!3度のオスカー候補にも

1958年10月20日生まれ、現在64歳のモーテンセン。大学ではスペイン文学と政治学を専攻し、卒業後に映画館に入り浸ってイングマール・ベルイマンアンドレイ・タルコフスキー、小津安二郎といった巨匠たちの作品に感銘を受けたことから俳優を志していく。舞台などで経験を積んだのち、ハリソン・フォード主演の『刑事ジョン・ブック 目撃者』(85)で本格的に映画デビュー。ショーン・ペンの初監督作『インディアンランナー』(91)で演じたPTSDを抱えるベトナム帰還兵役で注目を集め、ブライアン・デ・パルマの『カリートの道』(93)、リドリー・スコットの『G.I.ジェーン』(97)、名作サスペンス『ダイヤルMを廻せ!』(54)をリメイクした『ダイヤルM』(98)といった良作、話題作で出演を重ねてきたが、どちらかというと知る人ぞ知る俳優という位置に留まっていた。

そんなモーテンセンにとって大きな転換点となったのが「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのアラゴルン役だ。物語の舞台である“中つ国”が闇に覆われようとするなか、人々を率いる人間族の王の末裔という己の宿命に苦悩するキャラクターを体現。剣や弓、馬に乗ってのアクションも披露し、アラゴルンはシリーズ屈指の人気キャラクターとなった。その後、灼熱の砂漠で繰り広げられる長距離騎馬レースを題材にしたアドベンチャー『オーシャン・オブ・ファイヤー』(04)やスペインの歴史劇『アラトリステ』(06)、文明崩壊後の世界を描く『ザ・ロード』(09)などで主演を務めたほか、上記の『イースタン・プロミス』に加えて、『はじまりへの旅』(16)、『グリーンブック』(18)で3度の米アカデミー賞主演男優賞候補にも選ばれるなど世界的な俳優としてブレイク。これらの活躍によって熱烈な支持も獲得し、“北欧の至宝”と称されるデンマーク人俳優のマッツ・ミケルセンと共に“枯れ専二大巨頭”と、ある界隈では叫ばれているとか。昨年の第75回カンヌ国際映画祭ではモーテンセンとミケルセンのツーショットも実現しており、世界中のファンが悶絶したことだろう。

■アート系や欧州、南米のインディーズ作品で才覚を発揮!

輝かしいキャリアを持つ一方で、今日までのモーテンセンは独自の作品選びを貫いている。良心の呵責に苦悩するナチス党員を演じた『善き人』(08)や美しいギリシャの街を背景に殺人を犯した詐欺師の逃避行を描く『ギリシャに消えた嘘』(14)、ノーベル文学賞作家アルベールカミュの短編小説が原作の『涙するまで、生きる』(14)といったアート寄りの作品で才覚を発揮。一卵性双生児の兄弟を1人2役で演じたサスペンス『偽りの人生』(12)、行方不明となった娘を探す父親の旅路を幻想的なタッチで描く『約束の地』(14)などのアルゼンチン映画では主演のほかプロデューサーも務め、同地のクリエイターたちの作品づくりもあと押しした。

■初タッグ作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』でクローネンバーグの信頼に応える

このようなモーテンセンの活動には、元々持っていた創作に対する姿勢もあると思うが、クローネンバーグとの出会いも影響していると考えられるだろう。2人が初めてタッグを組んだのが『ヒストリー・オブ・バイオレンス』で、タイトルどおり“暴力”が作品のテーマになっている。物語冒頭、主人公のトム(モーテンセン)が経営するダイナーに2人組の強盗が押し入る。従業員や客に銃が向けられるなか、隙を見て銃を奪ったトムが強盗を殺害。瞬く間に彼は街のヒーローとなり、その光景を見守っていた観客も鮮やかな一連の動きに心のなかで拍手を送るに違いないが、映像内では肉体が破壊されて血を噴き出しながら横たわる死体も映しだされ、その無残さと共に「暴力には暴力で対処するしかないのか」「そこに正統性はあるのか」という根源的な疑問を投げかけている。

前作『スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする』(02)で興行的に失敗していたクローネンバーグは、大手スタジオの支援を受ける形で、自身にとって過去最大の3200万ドルをかけて本作を製作。そして、第58回カンヌ国際映画祭パルムドールの候補になるなど批評面でも絶賛されることとなった。トムは一見すると心優しいどこにでもいそうな家族を愛する男だが、件の事件をきっかけに内に秘めた暴力性が見え隠れし始める難しい役どころ。作品の中核となる彼を抑えた演技で演じ切ったモーテンセンに対し、クローネンバーグが大きな信頼を寄せたことは想像に難くない。

■徹底した役作りとリサーチが光った『イースタン・プロミス』『危険なメソッド

クローネンバーグは次作『イースタン・プロミス』にもモーテンセンを主演に起用する。タイトルの“イースタン・プロミス”とは、人身売買を生業とする東欧の犯罪組織のイギリスにおける売買契約を意味しており、モーテンセンはロンドンで暗躍するロシアン・マフィアの運転手ニコライ役で登場。役作りにおいて彼は、実際にロシアを何週間もかけて旅し、そこに暮らす人々と交流し、文化を吸収しながらロシア語だけでなく、ロシア語訛りの英語も習得したという。さらに、本作の重要なキーワードでもある“タトゥー”についてのリサーチも行い、ミステリアスなニコライの人物像を作り上げていった。

