『週刊プレイボーイ』で連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を始めた呂布カルマ
『週刊プレイボーイ』で連載コラム「呂布カルマフリースタイル人生論」を始めた呂布カルマ

ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』にて連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」がスタートした! 第3回は「メディアに出る理由」。

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★今週のひと言「メディアに出る理由とは? 呂布カルマとテレビについて」

僕の本職であるアンダーグラウンドヒップホップの世界では「リアルはテレビには映らない」という、いつの頃からかの定番の言い回しがあり、名曲『MASS 対 CORE』(ECD feat. TWIGY & YOU THE ROCK★)のように、マス、つまり大衆化することを嫌う空気があります。

数少ないメジャーで活躍するヒップホップアーティストには「セルアウト」というレッテルが貼られ、僕自身もアンダーグラウンドに浸っていた時代はそのように考えていました。

しかしそれと同時に、幼少期を大阪で過ごした僕は、物心がついた頃から漫才師に憧れや尊敬の念を抱いていたし、今と違いインターネットが発達していなかった青春期はテレビから受ける影響は不可避で、テレビの世界自体への憧れも持っていたのです。

なので、硬派なアンダーグラウンドを気取っていながらも、メディアに出ていくことに最初から抵抗はありませんでした。

ただ、ヒップホップが歪曲(わいきょく)された形で取り上げられたり、一発芸のように扱われるのを良しとしておらず、要は映り方で、本物である自分が誤解のない形で出ていけばいいと考えていました。

そんな僕がテレビに出るようになったのには、ふたつのきっかけがあります。

ひとつは『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日)。平日の深夜、たった30分枠の番組から数年の間に多数の逮捕者を出し、コロナ禍も手伝って惜しまれながら終了した伝説の番組です。

そこで僕はまずはチャレンジャーとして、番組中期、後期は逆にチャレンジャーを迎え撃つ"モンスター"として毎週MCバトルをしました。僕自身、ヒップホップ的なバラエティだと認識はしていましたが、世間への映り方としては本職のラッパーに近い姿だったと思います。

そして、もうひとつは"グラビアディガー"としての顔です。きっかけはプロインタビュアーの吉田豪さん。雑誌企画でインタビューのオファーがあったのですが、その内容はヒップホップやMCバトルのことではなく、グラビアアイドル偏愛についてでした。僕はツイッター(現X)の投稿に毎回一見無関係なグラビアアイドルの写真を添付するのですが、それを吉田さんに認知されていたのです。

そのインタビューを皮切りに、『ゴッドタン』(テレビ東京系)や『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)からグラビアアイドル有識者として出演オファーが舞い込むようになりました。

テレビ側としてはむしろ気遣いだったのかもしれませんが、イジリとして芸人さんをディスったり、つかみでラップ調の自己紹介などを要求され、最初こそやってはみましたが、やはり手応えがない。結果、韻踏み芸として以上の、本来僕がヒップホップに感じている魅力を伝えることは不可能だと改めて感じる機会にもなりました。

その後も、バラエティ番組に呼んでもらった際に軽くラップを振られるタイミングが何度かあり、そのたびに違和感を覚え、すぐにバラエティ番組で一発芸的にラップをすることはNGとしました。

ただ当時、フリースタイルMCバトルで無双状態だった僕は、当然フリースタイルキングと紹介されることが多かったので、肩書をプロラッパーと改め、ラップの安売りをしないという姿勢を示しました。

それでテレビから声がかからなくなっても別に構わなかったのですが、それからも仕事は増える一方なので、やはりバラエティにおけるなんちゃってラップは必要なかったのでしょう。

●呂布カルマ(Ryoff Karma 
1983年1月7日生まれ、兵庫県出身。名古屋市在住。JET CITY PEOPLE代表。ラッパーとして活躍する一方、グラビアディガー、コメンテーターとしても異彩を放つ。 
公式X(旧Twitter)【@Yakamashiwa

撮影/田中智久

『週刊プレイボーイ』で連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を始めた呂布カルマ