お相手:松井 拓己様
松井サービスコンサルティング 代表


お客様の期待に合っているものがサービス

猪口 前回は、松井さんのコンサルティングのコンセプトである「事前期待」についてお話をお伺いしました。

松井 私の興味は10年前からずっと事前期待にあります(笑) 前回(https://www.insightnow.jp/article/11485)でもお話ししましたが、事前期待は「サービスとは何か」という定義から始まっています。何をしたらサービスになるだろうかと皆考えますが、サービスは我々が何をやるかではなく、「お客様の期待に合っているものがサービス」です。「価値があると思ってやっても、期待に合っていなかったらサービスとは言えない」のであって、事前期待をきちんと捉えないとサービスを提供することすらできません。しかし、世の中のサービスに関する理論は具体策の設計ばかりです。

猪口 事前期待はニーズと言われたり、いろいろな捉え方があると思います。一方で、「ニーズに応えるだけではお客様の想定内になってしまう」「日本人はニーズに応えるのは得意でも、けっきょくその枠を越えられないものしかできなかった」といった話もあります。松井さんは事前期待というものをどのように捉えますか。

松井 二つあります。まず、ニーズという言葉で議論する枠は非常に狭いものです。ニーズの議論では、「あの会社はこういうメニューで、いくらぐらいで提案できそうだ」ということを見据えた議論しかしていないので、お客様の本音に全然迫れていない。提供者都合でニーズを捉えているだけなのです。

猪口 勝手に作ってしまうことがありますよね。お客様は安いものを欲しがっていますよ、とか。

松井 井それで安易に値引きをして、自分たちの首を絞めてしまう。一方、事前期待という耳慣れない言葉で議論をすると、ニーズの議論で話していたフィールドの外側にあるお客様の思いや課題が出てきます。それは、直感的に営業担当者もつかんではいるのですが、ニーズの議論からすると少しずれていたり、細かい話だったり、格好悪い気がしたりして、あまり出してきません。まずはそこまで枠を広げるのが一つ大事なことです。

猪口 確かに営業として現場にいれば、実感するものがあるでしょうし、なんとか商品やサービスに展開できないかと考えるでしょうね。


松井 事前期待に応えられるようなアプローチをしている会社が他にないのであれば、ニーズの議論ばかりしている会社に対して、事前期待まで捉えることで差別化が図れます。

もう一つは、事前期待はニーズ等の潜在的なものも含みます。地表に転がっている芋だけを拾うような、現状の可視化された事前期待だけに応えていては、当たり前のサービスにとどまってしまいます。そこでもっと事前期待を知ろうと、お客様に対して「何を期待していますか」と単純に聞いても、「う~ん、もっと安くしてほしいかな」とか「お願いした事をちゃんとやってくれればそれで良いです」という具合に、薄っぺらい回答しか返ってきません。顧客自身が自分のニーズや期待が分からない時代だと言われているくらいですから。なのでむしろ、「お客様がこのまま進んでいったら、将来的にはこういう期待が出てくるのではないか」という潜在的な期待について、サービス提供者の経験知を活かして議論をして、まずは仮説として的を定めるのです。

クレームは「期待のマネジメント」でチャンスに変えられる

猪口 ありがちな話で、カスタマーサポートセンターや店舗の販売担当員がお客様の言葉をうのみにしてしまうことがあります。「お客様にこう言われたので、こうしてください」と言われて、新しい提案をすると、お客様から「そういう意味で言ったのではない」あるいは「それはもういい」と返されてしまう。そのようなことが発生している現場に対して、マネージャーはどう対処すればいいでしょうか。

松井 私であれば「事前期待の的を設計しましょう」と言います。その時、それがいつの事前期待なのかがとても大事です。お客様が本質的にサービスの価値を実感できるように、成長したり、経験を積んだり、リテラシーが上がった先の事前期待を的にする必要があります。今日の事前期待は明日もあるでしょうか。例えば、今日我々のサービスを利用して良かったと感じたのであれば、次の期待は上がったり、違うものが出てきたりと変化していきます。「松井さんがここまでやってくれるなら、こっちの部署の相談も持って行ってみよう」といったことも起きてくる。期待は必ず変化していくものなのです。「この期待が変化した先にどのような期待があるのか」を見据えて、サービスをマネジメントしていくことが大事です。

