今、イノベーションが求められている。しかし、「言うは易く、行うは難し」の代表格といえるのが、このイノベーションという言葉だろう。多くの企業が希求してやまないイノベーションを実現するための思考法として注目されるのが、本連載のテーマである「10X思考(テンエックス思考)」である。10X思考はGoogleで生まれた。DXにより、「旧来の延長線上にある成長」から「異次元の成長」、つまり「110%の成長」ではなく「10倍の成長」をもたらす思考法のことだ。

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 本連載では、マッキンゼーとBCGという世界の2大コンサルティングファームで活躍してきた現代の知の巨人、名和高司氏が満を持して上梓した新著桁違いの成長と深化をもたらす 10X思考』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)から一部を抜粋・再編集し、桁違いの成長をもたらす「10X思考」のエッセンスをお届けする。初回となる今回は、ロジカル・シンキングから、デザイン・シンキング、システム・シンキングまで、10X思考に至る思考法の変遷を辿る。

<連載ラインアップ>
■第1回 Googleに桁違いの成長をもたらした「10X思考」は何がすごいのか(本稿)
第2回 リクルートも実践する新市場創造の発想法「既・非・未(不)」とは何か
第3回 大流行のバックキャスティングに潜む「3つの落とし穴」
第4回 マイケル・ポーターが提唱する「バリュー・チェーン」の盲点とは
第5回 オープン・イノベーションの成功事例が驚くほど少ない理由
第6回 味の素が実証、PBR1倍割れを3倍に跳ね上げた「無形資産」重視経営の真価

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開かれた時空間

 先が見えない時代が続いている。「ニュー・ノーマル(新常態)」は「ノー・ノーマル(無常態)」だという、あきらめとも開き直りとも悟りともとれる声が、よく聞かれるようになった。少なくとも、語呂はなかなかノリがいい。一見、今風の「チャラい」生き方には、もってこいの時代感覚かもしれない。ただし、それだけでは、思考停止に陥ってしまう。

 人間は、唯一、未来を考えられる動物だと言われてきた。しかし、最近の進化認知学によると、動物も未来を考えているようだ。ただ、人間は動物より、はるかに多様な未来を想像できる。この想像力こそが、人間が、自然や社会との調和を意識しながら、自分たちらしい未来を切り拓く原動力であるはずだ。

 一方で、「定常経済」や「幸福社会」を標榜する声が、経済学や社会学から上がってきている。成長を常態と考えてきた20世紀型の資本主義は、すでに破綻している。持続可能な社会を目指すのであれば、ゼロ成長の中にこそ幸福を発見しなければならないと論じる。

 どうやら、成長と幸福をトレード・オフ(二律背反)として、捉えてしまっているようだ。こちらも今風の「デジタル」思考かもしれない。そしてそれは、「失われた(実は自ら失った)30年」という自虐的な現実から目をそむけるには、格好の思考法なのかもしれない。

 しかし、幸福度で5年連続トップのフィンランドでは、幸福と成長は両立している。1人当たりのGDPという旧来型指標で見ても、フィンランドは日本の1.4倍。しかも成長率は3%に近く、2%そこそこの日本を凌ぐ(いずれも2022年)。この傾向は、常に幸福度ランキングの上位を飾るデンマークスウェーデンなどの北欧諸国にも、共通している。

 成長をあきらめて、幸福を目指そうというのでは、「成熟という名の衰退」に歯止めがかからない。こちらも「二律背反」を「二項動態」に変換するという創発思考を、はなから放棄した逃避思考に陥っている。

 同じリベラルアーツでも、哲学や歴史学のほうが、はるかに深淵で、かつ示唆に富んでいる。哲学、たとえばポスト構造学は、「ずらし(差延)」によって、常に他者や未来との関係性を紡ぎ出し続けることができると説く。一方、歴史学は、歴史は繰り返しながら先に進むことを教える。ただし、それは円のような循環ではなく、螺旋のような立体に近い。

