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はじめは「名案」だと思ったけど……

自動車業界も消費者も気まぐれだ。

【画像】なぜ? 高級車ブランドの意外なモデル【メルセデス・ベンツXクラス、アストン マーティン・シグネットを写真で見る】 全53枚

モデル、ボディスタイル、新機能、テクノロジーは、台頭するやいなやすぐに廃れてしまうことがある。また、発表された当時はとても素晴らしいと思われたアイデアも、数年後には時代遅れになってしまうことがある。

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アイデアは悪くないのに受け入れられなかったクルマ、ブランド、技術を紹介する。

今回は、メルセデス・ベンツピックアップトラックからトヨタの若者向けサブブランドまで、一見すると「名案」だったのに消えてしまったアイデアを紹介したい。

電気自動車(1900年代)

20世紀に入ってから、電気自動車は米国内外で異例の売れ行きを見せた。同クラスのガソリン車よりもスムーズで、操作もはるかに簡単だったからだ。ヘンリーフォードの妻クララはT型には乗らず、デトロイトエレクトリックの47型(写真)を日常的に運転していたという。

1910年代には内燃エンジンの技術が急速に進歩し、電動スターターなどの普及によってガソリン車の使い勝手も大幅に向上した。燃料価格が下がるにつれ、バッテリー駆動の電気自動車のシェアは低下。1920年代にはすっかり影を潜め、再び大きな注目を集めるようになったのは1990年代後半になってからである。

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電気自動車(1900年代

タービン車(1940~1960年代)

1950年代、従来のピストンエンジンに代わる有望な選択肢として、タービンを動力源とする自動車が登場した。勇敢なテストドライバーがローバー・ジェット1のプロトタイプで最高速度240km/hを達成し、そこで得た教訓は、ブリティッシュ・レーシング・モーターズが1963年ル・マン24時間レースに投入したタービンエンジン搭載マシンの開発に役立った。実験的なレーシングカーであったため、公式にはレースに出場していないが、仮に出場していれば8位入賞を果たしていた。

米国では、クライスラーがタービン技術の性能を評価するために、ターバインと呼ばれる50台のクーペ(写真)を実際に顧客の手に渡したことで有名だ。ローバーが経験したのと同じような多くの問題にぶつかったが、1970年代まで静かにタービンの微調整を続けた後、さじを投げた。

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タービン車(1940~1960年代)

透明ルーフパネル(1950年代)

航空宇宙デザインと自動車デザインが合体した1950年代、多くの米国車にフィンが付けられていた。同じく、自動車ショーで大きな注目を集めたのが、半球状の透明なルーフパネルだった。戦闘機のキャノピーを彷彿とさせるデザインである。

1953年に発表されたゼネラルモーターズファイヤーバードI(写真)のように、大胆な未来的コンセプトカーにはしばしば採用されたが、製造や安全性、コストに関する懸念もあり、量産モデルに導入するのは簡単ではなかった。デザイナーたちは1960年代にこのキャノピーに愛想を尽かしてしまったが、ピニンファリーナは現代にこのキャノピーを復活させる計画を立てていた。

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透明ルーフパネル(1950年代)

アンフィカー(1961~1968年)

半分がボート、半分が自動車というアンフィカーは、どこへでも自由に行ける乗り物を目指している。1961年に発表されたときは「波紋」を呼んだが(ダジャレではない)、ボートとしてもクルマとしても優秀でないことがバレてしまった。

ドイツに本社を置くクヴァント社は、トライアンフ譲りの4気筒エンジンを搭載したアンフィカーを1968年まで3878台生産した。後継車は生まれず、ライバルも現れなかったため、世界で最もよく知られた水陸両用車の1つとなっている。

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アンフィカー(1961~1968年

ランドートップ(1970年代と1980年代)

「擬似コンバーチブル」とも呼ばれ、固定ルーフを布やビニールで覆ってソフトトップのように見せたランドー(Landau)ルーフ。フォードサンダーバード(写真)のような大型モデルによく見られたが、フォルクスワーゲン・ゴルフのような一般的なクルマにも装備されていた。

最初は馬車のように上品に見え、1970年代の米国では人気のオプションとなった。1980年代には流行遅れとなるが、1990年代にも一部のクルマに採用された。2020年現在、工場出荷時にランドートップが装着されているクルマは1台もないが、後付けで装着してくれるショップはまだ存在する。