猪口 BtoBにおいても、仮にクレームに応えた商品を出して、お客様に提案しても、「それはもう先月で終わっているから」ということもありそうです。

松井 私は価値向上のプロジェクトが多いのですが、最近はクレームから価値をいかに高めるかをテーマにしたプロジェクトも行っています。私は、クレームも価値向上に持っていくためのプロセスの一つとして設計します。目標地点にどのような事前期待があって、それに対してどのような現象が起きたことでクレームになったのか。そもそもお客様がわざわざ自分の時間と労力を使ってクレームを言ってくれるのは、その会社に対してまだ諦めていないということです。そこで逃げずに、クレームから挽回してプラマイゼロに戻すだけでなく、期待に向けたアプローチまで含めてやっていきます。クレームを出したお客様が良いお客様に変わることも多く、今のヘビーリピーターの半分くらいが過去クレーマーだったという会社もあります。そういう意味では、期待の目標地点がはっきりしていれば、クレームはプラスの現象に変えられる、チャンスに変えられるのです。

猪口 クレーム時点では、余裕がないことも多いので、冷静な対応が必要そうです。

松井 期待の的、価値のゴール地点をいきなりは設定できないので、お客様と一緒にゴールまでの道筋をプロセスで設計します。これは「期待のマネジメント」という領域です。ここではその中身に注目します。今は大して期待されていなくても、サービスの価値が実感されていくと、「うちの経営課題についてもっと相談したい」というように、期待の中身がどんどん変わっていきます。価値の目標地点に据えた事前期待の的に向けて、期待の中身を一緒に作っていく設計にすることで、BtoBであればお客様のビジネスパートナーとしての位置づけが上がっていきます。目標地点として事前期待の的を設計し、そこに至るまでの、価値をお客様と一緒に作る共創プロセスを、事前期待がマネジメントできるように積み上げていきます。

猪口 BtoBの場合、単に担当者と進めても埒があかないということはないですか。

松井 そうですね。なので、意思決定者にアプローチしなければいけません。しかし、皆が経営者と話せるわけではないし、上司とのパスがあるわけではないですよね。あればそれを使えばいいですが、ない場合は、お客様である担当者が上司や意思決定者に自慢したくなるような、意思決定者から意思決定が引き出せるようなアウトプットやミーティングを設計します。「あの会社とタッグを組んで作った資料がこれです」と見せた時、上司が「これはすごい」となって案件が降ってくるような、直接のパスはなくても、担当者から上げられるアプローチもあります。

猪口 なるほど。それには担当者の力量が必要になりますね。


松井 それと担当者の熱量ですね。その熱量をマネージャーが下げてしまうことがあります。例えばマネージャーは、担当者が失敗しないかどうかだけを見ていて、得点型の評価ができていないと、やる気がなくなっていってしまいます。

猪口 それはありますね。今流行のジョブ型も、そもそも部下のジョブ・ディスクリプションを作れない経営幹部や部長もいますので、マネージャーの力量が試されそうです。

松井 管理しかしていないマネージャーは厳しいですね。日本サービス大賞(日本最高峰のサービス表彰制度)を受賞した清掃サービス会社の経営者の方に聞いたお話です。清掃サービスという、一見すると地味な仕事をする職場で、マネジメントはどうあるべきかというお話でした。面白いことに、マネージャーのことを管理職と言いますが、管理に徹底したところで職場は良くならないそうです。マネジメントを日本語で「管理」と訳すのがそもそも間違っていて、マネジメントの本業は「やる気を引き出す」ことだとおっしゃっていました。現場のやる気さえ引き出せれば、伸び伸び自分らしく、いろいろなアイデアを出して頑張ることができます。マネージャーとはやる気を引き出す職業だと再定義しないかぎり、うまくいかないのではないでしょうか。ジョブ型で「管理」をしようとしてしまうと、やればやるほど、現場はやる気をなくしてしまうと思います。

