2021年をもって、約60年にわたる歴史に幕を閉じた石原プロモーション。撮影用機材や技術クルーを自社で保有するこだわり抜かれたスタイル、ハードボイルドな世界観を貫いた作風によって、真似することのできない唯一無二の映画製作会社として君臨した。今回は、日本映画史に名を刻んだ“石原プロ”の歴史と、その作品の魅力について解説する。

【写真】石原プロの代名詞・サングラスをかける舘ひろし

■昭和大スター石原裕次郎の個人事務所としてスタート

石原プロモーションは、昭和のトップスター石原裕次郎の個人事務所として1963年に設立。裕次郎が所属していた映画会社・日活の所属俳優である渡哲也、浅丘ルリ子らが所属した。

設立時から1973年にかけて、裕次郎主演の映画作品を多数発表。市川崑監督「太平洋ひとりぼっち」、“世紀の難工事”と言われた黒部ダム建設の苦闘を描いた「黒部の太陽」、風来坊レーサーが過酷なサファリラリーに挑戦する「栄光への5000キロ」などが製作、公開された。

一方で興行的には“失敗に終わった”と言わざるを得ない作品も少なくはなく、経営の存続が危ぶまれる苦境に立たされることになる。

そんななか迎えた1972年、裕次郎がテレビドラマ太陽にほえろ!」の主演を務めたことで状況は好転する。同作は、警視庁七曲警察署を舞台に、事件の発生から解決までと登場人物のエピソードを描く刑事ドラマの金字塔的作品。それぞれのキャラクターを深堀りしたドラマ性、息つく暇を与えないアクションシーンで人気を博し、約15年にわたる長寿番組となった。松田優作が演じた柴田純の殉職シーンは、今でも語り草になっている。

同作のヒットでテレビ界に活路を見出した石原プロは、自社でテレビドラマの制作を開始。1976年から1979年にかけてハードアクション作品「大都会」シリーズ、1979年から1984年にかけて西部劇をイメージした「西部警察」シリーズが放送された。いずれも渡哲也が主演を務め、巨額を投じた銃撃戦カーチェイス、派手すぎる爆破シーンが反響を呼んだ。

ハードボイルドだけではない、石原プロならではの輝きを放つ“人情派”の名作たち

決してすべてが順風満帆というわけではなかった石原プロ。特に重きを置いていた映画製作事業に関しては、映画事業が斜陽となっていた時代と重なったこともあって浮き沈みの激しさを味わい、テレビに一縷の望みを見出すこととなった。テレビ全盛期の活況は多くの人のしるところだろうが、石原プロは流行に流されることなく一際強い意思の煌めきで名作を生み続ける。

たとえば1978年に放送されたテレビドラマ「浮浪雲」。漫画「アシュラ」「銭ゲバ」などで知られるジョージ秋山の作品を原作としたもので、幕末時代の江戸を舞台に、動乱の世に生きる人々の姿を綴った時代劇だ。渡哲也と桃井かおりが夫婦役で共演。江戸時代という設定であるにも関わらず、アコースティックギターによる演奏シーンや、登場人物がピンク・レディーを口ずさむ場面、食卓にグラタンが並ぶ一幕など、コミカルな演出で話題を呼んだ。

さらに石原プロの代名詞ともいえる“刑事モノ”でも、「代表取締役刑事」の名前が上がる。勝どき・月島周辺を管轄する架空の警察署を中心に、下町に生きる人々の生活にフォーカスした群像劇だ。それまでの石原プロハードボイルド路線と、現代社会に根ざした問題を掬い上げる作風を掛け合わせた“人情アクション”もので、主演の舘ひろし渡哲也に加え、毎回豪華なゲストが出演している。たとえば三浦友和神田正輝が刑事役で出たと思ったら、「ペッパー警部」で有名なピンク・レディーMIE(現 未唯mie)が容疑者の身内として登場。坂上二郎&高木ブーから若かりし頃の豊川悦司に香川照之など、老若男女の有名人たちが足跡を残している。

同作は強盗や殺人といった凶悪なものばかりでなく、万引き・下着泥棒・空き巣など身近な事件を取り扱うのも特徴の1つ。実際に警察署内でおこなわれている地味ながら大切な通常業務、地域住民たちの生活風景、下町の風俗などを緻密に描写した脚本が特に輝いて見える名作だ。

石原プロの主力部隊とも言うべき「大都会」「西部警察」シリーズのスタッフが携わった「愛しの刑事」は、1992年から1993年にかけて放送された。舘ひろし演じる刑事防犯課をリードする羽山刑事が、宅麻伸演じる本庁に勤務していた川村刑事を迎え入れることから物語が始まるバディーものだ。羽村と川村は当初、上司から“水と油”と評されるような関係性。しかしやがて育まれる2人の熱い友情、共演者が演じるキャラクターの心の機微を映し出した“人情路線”が支持された。なお同作は石原プロの事務所内で撮影されたという話も有名で、熱心なファンの多い作品でもある。

石原プロの作品は多くがDVD化されているが、名前を挙げた3作品も例外ではない。昭和の空気感、時代の世相を原色で表現し、日本の歴史に名を残した石原プロ。半世紀以上の歴史の中で、自社のやり方を決して崩すことはなかった。しかしそれは、派手なアクションシーンばかりではなく、時代ごとに表現を変え、演出を工夫し、その瞬間に生きる人々の思いを反射する形で受け継がれている。

日本ドラマ史に燦然と輝く「石原プロ」令和のいまも色あせない魅力/※提供画像