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ランドートップ(1970年代1980年代

キャデラックの気筒休止技術(1981年)

1973年1979年オイルショックに翻弄されたキャデラックは、ダウンサイジングやパワーに妥協のない、低燃費なクルマを作る方法を模索し始めた。完璧な答えとして見出されたのが、V8エンジンをV6やV4に変身させる気筒休止技術で、1981年のモデルイヤーに「V8-6-4」というストレートな名称のエンジンがデビューした。フリートウッド・ブロアム(写真はクーペ)をはじめとする、複数のモデルに搭載された。

最初の苦情が寄せられるまで、数週間しかかからなかった。顧客は、エンジンが何気筒であろうとスムーズさを欠き、眠っているシリンダーが目を覚ますのにも時間がかかると批判した。キャデラックは問題を解決するために13回ものアップデートを行ったが、最終的に1982年モデルでV8-6-4エンジンの搭載を中止した。

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キャデラックの気筒休止技術(1981年

自動車電話(1980年代と1990年代)

自動車電話は1940年代に発明されたが、一般的な光景となったのは1980年代に入ってからで、それでも裕福な人が乗る高級車に搭載されるのが普通だった。一種のステータスであり、1990年代初頭に携帯電話が普及するまでは近未来的な雰囲気も漂っていた。今にして思えば、自動車電話がスポットライトを浴びたのは、ほんの数年のことである。

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自動車電話(1980年代1990年代

BMW V16エンジン(1987年)

BMW1987年に6.7L V16エンジンの開発に着手した。7シリーズの上位に位置するフラッグシップセダンの動力源として期待されたもので、「9シリーズ」のような新しい独立モデルか、あるいは7シリーズの高性能版としても登場する可能性があった。開発作業は比較的速いペースで進められ、E32世代の7シリーズでテストしたところ、最高出力約415ps、最大トルク約63.5kg-mを発生している。

ただし、この大きなエンジンを搭載するためにはラジエーターをトランクに移設し、クォーターパネルにエアスクープを追加する必要がある。そのため、プロトタイプ(写真、日本名:bB)には「ゴールドフィッシュ(金魚)」というニックネームが付けられた。

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BMW V16エンジン(1987年

結局、750iに搭載されているV12エンジンで十分と判断したBMWは、V16の開発を中止してしまった。それ以来、販売される7シリーズはすべてV12を搭載しており、BMWはこれまで16気筒エンジンを量産したことがなく、電動モデルへの移行によって今後も作られることはないだろう。12気筒でさえ、2022年に生産終了してしまったのだ。

米国の自動シートベルト(1980年代と1990年代)

奇妙なことに、自動シートベルト技術は自動車にエアバッグを搭載することを回避する方法として誕生した。米国の規制当局は、1990年モデルまでにすべての新車に運転席側エアバッグか自動シートベルトを装備することを義務付けたのだが、エアバッグよりもシートベルトの方がはるかに安価であった。1995年に運転席エアバッグが義務化された後、自動シートベルトは米国市場から姿を消した。

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米国の自動シートベルト(1980年代1990年代

ハマー(1999年から2010年まで)

AMゼネラル1992年に民生版ハンヴィーを発売したが、ハマーが独立したブランドになったのは1999年ゼネラルモーターズがその権利を購入してからである。すぐにH2とH3と名付けられた小型モデルをラインナップに加えたが、イメージの悪化と同社の倒産により、ハマーブランドは解体されることになった。ゼネラルモーターズは、設立から約10年後の2010年にハマーを閉鎖したが、GMCブランドから2021年に同名のEVを発売している。

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ハマー1999年から2010年まで)

シボレーのミッドゲート(2001年)

2002年モデルのシボレーアバランチに導入された「ミッドゲート」は、理論上では素晴らしい装備であった。ピックアップトラックキャビンと荷台の間の仕切りを折りたたむことができ、柔軟かつ広大なスペースを作ることができる。アバランチのキャデラック版であるエスカレードEXTにも搭載され、また短命に終わったGMCエンボイXUVにも採用された。

