心臓に原因のある突然死のなかでもっとも多いのが、心筋梗塞から心室細動を引き起こし、命を落とすというケースです。救命の可能性もあるものの、1分1秒を争う治療となり、現実には命を落とす症例も少なくないと、循環器専門医である東京ハートリズムクリニックの桑原大志院長はいいます。桑原氏の実体験から、緊急事態のときに必要な医師と患者「それぞれの覚悟」をみていきましょう。

突然襲いかかる「心筋梗塞」…緊急事態でなにを優先する?

現在、日本人の死因は「悪性腫瘍物(腫瘍)」に次いで第2位が「心疾患」となっています※1。この心疾患のうち、多くを占めるのが「心筋梗塞」です。

日本では、毎日たくさんの人が心臓を原因とする突然死(=「心臓突然死」で亡くなっています。その数は年間約7.9万人。実に、7分に1人が心臓突然死で亡くなっている計算です※2

この心臓突然死のなかでも多いのが、心筋梗塞が原因の「心室細動」です。心室細動は致死性不整脈のひとつであり、これを発症するとすぐに心臓が止まり、数秒で意識を失い、数分で脳をはじめとした全身の細胞が死んでしまいます。

自分や身近な家族の心臓が突然止まったとしたら、どのような判断をすればいいのでしょうか。そして、万が一のとき“尊厳ある死”を迎えるためには、いったいなにを優先したらいいのでしょうか。

今回は、そんなことを考えさせてくれたある患者さんのエピソードを紹介します。

当直の夜、搬送されてきた1人の男性

25年ほど前、筆者はある病院の救命救急センターで働いていました。当直で働いていたある日の夜のことです。突然、年配の男性Aさんが救急車で運ばれてきました。主訴は「胸痛」です。マニュアルどおり胸部レントゲン写真を撮り、心電図検査と血液検査を実施したところ、心筋梗塞を起こしていることがわかりました。

カルテを見ると、そこにはこれまでAさんが2回心筋梗塞を患っていると書かれています。心筋梗塞とは、心臓に栄養と酸素を与える血管「冠動脈」が詰まって血液が流れなくなり、心筋が壊死する疾患のことです。

冠動脈は合計3本ありますが、彼の場合はこれまでの心筋梗塞の既往により、3本のうち2本が閉塞していることがわかりました。残りの1本も、今回の心筋梗塞により詰まっています。非常に危険な状態であることは明らかでした。

心筋梗塞の患者を救命するためには、閉塞した冠動脈を拡張する必要があります。しかし、冠動脈が詰まっている時間が長引けば長引くほど心筋の壊死は拡大し、命に危険がおよびます。この患者さんの場合も、まさに一刻の猶予もない状態でした。

すべての冠動脈が閉塞、発症してから約6時間経過…ほぼ“絶望的”な状態

通常、心筋梗塞の患者さんが運び込まれてきた際は、すぐに医療スタッフが招集され緊急カテーテル検査を実施し、「冠動脈形成」を施行します。

冠動脈形成とは、主に手首の動脈からカテーテルという医療用の細い管を冠動脈まで挿入し、閉塞した病変部を拡張する治療法です。これにより、狭くなった冠動脈の血管を内側から拡げるため、心筋梗塞の患者さんの命を救うことが期待できます。

しかし、どんなに優れた治療法にも限界はあります。この患者さんの場合、胸痛を発症してからもう6時間近くが経過しており、血圧も70 mmHgを切っていました。これから緊急でスタッフを招集して、閉塞した血管を再開通するには、2時間はかかってしまうでしょう。

「間に合わない」……筆者はそう思いました。

「助かりますか?」Aさんの問いにした筆者の“覚悟の返答”

Aさんの年齢は70代後半。カルテを見ると、職業は「お坊さん」とあります。Aさんは筆者の顔を見ながら、そっと「私は助かりますか?」と尋ねてきました。

筆者は一瞬ためらいましたが、その方の職業がお坊さんであり、職業柄、平素からしっかりとした死生感を持っていらっしゃるだろうと判断し、正直にこう答えました。

「難しいでしょう。おそらく、助かる可能性は低いです」

すると、そのお坊さんは冷静な顔つきでこうおっしゃいました。「ありがとうございます。それでしたら、もう処置は不要です。申し訳ないのですが、家族を呼んでもらえませんか」

