「人生の3つの分岐点」と題し、人気声優たちのターニングポイントを深堀りしてきた本連載。インタビューに応じてくださったかたの多くが、恩師や家族など、お世話になった人とのエピソードを披露してくれた。

 今回お話を伺った代永翼さんは、これまでのインタビューのなかでもダントツでお世話になった人とのエピソードをたくさん挙げてくださったように思う。小学校時代の担任の先生、新人時代に親身になってくれたという下野紘さん、ユニット「Trignal」のメンバーである木村良平さんと江口拓也さんほか、次から次へと恩人の名前が飛び出してきた。 

 「いろんな人に助けてもらって今の自分がある」と語ってくれた代永さん。

 だが、周囲の人びととのエピソードを大きな声で笑いながら、ついこの間のことのように鮮やかに話してくださる代永さんを見ていたら、ひとつひとつのアドバイスや出来事を大事にするその姿勢がつぎの出会いを引き寄せているのではないかと思わずにはいられなかった。

 長く愛される作品に数多く出演されているのは必然だろう。

 声優を目指して模索した日々から、イベント出演の際に自身が担当する役に合わせてこだわったアクセサリーやヘアアレンジを披露するようになった背景まで、代永さんが「やりたい!」と思ったことをかたちにしてきたこれまでの歩みをお届けする。

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取材・文/前田久(前Q)
編集/朝倉有希
撮影/金澤正平

■分岐点1:変声期に『声優』という職業を教えてくれた、小学校の担任の先生との出会い

──代永さんといえば『おおきく振りかぶって』『Free!』『弱虫ペダル』などのビッグタイトルはもちろんですが、ラジオや配信番組、作品のイベントでのトークが印象的だと感じているかたも多いのではないかと思います。後輩、同期、先輩を問わず同業のみなさんから魅力的なエピソードを引き出されていらっしゃったり、サービス精神旺盛なリアクションを見せてくださったり。

代永 
 ありがとうございます。その人をもっと知りたい、よく知っている人であっても、あらためてがっつりとお話を聞きたいという気持ちがあるからですかね。それと、お話を聞けるときに聞いておかないと、いつ何があるかわからないじゃないですか。

 実際、デビューしてすぐのころにご一緒した先輩方には、もう会えなくなってしまった方もいます。仕事を通じてたくさんのことを伝えてくださいましたけど、それでもやはり、あとから「もっといろいろなことを聞いておきたかったな……」と感じることも多くて。そういう後悔をなるべくしたくないな、って。

──コロナ禍で共演者のかたとじっくりお話しする機会が減ったのも、つらかったですよね。

代永 
 そうですね……。自分が先輩方にしていただいたことを後輩に繋いでいきたいなという思いを常々持っているのですが、時間をずらして収録することが増えてしまって。

──先輩にしてもらったことを後輩に繋ぎたい、と。

代永
 はい。声優を目指して、デビュー作に出会ってここまで来るまでに、いろんな方に助けていただいて今の自分があるんだなって感じています。その分、自分が教わってきたことを伝えていったり、自分と同じような悩みを抱えている後輩の話を聞いたりできたらいいなと思っているんです。

──だれかに手を差し伸べてもらった経験が「人生の3つの分岐点」になるのでしょうか。

代永 
 まさに最初の分岐点は「声優という職業を教えてくれた恩師との出会い」ですね。

 もともと幼稚園のお遊戯会だとか、ヒーローごっこだとか、演じることは好きな子供だったんです。でも「声優」という職業はずっと意識していなくて、あくまでそのキャラクター自身がしゃべっているものだと思っていました。映画の吹き替えもそうですね。

──何かきっかけがないと、あまり存在を意識はしませんよね。先生はどうして教えてくださったのでしょう?

代永
 僕は小学5年生のときに第一次変声期を迎えたんですけど、あれって、人によっては本当に一気に声が低くなったり、高さは変わらなくても、ちょっとハスキーになったりしますよね?

 そういうはっきりと変化が現れる子たちがまわりにいる中で、僕は自分自身にしかわからないくらいの、かすかな変化しかなかったんです。変声期を終えても、女の子とあまり変わらないぐらいの高い声だった。

 それでからかわれたり、いじめられたりするようになってしまったんです。

──それはつらかったですね……。

代永 
 それまで特に自分の声を意識したこともなかったのに、急に自分の声にコンプレックスを抱くようになって、人前で話すことが怖くなるほどでした。

 そんなときに、担任の先生から、「放課後、お話があるから、残ってくれる?」と声をかけれられたわけです。子供ですから、最初は「何だろう、怒られるのかな?」みたいに怯えました(笑)。

──身に覚えがなくても、子供ってそう考えがちですよね(笑)。

代永 
 でも、実際は全然違いました。

 先生は、「声優」という文字を黒板に書いてから、「『声』に『優(すぐ)れる』と書いて『声優』。そんな自分の声を生かした仕事があるんだよ。あなたの声は別におかしいものじゃない。あなたにしかない神様からのプレゼントなんだって、逆に考えてごらん?」と話をしてくださったんです。

 考え方ががらりと変わった瞬間でした。マイナスをプラスに考える方法を示してくれたんですね。

 そのとき、「声優を目指そう」と決めたんです。自分の声を気にしなくてもいい、むしろ武器にして、前向きに向き合って行けばいいと気づかせてもらえました。将来の夢ができただけではなく、そこから物事のとらえ方が完全に変わりましたね。

──物事のとらえ方。

代永 
 まわりの人の声を聞いて、「確かに自分とは違うな」と感じても、「自分にしかできない、どんな役が演じられるんだろう?」と考えるようになったんです。

──素晴らしい指導ですね。

代永 
 なかなかここまで、生徒ひとりひとりを気にかけてくださる先生もいないんじゃないかと思います。僕だけじゃなく、他の子たちに対しても、迷っていたら手を差し伸べてくれるような先生でした。

 見方を変えてもらっただけでなく、「ちゃんと自分のことを見てくれていたんだな」と感じられて、そんなうれしさもあったんですよね。僕が声にコンプレックスを感じていることや、まわりからどんな扱いを受けているのかをちゃんと知ってくださっていた。

 のちのち、より具体的に進路を考えるようになったときにも、その先生の言葉はずっと残っていました。思春期に出会う人の存在って、ものすごく大きいですよね。

■芝居の経験を積みたかったけれど……

──「声優を目指そう」と考えてから、具体的なアクションは起こされたんですか?

