雪下まゆさん

 書店の店先で、2022年本屋大賞を受賞した『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬/早川書房)の表紙に描かれた青い目の少女の「目力」に心を掴まれた――そんな経験を持つ人は多いのではないだろうか。

 この印象的なイラストの作家は、アーティストでファッションデザイナーの雪下まゆさん。2022年本屋大賞にノミネートし、映画化も決定している話題作『六人の嘘つきな大学生』(浅倉秋成/KADOKAWA)、辻村深月氏のベストセラー『傲慢と善良』(朝日新聞出版)、第21回『このミステリーがすごい!』大賞・文庫グランプリ受賞作『レモン殺人鬼』(くわがきあゆ/宝島社)など、数多くの話題書のカバーイラストを担当し、書店に行けば、その装画を必ずと言ってよいほど目にする、注目の作家だ。

 アーティストとして、画家だけでなく音楽・ファッションと多彩な方面で活躍をする雪下さんに、「本の装画を描くこと」を中心に、編集部でセレクトした作品のこと、「絵」の仕事にとどまらない活躍についてまで、お話をうかがった。

(取材・文=荒井理恵 撮影=島本絵梨佳)

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印象的な目力をもつ人物画は自分がモデル!?

――直接お会いして「あ!」と思ったんですが、雪下さんが手がけられた装画の人物(編集部注:『レモン殺人鬼』『傲慢と善良』)、雪下さんご自身と似ていませんか?

レモンと殺人鬼
レモン殺人鬼』(くわがきあゆ/宝島社

雪下まゆさん(以下、雪下):そうですね、自分をモデルにして描いているので…(笑)。基本的にお仕事ではない自分の作品を描くときでも自分の顔を描いていて、お仕事のときはキャラクターの関係もあるのでちょっと変えたりしますが、やっぱり自分らしさはどこかに残る感じになっています。

――ご自身と物語がうまくつながっていくんですね。

雪下:私の絵を見て声をかけてくださっているというのもあると思うんですが、私に依頼がくる作品って、クラスの中で馴染めないタイプの子だったり、みんなとワイワイ話していても心の中でずっとモヤモヤ考えてる子だったりと、繊細な主人公が多いんです。私の作品とそうした主人公の顔がリンクして共感してくださっているのかな、と。

――雪下さんご自身にも、そういう「社会への違和感」みたいなものがあるんでしょうか?

雪下:学生のときから社会に馴染めなくて、みんなが笑うところで何が面白いんだろうって思ってたりとか、集団行動にも向いてなくて、ずっとひとりで「なんでここにいなきゃいけないんだろう」と悶々と考えてたりとか。いろんなことにモヤモヤ悩んじゃうみたいな性格だったので、それを絵で発散していたところはありますね。

――絵には自画像以外もあると思いますが、なぜ自画像だったんでしょう?

雪下:自分の抱えているモヤモヤを表現できるのは、やっぱり人間の顔だなと思ったんですね。静物画も楽しいんですけど、私は表現するときは人の顔がいいし、そこに自分らしさも表現できるかな、と。学生時代は友達が少なく、モデルをお願いできる人も数人だったため自分ばかりを描いていました。

――雪下さんの描く人物には「目力」を感じます。

雪下:他のパーツと比べ目を一番特別に描いているというわけではないんですが、大学のときに先生が「目は内臓の一部だ」とおっしゃっていて。それで生々しさみたいなものを大事に描こうと思うようになりました。ぬるっとした感じ、影が出ててちょっと暗い感じ、瞳が涙の成分でうるっとしてる感じ…そういうのをすごく意識して描いています。

本の装画のお仕事のきっかけは、尾崎世界観氏と千早茜氏の共著『犬も食わない』

――美大を卒業されてすぐに絵のお仕事をはじめられたのですか?

雪下:2017年に大学を卒業して、そのまま絵の仕事をはじめました。大学に在学中からTwitter(現:X)に絵を投稿しはじめて、最初のお仕事は友達がやっていたランジェリーブランドの紙袋のイラストを描くことでした。

 それから少しずつ報酬をいただけるようになり、卒業するタイミングでひとりで生活できるかなという流れでフリーランスになりました。

――小さいころから「絵」を仕事にしようと思っていたのでしょうか?

雪下:ずっと絵を描いていたので、絵に携わる仕事がしたいというのは漠然とありました。大学はグラフィックデザイン学科で広告を学んだんですが、油絵も描いていたので、絵だけ描いて生きていくか、デザインの道に進むか迷ったこともありました。結局、就職は1社だけ受けてそこを落ちた時にフリーになる踏ん切りがついてそのまま(絵の道に)。結果的には自分に向いていたかな、と思います。

――本の装画のお仕事をはじめるきっかけはなんだったのでしょうか?

