注意深く、観察するように書く作家だと思う。建物にも、部屋の調度品にも、薬物にも、食べ物にも、男にも、女にも、匂いにも、自分の心の動きにも、一定の距離をおき、冷静な視線を向けている。感情に流されず細かく分析するような描写に、強く惹きつけられた。

「本当に合わないんだ、君とは」という言葉を残して恋人が部屋を出ていった後、主人公はかつて出入りしていたある場所のことを思い出す。今は米国資本の会社で働き、清潔で安全な都心のマンションで暮らしている主人公だが、19年前は歓楽街ひとり暮らしをする大学生だった。といっても一年近く通学しておらず、「飲み屋」(居酒屋ではありません、念のため)で働き、時には客と寝て、高級な鞄を当たり前のように購入する暮らしぶりだ。ある時、同業の友人と一緒にいたところ、デリヘルを開業する予定だという同世代の男たちを紹介される。彼らに連れて行かれたのが、事務所兼待機所として契約したというマンションの一室である。ラブホテルの並びにあるその部屋には、開業の準備をする男たちと、そこで働く予定のデリヘル嬢たちが出入りしていた。

 風俗嬢として働くつもりもなく、営業を手伝うわけでもないのに、主人公はその部屋に入り浸るようになる。源氏名しか知らない女たちとは親しく会話を交わすが、自分がその仕事をすることについては距離を感じている。「黒髪」「細眉」「顔長男」のように見た目の特徴で区別される男たちは、面接に来た女たちを商売道具としてしか見ないが、主人公も彼らのことは「子どもを生ませる男か身体を買う男に峻別」することしかしない。女たちとも男とも友好的な関係を保ち、主人公はただそこにいる。酒、煙草、マリファナ、麻酔薬を仕込んだミント・スティック、香水、そして自身や他人の吐瀉物。それらの匂いが混ざり合う空間が、精密に描写されていく。

 主人公は、学校や家庭からはみ出し、夜の世界で働きながらも、親の納得する「良い大学」には在籍を続けている。著者はその状態を「産むことにも売ることにも稚拙に抵抗しながら、そこにいた」と書き、小説に「浮き身」という題名をつけた。その鋭利で的確な表現力に痺れた。脳内が変に刺激されたのか、長い間思い出すことのなかったいろいろな記憶が、次々によみがえってもくる。鈴木涼美氏の小説から、今後も目が離せない。

(高頭佐和子)