代永 
 小学生のうちは、新聞に載っている声優募集の広告を調べては、両親に「応募していい?」と聞いてみていたんですけど、なかなかすぐに一歩を踏み出せませんでした。

 中学校に入ってからも、少しでも演技の経験を積むために演劇部に入ろうとしたんですけど、僕の通った中学の演劇部は女の子の部員ばっかりだったんです。多感な時期だったので、さすがにその中に入っていく勇気はなくて(笑)。

──思春期には難しいですよね(笑)。しかしもどかしいですね。

代永 
 その代わりに、いろいろな経験をしようと考えました。最初はソフトテニス部に入って、次は化学部、その次は……と、興味の赴くままに入っては辞めてを繰り返しました。

──アクティブですね!

代永 
 中学3年生になると、声優の専門学校の資料を取り寄せたりもしましたね。でも、そのときもまだ、進路に繋がる実際の行動には移しませんでした。

高校でやっと演劇部に入りましたけど、それも2年生からなんです。

──えっ。どうしてですか?

代永 
 中学と高校は同じ3年間ですけど、高校生の方が進路をより真剣に考えなければならない。だから後半になると自由な時間がさらに限られてしまう。それなのに1年目から部活に入ると、学校の外で自由に使える時間が少なくなってしまうと考えたんですね。

 友達とカラオケやゲームセンターに行ったり、洋服を一緒に買いに遠出してみたり、そういう学校外でできることもきちんと経験しておきたかったんです。

──まわりに同じようなことをしている人って、いました?

代永 
 いや、いないですね。当時から変わり者扱いされてました(笑)。

 声優雑誌のインタビューなどを読んでいると、「今の時期にできること、興味があることをやっておいた方がいい。それがのちのち声優になったときに役に立ってくる。芝居の引き出しを増やしてくれる」みたいなことをおっしゃる方が大勢いて、それが心のどこかに残っていたから、できたんでしょうね。

 実際、ソフトテニス部での息継ぎや走り込みの経験は、アニメで運動するシーンを演じるときに役立ちましたし。割とそのあたり、将来のことを考えて計画的にやっていた気がします。

 ただ、そうはいっても、なれるものだったらとにかく早く声優になりたかったんですけどね。

■10代だったのは、有名声優雑誌が創刊され、ハイトーンの男性声優が台頭した頃

──早く声優になりたい……年齢に対する焦りのようなものがあったんですか?

代永 
 いえ。感動するって、とても素敵なことじゃないですか。自分がアニメから与えてもらった感動を、早く誰かに返せたらいいな、と感じていたんです。

 特に自分の場合は、同じように高い声でコンプレックスを抱えている男の子、いじめられている子が世の中にいっぱいいると感じていたこともあって、そんな気持ちが強かったんだと思います。自分もそうした先輩方の存在に、励まされたわけですから。

──ちょうど代永さんが十代の頃、石田彰さんのハイトーンが声優ファンに衝撃を与えたんですよね。そこから女性の声優さんが演じてきたような役を、自然なハイトーンで演じる男性の声優さんがグッと増えた印象がありました。

代永 
 たしかに。石田さんに、宮田幸季さん、保志総一朗さん、関智一さん……そうした方々のインタビュー記事を、参考にするために重点的に追いかけていた覚えがあります。

 のちに事務所(賢プロダクション)の先輩になる結城比呂さん(※現在は賢プロを離れ、「優希比呂」名義でフリーで活躍中)もお名前を意識していた方のひとりだったんですが、専門学校時代に生で講義を聞いたときは感動しましたね。

──そうした方々の発言の、どんなところを気にしながら読んでおられたのでしょう?

代永 
 声にコンプレックスがあったのか、声優になるまでにどんな道を歩まれていたのか、ですね。特に後者は、最初から声優を目指した方もいれば、劇団での活動から声優業に幅を広げた方がいたり、他にもさまざまなルートがあって、それを知るのがとにかく面白かったし、将来について具体的に考えることにも繋がりました。

──それで高校卒業後は専門学校に進まれる。どんな考えがあられたのでしょう?

代永 
 声優事務所には、事務所に付属の養成所を経由して所属するのが一般的な流れなんですが、まずその養成所に入るための技術が、今の自分には足りないと感じたんです。

 それで専門学校で2年間勉強するべきだと考えて、検討を重ねて東京メディアアカデミー(現:東京声優・国際アカデミー)に入ることにしました。

──選んだ決め手はなんだったんですか?

代永 
 いくつかの学校に体験入学をしてみた中で、東京メディアアカデミーは細かいチェックシートをつけて、参加者一人ひとりに「ここがいいので伸ばした方がいい」「ここは駄目だから、こうしてみた方がいい」といったような講評を戻してくれたんですね。そのコメントを読んで、ただ技術を教えるだけじゃなくて、人の個性をちゃんと見てくれる、伸ばしてくれる学校じゃないかと感じたんです。

 小学校のとき、先生に気にかけてもらったのが嬉しかったことと、どこかつながっていたのかもしれませんね。

──ちなみに、進路を決めたときのご両親の反応はいかがだったのでしょう?

