2023年9月2日(土)に、歌舞伎座『秀山祭九月大歌舞伎が開幕する。昼の部では祇園祭礼信仰記 金閣寺(ぎおんさいれいしんこうき きんかくじ)』が上演され、中村米吉が雪姫に初役で挑む。「三姫」の一つに数えられる大役だ。

米吉は『新作歌舞伎 風の谷のナウシカ』でナウシカを、『新作歌舞伎ファイナルファンタジーX』でヒロインのユウナを演じ、歌舞伎ファンからも原作ファンからも好評を得てきた。時代物の名作で、どのような雪姫をみせるのか期待が高まる。扮装写真の撮影を取材し、役への意気込み、播磨屋の役者としての思いを聞いた。

■9月歌舞伎座の秀山祭で

ーー雪姫が決まった時のことをお聞かせください。

米吉:憧れの役でしたが、歌舞伎座で、しかも吉右衛門のおじさまのご追善でやらせていただけるとは思いもしませんでした。6月、同じ楽屋にいる父(中村歌六)から何だか知らないんだけど暗号のようなラインが来たんです。

"金 土 二"
"車 連 一"

9月の演目が決まったから当ててごらん、ってことだろう。金は『金幣猿島郡』の突然の上演? 土は『土屋主税』で二は『二月堂』だな、あれ? これ山城屋のおじさまのご追善か? とかなんとかあえて捻ってみたり(笑)。ふざけずに真正面から考えたら、金が『金閣寺』なのはすぐに分かりました。そして詳しく話を聞いたら、父が松永大膳をやると分かって、それは良かった! と思いました。「此下東吉は雅行(中村勘九郎さんの本名)だよ。栄ちゃん(栄一。中村福助さんの本名)も慶寿院で出るって」と。じゃあ雪姫は? とたずねると「あなただよ。優太(中村児太郎さんの本名)と半分ずつ」。びっくりしましたよ。

「顔をみたら帰るよ。最近会っていなかったから」と姿をみせた父・中村歌六さん。4時間ぶりの再会だったそうです。

「顔をみたら帰るよ。最近会っていなかったから」と姿をみせた父・中村歌六さん。4時間ぶりの再会だったそうです。

米吉:『金閣寺』は、大膳、東吉、雪姫の3人が物語の中心となります。配役のバランスによってお芝居の印象が変わる作品でもあり、雪姫が主役と受け取れる公演もありますよね。9月は、吉右衛門のおじさまのご追善の「秀山祭」ができるのか。できるのであれば、そこに自分もなるべくたくさんのお芝居に出していただけたら。それ以上のことは頭にありませんでしたから、本当に驚きました。

ーー初めての役です。どなたに教わりますか?

米吉:もしお願いできるなら、と思い浮かんだのは坂東玉三郎のおじさまです。しかし、おじさまは8月は京都南座でご自身の舞台がおありなので難しいかもしれない。そんな中、最近よくご一緒させていただいている尾上菊之助兄さんが、雪姫の夫・狩野之介直信役で出演されると知りました。

縄に縛られ桜の木に繋がれた雪姫は、桜の花びらに鼠を描き奇跡を起こします。

縄に縛られ桜の木に繋がれた雪姫は、桜の花びらに鼠を描き奇跡を起こします。

ーー菊之助さんは、2012年に雪姫をつとめられています。

米吉お兄さんは、玉三郎のおじさまに雪姫を習われています。お兄さんに稽古していただければ、開幕後も見ていただけるはず。玉三郎のおじさまにもどこかで1度は見ていただけたら、と思いました。そんなことを考えだした矢先、もう1人の雪姫からラグビータックルのような勢いで、「ねえ! 聞いた!? どうする!!? 僕はもう1回玉三郎のおじさまに見ていただきたいんだけれど! 南座だよね!」と連絡が。

ーー児太郎さんですね! 中学から高校までラガーマンでした。2018年に雪姫をつとめられています。

米吉:児太郎さんは、前回はお家のやり方でもある成駒屋さんの型で雪姫を勤めていました。そちらの型の場合、雪姫が繋がれる桜の木の位置が、舞台上手側になります。玉三郎さんのおじさまの場合、本行(文楽)に倣って桜の木を舞台下手側にされますし、本行にはあった台詞を足すなどの工夫もされています。今回は児太郎さんも、玉三郎さんのやり方でやってみたいと話していました。

雪舟の孫でありながら「姫」となった経緯など、竹本葵太夫さんにも話を聞きにいったそう。

雪舟の孫でありながら「姫」となった経緯など、竹本葵太夫さんにも話を聞きにいったそう。

米吉:彼とも色々と相談をした上で玉三郎のおじさまにお電話したところ、「私が教えた人に細かいことを習っておいて。お稽古は見に行くから」と仰って頂き、すぐに菊之助兄さんにもお電話してお稽古をお願いしました。不思議なもので、菊之助兄さんが雪姫をなさった時の直信は父だったんですよ。今度は僕の雪姫でお兄さんが直信。ご縁を感じますね。

