アメリカ陸軍では、第二次世界大戦中に奇妙な戦車を運用していました。見た目は戦車なのに、砲塔だけ向き出しになった「屋根なし戦車」。一体なんのためにこんな危なそうなことをしたのでしょうか。

アメリカ流対戦車戦術の影響を強く受けた「屋根なし戦車」

アメリカ陸軍では、第二次世界大戦中に奇妙な戦車を運用していました。正面から見ると戦車、しかし上から見ると砲塔に屋根がないオープントップ(露天)構造になっている車両です。実はこれ、厳密には戦車ではなく、対戦車自走砲駆逐戦車)と呼ばれる種類の車両です。

なぜこのようになってしまったかというと、当時のアメリカ陸軍が考えていた対戦車戦術が関係しています。

アメリカ陸軍は第二次世界大戦に参戦する直前の1941年12月3日、「戦車駆逐大隊」というものを作りました。この部隊の基本方針は「探し出し、攻撃し、駆逐せよ」です。敵戦車が出現したら素早く現場に急行し、火消し役になることが求められていました。

そしてこの部隊が使っている車両は戦車ではなく、GMC(Gun Motor Carriage)とハーフトラックを改造して榴弾砲を取り付けた車両や、M6「ファーゴ」のように、軍用車両のWC-51に37mm M6対戦車砲を取り付けるという、機動性を重視した“動く対戦車砲”でした。

当時アメリカ軍では、戦車に対して戦車で相手をするケースは偶発的な遭遇戦のみに限定しており、主に戦車を撃破するのは専門の部隊であるべき、という考えがありあました。

しかし、第二次世界大戦に参戦し、北アフリカドイツ軍との戦闘が始まると、ドイツ戦車を相手にするには戦車駆逐大隊の戦車砲や車両では非力なことが明らかになります。これを受け1942年6月には、3インチ砲を搭載したM10駆逐戦車という車両が制式化されます。

戦車退治の専門家になるはずだったが…

この車両は、当時アメリカ陸軍の最新戦車だったM4中戦車の車体を流用した構造で、オープントップの砲塔を持っていたのが特徴でした。砲塔の屋根がついていなのは、当初の戦車戦術のように現場へ急行できるよう軽量化を図る狙いもありましたが、もっと大きな目的が視界の確保でした。

むき出しの砲塔から運転手以外の3人の乗組員が目を使っていち早く敵戦車を発見し、有利な位置で待ち伏せや先制攻撃を行いやすくしたのです。なお、砲塔は戦車のように油圧で動かず、コスト削減と軽量化のため手動で動く形式を採用していました。

アメリカではその後もM18「ヘルキャット」、M36ジャクソン」と駆逐戦車の実戦投入を行います。砲の威力こそアップしたものの、砲塔をオープントップにすることは共通で、機敏に動き敵の側面や背後を脅かす戦法なども多用しました。ただ、敵戦車に先に発見された場合や対歩兵戦における装甲の貧弱さが仇となったため、戦場に急行し、敵攻撃後は即離脱するというヒット&アウェイ戦法を取るのが絶対条件でした。

結局、参戦前のアメリカの思惑とは異なり、エンジンや戦車砲の技術向上により戦車が強力になりすぎたため「戦車の相手は戦車が最良」という結論に達します。

戦後もしばらくはコストパフォーマンスの面からヒット&アウェイ能力を期待され、1950年代になってもアメリカ海兵隊のM50「オントス」自走無反動砲1960年には陸上自衛隊60式自走無反動砲など似たようなコンセプトの車両が登場しますが、その後は歩兵が携帯できる対戦車ロケット弾やミサイルなどの対戦車兵器が発展したため消滅しました。

M10駆逐戦車(画像:アメリカ陸軍兵器博物館)。