多くの米国人は、ライバルであるフォードダッジが独自のミッドゲートを導入するか、2013年のアバランチ生産終了後もシルバラードに搭載されるだろうと考えていたが、結局はお蔵入りになってしまった。高価な割りに、需要は予想よりも低かったのだろう。

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シボレーのミッドゲート(2001年)

リンカーンのピックアップトラック(2001年)

リンカーンの論理は正しかった。ブランド初のSUVであるナビゲーターが気に入られたのであれば、ピックアップトラックにも夢中になるに違いない。フォードF-150をベースに、リンカーンはナビゲーターに似たフロントエンドとフェイク・ウッドパネルを装着し、ブラックウッド(写真)という名で発売した。

後輪駆動カーペット敷きの荷室しか設定がなかったため、使い勝手は限られ、結果的に販売台数も少数にとどまった。米国では2002年モデルのみ。メキシコでは温かく迎えられたため、2003年モデルまで続いた。

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リンカーンピックアップトラック(2001年)

それでもリンカーンは諦めなかった。2005年モデルにはマークLTを発表し、ピックアップトラック市場に果敢に復帰した。マークLTはF-150のリバッジモデルであったが、ブラックウッドよりも実用的だった。メキシコ市場には第2世代モデルが投入されたが、2008年に販売終了し、リンカーンはトラックの販売をやめた。キャデラックも2013年モデルを最後に同じ結論に達している。

ドット状のLEDライト(2000年代)

2000年代、LEDライトの採用ブームは瞬く間に自動車業界に広がった。アウディレクサスのような高級車ブランドが挑戦し、フォルクスワーゲンや日産のような主流ブランドも参入して大衆にLEDを広めた。はじめは、個別の電球が連なるデザインのものが一般的で、写真は第2世代の日産キャシュカイである。

この小さなドットは、少なくともしばらくの間は、クルマにモダンで高級な印象を与えた。しかし、LED技術は急速に進化し、2010年代後半には連続的なラインが主流となったことから、粒々感のあるLEDドットはむしろ古くさく見えるようになってしまった。

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ドット状のLEDライト(2000年代

欧州のMPV(2000年代)

2000年代の欧州市場では、多目的車(MPV)が大流行した。ミニバンより小さく、標準的なハッチバックより背の高いフィアット・イデア(2003年、写真)、オペルメリーバ(2003年)、ルノー・モデュス(2004年)などは、通勤にも休暇にも理想的なクルマとして売り出された。その栄光は儚く、ほとんどがクロスオーバーに取って代わられた。

2020年代に入ると、両側スライドドアを特徴とするフォードBマックスが欧州におけるMPVの最後の砦となった。広い室内空間を武器とする箱型のミニバンは、昨今のアウトドアブームを考慮するとまだ勝算があるかもしれないが、比較的小柄なMPVの将来性は不透明だ。

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欧州のMPV2000年代

トヨタのサイオン(2003年)

トヨタが2003年にサイオンScion)というブランドを立ち上げたのは、信頼性が高く意外性のないクルマを作るという評判が、米国の若い購買層には響かなかったからだ。サイオンから販売されたクルマは、少なくともデザイン面では退屈なものではない。そのラインナップには、tCという衝撃的な価格のクーペや、xB(写真)というトースターのような形のハッチバックがあり、模倣するライバルも生まれた。

サイオンは米国で好調な滑り出しを見せたが、2010年代に入ってからは調子を崩した。市場調査によると、サイオンを購入した若いドライバーは、年齢が上がってもトヨタレクサスを購入しないことが多いことがわかった。さらに悪いことに、サイオンの平均購買年齢は2004年の35歳から2011年には43歳まで上昇。経済的な理由から、中高年の購買層は安価で無難なクルマを求めるようになり、サイオンショールームに誘い込んだ若い購買層は中古車を求めたからである。

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トヨタサイオン(2003年)

トヨタは2016年モデルを最後にサイオンを閉鎖した。FR-SやiAのようにトヨタのラインナップに組み込まれた車種もあれば、引退した車種もある。

ルノーのトランクシュート(2004年)

ルノーは、家族と荷物を載せて街中を移動できる万能車としてモデュスを賞賛した。このモデュスで最も注目された機能の1つがトランクシュートで、これは基本的に、初代ミニのような下ヒンジ式のトランクリッドを組み込んだものだった。狭い場所に駐車していても、トランクに収まる「わずか」な荷物を取り出すために、最大52度まで開くことができた。

