多くのプレイヤーが待ち望んでいた『FINAL FANTASY XVI』(以下、『FF16』)の発売から、はや2ヶ月以上が経った。この期間に世界中のさまざまなプレイヤーがさまざまな感情を抱き、このゲームに向き合ってきたはずだ。

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 プレイするなかで、登場するキャラの心情や行動を想像し、新しい意味や可能性に気付くたびに、「ゲームなのに実際に生きている自分たちと変わらないじゃないか」と考えさせられることが多々あった。このゲームのキャラと向き合うとき、現実に生きている人間を思うときのような、自分の人生で出会ってきた人を思い出すような、そんな気持ちになる。『FF16』の数ある魅力のひとつに、この現実の人間を感じられるような、愛すべき登場人物たちがいる。

※以下、『FF16』のストーリーに関するネタバレを含みます。

 本作には「ドミナント」と呼ばれる、召喚獣を宿した人物たちが存在する。ドミナントたちは、それぞれがさまざまな理由と過去を持ち、『FF16』の舞台であるヴァリスゼアという世界で必死に生きている。そのなかでも特に心を惹かれたのが、本作の主人公であるクライヴの弟・ジョシュアだった。ジョシュアは、幼い頃からフェニックスという召喚獣の力を宿すドミナントとして、クライヴや作中の謎に関わる重要なキャラとして登場する。

 『FF16』は少年期、青年期、壮年期とクライヴの人生を軸にストーリーが進んでいくなかで、登場するキャラや世界も徐々に変化をしていく。しかしジョシュアに関しては、主要キャラとはいえ、作中を通して登場するわけではなく、中盤以降の行動や経緯は作中でも多く語られない。そのため、さまざまな想像や考察ができる一方で、行動に疑問を感じ、違和感を覚えたプレイヤーもいたのではないだろうか。

 プレイしているときは、ジェットコースターのような展開に心臓をバクバクさせながら駆け抜けていたが、ふと、そんなジョシュアの行動を思い出してはいろいろな可能性を考えて、「こうだったんじゃないか」「いやでもそれだとあのときの行動の意味は」なんて、想像をしてしまう。

 現実の世界では、人間は思ったことを全て口に出さないし、逆に思ってもいないことを口に出して生きていると、筆者は思っている。そういうことが悲しいと感じるときもあるけれど、人間はそういうものだと理解しながら大人になった。ただ、『FF16』は現実ではなくゲームであり、ゲームならば、すべてを現実と同じように描くことは、決して義務ではない。

 しかし、『FF16』はPS5の性能によってより高精細でリアルな描写が可能になったことで、フェイシャルキャプチャーモーションキャプチャーを存分に使い、今まで言葉として語られてきたものを、言葉以外で表現することにチャレンジしているように感じた。このチャレンジが、よりリアルな人間らしさを生むと同時に、よりリアルな人間の悩みも同時に生んでしまっているのかもしれない。現実で向き合う人間は、言葉ですべてを教えてくれるわけではないからだ。

 クリア後も、登場したキャラたちを「現実にいる人間を思うような感情」で考えることをやめられない理由のひとつがきっと「それ」だ。このゲームに登場するキャラたちもまた、思ったことはすべて口に出さず、逆に思っていないことを口に出して生きているような、そんな現実の人間に近いのではないか。そう強く感じさせる登場人物がこのゲームにはたくさん存在していて、だからこそ心を鷲掴みにされてしまった。その筆頭が、先述のジョシュアだ。

■ストーリー前半と後半で生まれる行動の変化は矛盾なのか

 ジョシュアというキャラは、由緒あるロザリア公国の次期大公であり、国を象徴するフェニックスのドミナントで、兄が大好きな弟で、でも子供の頃から聡明で、勇気もあって……そんな人物に見えた。しかし、青年期以降をプレイしていくなかで、「ジョシュアはずっと逃げ出したかったのかもしれない」と、そんな思いが浮かんだ。ゲームを進めると彼は悲劇の事故をなんとか生き延びたことが分かるが、主人公であるクライヴたちに合流するのはストーリー後半となり、それまでの行動は多くの部分が謎に包まれている。ジョシュアの前半と後半の行動の変化を矛盾と捉えた人も、きっといただろう。

 このゲームをしていると、自分の人生で出会ったさまざまな人を思い出す。ジョシュアを考えるときは、昔仲が良かった仕事の後輩を思い出した。彼は、明るくて頭もよくてムードメーカーで、仕事もできる後輩だったが、日々楽しく仕事をしているように見えていた彼は、突然会社を辞めてしまい、連絡も取れなくなってしまった。「楽しく仕事をしていた」という事実と、「会社を辞めた」という事実は矛盾していないと、今は理解できる。しかし、当時はまだ、彼が見せていたはずのふとした違和感や表情に気持ちを向ける余裕が自分にはなかった。

 「ジョシュアが兄を何より大切にしていたこと」と「そんな兄の前に姿をずっと現さなかったこと」、これもきっと矛盾はしていない。「大切にしていたからこそ自分という存在を重荷と感じてほしくなかった」「大切にしていたからこそ、ドミナントとして先が長くない自分が、兄に危害を加える存在を倒し、そのまま消えるべきだと考え、頑なに姿を現そうとしなかった」。そんな可能性を考えてしまう。

 少年期ジョシュアは、物語の序盤で母・アナベラに叱られるときも、フェニックスゲートで自分を羨ましがる兄と話していたときも、強く拳を握り込んでいた。

 ストーリーを通して「つらかった、逃げたかった」という言葉をジョシュアが言うことはない。それでも、自分が敬愛する兄を、自身の立場によって追い詰めるような状況に、ずっと苦しんでいるように見えた。その表情や仕草からは、「自分さえいなければ」「自分にさえこんな力が宿らなければ」と、幼いながらに悩み、自分を責め、それでも周りの期待に応えようと必死に自分押し殺して生きている、そんな印象を受けた。

 ジョシュアが、兄を愛するがゆえにずっと姿を現さなかったと考えると、再会したときの最初の言葉が兄に対する謝罪だったことも、心に深く刺さった。人間は大切なものや愛するものへの対応ほど、悩んで苦しんでしまう。それはきっと自分が嫌われたくなかったり、重荷になりたくなかったり、自分のことで苦しんでほしくないと思うからだ。

 現実でもジョシュアのような生き方をしている人を大勢見てきた。誰かを愛して、大切にしていて、だからこそ本当のことが言えず苦しんでしまう。そして、そういう人たちを見てきたことで、このジョシュアの一見矛盾しているように見える行動の奥にも、きっと言葉にできない真意はあるはずだと感じ、ゲームのキャラだということを忘れそうになってしまう。

 『FF16』は、答えすべてを語る言葉を用意しているゲームではない。だからこそ、ヴァリスゼアで必死に悩み、苦しんで、人間臭く生きているキャラたちを、現実で生きている人間のように感じ、とても愛しく思う。彼ら、彼女らからはこれからも、たくさんのことを聞いて、感じて、考えていきたい――。発売から2ヶ月以上が経ってもそう思うほどに、このゲームは人間味と魅力にあふれている。

(文=限界トルガル)

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