共働きではない夫婦にとって、老後の収入は多くの場合「働き手である配偶者の年金」に依存することになるでしょう。そのようななか、頼みの綱である働き手の配偶者を失った場合、遺されたほうはどのように生きていけばいいのでしょうか。牧野FP事務所の牧野寿和CFPが、事例を交えて解説します。

幸せな生活が一瞬にして崩壊

Bさんは、新卒で入った精密機器関係の上場企業C社で部長を務めるエリートでした。Bさんは、C社が入っているビルの受付として働くAさんに一目惚れ。猛アタックが実を結び、交際をスタートさせました。

Aさんは、短大卒業後、20歳で受付嬢として働き始めました。まだ働き始めたばかりのころにBさんに交際を申し込まれ、少し強引だけどどこか魅力的な夫に惹かれたBさんは、22歳で結婚。それ以来、専業主婦として1度も働いた経験はありません。

2人のその後の歩みは、下記のとおりです。

Aさんが30歳、Bさんが35歳のとき、長女が誕生。その3年後に長男が生まれました。「なるべくその後の受験のことを気にせずにのびのび育ってほしい」という思いから、子どもは2人とも中学から私立に通わせるなど、A夫妻は教育熱心でした。

長女は現在31歳になっており、勤務医の夫と結婚後、子どもが1人います。長男は現在28歳で、大学院を卒業後に就職した会社で海外駐在員を務めています。

長男誕生を機に購入したマンションの住宅ローンは、Bさんが60歳のとき退職金で完済しました。

Bさんが勤めていたC社では、60歳で定年退職後、65歳まで「個人事業主」として取引先の顧問業務を請け負う慣例があり、Bさんもそれに従いました。この業務による収入は年間約300万円です。

そしてBさんは66歳に。個人事業主としての業務は継続的に行っていましたが、ひと段落ついたこともあり、仲のよかったA夫妻は2人で国内旅行に出かけました。そこで、思わぬ事件が起こります。

「あ、ほら、そこから見るともっと綺麗だわ」Aさんがいい景色を見ようと小走りで横断歩道を渡ったところ、

“キーーーー!ッッッドン!!!”

後ろからついていったBさんは信号無視の車に轢かれ、帰らぬ人となったのです。

そこからというもの、Aさんは魂が抜けたような日々が続きました。マンションを買い、子どもたちも私立に通わせるなど、1馬力ながら頑張ってきた夫。男気があっていつも引っ張ってくれ、優しかった夫。夫と出会ってからの40年間の思い出が走馬灯のように駆け巡り、涙が止まりません。

今後の生活、どうしよう…

その後、子どもたちの力を借り四九日の法要を済ませ、なんとか落ち着きを取り戻したAさんは、だんだんと今後の生活のことが気になり始めました。

預金残高を見てみると、夫の葬儀法要や事業を畳む費用などの精算を終え、預金約300万円と保険金の1,000万円しか残っていません

また、夫は生前「年金受給額は夫婦あわせて月27万円。ほかに事業所得もあるのでなんとか生活していけるな」と言っていましたが、Aさんひとりになると、月約15万円の遺族厚生年金のみになります。

これまで1度もまともに働いた経験のないAさん。「これでは暮らしていけない。でも、できれば子どもたちには頼りたくないし、いったいどうすれば……?」

これからの生活が心配になったAさんは、筆者のFP事務所のところに相談に訪れました。

Aさんが考えた「生活プラン」は実現可能か?

筆者は、Aさんが描いている今後の生活が実現可能か、家計収支の面から確認することにしました。

Aさんが考えている今後の生活プランは、下記の3つです。

1.自宅マンションで過ごす 2.自宅を売却or賃貸に出し、Aさんは中古の戸建て住宅に住み替える 3.長女家族と同居する

1.自宅マンションで過ごす

Aさんは、「住み慣れた自宅で過ごすのが一番いい」と考えているそうです。

ただし、これまで親子4人で生活してきた家に1人で住むのは広すぎますし、今後も修繕積立金などの維持管理費が月3万5,000円ほどかかります。また大規模修繕のための費用負担も気になるところです。このまま住み続けられるか不安でした。