モデュスの上級グレードには標準装備され、その他のグレードではオプションだった。結局のところ、トランクシュートは2008年の改良新型に引き継げかれるほどの価値は見出されなかった。横目で見守っていたライバルたちは、このような実験を行わないと決めた。

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ルノーのトランクシュート(2004年)

プジョー1007(2005年)

プジョーが2005年に1007を発表したとき、「作ればイケる」と思ったに違いない。206との共通点も多いが、狭い場所に駐車していても乗降できる電動スライドドアによってライバル車とは一線を画していた。しかし、ドアを開けるのに時間がかかりすぎる、後部座席にアクセスしにくいといった不満がユーザーから寄せられた。その結果、販売台数は予想を下回り、1007は後継車がないまま2009年に引退した。

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プジョー1007(2005年)

米国における現代のディーゼル(2010年代)

米国のディーゼルエンジンへの愛情は複雑で、2023年現在、乗用車ではほとんど見られない。ディーゼルエンジンは、1990年代には米国国民の記憶から消えつつあったが、2010年代初頭には再び脚光を浴びるようになった。フォルクスワーゲンターボディーゼルエンジンの供給元として最もよく知られており、シボレーヒョンデマツダといったライバルも参入。しかし、ディーゼルへの信頼は2015年に大々的に報道された「ディーゼルゲート」の発覚後に崩壊を迎える。

ヒョンデサンタフェにディーゼルを設定する計画を中止し、シボレーは2020年限りでディーゼルエンジン搭載のエクイノックスを廃止した。マツダは2.2LのスカイアクティブDを投入したが、CX-5の高価なグレードにしか設定しなかった。メルセデス・ベンツBMW2010年代ディーゼルから撤退している。

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米国における現代のディーゼル2010年代

アストン マーティン・シグネット(2011年)

2011年、アストン マーティンのラインナップは、最高出力760psの限定モデルであるOne-77から、トヨタiQ(米国ではサイオンから販売)をベースにした最高出力98psのシティカー、シグネットまで多様性に富んでいた。シグネットはEU(欧州連合)の厳しいCO2排出規制に対応するためのモデルであり、トヨタ車のリバッジであるという事実もほとんど隠さなかった。それでも年間4000台の販売を目指していた。

約300台が販売された後、2013年に生産終了。アストン マーティン2020年代に入り、初のSUVであるDBXやミドシップのヴァルハラなど、新たなセグメントへの参入を進めているが、再びシティカーを発表することはないだろう。

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アストン マーティン・シグネット(2011年)

メルセデス・ベンツXクラス(2017年)

メルセデス・ベンツは、日産ナバラのリバッジであるXクラスを約3年間販売してみて、リンカーンと同じ教訓を学んだ。Xクラスは2018年に世界で約1万6700台が販売されたが、予想を大きく下回る数字だった。生産は2020年に終了し、本稿執筆時点ではメルセデス・ベンツがこ新型のピックアップをリリースする気配はない。

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メルセデス・ベンツXクラス(2017年)

キャデラック・ブラックウィング・エンジン(2019年)

傑作エンジン「ブラックウィング」を潰したのは誰か? ゼネラルモーターズの誰も手を挙げようとはしないだろうが、おそらく間違いないのは、もうキャデラックに搭載されることはないということだ。このツインターボの4.2L V8エンジンはゼロから開発されたユニットで、CT6-V(写真)で10速ATと組み合わされて最高出力550psを発揮する。CT6-Vは短命に終わり、コストの関係もあってブラックウィングも生産を終了。

噂では、ブラックウィングは2020年モデルの新型エスカレードの高性能バージョンや、CTS-Vの後継車など、他のクルマにも搭載されるだろうと言われていたが、それは正確ではなかった。キャデラックは名称こそ残したものの、エンジン自体は引き継がなかった。

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キャデラック・ブラックウィング・エンジン(2019年)

また、ブラックウイングの亜種が第8世代のシボレー・コルベットに搭載されるという話もあったが、それも誤り。ゼネラルモーターズがこのエンジンをマニファットゥーラ・アウトモビリ・トリノ(MAT)というカスタムカービルダーに売却する可能性もあったが、ゼネラルモーターズによって否定されている。


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