(黒井 文太郎:軍事ジャーナリスト)

JBpressですべての写真や図表を見る

 TBS日曜劇場で現在放送中のドラマ『VIVANT』では、「国際テロ組織」と「警察」と「自衛隊秘密部隊」の3つ巴の戦いが繰り広げられている。主役の堺雅人は商社マンに擬装した自衛隊秘密部隊の隊員役で、後輩隊員役の松坂桃季とともにテロ組織メンバーを処刑するなど、自衛隊員としては型破りなハードボイルドぶりを見せている。

 この自衛隊秘密部隊はドラマ設定上、日本を国際テロから守る非公然組織で、世界中のテロリストから恐れられるだけでなく、世界中の治安・諜報機関からも一目置かれる超絶的な実力派の“謎の組織”とされている。

 もちろんドラマだからフィクションであり、実際にはそんな秘密部隊は自衛隊にはない(自衛隊というか、そもそも日本政府にはない)。だが、ちょっと面白いのは、ドラマで重要なキーワードとされているのが、この秘密部隊の名称だ。それが「別班」である。

 じつは、この別班と通称された非公然部隊は、冷戦時代の陸上自衛隊に実在したのだ。もっとも実在したといっても、重ねて書くがドラマのような処刑しまくりの破壊工作部隊ではもちろんない。あくまで国防に必要な情報を集める情報部隊である。

 ただし、別班は設立当初から、その存在は公式には秘密にされてきた。自衛隊が秘密の組織を作っていたということで、かつては国会で問題視されたこともあったのだが、秘密にされたのには理由がある。別班はそもそも在日米軍の要請により、在日米軍と合同で非公式に編成され、運用されたからだ。日本側の一存で公表することはできなかったのである。

 筆者はかつて軍事専門誌で、自衛隊の情報部門の歴史について解説記事を連載したことがあり、実在の別班の元隊長・隊員らを取材したことがある。もちろん『VIVANT』に出てくる超強力破壊工作部隊「別班」とは何の関係もないが、冷戦時代に実在した別班の実像を紹介してみようと思う。

「日米合同の非公然情報部隊」が行っていたこと

 実在の別班の起源は、警察予備隊時代に遡る。警察予備隊創設は1950(昭和25)年だが、日本側の情報専門家を育成するため、1952(昭和27)年より警察予備隊の中堅幕僚を在日米軍情報部隊に出向させ、情報収集・分析の研修をさせるようになった。

 その後、1954(昭和29)年、日米相互防衛援助協定(MSA協定)が締結され、正式に自衛隊が発足したが、その水面下で極東米軍司令官ジョン・ハル大将が吉田茂首相に書簡を出し、陸上自衛隊と在日米陸軍が非公式に合同で諜報活動を行うという秘密協定が結ばれた。

 その秘密協定に則り、まずは陸自側の専門家を本格的に養成すべく、前述した情報研修が大幅に拡充された。米軍側の担当は、当時のキャンプドレイクキャンプ朝霞)に置かれた米陸軍第500軍事情報旅団の「FDD」と呼ばれる分遣隊で、自衛隊側の隊員もそこに詰めた(第500軍事情報旅団本部はキャンプ座間)。

 この情報研修で鍛えられた要員を集め、いよいよ日米合同の非公然情報部隊が設立されたのは1961(昭和36)年のことだ。この部隊を陸自では情報部門を統括する陸幕第2部(現在の陸幕指揮通信システム・情報部)の部長直轄とし、部内では特別勤務班(特勤班)と呼んだ。特別勤務というのは、陸幕ではなく米軍キャンプ朝霞に平服で勤務するからで、この特勤班を、ときに別名「別班」と呼んだ。

 この特勤班=別班は事実上、米軍のFDDに自衛隊員を協力させるスキームだった。建前上はトップに米軍FDD指揮官と陸自の別班長が同格で構成する合同司令部が設置され、その下に「工作本部」および日米おのおのの「工作支援部」が置かれた。工作本部には3個工作班が設置され、各工作班には3~4人ずつ配置された。工作員は合計で十数人程度。その他に工作支援担当者がいて、陸自側の別班全体の陣容は約20人だった。

 活動内容は基本的にソ連、中国、北朝鮮など仮想敵国の情報収集だ。商社員や記者など海外を往来する人から話を聞いたり、そういった人に依頼して外国で情報を集めてきてもらったりした。その内容は米軍と陸幕2部の両方に報告された。他にも、ときに朝鮮総連や在日中国人実業家などの人脈に接触して情報をとるなど、公安警察や公安調査庁のような活動も行った。

 もっとも、別班の活動予算は多いときでも月額100万円程度。協力者への報償費も数千円から、多くて2万円程度だった。サラリーマンの平均月収が5万~7万円の時代だから、現在の貨幣価値なら7倍以上にはなるだろうが、それでも公安警察などとは比ぶべくもない小規模なレベルである。後に一部メディアで「多額の資金を使って活動する得体の知れない謀略機関」とのイメージで報じられたこともあるが、それはかなり誇張されたものだったといえる。

 別班は前述したように発足当初は陸幕2部長が直轄していたが、その後、2部内に連絡幕僚が置かれ、さらにその後は陸幕2部内の情報1班長が統括するようになった。つまり陸幕第2部情報1班特別勤務班というかたちである。後に一部メディアに「陸幕長も防衛庁長官も存在を知らない秘密機関」と報じられたこともあるが、当時を知る元隊長は「米軍との共同機関なので非公然ではあったが、上層部が存在を知らないということはないはずだ」と筆者に証言している。

