「支援物資の段ボール箱を持ち上げると、異様に軽く、紙の擦れ合う音がする。そして独特な折り紙のにおい......。災害派遣を経験した隊員なら誰もが持った瞬間に、その中身がわかります」と語る照井資規氏
支援物資の段ボール箱を持ち上げると、異様に軽く、紙の擦れ合う音がする。そして独特な折り紙のにおい......。災害派遣を経験した隊員なら誰もが持った瞬間に、その中身がわかります」と語る照井資規氏

今年9月1日で、1923年に発生した関東大震災から100年。現在、ハワイ・マウイ島では過去最大級の山火事が発生しており、日本人の防災意識が高まっている状況。そんな中、注目したいのは自衛隊による災害派遣活動だ。

『「自衛隊医療」現場の真実』の著者、照井資規(もとき)さんは陸上自衛隊に20年間勤務し、戦闘職種である普通科と、救命・救護の軍事医療を担当する職種の衛生科を経験。

通常、自衛官は在職中に職種の変更を行なうことがなく、幹部自衛官としては唯一"戦闘と救命の二刀流"という経歴の持ち主。そんな照井さんが経験した災害現場のリアルとは?

【画像】『「自衛隊医療」現場の真実 このままでは「助けられる命」を救えない』

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――東日本大震災では、自衛隊の第一陣として派遣されたそうですが、どのような活動を?

照井 当時、私は陸上自衛隊岩手駐屯地第9戦車大隊の衛生小隊指揮官として勤務し、岩手県立大船渡病院に派遣されました。ここでの任務は偵察と水の確保です。災害の初動は、人命救助・救護、通信ネットワークの構築、水の確保、ヘリコプターの発着地点の確保を同時並行で行ないます。これはマウイ島の山火事でも同じです。

岩手県は震災の前年から自衛隊、行政、地元の医療機関による共同災害訓練を行ない、ヘリコプターの発着地点、われわれの受け入れ態勢も整備済み。共同訓練の重要性を実感しました。

――ほかにどのような活動を?

照井 私の小隊が主に担当したのはご遺体の記録、持病のある被災者の健康管理と治療支援です。当時、病院の電子カルテはシステムがダウン。自衛隊の負傷者識別表を代用しましたが、これでは効率が悪い。

なので、私の部隊では持病のある被災者の常用薬配布用に"薬の写真カタログ"を作り、それを医師と共に被災者に見せることでスムーズな医療支援活動が行なえました。

――自衛隊の災害派遣活動が報道されると、人命救助・救護を担当する隊員の活躍がトピックスになりがち。このほか、優秀だと感じた自衛隊の活動は?

照井 通信ですね。東日本大震災は14時46分に発生し、当日の21時前には自衛隊、消防、警察、そしてアメリカ軍をつなぐ通信ネットワークが構築されました。これで災害状況を司令部に集約し、効率的な救命・救護が行なえるようになったのです。

――当時、アメリカ軍はどのような活動を?

照井 主にヘリコプターによる負傷者や物資の運搬です。アメリカ軍のパイロットは「患者をどこにでも届けるから、どんどん座標送って!」と、われわれに言うんですよ。自衛隊とはまったく異なるやり方でしたね。

――自衛隊との違いとは?

照井 アメリカ軍では機長の判断が尊重され、飛行目的を柔軟に変更できます。この理由は、多くの戦闘を経験した結果、人命救助においてそれが最も効果的に機能したからです。一方、自衛隊は事前に決定した飛行計画に基づいてしか飛行できません。

それを変更するには司令部に連絡し、そこから承認をもらうための伝言ゲームが始まる。どう考えてもアメリカ軍のやり方のほうが、助けられる命が多い。

自衛隊は災害派遣での技術は世界トップですが、指揮系統には問題が多いといえるでしょう。

――ほかに災害派遣で問題に感じたことは?

照井 支援物資の積み降ろし作業では、大きなサイズに見合わないほど軽量な段ボール箱が必ずあります。それを持ち上げるとカサカサという紙の擦れる音と独特な折り紙のにおいがして、現場にいた隊員なら開封せずとも中身がわかります。

――それ、ウクライナへも送られそうになっていたやつでは?

