金融危機によってその地位を失ったウォール街の金融エリートたちは、「ESG革命」の先導者として、いまや政府や議会をしのぐ情報発信力を持つにいたりました。本連載では、経営コンサルティング事業や資金支援業務を展開するフロンティア・マネジメント株式会社の代表・松岡真宏氏と、同社マネージング・ディレクター山手剛人氏が、共著『ESG格差 沈む日本とグローバル荘園の繁栄』(日経BP)からESGについて詳しく解説します。

「社会善」を先導する英雄となった機関投資家

2006年にESGという概念が誕生した後、世界を襲った2つの事件がβアクティビズムを大きく前進させた。2007〜2008年の金融危機(いわゆる「リーマンショック」)と、2020年の世界的な新型コロナウイルス感染拡大である。

これら2つの出来事は、テーマこそ違えども、社会システムリスクの制御(≒βの増進)が人類共通の重要課題であることを知らしめた。

とりわけ、金融危機は市場原理主義の過剰なリスクテイクや強欲(グリード)に対する猛省と反動を引き起こし、各国の政財界に中道左派的な機運をもたらした。

金融危機の後には、欧米の著名ビジネススクール卒の就職人気ランキング上位から、投資銀行やヘッジファンドの名前が消えた。

しかし、金融危機後の窮地から立ち上がったウォール街の金融エリートは現在、βアクティビズムの立役者として、「社会善」となるESG革命の先導者として、強大な情報発信力を持つに至っている。

金融エリートの所信表明(宗旨替え)による分岐点となったのは、2019年の米国財界団体ビジネスラウンドテーブル(BRT)による「株主資本主義」批判と、「ステークホルダー資本主義」への転向だ。

181名の米国企業のCEOの署名が入った文書の中で、BRTは「どのステークホルダーも不可欠の存在である。私たちは会社、コミュニティ、国家の成功のために、その全員に価値をもたらすことを約束する」と謳った。

この宣誓は、1970年代から続いてきた米国の株主利益至上主義の終わりを告げた。この時のBRT議長を務めたのは、JPモルガン・チェース銀行のジェイミー・ダイモンCEOだった。

毎年スイスで開催される「ダボス会議」でも、大手金融機関トップの発言は注目を浴びるようになっている。

2020年の同会議では、大手投資銀行ゴールドマンサックスデービッドソロモンCEOが「女性取締役がひとりもいない企業の上場主幹事は引き受けない」と発言して、大きな話題となった。

ジェンダー平等という観点では、2017年の「恐れを知らぬ少女」の銅像にまつわるエピソードが有名だ。米ウォール街の象徴となっている雄牛の銅像と対峙する場所に、挑むようにして腰に手を当てている少女の銅像が忽然(こつぜん)と現れた(一夜にして設置された)のである。

これを企てたのは、米国の大手資産運用会社のステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズ(SSGA)だった。

ソロモンやSSGAに続くようにして、米国や欧州各国は、女性や性的マイノリティ(LGBTQなど)、あるいは有色人種の取締役登用を義務づける法整備を進めている。

ESGの隆盛によって「金融エリート」に起こった変化

ダボス会議に定期的に登壇する金融関係者の中で、ソロモン以上に著名な人物は、米国最大の機関投資家ブラックロックのラリー・フィンクCEOだ。フィンクは現在、米国で最も影響力のある民間人のひとりと言われている。

ダボス会議にとどまらず、2021年7月に開催された主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議でも基調講演を行い、再エネ関連技術に投資するための官民パートナーシップの必要性を訴えた。

英グラスゴーで開催された国連気候変動枠組条約第26回(締約国)会議(COP26)に際しても、フィンクは他の金融機関CEOに対して、代替エネルギーに投資資金が集まるインセンティブを設けるよう各国政府に要請することを求めた。

大手金融機関に加えて、機関投資家の議決権行使に多大な影響力を与える存在として、議決権行使助言会社の存在も忘れてはならない。

議決権行使助言サービス大手のISS(Institutional Shareholder Services)とグラス・ルイス(どちらも米国の会社)が毎年更新する議決権行使ガイドラインの注目度は高く、近年では、女性の取締役登用や政策保有株式の解消が進んでいない企業への取締役選任に反対することを表明して、これらの取り組みで後れをとる日本の上場企業の経営者を震え上がらせている。

いまやコーポレートガバナンス(企業統治)の方針は、政府や議会ではなく、世界的な機関投資家や投資銀行が決定権を握っているも同然だ。

現在の日本企業が進めようとしている社外取締役や女性の取締役の登用、ROEや資本コストに準拠した企業価値戦略、代表取締役と取締役会議長の分離等のすべてが、機関投資家からの提案がきっかけとなっている。

日本においては、コーポレートガバナンス・コードや会社法は、もはや投資家の情報発信を後追いしている感さえある。

こうして、ESGの隆盛は、金融エリートのキャリアプランにも恵みをもたらした。

いまや世界中の運用会社(機関投資家)がESG専任のファンドマネージャー、アナリスト、ストラテジストを抱えているし、金融業界をリタイアした後も、大企業のCSO(チーフサステナビリティ・オフィサー)やESGコンサルタントといったポジションが狙えるであろう。

とりわけ、間接金融と製造業を中心に戦後の経済システムを発展させてきた日本においては、証券会社(投資銀行)、資産運用会社、投資ファンド等の社会的評価が低い時代が長く、「虚業」や「金儲け」といった誹りを受けることもあった。

筆者も含め、金融や投資に携わってきた人々にとって、証券投資を通じた社会善としてのβアクティビズムの推進者として、家族、友人、隣人に胸を張ることができる現在は、隔世の感さえある。

βアクティビズムの勃興とともに、金融危機で失地した金融エリートたちはESGという免罪符を手に入れたのだ。

松岡 真宏

フロンティア・マネジメント㈱

代表取締役 共同社長執行役員

山手 剛人

フロンティア・マネジメント㈱

マネージング・ディレクター コーポレート戦略部門 企業価値戦略部長 兼 産業調査部

(※写真はイメージです/PIXTA)