代永 
 僕、長男なんです。姉と妹はいるんですけど。だから父親としては、やはり長男には大学に行って、毎月お給料が出るような堅い仕事に就いてもらいたいという思いが強かったみたいで、結構反対されました。

 逆に母親は、僕が一度決めたら曲げない性格なのを知っているので、「どこまでできるか試してみなさい」と応援してくれましたね。父は僕が専門学校に通いだしてからも反対したままでした。

──どこかで和解はされたんですか?

代永 
 結局、はっきりとはなかったですね。ただ、実家を出て一人暮らしを始めてから、僕の知らないところで、僕が取材を受けた雑誌を買っていたりしたそうなんです。会社の人に自慢したりもしていたとか。不器用な人で、直接息子に伝えるタイプではなかったので、後日母親から聞く形でしたけど、うれしかったですね。父に対していうのもなんですけど、「かわいらしい人だったんだな」と、今となっては思います。

■分岐点2:『機神大戦ギガンティック・フォーミュラ』と『おおきく振りかぶって』の2作品で、同時期に主演でデビュー

──これまでのお話だと、個性を認めてくれるかどうかが、代永さんにとっての大きなポイントな印象を受けます。

代永 
 いわれてみれば、デビューからずっとお世話になっている、賢プロダクションへの所属を決めたのもそうでしたね。

──そうなんですか?

代永 
 実は僕、最初に志望していたのは、他の事務所だったんです。漠然とですけど、そのころ自分と近い声質の男性声優さんが多数所属していて、売り出すノウハウがありそうな事務所がふたつあって、そのどちらかに入れたらいいな、と。

 でも、たまたま最初に受けたのが賢プロのオーディションで、担当してくださった賢プロのマネージャーさんが、「女の子寄りの、特徴的な声をしてるね」とコメントをしてくれたのを聞いて、自分の個性をしっかり見てくれている気がしたんですよね。

 今は違うと思いますが、当時はオーディションのその日に合否がわかって、すぐに所属するかどうかを決める必要があったんです。悩みましたけど、個性を認めた上で、そこに商品としての価値を見出してくれたのであれば、自分のやりたいことをやらせてくれるのかもしれないと考えて、志望していた事務所を受けずに、そのまま賢プロに入ることにしたんです。 

──なるほど。大きな決断ですが、それが2つ目の分岐点ではないんですね。

代永 
 はい。2つ目の分岐点は「『機神大戦ギガンティック・フォーミュラ』と『おおきく振りかぶって』の2作品で、同時期に主演したこと」ですね。

──どちらも懐かしいタイトルです。これまでのお話と、どう繋がるのでしょう?

代永 
 賢プロに入ると決めて付属の養成所に入ったわけですけど、まわりが強者だらけだったんですね。専門学校と違って養成所は生徒の年齢層も幅広くなって、人生経験も芝居の経験も僕よりはるかに豊富な人が大勢いました。

──代永さんと養成所の同期の方というと……。

代永 
 阿部敦ですね。彼なんかまさに地元にいたときから劇団をやっていたりと経験豊富で、養成所時代から仕事をどんどんやっていました。

 一方、僕はといえば、まわりにすごい人ばかりいたことで急に怖気づいてしまって、それまでのように自分の個性を出せなくなってしまったんです。

 歯がゆかったし、悔しかったですね。正式に事務所所属になるかどうかが決まる最終オーディションのときも、あまりいい評価はされていなかったそうです。

 でも、今もとてもお世話になっている、あるマネージャーさんだけが、「こいつは絶対にいつか花開くんで、抜けさせない方がいいと思います」と言ってくださったそうなんです。後から、他の方に聞きました。

 そうした経緯で、ぎりぎりなんとか所属になったあと、初めていただいたオーディションが『ギガンティック・フォーミュラ』だったんですよね。

──え、その状況から、初オーディションでいきなり主役をゲットされたんですか!?

代永 
 そうなんですよ(笑)。といっても、テープオーディションはそれまでにも何度か受けてはいました。正確には、スタジオでのオーディションに初めて呼んでいただけたのが、『ギガンティック・フォーミュラ』だったんです。

 初めての経験なことにくわえて、自分以外に呼ばれている方の中には、すでに少年役を何度も経験されている人気のある方もいたので、ものすごく緊張しながら演じたのを覚えています。正直、終わったときは手応えがなくて、「駄目かな」と感じていました。

 でも結果は合格だったんですよね。不思議で、アフレコが始まってから、音響監督の高寺たけしさんに「どうして選んでもらえたんでしょう?」と思わず聞いてしまいました。

──なんと返ってきたんですか?

代永 
 「ひとりだけちょっと違うニュアンスのセリフ回しをしていたんだよね」と。そこを監督の後藤圭二さんが「面白い」と評価してくださったそうです。

──そこでもまた、個性が評価された。

代永 
 そういうことですよね。そして、『ギガンティック・フォーミュラ』は第1話をアフレコしたあと、続きの話数の収録まで、かなりスケジュールが空いたんです。その間に、『おおきく振りかぶって』のオーディションがあって、そちらで三橋廉くんの役にも受かることができました。

 『ギガンティック・フォーミュラ』はオリジナル作品でしたけど、『おお振り』はアニメ化が決まった時点で、原作が既にとても人気でした。だから世間もすごく注目していたし、くわえて原作者のひぐちアサ先生が、とても作品を愛しておられるのが伝わってきたんです。だから『ギガンティック・フォーミュラ』とはまた違った意味で緊張したオーディションでした。

 スタジオオーディションが三次まであったのはそのときが初めてで、驚いたのを覚えています。

──大体テープ、スタジオの2回で終わりで、そのあと予備の二次選考が1回あるかないかですよね。三次オーディションはどんな内容だったんですか?

