GDPが日本の3分の1ほどと小さいロシアが、世界経済の主要プレーヤーでいられる背景には、豊富な天然資源の存在があります。そして、ロシアをはじめとする資源国にとって、ESGは「望まざる客」といえます。本稿では、フロンティア・マネジメント株式会社の代表取締役を務める松岡真宏氏と、同社のマネージング・ディレクターである山手剛人氏の共著『ESG格差 沈む日本とグローバル荘園の繁栄』から一部を抜粋し、資源国と非資源国のESG推進へのコミットメントの違いとその背景について解説します。

天然資源とSDGs達成度のランキング

近代・現代の戦争は国家の富を奪い合う行為だ(ここでは宗教戦争は捨象する)。

人口が国家の富を表象する時代であれば、戦勝国は属国にした国家の民を奴隷として奪う。

ヴェルディオペラアイーダ』でも、戦勝国となったエジプトの将軍ラダメスは、敗戦国エチオピアから大量の捕虜・奴隷を引き連れて凱旋する。農業に適した肥沃な土地が富であれば、戦勝国は属国の土地を奪う。

近代・現代における国家の富はエネルギーであり、必然的にエネルギーの争奪が紛争の主要因となる。産業革命以降、国富の指標である経済力を上昇させるには、エネルギーが必須となった。

具体的には、石炭、石油、天然ガスなどだ。天然資源に乏しい日本も、エネルギーへの渇望から第二次世界大戦に突入した経緯がある。

日頃、我々は国家の力量、いわゆる国力を経済力と比例して考える癖が身についている。

しかしながら、それは平時の発想にすぎず、これが戦時にも通用するかどうかは疑問だ。

著名なエネルギー専門家であるダニエル・ヤーギンは、近著『新しい世界の資源地図』において、ロシアプーチンが「石油は世界の政治、経済で、最も重要な要素の1つ」と述べたことを紹介している。

ロシアのGDPは世界第11位(2021年)と低く、日本の約3分の1にすぎない。

ロシアウクライナに侵攻した際も、ロシアの小さなGDPを考えれば世界経済への影響は大きくないという解説をする識者もいた。

しかし実際には、ウクライナ侵攻は世界経済を震撼させることとなった。

ロシアのパワーの源泉は、その豊富な天然資源だ。

先述のヤーギンは、「ロシアは世界の三大産油国の1つに数えられる」とし、「ロシアが世界経済の主要なプレーヤーであるのは、何よりも石油と天然ガス資源のおかげだ」と結論づけている。

ジャーナリストの船橋洋一は、『国民安全保障国家論││世界は自ら助くるものを助く』の中で、ロシアの天然資源が持つパワーの影響力について、豊富なエピソードを用いて紹介している。

以下のコメントは同書からの引用となる。

2022年3月初旬にG7エネルギー担当相会議がオンラインで開催され、ウクライナガルシェンコ担当相が「ぜひ、ロシアからの化石燃料の輸入を止めていただきたい」と懇願すると、G7出席者から沈黙が流れ、ドイツのハーベック副首相はこう答えた。

「私たちは、ロシアにエネルギーをこうまで依存してしまった。歴史的過ちだった。ただ、いま、これを言うのは胸が張り裂ける思いだが、ロシアからのエネルギーの輸入をいま、ここでストップすることはできない」

ウクライナを代表する気候変動学者のクラコブスカは、「(欧州は)化石燃料をロシアに依存してしまい、自由を奪われてしまった。この戦争は化石燃料戦争なのだ。ロシアの化石燃料に依存し続けるということは我々の文明を破壊することになる」と述べている。

資源国にとってESGは「望まざる客」

日本でも、戦争や紛争など緊急時に備えて、食料安保の準備をすべきという議論が出ている。

コロナ禍ではワクチン安保という考え方も議論された。マスク安保という荒唐無稽な話もあった。軍事力強化による安全保障の話も継続的に行われている。

しかし、食料もワクチンも軍事も(マスクも)、エネルギーがあってはじめて意味のある安全保障が担保される。

産業革命後の我々の生活システムは、その根幹にエネルギーがある。

空気のありがたさに普段は気づけないのと同様、平時にはエネルギーのありがたさが実感できない。しかし、エネルギーがなければ、現在の我々の社会空間自体が成立しない。

ESGという思想には、天然資源依存からの脱却というテーマ(E)が通底している。それは天然資源を持たない国家からすれば極めて好ましい世界であり、国家の自由度を高める僥倖だ。