2.自宅を売却or賃貸に出し、Aさんは中古の戸建て住宅に住み替える

子どもたちが独立したら、狭くても庭いじりのできる中古の戸建て住宅に引越すことが、A夫妻の老後の夢でした。

現在の自宅を売却するか賃貸に出し、家賃収入が入れば、この夢は実現することができそうです。

3.長女家族と同居する

長女一家は、Aさんの自宅から車で15分ほどのところにある賃貸マンションに住んでいます(なお、長女の夫は次男で、実家はすでに長男が継いでいるそうです)。長女夫婦は、「Aさんさえよければ、同居してもいいよ」と言ってくれているそう。

Aさんは、この3つのうちどれを選ぶのが最適なのか、迷っているといいます。

夫亡き後の「年金受給額見込額」は…

次に、Aさんの家計収入の柱となる「年金受給見込額」を確認します。

※1 「遺族厚生年金」……老齢厚生年金加入者が亡くなったら、遺族が終身で受け取れる年金のこと。受給額は、亡くなった加入者の老齢厚生年金の報酬比例部分の4分の3

※2 「中高齢寡婦加算」……老齢厚生年金加入者の夫が亡くなった40歳以上65歳未満の妻が、遺族厚生年金に加算される年金のこと。

※3 Aさんのように、65歳以降に遺族厚生年金と自分の老齢厚生年金を受ける権利があれば、老齢厚生年金は全額支給、遺族厚生年金は自分の老齢厚生年金に相当する額は支給が停止されるので、[上記図表2]のような受給額になる。なお、遺族厚生年金の詳細は、日本年金機構「遺族厚生年金(受給要件・対象者・年金額)」を参照のこと。

現在61歳のAさんは、これから65歳までは月約15万円、65歳以降は月約16万6,000円受給できることがわかりました。

なお、公的年金のうち老齢年金などは、一定額以上受給すれば課税の対象となりますが、中高齢寡婦加算を含む遺族年金は非課税です。したがって、Aさんは65歳以降、自分の年金を受給しても、年金受給額の約半分は課税されません。

貯蓄する習慣のなかったA家…生活費は足りる?

上場企業に勤めていたBさんは高収入でしたが、貯蓄をする習慣はありませんでした。住宅購入の頭金や子どもの教育費、旅行費用などまとまった支出は給与とボーナスでまかない、住宅ローンは退職金で完済するなど、入ってきたお金は右から左に出ていく状況だったそうです。

そのためか生活費には余裕はなく、毎月28万円前後で推移していました。ただし、Aさんは夫に内緒でへそくりをしており、お金が足りない時にはそこから補填していたようです。

またAさんは、「1人で生活するなら、毎月14万円もあれば十分だ」と言います。

※ 参考までに、総務省統計局の「家計調査年報」(2022年)によると、勤労者世帯全体の生活費は約32.1万円、50歳代では約36.3万円、60歳以上29.9万円。60歳以上の単身女性世帯は15.5万円となっている。

Aさんから話を聞き、ひととおり試算を終えた筆者は、「試算した限り、提示された3つのプランとも家計収支の面では実現可能です」と話しました。

ただし、住み替えか長女一家との同居を選んだ場合、長男が帰国したときに落ち着くところがなくなる可能性はあります。また、自宅の売却や新しい家を探すには、相当の時間がかかることは考慮に入れる必要がありそうです。

Aさんは、「一時はどうなることかと心配でなりませんでしたが、筆者と話しているうちにひとまず落ち着けました」と話してくださいました。そして、焦らず子どもたちの意見も聞きながら、3つのプランのうちどれを選ぶか検討することにしました。

まとめ

それから数ヵ月後、Aさんは再び筆者のところを訪れました。どうやら、長女一家と一緒に住むことを選んだ様子。

「長女が2人目を里帰り出産することになり、すでに長女夫婦や孫とにぎやかに過ごしているんです。長男も、“母さん姉さん家族と一緒に住んでくれれば安心だ”と言ってくれていて……」

そうにこやかに話してくださいました。

牧野 寿和

牧野FP事務所合同会社

代表社員

(※写真はイメージです/PIXTA)