照井 はい。千羽鶴です。大きな段ボール箱で何十個も送られてきます。部下たちは、その段ボール箱を持ち上げた瞬間に「あー」と、なんとも言えない表情になって、それらを最も重要度の低い集積所へ運ぶ。千羽鶴は被災地の人手と集積スペースを奪うだけですよ。

――千羽鶴を避難所には届けないのですか?

照井 私の小隊では、届けませんでした。誰かに指示されてではなく、それが災害現場の共通認識なのです。仮に、部下が千羽鶴を避難所行きのトラックに積載したら、「降ろせ!」と命令していたと思います。

千羽鶴の収納スペースがあれば、重要物資である生理用品や紙おむつを積めますから。今後の災害報道では「被災地への千羽鶴の発送はお控えください」とテロップを入れるべきでしょうね。

――災害派遣で疲弊した部下のケアはどうするのですか?

照井 「各自、休めるときに休め」だけです。

――意外と雑な命令ですよね。

照井 交代で食事や睡眠を取る余裕はなく、こう命令するしかありません。災害派遣は発生から数週間がピークで、その後は収束していきます。それを全隊員が認識しているので、数週間は踏ん張れる。ただ、不眠不休を美徳とする自衛隊と、直ちに交代体制を敷いて長丁場に備えるアメリカ軍とに大きな差がありました。

そして、現在の自衛隊は究極の隊員不足です。本来の定員に対して、2万人近く隊員が足りず、これでは大規模災害で、迅速な対応を行なえません。

6月に発生した自衛官候補生による銃乱射事件も、その根底にあるのは候補生を教育する要員の不足が原因ともいえます。

――隊員不足を解消するための良プランは?

照井 諸外国のように「ミリタリーディスカウント」制度を導入すべきでしょう。例えば、アメリカ軍では低金利の住宅ローン、普段の買い物は専用クレジットカードでキャッシュバックなど、現役・退役軍人共に優遇されます。また、軍歴のある人間には学費の免除もあります。

現在各国では、体力面と、各種IT機器を効率的に扱えるのは40代前半が限界という理由から、軍人の退役年齢は40代前半に設定されつつあります。退役年齢が低いので、各国ではセカンドキャリアを考慮した優遇制度が多い。自衛隊も単純に給料を上げるより、このような制度を取り入れるべきでしょう。

そして現在、自衛隊で最も不足している医師と看護師は、民間からも積極的に採用する。ただし、有事では民間よりも危険でハードなので、それなりの高給を支払う必要があります。

5年間で総額約43兆円確保といわれる戦後最大の防衛費は、装備品だけでなく、隊員の生活環境、セカンドキャリアを考慮した使い方をしてほしいですね。

●照井資規(てるい・もとき)
1973年2月1日生まれ。大学在学中から北海道テレビ放送関連の映像制作会社に勤務。阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件オウム真理教事件、函館ハイジャック事件などの報道番組を制作。1995年陸上自衛隊に入隊し、自衛隊の各種兵器・戦闘の研究機関「富士学校」と、災害・軍事医療と衛生の研究機関「衛生学校」の研究員を務める。2015年に最終階級2等陸尉で退官。以降、ジャーナリスト、災害・軍事医療、危機管理の専門家として活躍中

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災害時の派遣活動では圧倒的な機動力で、その活躍が称賛される自衛隊。一方で、近年ではパワハラ、セクハラ、モラハラの3大ハラスメントが問題になっている。隊員の自殺が頻発し、銃乱射事件も発生。さらには円滑な災害派遣も危うくなるほどの隊員不足にも直面している。筆者の照井氏は現役時代にアメリカをはじめとする同盟国へ派遣された経験が豊富で、他国軍隊との比較を交えつつ、自衛隊の抱える諸問題をわかりやすく解説している

取材・文/直井裕太 撮影/榊 智朗

「支援物資の段ボール箱を持ち上げると、異様に軽く、紙の擦れ合う音がする。そして独特な折り紙のにおい……。災害派遣を経験した隊員なら誰もが持った瞬間に、その中身がわかります」と語る照井資規氏