クローネンバーグは2作続けてモーテンセンを起用した理由の一つに、その並外れた語学センスを上げている。デンマーク人の父とアメリカ人の母を持ち、幼いころから親の仕事の関係でベネズエラアルゼンチンに渡ったほか、父の故郷であるデンマークで過ごしたこともあったそう。こういった環境のおかげか、スペイン語デンマーク語フランス語イタリア語など様々な言語を流暢に操ることができるのだという。そして、『イースタン・プロミス』で示したように、言葉だけでなく、歩き方や姿勢、振る舞いも含めて演じる役そのものになることができるからこそ、欧州や南米など国際的な作品に参加し続けられるのだろう。また、同作の終盤ではニコライがサウナでくつろいでいたところ、屈強な暴漢2人に襲われてしまう。ここでモーテンセンは全裸での生々しい大立ち回りを見せており、こういったタフなシーンに対応できるところにもクローネンバーグ作品との相性のよさが感じられる。

続く3作目『危険なメソッド』でもモーテンセンの徹底したリサーチと吸収力は圧巻だ。心理学者のジークムント・フロイトを演じるにあたり、現存する著作や書簡、手紙といったものまで読み込みながら役を構築。鼻にわずかな特殊メイクを施してはいるものの、マイケル・ファスベンダー扮する若き精神科医のカール・グスタフ・ユング心理学に関する意見を交わし合う様はまさにフロイト博士。筆跡なども完璧に模倣しており、劇中で何気なく手紙を書き綴るシーンは、オーディオコメンタリークローネンバーグに大絶賛されている。

■多彩なアーティストとしてクローネンバーグと共鳴!

俳優としての活躍がクローズアップされるモーテンセンだが、同時に詩人、カメラマン、画家としても活動している。『ダイヤルM』には彼が実際に描いたコラージュ作品が何枚も飾られており、『フォーリング 50年間の想い出』(20)で初めて監督を務めた際には(クローネンバーグもカメオ出演)、脚本や製作だけでなく、音楽も作曲するなどミュージシャンとしての一面も。2002年にはアート系の出版社パーシヴァル・プレスを設立し、モーテンセン自身も画集や詩集、写真集を発表している。

こういった多才さもまた、クローネンバーグを引きつける魅力のようで、最新作のために行われたオンラインインタビューでも「ヴィゴ・モーテンセンは真なる同僚であり、コラボレーターです」と評していた。クローネンバーグ自身、幼いころからかなりの読書家で、かつては作家を志し、医学やテクノロジーにも深い見識があることから、両者には高い次元で共鳴するところがあるのだろう。事実、モーテンセンからは演じる役や作品全体についての質問がいくつも挙がるようで、細かなディスカッションが行われるそうだ。『危険なメソッド』では、フロイトの葉巻の吸い方一つについて、メールで25回ほどのやり取りがあった。

■アーティストとしての在り方がリンクする『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』

そんな2人の新たなコラボレートが『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』で、進行し続ける環境破壊に適応するように、人類が“痛み”を生物構造的な変容によって克服した近未来が舞台の“アート・サスペンス”。モーテンセンは“加速進化症候群”のアーティスト、ソール・テンサーを演じており、その体内では新たな臓器が日々生みだされている。新たな臓器はパートナーのカプリース(レア・セドゥ)によって公開手術で切除され、その過激なパフォーマンスが人々の熱狂を集めている。一方、そのような状況を各国政府は危険視しており、人類が誤った進化をしないように監視体制を強めていた。そこへ、生前にプラスチックを食べていた少年の遺体を公開手術で解剖し、体内を公にさらしてほしいという依頼がソールのもとに舞い込む…。

進化と退化、切り刻まれる肉体などなど…。モーテンセンが出演してきた過去3作と比べると、よりクローネンバーグの作家性の原点に近いものに感じられる本作。これまでは登場人物たちの内面を繊細に表現してきたが、今回は身体機能の変化によって体が思うように動かないソールのつらさ、苦しさを声色やしゃべり方を工夫しながらSF的な設定を自然な形で体現している。

また劇中には、アーティストであるソールが悶えながら新しい臓器を生みだし、能力を失うことを不安視しているような描写も。そして、政府によって彼のパフォーマンスが監視され、一方で反体制的な活動にも用いられようとしている。芸術を生業とする人たち、芸術そのものの在り方について問う作品としても捉えることができ、その狭間に立つソールは、創作活動を探求してきたモーテンセン自身とも大きく重なるキャラクターなのかもしれない。

■モーテンセンが語るクローネンバーグへの信頼と友情

クローネンバーグについてモーテンセンはインタビューで、「長年の信頼関係があり、友人です。おもしろいと思うものも同じで、本作の脚本を読んだ時も笑いました」と語っている。やはり両者には強いつながりがあり、だからこそ、役や表現方法についても全力で模索することができるのだろう。

今後のヴィゴ・モーテンセンの待機作には、『約束の地』のリサンドロ・アロンソ監督と再び組んだ『Eureka』や監督2作目となる西部劇『The Dead Don't Hurt』がある。『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』を経た彼がいったいどのような進化と深化を見せるのか?その活躍からますます目が離せない!

文/平尾嘉浩

デヴィッド・クローネンバーグ監督とのコラボレートでひも解く、名優ヴィゴ・モーテンセンのキャリア/写真:SPLASH/アフロ