 このように思考の時空間を広げると、さまざまな未来が見えてくる。おそらくそこから、束の間の常態が生まれ、それを起点にさらなる未来が広がっていくはずだ。このように非線形で開かれた時空間(複雑系科学では「散逸構造」と呼ぶ)で捉え直すと、「ニュー・ノーマル」の本質が「プレ・ノーマル(未常態)」であることに気づく。すなわち、未来の日常は常に混沌とした現在から生まれ、かつ多様に開かれているのだ。

 しかも、受け身で待っているだけでは、いつまでたっても、その人ならではの未来はやってこない。非連続な未来のありたい姿(北極星)を夢想し、その志(パーパス)をより多くの他者と共有することで、共感の波を広げていく。進化生物学が教えるように、この「ゆらぎ・つなぎ・ずらし」の運動論が、生態系全体の共進化を生み出していくはずだ。

開かれた思考法

 本書は未来学の本ではない。そもそも未来学というのは、いかにも怪しげな学問である。ノストラダムス陰陽師を彷彿とさせかねない。ありたい未来を拓くのは、われわれ自身である。そのためには、それなりの方法論があることが望ましい。

 かつて未知の海に漕ぎ出した船は、北極星を捉える双眼鏡と、自らの位置を正確に捉えるコンパスを頼りに、海路を開いていったはずだ。私はそれを「遠近複眼」思考と呼んでいる、そして、そのときに役に立つのが、想像力と分析力、編集力と学習力だ。これらの思考力の補助輪を、本書は思考法と呼ぶ。

 古来、人間はさまざまな思考法を編み出してきた。私が経験したこの半世紀を振り返っただけでも、その量と質に改めて圧倒される。しかし、それらの本質をよく見てみると、それぞれの時代の要請と思考の進化を反映して、いくつかのパターンにくくることができる。

 20世紀後半は、ロジカルシンキングのような問題解決型の垂直思考が幅をきかせていた。その担い手として活躍したのが、コンサルタントたちだ。21世紀に入ると、デザイン・シンキングのような機会発見型の水平思考に注目が集まるようになった。そこでは、理屈っぽいコンサルより、華やかなクリエーターたちが脚光を浴びる。

 一方、そのような表層的な流行の底流で、世界を複雑系として捉えるシステム・シンキングが進化し続けていった。そこに脳科学や生物学など、異分野の最先端の思想が合流し、今や複雑系思考はまさに百花繚乱の様相を呈している。

 そして21世紀に入り、デジタルパワーは長足の進歩を遂げ始めた。AI(人工知能)、IoT(モノのインターネット)、ビッグデータなどを活用したDX(デジタルトランスフォーメーション)によって、世界では「旧来の延長線上にある成長」から「異次元の成長」へと移行が進んでいる。

「10X(テンエックス)」と呼ばれる現象である。10倍化、すなわち、桁違いの成長を意味する。グーグルで生まれ、瞬く間にシリコンバレー全域に広がっていった。

 この10X化を生み出すのが、「10X思考」である。そう、本書のタイトルでもある。いかにも新しい知の地平のように、聞こえるかもしれない。しかし、10X思考は、別に思考の新珍種というわけでない。その複雑な内部構造と力学を紐解いてみると、実は20世紀型思考をたくみに編集し直したものであることに気づく。

 人間の身体にたとえてみると、分かりやすい。ロジカル・シンキングの分析力とデザイン・シンキングの想像力が、左脳と右脳のように、頭脳の両側で回り続けている。この両者のシナプスをつなぎ、さらにそれらと身体を結びつけるのがシステム・シンキングだ。まさに間脳となって、編集力と学習力を発揮する。

 最近さらに、もう一つの思考法が静かなブームを呼んでいる。マインドフルネスに代表される瞑想力だ。哲学界のロックスターと呼ばれるマルクス・ガブリエルが、新実存主義と呼ぶ思想も同じ文脈で捉えることができる。そこで注目されているのが、頭脳と身体を超えた精神(ドイツ語で言うガイスト)の力である。超能力、あるいは宗教性というと怪しげな響きがあるが、私はスピリチュアル・シンキングと呼んでいる。