代永 
 まず一次で人数が絞られて、二次は別の日に、掛け合い形式で演じました。で、三次では「2人まで絞られました」といわれて……。

──それはプレッシャーがすごそうですね……。

代永 
 それだけ少人数だと、誰と競っているのかもわかりますしね。ちなみに、一緒に残っていたのは梶裕貴くんでした。

 今はもう、みなさん当然お名前をご存知なくらい大活躍していますけど、当時はまだ梶くんもキャリアの浅いころでした。それもあって、未だに会うと、あのときの話題になりますね。「もし梶くんが選ばれていたら、僕の運命は大きく違っていたかもしれないね」みたいに。

 もちろん、オーディションのときは、まだ友達ではなかったです。だからお互いに「こいつが相手か!」と密かに対抗意識を燃やしていました(笑)。

──いい話ですね(笑)。

代永 
 そうした経緯があって、同時に2本の主演作が世に出ることになったわけですけど、そのころ、2本同時に主役に決まった新人は、かなり珍しかったそうなんです。

 おかげで現場に行くと、先輩方から「2本同時に主役をやってるんでしょう? なかなかないよ!」と話を振っていただけることが多くて

 名前も知られていない新人にそうした会話のきっかけができるのは本当にありがたかったですし、拾ってくれたマネージャーさんに恩返しができた気がしてうれしかった反面、そうした状況に置かれたことで、同時にものすごい責任も感じました。

 特に『おお振り』は「三橋みたいな大きな役を、新人ができるの?」という声が多かった印象で、そういう人たちもちゃんと納得させられる芝居ができるか……。

──いきなり役者として試される局面でもあったんですね。

代永 
 そうした意味では、『ギガンティック・フォーミュラ』の州倭慎吾と、『おお振り』の三橋くんが、全く逆のタイプのキャラクターだったのもありがたかったですね。

──各作品の芝居で勝負するのはもちろんですが、2作での演技の幅を見せることで実力も示せた。しかも役者としてのイメージが固まることも避けられて、まさに2つ合わせて、のちのちの仕事に繋がる大きな分岐点ですね。それにしても、代永さんは厳しい状況に立ち向かうマインドがすごいですよね。

代永 
 思い返してみると、小学校でいじめられていたときも、養成所でくすぶっていたときも、「負けないぞ!」みたいな気持ちは、いつもありました。

 とにかく、何が何でも声優になりたい。そんな思いは、ただただ強かったですね。

■主演級の先輩に囲まれて主演を務めたデビュー作

──『ギガンティック・フォーミュラ』はのちに『弱虫ペダル』『ヴァンガード』と10年以上続くシリーズでご一緒される音響監督の高寺さんとの初仕事という意味でも、分岐点として大きいのかなと思いますが、いかがでしょう?

代永 
 そうですね。本当にこのあと、長くお世話になって。

機神大戦ギガンティック・フォーミュラ(画像はAmazonより)

──現場の雰囲気はどんな様子だったのでしょう?

代永 
 お芝居はもちろん、主役として、現場で座長としてどう振る舞うかとか、大切なことを沢山教わった現場でしたね。

 毎回、ゲストの敵役としていらっしゃるのが、とてつもない方ばかりだったんですよね。中尾隆聖さん、鶴ひろみさん、有本欽隆さん、玄田哲章さん……お名前を挙げるだけでびっくりします。

──レジェンド級の声優のみなさんですよね。

代永 
 今になって思うと、本当によくこのメンバーが揃ったなと。そんなみなさんと役として対決するのは、貴重な経験でした。

 ほかにもレギュラーには、矢作紗友里ちゃん、間島淳司さん、千葉一伸さん、夏樹リオさん、柚木涼香さん、関智一さん……僕がデビュー前に見ていたアニメに出演されていたような先輩方がたくさんいらっしゃった。

 そんな、ものすごく緊張してもおかしくない状況だったのですが、高寺さんが作る現場の雰囲気はとても優しかったんです。

 ヒロイン役の佐藤利奈さんが、僕と年齢が近いのにすでにその時点で大活躍されていたので、いっぱいアドバイスをしてくださったのをよく覚えています。「大丈夫だよ、ウィング(※代永さんの愛称)。そんなに強がらなくても平気だよ」という言葉で支えてくださったのは、特に忘れられないですね。そんなふうに優しくしてくださるかと思えば、ときにはいじってくれたりもして(笑)。

 関さんは最初はライバルで登場して、そのあと僕の師匠のようなポジションになる役だったんですけど、現場でもキャラと同じように、先輩的に振る舞ってくださって、そんな姿も印象深いです。

 そうやってみなさんに支えていただいたから、大変な場面も乗り切れたんです。

──主演級の方ばかりが揃って、芝居で支えるだけではなく、気配りもしてくださって。

代永 
 それにスタッフのみなさんともコミュニケーションが取りやすかったです。休憩中にはキャストとスタッフが一緒になってお菓子をつまんでいました。監督に先の展開をこっそり聞きに行くこともできましたし、キャスティングにかかわっている音響制作のスタッフさんから「次、すごい人がゲストで来るから楽しみにしててね」なんて言われたりもして。

 現場の空気の作り方ひとつとっても、いろいろなやり方が声優業界にはあります。僕が座長をやらせてもらうときは、なるべく楽しくやろうとしていて、それは『ギガンティック・フォーミュラ』での経験が残っているからだと思います。

──ちなみに、特に印象深い「対戦相手」を選ぶなら、どなたになりますか?

代永 
 そうですね……最後の相手だった沢城みゆきさんと神谷浩史さんのコンビですかね。おふたりの役への入り込み方は、当時から飛び抜けたものがあって、「根っからの役者さんなんだな」と感じました。

 のちのちおふたりとはいろいろな現場でご一緒させてもらうことになるんですけど、このときの、初共演の衝撃は忘れられません。役の作り方、現場での立ち振る舞いも影響を受けていると思います。

 あとはなんといっても、玄田さんですね。そもそも、玄田さんと戦うことになるなんて、まったく思っていなかったので(笑)。

──なかなか想像しませんよね(笑)。対峙して、どうでした?

