ずっと喉に小骨が刺さっていたのがいくらか緩和した気持ちになった。

 フィリピンの首都マニラで、フクイチの汚染水に関してのデモが行われた。そこで、明確な答えが叫ばれた「安全ならばなぜ東京湾に投棄しないのか」。その通りだ。なぜ東京や首都圏の電気が東北で作られているのか。原発が安全ならば、東京湾を埋め立てて自前で作ればよかったじゃないか。

 都知事が黄色い声で叫ぶだろう。東京湾には、昔からの文化的資源が存在するから、原発は作れないと。けれど、それならば、福島の海にだって言えることだ。当時の都知事も是非としなかったと言うかもしれない。死人に口なしだ。

 このデモは、あくまでもフィリピンの海と国民における安全性に対して行われたものだ。もう流されてしまっているが、すぐに止めれば国際的被害は最小限で食い止められるかもしれない~それはこれから長い間研究され、今の子どもたちが中年になるころに発表されるものかもしれない。少なくとも30年という歳月は子どもを中年にする時間だ。

 フクイチで作られた電気の恩恵にあずかっている人が率先して被害を受け入れるべきじゃないのか。福島の人が犠牲になるっておかしいだろう。もう処理水を置く場所がなければ、東京電力本社や関連施設に置けばいいじゃないか。福利厚生の施設もたくさんあるはずだからそこにだって置ける。役員の豪邸の庭には優先的に。

 そう安全ならば、東京湾から流しはじめればいい。

 多くの悲しみや憤りを解消できないまま、3.11を被災地である東北在住の国民は受け入れている。風評被害にも耐えてやっと12年、干支が一回りした。そこでまた風評被害レベルではなく、生業ができないくらいのダメージをまた受けなければならないのは理不尽ではないか。

 フィリピンの方々、よく言ってくださった。安全安全というならぜひ東京から、今からでも流してほしい。ならば東京湾から流れ出さないように策を作って、ため池にしても安全だろう。    北川さん(三重県知事の時代)、原発は三重県には置かないと明言した。その時代に中部電力の原発促進チームは、安全性は大丈夫。事故があっても車のワイパーの動きが少し悪くなる程度と豪語していたが何だったんだろう。

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