特別番組「声優28時間テレビ大感謝祭〜Challenge Again〜」(以下、「声優28時間テレビ」)が、ABEMAアニメLIVEチャンネルにて8月11日に28時間にわたり放送され、対談企画「スーパーレジェンドの声を聴け!羽佐間道夫×関智一SP対談」が行われた。

【写真】キャリア65年以上のレジェンドの羽佐間道夫

「声優28時間テレビ」は、業界初のABEMAオリジナル声優レギュラー番組「声優と夜あそび」の特別番組で、2022年8月に「声優と夜あそび」5周年を記念し、初の「声優28時間テレビ」が放送された。2回目となる2023年は“Challenge Again”をテーマに、夜あそびMC陣に加えて、羽佐間道夫山寺宏一岩田光央福山潤ら豪華ゲスト総勢40名以上が続々と出演し、28時間、大きな盛りあがりを見せた。さまざまな企画のなか、8月11日夜11:40頃からは関智一と羽佐間によるスペシャル対談が行われた。キャリア65年以上、声優の創世記を知る羽佐間が、そのキャリアをふり返るとともに、声優界の歴史を語った。

関きってのリクエストで実現した、羽佐間との対談企画「スーパーレジェンドの声を聴け!羽佐間道夫×関智一SP対談」では、シルヴェスター・スタローン吹き替えをはじめ、6000本以上もの作品で吹き替えを担当し、役幅の広さから“困った時の羽佐間”の異名を持ち、キャリア65年以上のレジェンドでありながら、ジョークで場をなごませるお茶目な羽佐間に、関もリラックスした様子で和気あいあいと対談がスタートした。

■「スーパーレジェンドの声を聴け!羽佐間道夫×関智一SP対談」

まずは、羽佐間の下積み時代の話題では、硬派な家に生まれ、親からは「役者は敷居をまたがせない」と言われるほど反対され、演劇学校や劇団で芝居を学びつつ、アルバイトで生計を立てていた羽佐間は、当時はこわれたげたを買い換えるお金もないほどの極貧生活だったという。

そんななか、唯一、理解があったという叔父からの紹介で始めた寄席での切符売りのバイトがひとつの転機になる。顔が見えず、手だけが出せる穴の空いた“手穴”と呼ばれる売り場で対応していたものの、当時、「手穴には女性が入っている」というイメージがあったため、女性の声を真似て対応していたという羽佐間は、「そこで声優の勉強をしました」との話に、関も「声優としての初仕事だ」と返す。

さらに仕事の空いた間に、名だたる落語家たちの寄席を見にいっていたという羽佐間は、そこで昭和の爆笑王として愛された落語家の初代・林家三平さんと出会い、会話の間や、ジョークなど、話術を学んだことを告白する。それがのちの芝居やアドリブで生かされていると話し、「先生は演劇部の先生じゃなくて寄席の人たち」と語った羽佐間に、関は「えぇぇ!?」と驚きの声をあげていた。

■「若い人のほうがホームランを打てるんだから」

話題は、声優という職業の始まりになり、1960年代、テレビ局が開局されたものの、コンテンツがないと、海外の映画を借りてくることが多く、無声映画を流したり、字幕をつけて対応していたものの、当時は電波の影響か、字幕の濁音や半濁音が飛んでしまうことが多く、そこから吹き替えに移行するようになったと語る。

そして、始まった吹き替えの仕事では、羽佐間も所属していた新協劇団の研究生が多く起用されるも、先輩俳優からは「声優?人の演技に声を当てる?それは人格を犯しているんじゃないか」と言われ、「横目で見られていた仕事だった」と語る。「当時、将来的に声優という職業がここまで大きくなっていくって思ってましたか?」と尋ねた関に、羽佐間は「夢にも思ってない」と即答し、「声優なんていう職業が、これから大爆発して、ブレイクしてって、誰も思ってなかった」と声優が生まれた時代をふり返った。

加えて、滝口順平熊倉一雄若山弦蔵ら名だたるレジェンド声優たちとのエピソードや、羽佐間がこれまでたずさわってきた名作でのアフレコエピソードが次々と飛び出し、関は大興奮する。

また、吹き替えで心がけていることについて語った際には、俳優との呼吸をあわせるテクニックについて「極端に言うと脈拍をあわせる。その俳優の動悸をあわせると、自然と息もあってきて、いかにもしゃべってるように聞こえる」と極意を明かす。

そして、深い声優トークはあっという間に終わりの時間になり、最後に、後輩声優への思いを語った羽佐間は、「僕らも若い人から学ぶってことをしないとダメなんじゃないかって。若い人のほうがホームランを打てるんだから」「若い人にはかなわないんだよ」と若い世代にも敬意を向けると、関は「羽佐間さんの若々しさはそこにあったのかもしれないですね」と大感激していた。

「声優28時間テレビ」内で行われた「スーパーレジェンドの声を聴け!羽佐間道夫×関智一SP対談」/(C)AbemaTV,Inc.