米軍の退役軍人らが下院監視小委員会の未確認航空現象(UAP)、いわゆるUFOに関する公聴会で証言台に立った。そしてそこで明かされたのは、「米政府はUAP情報を保持しているだけでなく、それを操縦していた非人間パイロットたちの遺体も持っている」という、あまりにも衝撃的なものだった。

 この7月26日の暴露に対し、公聴会委員のひとりであるティム・バーチェット下院議員は、次のように踏み込んだ。

「国防総省と官僚らは何十年にもわたり、この情報を隠匿してきた。今こそ、光を当てる時が来た。アメリカ国民は真実を知る資格がある。隠蔽工作は終わりです」

 UAPの真相解明に向け、新たな一歩が踏み出されたと宣言したのである。当然ながら、各国のメディアが次々と報道することになった。

 人間ではないパイロットの遺体を保管しているとはタダごとではないが、実は日本でも遺体どころか、異星人そのものが「漂着」し、住民とのやり取りまで行われていた史実がある。しかもそれはなんと、266年前の江戸時代だったというのだ。歴史研究家が解説する。

「常陸国の海岸に流れ着いた奇妙な形状の船に乗るひとりの女性が、宇宙から来た異星人ではないかと話題になりました。滝沢馬琴の『兎園小説』をはじめとして、数多くの史料に残されています」

 その「兎園小説」によれば、「江戸のUFO目撃情報」としてあまりに有名な「虚舟漂着事件」が起こったのは、亥の年(享和3年)3月26日。場所は、常陸国の原舎ノ浜というところだった。

 異国船が漂着し、中を覗いてみると、舟の中には身長5尺(151センチ)ほどで顔色が悪く、歯が白く細かい20歳ぐらいの美女が乗っていたという。

 女性は2尺四方ほどの箱を持っており、村人たちが「それはなんだ?」と聞いても、しっかりと抱えたまま手放さなかった。先の歴史研究家が言う。

「船中には謎の文字が記され、船首と尾翼の形状が飛行艇を思わせることから、養蚕の女神である金色姫が当時の天竺、つまりインドから虚舟に乗せられて常陸に流れ着いた、という説が出ました。このほかにも、宇宙から舞い降りてきた異星人だったのではないか、との伝説も残されている。虚舟の漂着現場と推定される神栖市の寺社には、金色姫の姿を模した『蚕霊尊像』が祀られています」

 はたして虚舟は異国船だったのか、養蚕の伝道者である女性の乗り物だったのか、あるいは本当に彼方から舞い降りてきたUFOだったのか。266年の時代を超えた壮大なロマンは、広がるばかりだ。

ジョン・ドゥ

アサ芸プラス