犬も食わない
『犬も食わない』(尾崎世界観、千早茜/新潮社

雪下:尾崎世界観さんと千早茜さんの『犬も食わない』(新潮社)です。その前から尾崎さんがボーカルをつとめるクリープハイプのお仕事(アルバム『泣きたくなるほど嬉しい日々に』トレイラー映像)をさせていただいていたので、その流れで本のお話もいただいて。そこから立て続けに装画のお仕事をいただけるようになりました。本の装画は、日頃、絵を見ることになじみのない人でも、本屋さんなどで目にしてもらえるので、ずっと描いてみたいという気持ちがあって、うれしかったですね。

――装画のお仕事は、それまでの広告的なお仕事とは違いましたか?

雪下:最後にデザイナーさんが「表紙」として仕上げてくれるのがすごく楽しくて。ある種の共作というか。たとえば『六人の嘘つきな大学生』は、赤い文字が入ることでとても印象的なデザインになるな、と。自分ひとりで描いているだけではそういうことはないですし、さらによくしてくださる感じがするんです。

『同志少女よ、敵を撃て』の装画は新鮮なお仕事だった

雪下まゆさん

――最近の作品について教えてください。雪下さんの装画の力を多くの人が認知したのは、やはり『同志少女よ、敵を撃て』かな、と思うのですが。

雪下:この作品は自分にとってはすごく新鮮なお仕事でした。作者の逢坂(冬馬)さんからの要望が細かくあったので、それにどこまで忠実に描けるかをすごく意識して描きました。中でもイリーナという上官が主人公を守っているのに、主人公はそれに気がついていないという関係性を大事にしてほしいというのがあって、それをどう表現するかをすごく考えましたね。あとはロシア兵の軍服や銃とか、普段まったく描かないモチーフだったので、逢坂さんに協力していただいて参考になる映画なんかも教えていただいて。すごく新鮮で勉強になりました。

――どんな思いをこめて描かれたんでしょう?

雪下:主人公は普通の暮らしをしていたはずなのに戦争にまきこまれてしまう、私よりちょっと下の世代の女性です。20代初めの頃までは、「フェミニズム」という運動についてよく知らなかったのですが、生きていく中でだんだん女性であることで受ける理不尽などに私自身気がつきはじめたところがあって、世の中を変えたいと思っても「変わらないんじゃないか」って苦しい気持ちになったりするんですね。そういう混沌とした感情みたいなものが彼女にも生まれてきているような気がして、それをこの表情であらわせたらいいなと。この絵は自分をモデルに描いてはいませんが、その意味では自分を重ねて描いたところがありますね。

――『傲慢と善良』『レモン殺人鬼』は先ほどうかがったように、ご自身がモデルなんですね。

傲慢と善良
『傲慢と善良』(辻村深月/朝日新聞出版) 左が単行本版、右が文庫版

雪下:『傲慢と善良』は単行本と文庫と両方描いていますが、それぞれ絵が違います。単行本のときは、芯がありながら自分に自信を持てないというような、多くの人が自分を投影できるような女性像を描きました。文庫版のときは「主人公の真実をアップで」というリクエストをいただいたので、彼女の表情がさらによく見えるような形で描くことにしました。

レモン殺人鬼』はタイトルから発想しました。黄色くて丸いポップなレモンと、恐ろしさのある殺人鬼という言葉の対比を描こうと決めて作品も読みました。

 どちらも自分をそのまま描いているわけじゃないんですけど、自分の顔をモチーフにしながら少しずつキャラクターに寄せて変えていくようにしています。

――『六人の嘘つきな大学生』はたくさんの人物を描かれていますね。

六人の嘘つきな大学生
『六人の嘘つきな大学生』(浅倉秋成/KADOKAWA) 左が単行本版、右が文庫版

雪下:この作品も、単行本と文庫と両方描いています。企業の最終選考に残った6人の大学生の話なんですけど、読者は「私はこの人っぽいな」とか「あの人、この人っぽいな」とか読みながら思うのではないかと。なので文庫ではある種の匿名性が出るように、証明写真のボックスで撮った写真みたいな感じで、誰もが共感しやすいような、個性があるんだけど個性がないような顔をイメージして描きました。

「いそうでいない感じ」にこだわって

雪下まゆさん

――装画を描くとき、気をつけていることはありますか?

雪下:作家さんのイメージをどれだけ忠実に再現できるかを大切にしているので、最初に「本に書いてある情報以外にイメージがあれば伝えてください」とお願いしています。あとは構図とか明確なものがなくて自由でいいというときは、ネタバレしないように、本の前半部分から抽出するようにしていますね。どの作品でも共通しているのは、描く人物が「いそうでいない感じ」になること。会ったことがあるような気がするけど、初めて会う人というか、特に小説の装画の場合はそんな感じになるのを目指しています。

――次はこういう小説の装画にトライしたいというのはありますか?

雪下:実は人文科学や社会科学などの本は読むのですが、お仕事をいただくようになるまで小説にあまり触れてきませんでした。なのでお仕事をいただきながら小説の面白さを知っていく贅沢な経験をさせていただいています。

 ただ『同志少女よ、敵を撃て』には普段描かない時代背景、そして武器などがあり新鮮だったので、そういう自分の作品の幅が広がるような小説の装画も描いてみたいと思います。いま、『ミュージックマガジン』の表紙イラストを描いてるんですが、多種多様な時代、人種、年齢の人々を描くことができ毎号楽しいです。

――『ミュージックマガジン』、表紙が最近ポップだな~と思っていたら雪下さんが担当されているんですね!