■雪姫は自分から動き、奇跡を起こす

ーー『鎌倉三代記』の時姫、『本朝廿四孝』の八重垣姫、そして本作の雪姫が「三姫」と呼ばれています。

米吉:「三姫」の中でも雪姫が特殊なのは、能動的に自分から行動を起こすところでしょうか。時姫は、恋しい人に強く言われて、その人と一緒になるためにようやく親を討つ覚悟をする。八重垣姫は、死んだ許婚が忘れられず、瓜二つの人を見て、やっぱり生きていた! と(笑)。狐の神様の力で、男を助けに諏訪湖を渡ります。

米吉:雪姫の場合、大膳によって金閣寺に幽閉され、夫を人質にとられ、はじめは「どうすることもできない」と諦めた気持ちでいます。しかし大膳が仇だと知って変わります。桜の木に縛られても、祖父雪舟の血筋が助けてくれると信じて行動し、超自然的な奇跡を起こして夫を助けに行きます。

米吉:ふわふわとしたお姫様とは違うんですよね。心がぐっと決まるところ、踏み込むきっかけとなる大切な台詞など、菊之助のお兄さんに教えていただいているところです。僕がイメージしやすいように、「ユウナが、父ブラスカの血を信じているのと似ているね」なんて例えてくださったりもして。雪姫を経験された方々は、上手の障子屋台にいる間が大変だ、と口を揃えます。動くことなく、雪姫という存在をどう見せていくかが難しいそうです。

■二代目吉右衛門のところにいた中村米吉

ーー9月は「秀山祭」であると同時に、二世中村吉右衛門さんの三回忌追善公演でもあります。吉右衛門さんが旅立たれ、播磨屋としての意識に変化はありますか。

米吉:強く思うようになったのと、あまり思わなくなったのと、行ったり来たりです。ご存命の頃は、「播磨屋の役者」と言えば「二代目吉右衛門のもとにいる役者」でした。播磨屋という大きな看板を掲げたお店に、二代目吉右衛門というとんでもなく大きくて素晴らしい旦那がいた。お客さまはそこに信頼をよせてくださっていた。僕はそこにいる丁稚さんみたいなものですよ(笑)。

米吉:誰よりもおじさまが怖かったし、おじさまの前が一番緊張しました。だからおじさまのいない座組のお芝居でも、「吉右衛門さんのところで何を学んでいるんだ?」と思われないようにしなくちゃいけないと思っていました。そして、そういう意識があろうとなかろうと事実おじさまがいて、僕は播磨屋の役者でした。それがまごうことなき事実でした。

米吉:でも、おじさまが亡くなられて2年。「播磨屋の一門」という言葉を以前のまま使うのは難しくなってきたのかもしれません。実際、叔父(中村又五郎)や従兄弟(中村歌昇、種之助)さんたちと、全然一緒になっていないんですよ。今年は種之助と一緒に1回踊って、あとは『研の會』でご一緒したくらい。でも播磨屋の意識が薄れた、というのではないんです。僕は常に「吉右衛門さんのところにいた役者」になり、吉右衛門のおじさまは、いつでもこちらを見られるところへ行かれたのですから。播磨屋の精神性は、自分の中で何よりも強く持ちながら、それぞれの舞台に精一杯立たせていただくことが大事なのかな。おじさまが見ているかもしれない、という緊張感をもって。まあ……おじさまは、お孫さんである尾上丑之助くんのことだけをご覧になっているのでしょうけれど(笑)。

■傾城歌六に三代目時蔵。女方のルーツはあるけれど

ーー歌六さんが人間国宝に認定されました。おめでとうございます! 歌六さんは、米吉さんに「歌舞伎役者になれ」と言うことはなかったそうですね。

米吉:父は言いませんでしたし、子どもの頃に踊りのお稽古に行きたくないと駄々をこねれば、母からも「じゃあ行かなくていいです」と言われていたし(笑)。踊りのお稽古も舞台に立つのも好きではなく、子役時代はたった3回くらいしか舞台に出ませんでした。周りの同世代と比べて圧倒的に少ないです。

ーー歌舞伎俳優になるつもりでは、あったのでしょうか。

米吉歌舞伎役者がこんなに大変だなんて、大人になるまで知らなかったから(笑)。子供の頃、父が家で稽古する姿を一回も見たことがありません。当時、父は市川猿翁のおじさまのところにいましたから、楽屋に行けば(市川)猿弥さんが「おう、修ちゃん(修平。米吉さんの本名)!」と遊んでくれて、父が「うるせえなあ」なんてぼやいて。春猿(現・河合雪之丞)さんと段治郎(現・喜多村緑郎)さんのお二人はだいたい一緒の楽屋で声をかけてくれて、猿之助のお兄さんは顔をあわせれば、イーッ! なんて構ってくれて、段四郎のおじさまもいて。皆いつも優しかった。そして舞台に出れば本当に格好良い。スーパー歌舞伎『新・三国志Ⅱ』で、(市川)笑三郎さんがなさった南蛮国の祝融は、なんて格好いい女方だろう! と憧れたのを覚えています。

『祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉  (C)松竹

祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉  (C)松竹

ーー昔から、女方を視野に入れていたのでしょうか。きっかけは?