金大中事件と別班の関わり

 いずれにせよ、実際の別班は『VIVANT』に出てくるようなテロリスト狩りを行う武闘派では全然なく、人に会ってネタを集める情報屋のグループだった。しかも、陣容はわずか20人程度。活動費も微々たるものだった。

 ところが、1973(昭和48)年に大事件が起こる。その年、別班は拠点としていた米軍のキャンプ朝霞が日本側に返還されたのにともない、米陸軍第500軍事情報旅団の本部があるキャンプ座間に移転したのだが、そのほぼ同じ時期に「金大中事件」が発生したのだ。

 韓国の有力な野党指導者・金大中が、東京都内のホテルで韓国の情報機関「韓国中央情報部」(KCIA)に拉致されて秘密裏に韓国に移送されたという衝撃的な事件だったが、事件後まもなく、元別班員が経営する信用調査会社がこの事件に関わっていたことが判明した。

 この元別班員は坪山晃三という人物で、当時、飯田橋で調査会社「ミリオン資料サービス」を経営していた。坪山氏は在日韓国大使館員のKCIA要員から「接触して活動自粛の説得をしたいから」との理由で依頼され、日本国内での金大中の所在確認を行ったのだ。

 実は筆者が取材した元別班員の1人が坪山氏で、筆者はこの件について直接話を聞いている。それによると坪山氏は当時、古巣の別班とは緊密に連絡を取り合っており、報告は上げていたとのことだが、金大中の所在確認自体は会社の業務として請けたものであり、別班が直接事件に関わっていたわけではないとのことである。

 しかし、いずれにせよ元別班員が関与していたことから、当時、日本共産党機関紙『赤旗』が別班について「恐ろしい謀略機関」と大々的に報じた。坪山氏のミリオン資料サービスについても別班のダミーではないかと騒がれたが、前述したように別班にはもともとそれほどの予算はない。同社はその後、東京駅近くに移転したが、現在も実績ある老舗の調査会社として営業を続けており、創業者の坪山氏(故人)は生前、東京都調査業協会副会長まで務めたことがある。実体のないダミー会社などではないことは、こうしたことからも裏づけられる。

 ただ、別班のほうは、米軍の要請ということで非公然組織として運用されていたものの、やはり非公然が公に暴露されるのはまずい。そのため事件後まもなく、大幅に陣容を縮小したうえ、キャンプ座間から防衛庁(当時)の六本木庁舎に併設されていた陸幕本部に移転した。もともと非公然だから、その後の組織編制は非公開だが、おそらく別班というかたちではもう存在していない。

 もっとも、別班の主な業務である米陸軍情報部隊との連絡業務は、現在に至るも陸幕指揮通信システム・情報部の重要な業務であり、その担当者たちがいる。いわばその担当者たちが、別班の後裔にあたるといえるだろう。

 他方、米陸軍の情報部隊はその後、キャンプ座間の第500軍事情報旅団がハワイに移転し、現在は同じキャンプ座間に同旅団の隷下である第311軍事情報大隊がある。第311軍事情報大隊はより都心に近い米軍の赤坂プレスセンター(六本木)と横浜ノースドックに出先機関を置いている。

 第311軍事情報大隊の情報員は現在も、公安警察や公安調査庁など日本政府の公安関係者と接触して情報活動を行っているが、陸自側のカウンターパートが陸幕指揮通信システム・情報部のその担当者たちになる。彼らは主に赤坂プレスセンターで現在も接触を日常的に続けているとみられるが、もはや共同の情報活動のような密接度はない。ただ、自衛隊情報部門のOBが米軍赤坂プレスセンターやキャンプ座間の第311軍事情報大隊関連部署に再就職する例は散見され、それなりの連携は保たれているようだ。

ドラマの「別班」はあくまでフィクション

 別班について近年話題になったのは、2013年に共同通信が「陸自、独断で海外情報活動 文民統制を逸脱」との記事を配信したことだ。同記事によれば、陸幕が別班要員を民間人に身分擬装させてロシア、中国、韓国、東欧などに派遣し、秘密裏に情報活動をさせていたというのだ。この報道を受けて、当時は新党大地の所属だった鈴木貴子・衆院議員(鈴木宗男議員の長女。後に自民党に移籍して外務副大臣も務めた)が国会に質問主意書を提出するなどしている。

 もっとも、筆者の別班関係者への取材では、別班が身分擬装した要員を海外に派遣したといった事実は確認されていない。別班員の多くは陸自の調査学校(現・小平学校)で密度の濃い語学研修を受けており、退官後に海外で貿易業務に携わった人物はいる。そうしたOBの中に、外国で自主的に情報収集活動し、古巣の別班に情報提供していた人はいたようだ。そうした思い出話がいわば武勇伝として話を盛られて周囲に伝えられていた例なら、筆者も聞いたことはある。

 そもそも陸幕がハイリスクなそんな超法規的な活動をするとは考えられないが、陸幕の予算的にも不可能な話だと思う。一部に個人的なアルバイト的に情報収集活動をしたOBはいたかもしれないが、陸幕が組織的に国外で情報活動の偽装工作をするということは、現実的には無理だろう。

 このように、陸上自衛隊「別班」は過去に実在した秘密部隊だが、その実像はそれほど大きなものではなく、しかも現在はもはや存在していない。「VIVANT」の堺雅人松坂桃李は、あくまでフィクション上の別班員として、肩の力を抜いて視聴しよう。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  今夏ドラマで独走の『VIVANT』、TBSはなぜ破格の制作費をつぎ込めた

[関連記事]

ヒット街道驀進中の『VIVANT』、凡作ドラマとは別次元の「作り込み方」

元自衛隊幹部が世界の最新戦車を徹底比較、日本の10式はどれほど強いか

防衛省の市ヶ谷庁舎(資料写真)