CSの顧客接点での成功体験が従業員のエンゲージメントになる

猪口 今日は松井さんに質問したいことがあるんです。今、人事部門が従業員のエンゲージメントスコアを上げようと必死になっているという話をよく聞きます。エンゲージメントは、人事は大好きだけど、現場は大嫌いですよね(笑) サービスの捉え方とは少し違うのかもしれませんが、従業員のロイヤルティやエンゲージメントと業績の結びつきについて、松井さんはどのようにお考えですか。

松井 直結していると思っています。そもそもサービスでは、お客様と我々が一緒に価値を作るという「価値共創」の考え方を大事にしています。この場合、「競争」ではなく、共に作り上げる「共創」で、価値共創にはお客様の努力も必要になります。そのためには、お客様のエンゲージメントが高くないと協力してもらえません。

従業員も同様で、仕事や事業、お客様に対するエンゲージメントが高くないと、お客様からの期待に応えることを最優先に考えて努力することができないため、価値共創がうまく回っていきません。価値共創には時間がかかるし、努力が必要です。

価値共創を回すにはエンジンが必要です。価値共創のメカニズムでも、エンゲージメントと言うべきかモチベーションと言うべきかわかりませんが、そういったものが流れないとメカニズムが回らないのです。

ただ、今言われているエンゲージメントは、働く環境や条件といったところだけを捉えているような気がします。そんな時代はもう終わっていると思うのです。日本でものが足らなかった時代、いろいろなことが満たされていなかった時代には、条件面を整えることで、「この会社は良い会社だから仕事を頑張ろう」となっていたのだと思います。しかし現在そのような会社たくさんある中で、どこが不満か聞いて環境を整えて、どんぐりの背比べをしていてもエンゲージメントは高まりませんよね。

先ほどお話ししたサービス大賞を受賞した清掃会社のように、エンゲージメントが価値を生み出し、事業を成長させるドライバーになっている会社は、CS等の顧客接点での成功体験がエンゲージメントになるように、その両立をマネジメントとしてしっかりやっています。海外にはCSより先にESが高くないと頑張れないという考え方もあり、確かにそれもあるかもしれませんが、どちらかというとCSを通してESが同時に上がっていくように、同時達成していかないと今の時代はうまくいかないのではないでしょうか。

猪口 片方だけというのはあり得ないですよね。

松井 ないと思います。人事が自分たちのフィールドでやりやすいことはやはり、労働環境を整える、給与を上げるといったアプローチになりますよね。ただ、そこに閉じていては本質からずれてしまうのではないかと思います。エンゲージメントが大事だというのは否定しませんが、おそらく現場が嫌がるのは小手先でやっているように感じるからではないでしょうか。現場がこんなに努力して、家族も犠牲にしながら働いているのに、現場のやる気が出ないのは給料が安いから、条件が悪いからというような、浅い理解でやろうとしているように見えるから嫌がられてしまう。現場にも思いがあるし、事業に貢献しようという目線で仕事をしているのに、まるで手足としての労働力としか見えていないのでは。そんな目線での分析になってしまっている企業がたくさんあります。私がご一緒している企業の中には、人事が持っている人材育成の枠組みを活かして社内メンバーを集めて、実践プログラムと称したサービス改革を推進しているところもあります。サービスの価値をモデル化して実践し、顧客接点での成功体験を積み上げることで、従業員の仕事や事業へのエンゲージメントが高まって、お客様との価値共創に主体的に取り組める従業員が増えています。

猪口 エンゲージメントの定義をやり直す必要がありそうです。今日はありがとうございました。


そもそもサービスとは、お客様と我々が一緒に価値を作るという「価値共創」