米吉:きっかけは一つではありません。祖母に「あなたの手は女方に向いている」みたいなことを言われたのも一つ。児太郎さんのお父さま、中村福助のおじさまの存在も大きいです。中学生の頃に福助のお兄さんの『京鹿子娘道成寺』(2006年5月新橋演舞場)に、所化で出していただき、初めて踊りの面白さ、歌舞伎の音楽の魅力を知りました。同じ月に、お兄さんは『夏祭浪花鑑』でお辰もなさっていて、それも大変素敵で憧れました。何かの機会に「女方やりなさいよ」と言ってくださり、自分には女方の道もあると気がつきました。大人になって分かったのは、「女方の役者は、手当たり次第に、女方やったら? と言う」ってこと。僕も若い人たちを捕まえて言っています(笑)。

ーー初代中村歌六は、大変な人気の名女方だったそうですね。

米吉:「傾城歌六」と呼ばれ、江戸時代の終わりに上方で活躍しました。当時、京都南座の向かいに北座という芝居小屋があり(今は八ツ橋屋さんの北座ビル)、初代歌六は、その両方で立女形を勤めたといいます。派手好きで、帰宅の時は家の一つ前の角から門の前までの道にダーッと灯りをたてさせていたとか……何がしたかったのでしょうね(笑)。そんな初代歌六の孫が、初代中村吉右衛門おじさま、曾祖父の三代目中村時蔵、十七代目中村勘三郎おじさまです。

『祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉 (C)松竹

祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉 (C)松竹

米吉:僕が本格的に歌舞伎の道に入ったのは18歳の時でしたが、それより前から歌舞伎への気持ちはあり、「舞台経験が少ない」と自覚もしていました。その焦りもあって芝居の本を読んだり写真や映像を見たり。やたらと知識だけはある耳年増の頭でっかちになったんです。知識を集めていく中で、三代目時蔵という女方、つまり曾祖父のすごさを知りました。

『祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉 (C)松竹

祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉 (C)松竹

米吉:紆余曲折あり色々なことの積み重ねで、僕は女方への覚悟を決めました。それでも吉右衛門のおじさまに「女方で」とお伝えした時は、電話口で震えが止まりませんでした。「みんな子供の頃から徹底的に女方の踊りを覚えて、やっとで舞台に出るんだよ。そう簡単にできる事できることではないよ」と言われ、歩き方から女方の稽古を始めたんです。

ーーそして播磨屋で、女方として。

米吉:僕は女方なので、立役の吉右衛門のおじさまから習ったお役はありません。父のように、ともいきません。女方へのルーツはあっても、もう誰も初代歌六や三代目時蔵の芸をきちんとは知りません。だからこそ自由でもあるのかもしれない。玉三郎のおじさまや菊之助のお兄さん、違うお家のたくさんの先輩方に教えていただくことができます。先ほどお話したような、播磨屋としての精神は自分の中の土台骨として持ちつつ、自分なりの米吉という女方を作っていかなくてはいけないのかな。なんてことを、いつも考えているわけではありません。聞かれたから考えてみました(笑)。

ーー9月の雪姫が楽しみです。昨今のご活躍や雪姫への抜擢を思えば、もう「頭でっかち」ではなくなった、とも言えますか?

米吉ナウシカユウナなど、ありがたいことに話題性の高いお役をいただき、皆様のお目にとまるようになったとは思います。けれども上手くなった訳じゃないとも思っています。常に「できなかった」の感覚しか残りませんし、それでも「あーあ、今日もできなかった」と諦めて、次の舞台に立ちます。

『祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉  (C)松竹

祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉  (C)松竹

米吉:子どもの頃に一度だけ、神谷町のおじさま(七世中村芝翫)に稽古をみていただいたことがあるんです。心配していた父に、おじさまは「まあ、鳥居の数(経験)だからね」とおっしゃったそうです。どこまでも並ぶ鳥居を一つひとつくぐり前に進んで、積み重ねていくしかありません。昨日より今日、今日より明日より明後日。少しずつでも良くなればいいと思っています。

『祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉  (C)松竹

祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉  (C)松竹

歌舞伎座新開場十周年『秀山祭九月大歌舞伎』は、9月2日(土)から25日(月)まで。米吉は、昼の部の『金閣寺』、そして『新古演劇十種の内 土蜘』に出演する。

水分補給。

水分補給。

扮装写真=松竹株式会社提供   取材・文・写真((C)松竹の表記がないもの)=塚田史香

中村米吉