筆者はとても迷いましたが、Aさんの置かれている状況とご本人のお気持ちを考えたうえで、ご希望どおりにしたほうがいいと判断しました。

ただちにご家族に連絡したところ、救急搬送されたことはみなさんすでにご存じで、ちょうど病院へ向かっていたようでした。20分もしないうちに、ご家族全員がCCU(循環器疾患集中治療室)に入られました。

涙と笑顔で過ごす、最期のひととき

CCUのカーテンのなかで、お坊さんとご家族が非常ににこやかに会話をされているのが見えました。会話の内容はまったく聞こえてきません。

ただ、幸せそうに微笑むお坊さんのお顔と、涙で眼を腫らしつつも、懸命に会話を続けようとするご家族の様子が見えるだけです。それでも、その場にいる全員が人生のなかでもっとも価値があり、有意義な時間を過ごしていることは明らかでした。

会話を始めてから、30分もしなかったと思います。お坊さんはご家族に見守られながら、静かに息を引き取りました。最後の瞬間、少しだけ苦しそうに表情を歪めましたが、そのあとは眠るように安らかな最期でした。

「救命」か「幸せな最期」か…生死の境に向き合う医師の苦悶

翌日、筆者は上司に「どうして緊急招集をかけなかったのだ!」と叱責されました。もちろんこうなることは予想していましたが、筆者はなにも返事をすることができませんでした。

昨晩、筆者はお坊さんの幸せそうな最期を目の当たりにし、「もちろん救命は医師にとって第一に優先すべき職務だが、決してそれだけが医師の仕事ではない。患者さんの置かれている状況とご家族の思い、すべてを考慮したうえで、できるだけ幸せな最期を迎えることができるようにするのも医師の役割だ」と感じたからです。

とはいえ、あれからかなりの年月が流れましたが、「もしあのとき緊急招集をかけていたら」「あの晩、筆者がとった行動は正しかったのか、間違っていたのか」……いまでもこの問いは自分のなかに存在し続けています。

心筋梗塞を起こした際、冠動脈形成が間に合わないと、患者さんは医師による手技の最中やカテーテル室に運ばれる途中で心室細動を発症します。医師は心臓マッサージや電気ショックでなんとか蘇生を目指しますが、残念ながら亡くなってしまう方も少なくありません。

また実際のところ、高齢の方への心臓マッサージはかなり惨憺たる状況になるケースもあります。胸骨圧迫により肋骨が「ボキッ」「ボキッ」と鈍い音を立てながら折れることも少なくありませんが、それでも救命を優先するため、医師は力いっぱい圧迫を続けなければなりません。

そんな状況に、筆者だけでなく多くの救急医が「なんとか助けなければ」という思いと「この状況であればご家族が『もう結構です』とおっしゃるかもしれない」という思いの狭間で、なおも必死の思いで心臓マッサージを続けていることは間違いないでしょう。

もし、患者さん自身があらかじめ人生の最期をどう迎えたいのかということに向き合い、ご家族にもその思いを伝え、話し合っていれば、このような緊急事態に直面した際の判断も変わってくるのかもしれません。

筆者はこの経験から、たとえ命が危険な状況であっても、家族で穏やかなひとときを過ごしたいという患者さん本人の願いを叶えることもできるのだと知りました。それこそ、すべての人間が等しく権利として持っている“尊厳ある死”のあり方ではないかと感じました。

もちろん、患者さんの年齢や状況によっては、「どれだけ惨憺たる状態でもいいから、なんとか命を救ってほしい」ということもあります。どの対応がふさわしいのかは、1人ひとり異なります。

だからこそ、筆者は思うのです。この記事を読んでいるあなた自身、もしくはあなたのご家族が、万が一心停止の状態になったとき、救命措置をどうするか? 尊い命の最期を、どのように迎えたいのか?

……もしかしたら、明日このような場面に立たされることもあるかもしれません。健康なときにこそぜひご家族で話し合っていただきたいと、切に願います。

<参照>

※1 厚生労働省令和2年(2020)人口動態統計月報年計(概数)の概況」 (https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai20/dl/gaikyouR2.pdf

※2 日本AED財団「心臓突然死の現状」 (https://aed-zaidan.jp/knowledge/index.html)

桑原 大志

東京ハートリズムクリニック

(※写真はイメージです/PIXTA)