日本弁護士連合会によると、破産債務者のうち約4人に1人は60代以上の高齢者だそうです(2020年破産事件及び個人再生事件記録調査)。そのなかには、未婚で子どものいない“おひとり様”も存在します。可処分所得が多いはずの“おひとり様”が老後破産する理由はなんなのか、FP Office株式会社の伊藤敦志FPが具体的な事例を交えて解説します。
定年退職時は預金2,000万円だったが…“おひとり様”の悲劇
国立社会保障・人口問題研究所が実施した「第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)2021年6月調査」において独身者(18歳~34歳)に結婚の意思を尋ねたところ、「一生結婚するつもりはない」と答えた人は男性で17.3%、女性で14.6%となっています。
上記の回答は2000年代に入ってから増加傾向にあることから、独身者は今後も増えていくことでしょう。
現在71歳のAさん(男性)も“生涯独身”を選択したひとりです。
30代の頃、上司から「結婚しないと将来大変だぞ」「結婚しないと一人前の男になれないぞ」(ハラスメントですが)などと言われすぎて、結婚に対するアレルギー反応が出るように……そんな経緯もあり、趣味(釣りやゴルフ)に没頭し、人生を謳歌してきたAさん。
定年直前の年収は650万円で、60歳定年時の預金残高は「約2,000万円」(退職金含む)ほどでした。
「これだけあれば老後も安泰だろう」と思っていましたが、会社で行われた退職者向けセミナーに参加したところ、年金受給は65歳からであることを知りました。
「このまま退職すれば5年間は無収入か……」
年金の繰り上げ受給も検討しましたが、月額を減額されることがどうしてもひっかかり、会社の再雇用制度を活用することにしました。
再雇用期間は残業もなくなり、現役時代から70%ほど年収が下がりましたが、仕事内容・量ともに大幅に負担が減っていたので特に不満はなく、65歳まで満了することが出来ました。
年金の受給も開始され、セカンドライフを満喫していたAさん。
そんなある日、友人から海外旅行に誘われました。旅費は40万円ほど、行き先はオーストラリア。釣りもゴルフも楽しめそうです。
「40万円か……問題ないと思うけど、今の預金残高はいくらだったかな」
支払いはクレジットカード、公共料金などは自動引き落としなので預金残高を確認していなかったAさんは、残高を見て愕然とします。
定年時に「約2,000万円」あった預金が「548万円」まで減っていたのです。
「たった10年ちょっとで1,500万円近くも減っている!」
何とも言い表せぬ不安がAさんを襲います。
とはいえ、40万円が支払えない訳ではないので旅行には出かけることにしました。
なぜAさんの老後資金は急激に減ってしまったのでしょうか?
赤字収支であっても生活費を変えられなかった
現役中のAさんは残業が多く、帰りが遅くなることが多くありました。そういった事情もあり、夕食は馴染みの居酒屋でお酒を飲みながら食べることがほとんどでした。
再雇用期間は定時退社が基本で時間的な余裕ができたことから、時々自分で料理をするようになりました。一方、馴染みの居酒屋に通うことも続けており、休日に足を運ぶことも増えたので食費は現役時代とほぼ変わっていません。
そして、釣りやゴルフといった趣味にかけられる時間は現役時代よりも増加し、それぞれ月に1回だったものが2回ずつに増えていました。
社外へ営業に出ることがなくなったため交際費は自然と減っていましたが、それでも毎月の収支は赤字でした。現状のAさんの支出、収支は[図表1]の通りです。
なんと、毎月14万円もの赤字です。当然、老後資金が猛烈な勢いで減少していくことになります。このままの支出を続けた場合、Aさんの預金は4年以内に枯渇します。
「収入が減っているのに生活水準を変えないなんておかしい」
と思われるかもしれませんが、「変えない」のではなく「変えられない」のです。
多くの企業では50代が平均給与のピークとなっています。つまり、収入額だけ考えれば定年直前が人生で一番裕福でゆとりのある状態です。
よほど意識して倹約に努めない限りは、生活水準も一番高くなるタイミングでしょう。そんな裕福な状態から、新卒並みの所得(年金収入)になるわけです。
仮に「明日から収入が半分になります。生活費も半分にして下さい」と告げられて、どれだけの人が柔軟に対応できるでしょうか?