代永 
 大きく叫んでいるわけでもない、ただ普通にしゃべっているだけなのに、言葉の厚みや説得力が違うんです。ガツン! と来る。「ああ、勝てないかもしれない」と、自然に思わされるんです。覇気や殺気を現場で目の当たりにするような感覚がありました。

 前線で活躍されている、経験豊富な方の芝居の力って、こういうことなんだ……と感じましたね。

 幅広い世代の共演者がいた現場で、掛け合いをできたことが、今となってはなんだか不思議に感じられるくらいです。もう亡くなってしまって、絶対に共演のできない方もいらっしゃいますし……。

──また実質的なデビュー作でその大変さを乗り切られたのがすごい。

代永 
 それに関しては、慎吾が自分とは正反対の、思ったことをすぐ口にしてしまうような性格だったことで、キャラに引っ張ってもらえたのも大きいと思います。

 「がむしゃらすぎても楽しめないな」と、慎吾に気づかせてもらったんです。自分と置かれている状況が近かったこともあって。

 今も役に入り込みすぎず、自分と役が半々くらいで芝居を作るような意識があるんですが、これは慎吾を演じたことの影響が大きいと思いますね。

■「代永はよく投げた」──先輩たちのやさしさにふれて

──『おお振り』の現場はいかがでした?

おおきく振りかぶって(画像はアニメイトより)

代永 
 『おお振り』の第1話の収録も、とても緊張しました。台本がブルブル震えて、先輩たちはスタジオのうしろで、「台本の音がマイクに入るんじゃないか?」って心配しながら見守ってくださっていたそうです。今でもあのときご一緒したみなさんに会うと、話題になりますね。自分でも震えは自覚していて、音の心配もしていたんですけど、もうとにかくやらなきゃいけない、と。音よりも何よりも、「三橋を演じる」っていう意識だけに集中していたんです。楽しむとかなんだとか、他のことを考える余裕はまったくなかったです。

──気がついたら終わってたような?

代永 
 でした。第1話どころか、1期のときはずっとそうでした。

──シリーズを通して!

代永 
 はい。あ、ただ、現場全体の空気は少しずつ柔らかくなってはいましたね。事務所の先輩で、『おお振り』では花井役を演じていた谷山紀章さんが、『ギガンティック』にゲストで来てくださったことがあったんです。で、そのあとの『おお振り』の現場でカチカチになっている僕を見て、「代永、お前、『ギガンティック』のときはもっとイキイキしてたじゃん! こっちだとどうしてそんな借りてきた猫みたいなんだよ」っていじってくださって。

 それでまわりの先輩方にも自分の違う様子が知れ渡ってしまったんですけど、そこからちょっと現場の空気はほぐれたんですよ。あれはあとから思えば、そうやって先輩方がなんとか僕の緊張を解こうとしてくださっていたんだろうなと。

──そんなところでも2本同時主演のありがたみがあったんですね。

代永 
 ですね。『おお振り』の現場で先輩方にやっていただいたことで、もうひとつ嬉しかったのは、1期の最終話なんです。試合のあと、チームメイトのみんなからの講評を読むシーンがあるんですけど、「三橋はよく投げた」「がんばった」といった文章を、僕がいないところで他のみなさんで計画して、本番前のテストのときは「三橋」を全部「代永」に変えて読んでくださったんですね。

──わ、泣けるサプライズ!

代永 
 みなさんも「泣くだろう」と予想していたみたいですけど……でも僕は、先ほど話したとおり、1話から最終回までずっと緊張でガチガチで、「三橋でいる」ことにいっぱいいっぱいだったんです。新人がテストを止めるなんてとんでもないと感じていたのもあって、うれしく感じながらも反応することができず、何事もなかったかのようにテストが終わってしまって(笑)。先輩たちから「お前、泣くかと思ってたのにさ!」って、あとでつっこまれましたね。それも未だに、会うといじられるネタです。

──いろんな意味でいいエピソードですね(笑)。

代永 
 先輩たちの中にそうやって、自分の新人だったころの記憶がいつまでも残っているんだなと思うと、ありがたくて。本当によく見てくださっていたんだな、と。

 中でも、下野紘さんにはお世話になりました。『おお振り』のアフレコ終わりに、毎回話を聞いてもらっていたんです。しかも、そのたびに泣いていました。でもいつも、「大丈夫だよ、そんな気にしなくても!」って、明るく励ましてくださったんですよね。

──そんな逸話が。

代永 
 下野さんもやはり、『ラーゼフォン』で、TVアニメの主役でデビューをされていて、同じような苦労をされていたんですよね。だからこそ気持ちをよくわかっていただけるようなところがあって、「大丈夫」という言葉も深く響いたんです。キャストのみなさんとの飲み会で終電を逃して、ご自宅に泊めていただいたこともありました。懐かしいですね。

 下野さんも高い声で少年役を演じることが多い、憧れの先輩のおひとりだったので、その意味でも話を聞いていただけたのは、本当に大きな経験でした。

──二作品、どちらの現場でも先輩に恵まれていますね。ちなみに、『おお振り』の音響監督の菊田浩巳さんとのやり取りで印象的だったことはありますか?