雪下:「この写真で描いてください」っていうのはあるんですが、コラージュしたり背景に好きなモチーフを描いたりとかなり自由にさせていただいています。もともとデッサンや描写がすごく好きで、映画や海外アーティストの絵を描いたりするのも好きだったので、その2つがまざって楽しさしかないです(笑)。

――いいですね! 誰を描くのが一番楽しかったですか?

ミュージックマガジン
ミュージックマガジン』2023年6月号

雪下坂本龍一さん(2023年6月号)の背景に透明のモチーフを描いたんですが、あれは坂本さんのドキュメンタリーから着想を得ました。坂本さんがお好きだと仰っていた映画で水面に揺れる海藻のシーンがあって、それがすごく印象的だったので、ちょっと透明なガラスっぽい描写で描いてみました。そういう実験的なこともできてすごく楽しいです。最初は、確認用のラフ(完成イメージを伝えるためのおおまかなイメージ画)も必要ないと言っていただいたのですが心配なので出しています。それくらい自由に任せていただけるお仕事です。

――ちなみに雪下さんの好きなアーティストは?

雪下:高校時代はオアシスとかアークティック・モンキーズとか、レッチリレッド・ホット・チリ・ペッパーズ)とかレディオヘッドなどがすごく好きでした。マリリン・マンソンも好きで、高校のクラスに馴染めなかったときは、ずっと大音響で耳栓みたいにして聴いてました(笑)。10代の頃から変わらず好きなのはDie Antwoordというアーティスト。いまはDJもやらせていただく機会があるので、ベースミュージックテクノ・ハウスを聴くことが多いです。

絵以外の仕事が、また絵に還元される

――DJのほか、ファッションのお仕事もされてますよね。すごく活動が幅広いです。

雪下:ファッションブランドを立ち上げ、デザイナーをしています。最初は「自分には絵しかない」みたいな気持ちでいたんですが、だんだんそれが息苦しくなって…。洋服やDJ、文章を書くなど、新しい経験を積んだところ新鮮な空気が自分の中に入ってきたような感じで。さらにそれが「また絵を描きたい」という前向きな気持ちにもつながることに気がついたので、やりたいことはやってみることにしています。

――さらにご自身の作品作りも?

雪下:ちかごろ「AIに絵を盗まれる」などと言われますが、私の絵もきっと学習されているはずで、はじめは不安な気持ちになりました。ですが、とてつもないスピードで進む時代に逆らうのではなく、あえて新しい技術をツールとして使って作品に取り込んでいこうという考え方にシフトすることにしています。最近は3Dを学びはじめて、それを絵に活かす制作をしています。AIの描く絵の技術が高まりそれが普通の日常になった時、原始的な手法で人間が描いた作品の価値もまたさらに高くなっていくのではと思っているので、流れに身を任せて新しい作品を作っていくつもりです。

――あらためて「絵」だから表現できること、ってどんなことでしょう。

雪下:絵は小さいころから息をするように描いてきたのですごく自然なものなんですけど、絵を描いてきたからこそ、出会えた人たちがいるし、出会えた仕事もあるし、洋服のデザインやDJという経験をすることができている。まさに「絵で作られてきた人生」なんですね。なので、そういう絵によってもたらされたものを再び絵に還元していくサイクルがこれからもずっと続くといいなと。

雪下まゆさん

――最後に雪下さんにとっての「本」とは?

雪下:「なんで生きているんだろう」とか「なんで宇宙はあるんだろう」とか小学生のときからモヤモヤ考えてきたんですが、まったく同じ悩みを考えて研究しているえらい先生たちがいっぱいいるっていうことを本が教えてくれて。だから本は自分にとって「安心材料」みたいな存在なんです。さらにお仕事の面でいえば、本は、普段絵にあまり関心のない人でも、自分の絵を見てもらえるきっかけにもなってくれる。すごくいいなと思います。

雪下まゆさん

プロフィール●雪下まゆ

アーティスト兼ファッションデザイナー。1995年生まれ、多摩美術大学デザイン卒。2022年本屋大賞受賞作品『同志少女よ、敵を撃て』、本屋大賞候補作品『6人の嘘つきな大学生』、東京モード学園TVCM、SUMMERSONIC2022オフィシャルグッズ、TOKYO CREATIVE SALON (東急電鉄)、といった広告・装画を数多く担当。2020年にはファッションブランド「Esth.」を立ち上げ、デザイナーを務める。2021年には、初の画集『雪下まゆ作品集』を上梓。

2022年本屋大賞『同志少女よ、敵を撃て』装画担当・雪下まゆに聞く創作論。「社会への違和感」を抱えた主人公の絵の魅力