もちろん、退職時期は事前に分かっているので、上記の質問のようなことはあり得ません。しかし、分かっていてもすべての人が退職に向けて準備ができているわけではないのです。
日本弁護士連合会の「2020年破産事件及び個人再生事件記録調査」によれば、破産債務者のうち60代が16.37%、70代が9.35%となっており、破産者の4分の1を60代以上の方が占めていることが分かります。
また、破産債務者の平均月収は14万2,021円で、年金収入の平均月額は14万6,162円です(令和元年度厚生年金保険・国民年金事業の概況)。そして、破産理由のうち61.69%を「生活苦・低所得」が占めています。
このデータからみると、年金収入のみで老後の生活を成り立たせることは困難である可能性が高いということです。
老後破産は決して他人事ではなく、油断をすれば誰にでも起こりえることだと言えます。
あの上司さえいなければ…自暴自棄になったAさんの末路
Aさんに話を戻しましょう。
Aさんの状況からすると対策としては支出を抑えお金の寿命が尽きないようにする、もしくは再度働き始める、この2つしか選択肢がありません。
オーストラリア旅行から帰国したAさんは今後のことを考えながらこんな事を思っていました。
「結婚していれば家も買っていただろうし、趣味にお金も使わなかっただろうから貯金だってもっと……あの上司さえいなければ俺の人生も変わっていたのに! なんでこの歳になってこんなに苦労しなきゃいけないんだ。もうどうにでもなれ!」
恨みたい気持ちも分からなくはないですが……仮に、自暴自棄になったAさんが今のまま支出を続けた場合、他の問題にも直面することになります。
賃貸物件からの退去
高齢であることのみを理由に賃貸からの退去を求めることはできませんが、今のAさんの状況では数年後には家賃の滞納が発生する可能性が非常に高いでしょう。
当然、家賃を滞納していれば立ち退きを求められることになります。その際、新たな住まいを探すのは非常に難しそうです。
滞納が発生しないように、より安い物件に引っ越しを検討したとしても「年金収入だけでは滞納が発生するのでは?」と大家さんが不安を抱けば入居を断られることもあり得ます。
家賃債務保証制度を利用すれば、万が一入居者が家賃を滞納した際にも大家さんには家賃が保証されるため、入居の確率は高まるでしょう。ただし、制度の利用にあたり、入居者は賃料の他に保証料を負担しなければならない点、注意が必要です。
都市再生機構(UR)が高齢者向けに提供している賃貸住宅などもあり、こういった物件から優先的に検討していくことが大切です。
医療費、介護費用の不安
Aさんに限らず、年齢を重ねれば誰しもが直面する問題です。年齢が上がれば上がるほど1人当たりの医療費は増加傾向にあります。
Aさんも入院や手術などの突発的な支出に対応するために医療保険に加入はしていたものの、80歳が満期となっていました。これでは80歳以降の入院・手術には対応できません。
そして、その先に待ち受けている介護についても、まったく準備ができていない状況です。老人ホームとひと口にいっても、入居条件や入居後に受けられるサービスには違いがあります。Aさんの場合、入居後の費用は年金収入で賄えるかもしれませんが、入居時の一時金が支払えない可能性があります(一時金がない施設もあります)。
リスクを上げていけばキリがありませんが、その時になって「こんなはずじゃ無かった」と思ってもどうにもなりません。
退職後の収支コントロールもとても大切ですが、退職を見据えて事前に資金計画を立てておくことがより重要です。
Aさんの場合、仮に再雇用となった60歳から80歳までこれまでと変わらぬ生活を送りたいのであれば、
14万円×12ヵ月×20年=3,360万円を蓄えておく必要がありました。介護費用も考慮するならば、4,000万円ほどあればより安心でした。
3,360万円もしくは4,000万円を何年かけて準備するのか、現金で積み立てるのか、はたまたNISAやiDeCOなどの制度を活用して運用しながら準備するのか……現役時代に検討すべきことはたくさんあります。
いずれにしても、準備期間は長いに越したことはありません。「自分はまだ若いし退職後のことなんて」と思っている人も、一度ライフプランシミュレーションを立ててみると良いでしょう。
自分では気付けないリスクや資金準備のアイデアなど、プロのアドバイスを元に考え、向き合う時間は決して無駄にはならないはずです。
伊藤 敦志
FP Office株式会社
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