日本最高峰にして世界遺産にも指定されている富士山。そこの中腹に小さなアメリカ軍基地があります。ほかの在日米軍基地と比べマイナーですが、実はアメリカ海兵隊の模範的存在にもなっています。

すでに80年近い歴史ある米軍キャンプ

日本最高峰として知られる富士山ですが、その中腹に在日米軍基地があることは案外知られていません。規模的にはアメリカ空軍の横田基地や嘉手納基地、そして三沢基地、アメリカ海軍横須賀基地や佐世保基地などと比べると小さく、所在人員も少ないため、地味な存在ですが、在日米軍にとっては必須の施設となっています。

それは、アメリカ海兵隊が管理する「キャンプ富士」です。陸上自衛隊の東富士演習場に隣接して設けられているこの施設、なぜここにあるのでしょうか。

実はキャンプ富士の歴史は意外と長く、その始まりは太平洋戦争の終結直後にまで遡ります。終戦の年である1945(昭和20)年に、現在の東富士演習場がアメリカ軍に接収されると、現在のキャンプ富士がある位置に「ノースキャンプ」という拠点が設けられました。

それから8年後、自衛隊が発足する直前の1953(昭和28)年、ノースキャンプの半分が日本に返還されています。返還された元ノースキャンプ部分の半分が陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地になりましたが、残り半分は日本に返還されたとはいえ、そのままアメリカ軍の使用エリアに留め置かれ、現在のキャンプ富士になりました。

キャンプ富士の土地面積は約1.25平方キロメートルで、おおよそ東京ドーム26個分の広さです。主要な施設として、キャンプ富士の運営を行う司令部と、短いながらもICAO空港コードが与えられている飛行場地区(富士場外離着陸場)、通称「滝ヶ原飛行場」があり、さらには米軍兵士のための福利厚生施設としてジム、バー、売店、フードコートなどが設置されています。

なお、これら福利厚生施設ですが、兵士からは概ね好評なものの、前出の東京都にある横田基地や神奈川県にある厚木基地、横須賀基地と比較すると、どうしても見劣りしてしまうため、アメリカ兵のなかには、これら大きな基地へと買い物にいく者も少なくありません。

訓練用だけどブートキャンプではないよ

では、なぜキャンプ富士が在日米軍にとって必要不可欠な施設なのか。その理由は、冒頭に記した「東富士演習場に隣接している」という点です。つまり、陸上自衛隊の演習場でアメリカ軍が各種訓練を行う際、ここが寝泊まりできる場所となっているわけです。

よって、キャンプ富士で新兵教育などは行っておらず、映画やマンガなどで見かけるような「ブートキャンプ」(新兵訓練所)としても使われていません。ちなみに、アメリカ海兵隊ブートキャンプにはMCRD(マリーン・コー・リクルート・デポ)と呼ばれる専門の新兵訓練施設、いわゆる新隊員教育隊が配置されています。

全米を、ミシシッピ川を境として東西に分け、西に居住する若者はカリフォルニア州サンディエゴで、東に居住する若者はサウスカロライナ州にあるパリスアイランドで受け入れ、一人前の海兵隊員に育て上げています。逆にいえば、アメリカ海兵隊が持つブートキャンプは世界でもこの2か所のみです。

そのため、キャンプ富士は、自衛隊的にいえば大きな外来施設という位置づけです。ゆえに、常駐している海兵隊員も150名前後と少なく、勤務する日本人従業員も同程度であることから、ほかの在日米軍基地と比べるとマイナーな存在となっていると言えるでしょう。ただ、東富士演習場で訓練するための部隊が来ているときは、その数倍にも人数が増えるため、そのときだけは賑やかになります。

ちなみに1960年代から70年代にかけて起きたベトナム戦争のときは、多くの将兵がキャンプ富士で訓練を受けてからベトナムへと派遣されていたため、この周辺は当時、米兵目当てで多くの飲食店が立ち並び、極めて賑やかだったそうです。ただ、今となってはその面影もほとんど残っていません。

なお、歴代のキャンプ富士司令官は地域との繋がりを重視していて、実際に地元住民とは良好な関係を作り上げることに成功しています。ゆえに、キャンプ富士の地元対応は在日米海兵隊において「フジ・モデル」と呼ばれており、すべての在日米海兵隊が模範とすべき理想の基地であるともいわれています。

フレンドシップデーのために飛来したMV-22B「オスプレイ」。将来的にF-35Bがキャンプ富士に着陸することはあるのだろうか(武若雅哉撮影)。