代永 
 菊田さんはリアリティにこだわる方で、「阿部と三橋って、今、どれぐらいの距離でしゃべってる?」といったように、距離感を指摘されることが多かったのを、よく覚えていますね。

 隣にいる相手とはどのくらいの音量でしゃべるのか。バッターボックスとマウンドの距離はどのくらいか。ちゃんと想像をするために、テレビで野球中継を見たり、学生時代に球場に応援に行ったときのことを思い出してみることが、どれだけ大事か。

 リアルな芝居をするって、こういうことか……と、菊田さんには教えてもらいました。自分の想像だけではわからなくなったとき、ヒントはいろいろなところにある。それを見逃さないようにする姿勢が大切なんですよね。



■分岐点3:Kiramuneに加入し、Trignalとしてアーティストデビュー

──では、最後の分岐点です。これは声優として順調にキャリアを重ねられて以降のものになるわけですか。

代永 
そうなりますね。最後の分岐点はKiramuneに加入し、木村良平くん、江口拓也くんとのユニット・Trignalとしての活動を始めたこと」です。

 他にも大事な作品や、「人生の分岐点だったな」と感じている出来事はあります。でも、まさか自分がアーティストデビューできるとは思ってもいなくて、しかもそれがここまで続くとも思っていなかった。その意味で大きな分岐点として挙げるなら、最後のひとつはここだと思いました。

【アルバム】Trignal/tricolore(画像はアニメイトより)

──デビューの経緯はどのようなものだったのでしょう?

代永 
 それ以前にも、キャラクターソングを歌わせてもらったりとか、作品ありきのステージに出て歌わせてもらったりとか、そうした経験はあったんですけど。アーティストとしてデビューするとは、Kiramuneの桑園裕子プロデューサーから声をかけてもらうまで考えてもみなかったんです。

 お話をいただいたのは2010年ごろ。当時もう既にKiramuneは大きいレーベルで、僕は岡本信彦くんと一緒に声をかけられたんです。ふたりが『模型戦士ガンプラビルダーズ ビギニングG』に出演していたご縁で、静岡でガンプラのイベントに出させてもらったあと、一緒に食事をしていたら、「歌うことに興味はありますか?」みたいなお話をされて。

 そのあとキラフェス(※Kiramune Music Festival、Kiramuneレーベル所属のアーティストが一同に介するイベント。ほぼ年一回ペースで開催されている)にご招待いただいたんですけど、生で観てすごい衝撃を受けたんですね。出演している声優さんたちの姿が、作品のイベントで歌っている姿と、まったく違って見えたんです。

 キャラクターや作品ではなく、まず自分ありき……自分の名義で、自分の曲を歌って、踊って、そしてお客さんをこれだけ沸かせているって、すごいなと。

──カルチャーショックだったわけですか。

代永 
 緊張もするだろうし、自分の名前で活動することには責任もあると思うけど、気持ちいいんだろうな、と感じました。もともと歌が好きでしたし、終わった後のみなさんの表情を見ても、やっぱり楽しそうでしたしね。岡本くんとずっと「すごかったね!」と言い合っていたのを覚えています。

──今も口ぶりから興奮が伝わってきます。

代永 
 そこから岡本くんはソロでのデビューが決まって、僕は桑園さんから、「木村良平くん、江口拓也くんと3人組でやってみませんか?」とお話をいただいたんです。

 最初はユニット名も決めない状態で、Kiramuneレーベルのアーティストの方々を紹介するラジオ番組からのスタートでした。ラジオが進行していく中で、ユニットの名前を決めることになって、リスナーのみなさんから募集したり、自分たちでも会議をしたり、話し合いを重ねて決めた名前がTrignal。「トライアングル」と、「シグナル」をかけた造語だったんです。

──現在まで活動は続いていますが、結成当初はどのような雰囲気だったのでしょう?

代永 
 3人とも歌やダンスの経験がそれほどあったわけではないし、Kiramuneレーベルとしても、そのころはソロが主体のレーベルだったんです。期間限定のCONNECT岩田光央さん・鈴村健一さんのユニット)とKAmiYU神谷浩史さん、入野自由さんのユニット)がありはしたものの、そこまでユニットとしての活動のノウハウがあるわけではなかった。だから、「どういうふうに動いていくんだろうね?」と、楽しみな気持ちもですが、不安も大きかったのを覚えています。そもそも、ファンのみなさんから受け入れてもらえるんだろうか? というのもあって。

──未知数なところの多いユニットだったんですね。

代永 
 でも、レーベルのイベントに緊張しながら出たら、ラジオをやっていたおかげもあってか、みなさんとても温かく3人を迎えてくれたんですよね。その初めて人前に出たときの景色は未だに忘れられないです。気持ちよかったし、楽しかった。

 3人で始められたことも、大きかったかもしれないです。良平くん、江口くんのふたりが横にいてくれるのが、とても心強かった。いろいろな考え方があるでしょうけど、僕はソロでやるよりも、ユニットでやれて、結果的に良かったと感じています。

──それにしても、なぜこの3人だったんでしょうね?

代永 
 まずは桑園さんの中に、「ユニットを作りたい」という発想が先にあったとはうかがっています。KAmiYUともCONNECTともまた違う、3人から5人くらいのユニットをKiramuneで作ってみたかったと。

 それで僕も、気になっている声優、これから人気が出そうな人のことを訊かれたりもして……良平くんは、『おお振り』の現場で一緒だったこともあって、僕からも名前を出していたんですね。他の声優さんや、Kiramuneのファンの人たちからも名前が挙がっていたと聞いています。

 で、江口くんは、ファンの方からの声が大きかったそうです。それを受けて、江口くんと同じ事務所の先輩だった柿原徹也さん(現在は独立)にも話を聞いたりして、そうしたリサーチを元にして声をかけたと聞いています。

──代永さんと江口さんの接点はTrignalからですか?

代永 
 Trignalからですね。初めてガッツリと現場で一緒になったのは、2011年の『ソードアート・オンライン』だったので。良平くんは江口くんと『東のエデン』で接点があったんですけど。

 だから僕と良平くん、江口くんと良平くんが、それぞれ別の現場で会っているけど、3人全員が知り合いというわけではなない、なんだかおもしろい状態でしたね。

──それが今でも続く、長いユニットになった。揃ってみたら、最初からみなさんの波長があっていたんでしょうか? それとも、続けていく中で、どこかで手応えを?

