米軍の新型戦闘機開発への参加が有力と見られていた防衛大手ノースロップ・グラマンが、早々と不参加を表明しました。同国の戦闘機メーカーは、統合や淘汰を経て今やごくわずか。なぜ戦闘機開発は旨味がなくなってしまったのでしょうか。

アメリカの名門ノースロップ・グラマンの“イチ抜けた”宣言

アメリカを代表する防衛大手は、新型戦闘機の開発に手を出しませんでした。2023年7月23日、ノースロップ・グラマンのキャシー・J・ワーデンCEO(最高経営責任者)は、アメリカ空軍が現在運用しているF-15C/DとF-22A戦闘機を後継する次世代制空戦闘機計画(NGAD:Next Generation Air Dominance)に、同社が元請け業者として参加しない意向を明らかにしました。

ノースロップ・グラマンは、1000機以上が生産され東南アジア諸国などに広く採用されたF-5 A~D「フリーダムファイター」となどの戦闘機を開発したノースロップが、映画「トップガン」シリーズでおなじみのF-14「トムキャット」などの戦闘機を開発したグラマンを買収する形で1994年に誕生した企業です。

ノースロップ・グラマンとなってからの同社は、B-2爆撃機のような大型の航空機やミサイル、戦闘システムに強味を見せる企業となっており、戦闘機の開発は行っていません。その一方で現在もF-35戦闘機の中央胴体の製造を手がけているほか、買収により子会社化したスケール・コンポジッツと同社で、有人戦闘機と行動をともにする無人戦闘機「モデル437」などの小型機の開発も手がけていることから、NGADを開発する元請け業者として名乗りを上げる可能性が高いと目されていました。

ワーデンCEOはNGADについて、各種システムの開発や生産を手がけるサプライヤーとして参加したいと述べています。またアメリカ海軍F/A-18E/Fスーパーホーネット」を後継する戦闘機F/A-XX」については、同海軍から正式なRFP(提案要求書)が発出されるまで、会社の方針を明らかにしないとも述べています。

このため前に述べたワーデンCEOの発言をもって、ノースロップ・グラマン戦闘機メーカーではなくなったというわけではありませんが、少なくともNGADの元請け業者の選定は、現在アメリカで元請け業者として戦闘機の開発と製造を手がけているロッキード・マーティンボーイング一騎打ちで決まると見てよいでしょう。

思えば冷戦時代のアメリカにはノースロップとグラマンボーイングロッキード・マーティンの前身であるロッキードの他にも、戦闘機の開発と製造に元請け業者として参加できる企業が複数存在していました。では、これらの企業はどこへ行ってしまったのでしょうか。

あの“名機”たちのメーカーはどうなった

ウクライナへの供与問題で話題となっているF-16戦闘機や、日本とF-2戦闘機を共同開発したジェネラル・ダイナミクスは現在も企業として存続しています。同社は依然として防衛大手であり続けていますが、軍用機事業部門は1992年ロッキードへ売却しており、戦闘機の開発と製造を手がける元請け業者ではなくなっています。

ちなみにロッキードはジェネラル・ダイナミクスの買収から3年後の1995年、主にミサイルの開発と製造を手がけていたマーティン・マリエッタと合併して、現在のロッキード・マーティンとなっています。

もともとジェネラル・ダイナミクスは、F-102「デルタダガー」や発展改良型であるF-106デルタダート」の開発と製造を手がけたコンベアと、カナダの航空機メーカーだったカナデアが合併して1952年に誕生した企業です。コンベアはジェネラル・ダイナミクスの誕生後もコンベア事業部門として存続しましたが、民間旅客機の販売不振などにより1965年にコンベア事業部門を終了しています。

F-105サンダーチーフ戦闘機の元請け業者であったリパブリック・アビエーションは、後にA-10サンダーボルトII」攻撃機などを世に送り出したフェアチャイルドの一部となりましたが、同社は経営不振で2002年に経営破綻しています。

第二次世界大戦で活躍したP-51マスタング」、航空自衛隊も導入したF-86セイバー」など、航空史に残る名戦闘機を生んだノースアメリカン・アビエーションは、現在はボーイングの一部となっています。

同社はF-86の後、世界初の超音速戦闘機であるF-100「スーパーセイバー」の開発でも存在感を示していましたが、その一方でF-107戦闘機など、採用に至らなかった軍用機の開発への投資が経営を圧迫。また第二次世界大戦後、親会社であったゼネラル・モータースとの関係が希薄になったことなどから、1960年代中盤には経営状況が悪化していました。

このため同社は1967年9月に、総合機械メーカーであるロックウェルと合併。さらに1973年ロックウェル・インターナショナルに社名変更したことで、名門ノースアメリカンの名は消滅してしまいました。

整理の対象となった軍用機部門、航空部門

ロックウェル・インターナショナルはアメリカ空軍のB-1爆撃機などを開発しましたが、航空宇宙部門がロックウェル全体の経営に必ずしもプラスにならないとの判断から、1996年8月には航空宇宙部門をボーイングへ売却しています。

1966年の導入から50年以上に渡って日本の空を守り続けたF-4「ファントムII」などのメーカーであるマクドネル・エアクラフトは、財務状態が悪化していた旅客機主体の航空機メーカーであったダグラス・エアクラフトを引き受ける形で1967年に合併し、マクドネル・ダグラスとなっています。

同社はF-15戦闘機などの軍用機では好調なセールスを記録していましたが、旅客機部門のセールス不振などから経営が立ち行かなくなり、アメリカ政府の仲介により、ボーイングへ吸収合併されました。

冷戦時代これほど多くの戦闘機メーカーがあったにもかかわらず、合併や部門売却などで次々と姿を消していった最大の理由は、戦闘機の高性能化に伴う開発・製造コストの高騰で、ビジネスとしての旨味が失われていることにあります。

公平な競争を重んじるアメリカで、戦闘機メーカーが1社になってしまうことはないと筆者(竹内 修:軍事ジャーナリスト)は思います。しかし、航空史に名を残す戦闘機を手がけてきたノースロップとグラマンの後身であるノースロップ・グラマンがNGADの元請け業者とならないことを早々に表明したあたりにも、21世紀に戦闘機メーカーとして生き残っていくことがいかに困難であるかが、如実に現れているようにも思えます。

これまでノースロップ・グラマンが公開していた第6世代戦闘機のイメージ(画像:ノースロップ・グラマン)。