やす子

自衛隊芸人としてテレビで活躍しているやす子。来年4月には即応予備自衛官に復帰することを明かして話題を呼んだが、彼女の経歴について元自衛官の筆者が説明したい。


■自衛官生活は丸2年

やす子はさまざまなメディアのインタビューで、陸上自衛隊に2年間いたと語っている。本人の証言から「自衛官候補生」という、2年毎に更新するいわば“契約社員”のような制度で入っていたことが分かる。

自衛官候補生は自衛隊の採用種別の一つで、入隊するといわゆる兵隊として陸海空各部隊勤務を行う。駐屯地内で集団生活し、食費、寮費、光熱費等がかからない魅力的な採用種別の一つだ。陸自の場合は、2年毎に任期満了金という大きな支給があるため、筆者の部下の自衛官候補生出身者は「かなりお金が貯まる」と話していた。


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■職種は工兵である施設科

陸上自衛隊には職種と呼ばれる従事する業務毎の区分があり、全部で16職種ある。旧軍や諸外国軍隊では「兵科」といって歩兵や戦車兵などがある。自衛隊は歩兵である普通科や、戦車兵である機甲科など独自の呼び方をしている。

やす子の場合、大久保駐屯地で勤務する施設科隊員であったことが分かる。施設科は諸外国でいう工兵であり、道路や建築物の工事を行ったり、爆破により破壊したりする。訓練で自衛隊の演習場を工事するだけでなく、入札により駐屯地内の公共工事を行うこともある。自衛隊内の“ゼネコン”だ。


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■施設科隊員として何をしていたか

やす子は「ドーザー手」であったと語っている。ネットではブルドーザー手だと書いてあるが、陸自におけるドーザー手は、正確には油圧ショベルの操作手のことだ。民間の建設会社にあるような油圧ショベルが陸自にも配備されている。掩体(えんたい)と呼ばれる、人員や兵器を防護するための大きな穴を掘るのに使われる。

やす子は重機に乗り、演習場でひたすら大穴を掘り続けていたのであろう。陸自は陣地を防御する任務の際に穴を日夜掘り続ける。重機を用いずに手掘りすることばかりなので、ドーザー手は大変重宝された存在で、まさに「戦場の女神」である。元自衛官からすると大助かり、神様のような存在で在隊時は感謝しかなかった。


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■現在も自衛官?

ネット上で、やす子がまた自衛官に戻るという噂が、まことしやかに語られている。元自衛官の筆者からいえばそれは語弊がある。

やす子自衛隊退職後、「即応予備自衛官」という非常勤の自衛官を4年間していた。日頃は年間最大30日の訓練を積んでおき、有事とあれば自衛官として災害派遣や戦闘行動に従事するという制度だ。常備の自衛官だけでなく、このような予備自衛官制度が、自衛隊には充実している。やす子令和4年度をもって即応予備自衛官を休業しているが、令和6年度より復帰を考えているようだ。

以上やす子自衛隊での経歴を解説したが、元自衛官として思うのは、辞めてもなお自衛隊に貢献し続けていて、ただただ頭が下がる。これからも彼女の健康と活躍に期待したい。


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■執筆者プロフィール

安丸仁史(やすまるひとし)1994年福岡生まれ、福岡育ち。防衛大学校(人文・社会科学専攻)中退後、西南学院大学文学部外国語学科卒業。 2017年陸上自衛隊に幹部候補生として入隊。

職種は普通科で、小銃小隊長や迫撃砲小隊長、通訳などを務める。元レンジャー教官。 現在は複数事業を経営。

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(文/Sirabee 編集部・安丸仁史

即応予備自衛官に復帰するやす子は自衛隊時代に何をしていた? 元自衛官が解説