代永 
 そうですね……ユニットを始めたころ、みんな20代だったんです。それもあって、全員ががむしゃらだったんですよね。自分たちがやりたいことをやるというより、プロデューサーから提案されたことに、とにかく全力で応えていく気持ちが強かった。

 だけど、20代後半から30代に差し掛かってくると、だんだんとユニットの中での自分たちの立ち位置が見えてきて、全体のバランスが良くなっていったんです。ボケの江口くん、ツッコミの良平くんがいて、僕はその真ん中で、両方やる(笑)。その3人揃ったときのバランス感覚が、三角形をかたどっているかのように、うまい具合に噛み合った。

 トークだけじゃなく、曲づくりだとか、他の活動に関しても、お互いのやりたいことがぶつかる場面があまりないんですよね。3人それぞれにやってみたいことがあって、提案すれば受け入れてくれる。僕がロゴのデザインをやりたいといったときもそうでしたし、作詞やダンスのフォーメーションについての提案もそうでした。



──みんなで意見を出し合うようになった。

代永 
 良平くんがリーダーとして立ってくれていますけど、江口くんも意見を言ってくれるし、お互いを尊重するいい形になっていると思います。

 僕が発声障害になって、ちょっとお休みをすると決めたとき、実は解散も視野に入れていたんです。

──なんと。

代永 
 でも2人が、ウィングが戻ってくるまで待つから。そのあいだもちゃんとTrignalっていう形を続けていくから、今は治療に集中して」と言ってくれたんです。

 江口くんは今、ソロでも活動していますけど、それでも「Trignal江口拓也」でいてくれている。そうやって、活動を繋げてくれているんですね。3人でいろいろ経験してきたことで生まれた絆の強さのようなものがあると感じています。

 ファンのみなさんにもその絆を応援していただけている、愛していただけていて、だから続いているのかなと思います。

──3人にとって、ホームのひとつようなユニットになっているのでしょうか。

代永 
 そうですね。3人でいると。自然にお互いのことを察せられる、居心地のいい関係ですし。

 このあいだキラフェスに久々にゲストで出させていただいたとき、ふたりの笑顔を見ていたら、自分も感動してきたんですよ。つらいときも、楽しいときも知っている3人だからこそ、阿吽の呼吸のように感情が伝わって来る。2人に聞いたわけではないですが、お互いにそんな関係を作れているように感じます。

──Trignalとしての活動を振り返って、特に思い出深い場面というと、どこになりますか?

代永 
 あまりにも多いので、悩みますね……(笑)。でも、やっぱりTrignalとしてのファーストライブは、すごく印象に残っています。未だにみんなで、よく話題にも出しますしね。あとは5周年記念ライブかな。良平くんの提案でTrignalのロゴマークを考えて、ライブ中にカラースプレーで描いたんです。全員で白いツナギを着て、ロゴを描いたあとに、他のメンバーにスプレーをかけてお互いを飾りつけるみたいなことをやったのが、子供の頃に帰ったようで、めっちゃ楽しかった。

 「他のKiramuneのメンバーでは絶対やらないようなことをTrignalはやっていこう」と話をしていたのが、あのときのスプレーアートでは、まさにやれた気がしたんです。

──なんだか青春ですね。

代永 
 ああ、そうなんです! Trignalの活動ではずっと、2回目の青春を味わっている感じがあって、その感覚は今も続いていますね。

■自分が先輩からもらったものを後輩に繋ぎたい

──3つの分岐点を超えた現在の代永さんが、生きる上でもっとも大切だと感じてらっしゃることは何でしょうか?

代永
  「助け合い」……かな。その時々で出会ってきた方々に助けてもらって、今の自分がある。その意味でも大切だと感じていますし、逆に自分がしてもらってきたことを、後輩に伝えていきたいという思いも、今は強く感じているんです。

 先輩から教わったこと、現場で教わったことを伝えるのはもちろん、何かあったときに後輩たちの話を聞いてあげられる先輩になりたい。そうした「助け合い」の気持ちが、今、大切にしていることかもしれないですね。

──今日、お話をうかがっていて、本当に節目ごとに手を差し伸べてくださる方が、代永さんの人生には現れていらっしゃる印象で、それを思うととても納得するお答えです。

代永 
 本当に僕は、人との出会いに恵まれていたと思います。助けてくださるのもですし、自分がやりたいことを許してくれる方がいっぱいいらっしゃったなぁ、と、あらためて実感しています。

 そのおかげで道を作れたところもあると思っているんです。たとえば、演じているキャラクターのイメージに自分を近づけるために、エクステを着けたり、似た格好を探してみたりすることとか。僕がやり始めたときには、まだ「役は役、自分は自分」という考え方をする先輩方が多かったように思います。でも自分は、「ファンのみなさんの前に出るからには、ちょっとでも自分の外見もキャラに近づけたい」と思って、いろいろ試してみたんです。髪にリボンを結んでみたこともありますね。そうやって、男性声優の世界に新しい風を吹かせることができた……と、断言はできないですが(笑)、もし自分が少しでも、業界に影響を与えられていたらいいなとは思います。



──キャラクターモチーフのネイルアートもSNSで反響が大きいですよね。

代永 
 そうですね。ネイルは奥さんが「やってみるのもいいんじゃない?」と提案してくれて、せっかくだったらやってみようかなと。役に似た色だったり、モチーフを入れてやってみています。

 そうやって、何か新しいことをやる前から「駄目だ」と言われる状況を、できるだけなくしたいんです。ちなみに、そういうことを考えるようになったきっかけも、他の人の影響なんですよ。

──おお、どなたでしょう?