 一方、表舞台では、デジタル技術の進展によって、Web3と呼ばれる自律分散型の新しい世界が脚光を浴びている。そのバーチャルな世界とリアルの世界が融合していくと、われわれは多数の分身(アバター)を演じなければならなくなる。ジル・ドゥルーズや平野啓一郎が、「個人から分人へ」と呼ぶ世界観である。

 メタ(超)バース(世界)どころか、マルチ(多層)バースの世界が広がり、タイムマシーンどころか、未来も過去も同時性の中に溶け込んでいく。今年のアカデミー賞受賞映画のタイトルではないがまさに“Everything Everywhere All At Once”という様相を呈し始めている。

 複数の自分がいるとき、本当の自分とはだれか?多層的な時空間の中では、身体性はもはや実体を担保するものではなくなり、精神性こそが新しい拠り所となるはずだ。そのような未来に向けて、われわれの思考は何を拠り所とし、どこに向かうべきなのか?それが本書の基本的な問題意識である。

 先回りして答えを探すと、これらすべての思考法を習得し、不要となったものは捨て、さらに広がり続ける思想の新地平を貪欲に取り込み続けることしかなさそうだ。このような学習の新陳代謝運動を、私は、学習と脱学習のメビウスサイクルと呼ぶ。このようなメタ学習の思考法を習得することで、常に開かれた思考の地平の最前線に立つことができるだろう。

開かれた手引書

 本書は、4部構成で成り立っている。第1部は、これまでの思考法の進化を歴史的に見ていく。20世紀後半の主流派であるロジカル・ シンキングとデザイン・シンキングの特徴と限界を見たうえで、21世紀を拓くシステム・シンキングの可能性について考察する。キーワードは「複雑系」である。

 第2部は、異次元への思考のワープをもたらす環境認識として、現在進行中の3つのマクロトレンドと5つのパラダイム・シフトを取り上げる。その中で、組織の進化の方向を展望するとともに、思考の限界を突破するために必要なことは何かについて掘り下げていく。キーワードは「ゆらぎ・つなぎ・ずらし」である。

 第3部は、思考を異次元へとワープさせるために、どのような生き方、働き方が求められているかについて概観する。そのうえで、生活と仕事を通じて、いかに10X思考を育み、自らの未来をどのように拓くかについて論じる。キーワードは「ノマド(遊牧民)」化である。

 第4部は、認知思考、哲学思考、未来思考、進化思考などの知の進化を手掛かりに、思考の地平をいかに拓き続けるかについて展望する。そのうえで10X思考を実践するためのジャーニーを提案したい。キーワードは、志(パーパス)と仕組み(アルゴリズム) 化である。

 本書のタイトルである10X思考は、第2部から論じる。システム・シンキングも含めて、思考法の系譜を熟知されており、10X思考だけに興味がある人は、第2部から読み始めていただいても構わない。さらに、知の最先端や次世代の働き方・生き方に関心のある方は、第3部から読み始めていただいてもよい。

 異次元の成長を成し遂げられない企業や人は、あっという間に時代の波にのまれ、置き去りにされていくだろう。そのスピードは、否応なく増していくのは間違いない。一方で、その波頭を自ら切り拓いていける企業や人は、異次元の成長を楽しみ続けることができるはずだ。

 そのような知の冒険に乗り出したい経営者や社会人、そして学生のみなさんにとって、本書が一つの開かれた手引書になれば、このうえない喜びである。

<連載ラインアップ>
■第1回 Googleに桁違いの成長をもたらした「10X思考」は何がすごいのか(本稿)
第2回 リクルートも実践する新市場創造の発想法「既・非・未(不)」とは何か
第3回 大流行のバックキャスティングに潜む「3つの落とし穴」
第4回 マイケル・ポーターが提唱する「バリュー・チェーン」の盲点とは
第5回 オープン・イノベーションの成功事例が驚くほど少ない理由
第6回 味の素が実証、PBR1倍割れを3倍に跳ね上げた「無形資産」重視経営の真価

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