逆に、天然資源を原動力に世界での「チェスゲーム」でパワーを維持・向上しようとする国家からすると、ESGは望まざる客ということになる。実際のところ、主要各国のESGへの取り組みは、天然資源の有無と極めて強く連関しているのだ。

エネルギーは粗野なパワーだが、ESG推進は、エネルギーを持たない国家(弱者)が、持つ国家(強者)に仕掛ける「イデオロギー闘争」とも言える。

そして、ESGは理性のパワーとなる。

ESGの各国別のデータ比較は容易ではないのだが、持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN:Sustainable Development Solutions Net work)などが発表している各国のSDGs達成度という指標が参考になる。

前頁の[図表1][図表2]を見てみよう。

[図表1]は、SDGs達成度と原油埋蔵量のランキングの相関だ。

横軸はSDGs達成度ランキングであり、右に行けば行くほどSDGsへの取り組みが消極的だ。

縦軸は原油埋蔵量のランキングであり、上に行けば行くほど原油埋蔵量が乏しい。

[図表2]は、同様の相関図を天然ガスで図表化したもので、横軸は[図表1]と同じだ。

縦軸は天然ガスの埋蔵量のランキングであり、上に行けば行くほど天然ガスの埋蔵量が乏しい。

2つの図表とも、南アフリカトルコという2国を捨象すると、左上から右下にかけて放物線を描くことができる。興味深いことに、原油や天然ガスといった天然資源の埋蔵量が乏しい国ほど、SDGsへの取り組みが積極的なのである。

逆に、天然資源に恵まれた国家ほど、SDGsへの取り組みに消極的となる。

ロシアによるウクライナ侵攻は、明らかな反ESG行為だ。

しかし、この2つの図表から類推するに、今回のロシアの行為は、ロシアという“ならず者国家”の特殊な動きとはにわかには言えない。

ESGの「E」が国家を分断する可能性とは

ロシアに限らず、天然資源に恵まれた国家は、社会の持続可能性に対するコミットメントが強くない。そのインセンティブが乏しいとも言える。

ここに、ESGのEの切り口で、国家間が分断される様子が見て取れる。

カーボンニュートラルやグリーンエネルギーなどESGのEが目指す世界はクリーンで、誰もが抗いがたい世界だ。しかし、天然資源に恵まれた国家にとっては、それほど甘美な思想ではない。

パワーゲームにおけるカードの効力が弱められるからだ。

プロテスタントによる国家建設という出自から考えると、米国(カナダカトリックプロテスタントの比率が拮抗している)はドイツなど欧州の一部と同様の価値観を持っていると考えがちだ。

しかし、米国やカナダは原油や天然ガスといった天然資源に恵まれており、欧州の主要国とは初期的な条件が大きく異なる。

ESGは多分にキリスト教的な色彩が強いとも言われる。

それは地球環境への負荷、人権侵害など西洋人が歴史的に犯してきた罪への対応という側面があるのかもしれない。

プロテスタントドイツも、カトリックフランスイタリアも、[図表1][図表2]では左上にプロットされている。

持続的社会の実現に対するコミットメントは必ずしも宗教的なものの影響だけではない。

むしろ、プロテスタントであれ、カトリックであれ、宗教的なものよりも、各国が保有している天然資源の水準こそが、社会の持続可能性に対するコミットメントを左右する。

国家を分断するESGのE。

ロシアウクライナ侵攻による衝撃は、持つ国家と持たざる国家での利害衝突(コンフリクト)という対立の文脈から今後のESGを直撃すると理解すべきではないだろうか。

松岡 真宏

フロンティア・マネジメント㈱

代表取締役 共同社長執行役員

山手 剛人

フロンティア・マネジメント㈱

マネージング・ディレクター コーポレート戦略部門 企業価値戦略部長 兼 産業調査部

(※写真はイメージです/PIXTA)