代永 
 KENNくんと前野智昭くんです。このふたりが僕のそうしたスタイルの師匠ですね。『VitaminZ』というタイトルで共演したときに、おふたりが新選組の羽織を着てみたり、そのキャラに似た感じの振る舞いをしていたんです。その姿を見て、自分もキャラクターに近づけることをやっていこう、って思ったんです。自分の個性を殺すより、キャラと自分は一緒の存在で、それができるのは、役を演じさせてもらっている特権だとも考えて、どんどんやろう、って。そんな勇気をもらったんです。

 このあいだ僕の配信番組(※ニコニコ生放送『代永翼のBAR「バァ♡TSUBASA♡」』)のゲストに来てくれたとき、KENNくんにはこの話をしたんですけど、おどろいてましたね(笑)。



──配信番組も同業者とコミュニケーションをとるいい機会になっているんですね。

代永 
 まさにそうでしたね。コロナ禍でご飯に行ったり、現場で議論する時間がなくなってしまって悩んでいた頃にやらせてもらうようになった番組があって。「TAKALAKAチャンネル」というYouTubeチャンネルで、同業者の方をゲストに呼んで話を聞く企画なのですが、新しい形の繋がりが持てたのは助かりました。気になっている後輩の名前を挙げて呼んでいただいたりもして。



 やっぱり高い声の後輩の子とか、同じような悩みを抱えているんですよね。「代永さんはどこで、声の高い少年役から青年役に仕事を切り替えていこうと思ったんですか?」とか、僕も下野さんに似たような悩みを聞いてもらったな、と。自分が相談してもらえる立場になって、話を聞ける場もあったのは、ありがたいことです。この試みは、コロナが落ち着いたとしても続けていきたいですね。

 もっともっといろいろなことを聞いておきたかった先輩もいらっしゃいます。逆に自分だって、何があるかわからない。だから、下にどんどん伝えていけることは伝えていきたいなというのは、最近感じていることですね。

 事務所も応援してくれているんです。賢プロに声が高い少年役の子が入ってくると、マネージャーが「迷ったら代永に聞きなさい」と言ってくださってるみたいで、それもありがたいことですね。

■デビュー当時と変わらない声で少年役を演じ続ける先輩たちを追いかけて

──代永さんご自身としての、声優としての今後の展望はいかがですか?

代永 
 その歳、その歳で、できる役を演じていきたいですね。この業界で、長く続けていきたい。50歳になっても、60歳になっても、70歳になっても、年齢を重ねることでできるようになる役、味が出てくる役がある。若いときにしかできない役もありますけど、僕は何だか、これからの方が楽しみなんです。

 僕、『最遊記』シリーズが好きで、『最遊記RELOAD BLAST』に出演できたのは本当にうれしかったんですけど、そのとき保志総一朗さんが、十数年前のシリーズ開始当初と変わらないパフォーマンスで、孫悟空を演じてらしたんですよね。大興奮でした。その場ではこらえましたけど、そのあと『アイドリッシュセブン』の現場でお会いしたときに、思わず感想を伝えつつ、「どうやって声を保たれているんですか!?」なんて聞いてしまったくらい(笑)。

──ガチファンですね(笑)。

代永 
 保志さんもですし、下野さんもですよね。デビュー当時と変わらない声で、今でも少年役を演じ続けている。そういうすごい先輩たちがいらっしゃるので、自分も負けないように、ずっと少年役を演じていきたい気持ちもあります。でも、おじいちゃんの役をやるのも、魅力を感じますよね。どんな形でも、とにかく楽しんで演じていきたいです。

──声優としてのお仕事以外に、より広いエンターテイメントの枠の中で、挑戦してみたいことはありますか?

代永 
 えーっ。何でしょうね……本当に、芝居がとても好きなんですけど、ドラマに出たい気持ちはそこまでないです。最近、声優さんでドラマに出る方が増えていますけど。

 朗読はすごく好きなので、朗読劇はこれからもやっていきたいですね。関さんのやってらっしゃる劇団ヘロヘロQカムパニーに客演したときも楽しかったし、お声がけしていただけるのであれば、舞台や朗読には積極的に参加していきたい気持ちはあります。

 特に朗読は、演技力をつける上で一番いいものですし、いろんな内容のものをやっていきたいですね。

──たとえば、今後取り組んでみたい題材はありますか?

代永
 去年、江戸川乱歩の作品を読ませていただいたときに(※CCCreation Presents リーディングシアターVol.3『RAMPO in the DARK』)、子供のころとは作品から受ける印象が全然違ったんです。大人になって、しかも朗読という形で接することで、観点も変わったし、演出家の方からお話を聞くことでも捉え方が変わった。その前に演じた、深作健太さん演出のシェイクスピアの『マクベス』の朗読劇もそうでした。専門学校時代に卒業公演で演じた『マクベス』とは、印象が全然違ったんです。

 そうした、「新しい発見の繰り返し」が朗読にはあるんですよね。アニメや外画の吹き替えの仕事も面白いんですけど、どちらも画があって、そこにお芝居のためのヒントがいっぱいある。でも朗読には文字しかないので、自分で想像したり、演出家さんの指示と自分が作ってきたお芝居をすり合わせて、作らなければいけない。難しいけれど、そこがまた、違った楽しさがある。そうした活動は、これからも続けていきたいですね。


 長期にわたって人気を誇る作品への出演が多い代永さん。代永さんが演じたキャラの涙に共感し、シリーズ開始当初と比べたキャラの成長に励まされたことがあるファンも多いのではないだろうか。

 まさに、声優を目指し始めた頃から感じていた「自分と同じような悩みを持っている誰かに寄り添いたい」という願いが叶っている、いや、代永さんが思い浮かべていたよりもさまざまな種類の壁にぶつかる人々に届いているように思う。

 逆境での負けん気や、周囲の仲間への想い……代永さんご自身がまるでスポーツ漫画の主人公かと思えるようなエピソードの数々。これらを読んで、あなたにとって大切な代永さんが演じたキャラから勇気をもらったときのことを思い出していただけていたら嬉しい。

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