■映画の作り手を志した若手時代

「オンエア見てないからよくわかんない

松重豊扮する「豊豊さん」は「おげんさんのサブスク堂」(2023年7月22日NHK総合)で自身も出演した「アンナチュラル」(2018年TBS系)などのサウンドトラックの話題になった際、見ていないことを明かした。きっとそのクールとも思える役との距離感こそ、松重豊たる所以なのだろう。

中学生の頃、パンクロックを聴き始めた。音楽が好きになり、音楽を仕事にしたいと思いつつも楽器が弾けなかったこともあり挫折した松重は、石井聰亙監督の映画「狂い咲きサンダーロード」(1980年)を観て映画の世界に魅了され、当初は映画の作り手を目指していた。

■バイト仲間だった甲本ヒロト

その頃、下北沢のラーメン店「みん亭」でミュージシャンの甲本ヒロトとお互い無名時代にバイト仲間だったというのは有名な話だ。仲良くていつも一緒にいたという松重の印象をヒロトは「素敵な人だから。魅力的な人だから、何かはするだろうなと思ってた」(「たまむすび」2023年1月18日TBSラジオ)と語っている。実は当時、ヒロト主演で松重が監督し映画を撮る計画もあったと松重は回想する。

「当時、僕が監督をした映画でヒロト君が主演してくれたんですが、僕の力不足で作品が完成しなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。だから、僕はもう二度と映画監督をやるとは言わないし、ヒロト君も役者は絶対にやらないと、封印してしまった。でも、これだけは声を大にして言いたいんですが、ヒロト君はすごい俳優の才能があるんですよ!」(「テレビドガッチ」2013年7月29日)

そんな関係だったから、松重は「THE BLUE HEARTS」誕生の歴史的瞬間も“目撃”している。ある日、ヒロトに「今度のバンドはこんな名前じゃ」と教えられ、「ブルー? カッコ悪りぃなあ、その名前! 青い心? なんじゃそれ」と言ってしまったという。「基本的に見る目がないんですよ」と自嘲する。

■自身の才能にも「見る目のなさ」を発揮

数多くの舞台を観劇する中で、やがて俳優の道を志すようになった松重は大学生時代、三谷幸喜が主宰する「東京サンシャインボーイズ」にも参加した。だが、ここでも「見る目のなさ」を発揮する。「この人には才能がない」と感じ「ああ、この人についていくと僕はたぶん人生がダメになるな」と見切りをつけて離れてしまったのだ(「星野源オールナイトニッポン」2020年11月3日ニッポン放送)。

明治大学を卒業する際、先生に紹介されて蜷川幸雄が主宰する劇団に入団する。「昨日より努力して、進化していないとダメだろう」と徹底的に鍛えられた(「サワコの朝」2014年12月13日TBS系)。3年で蜷川さんとぶつかり退団しフリーで活動を始めるも、自分は役者には向いてないと一度足を洗い建設現場で正社員として働いていた時期もあった。つまり、自分の才能に対しても「見る目がなかった」のだ。やがて復帰した松重は1992年に黒沢清監督の映画「地獄の警備員」で主演。強烈なインパクトを与え、映像作品に進出していった。

松重豊が役者の世界に踏みとどまる理由

そして2012年、彼の代表作となる「孤独のグルメ」(テレビ東京系)のオファーが舞い込む。ここでも彼の「見る目のなさ」は健在だった。「最初、企画書を見せられて、ホントにただオッサンがメシ食ってるだけなんで……、これプロフィールの汚点になるな」(「A-Studio」2014年11月21日TBS系)とまで思ったという。

しかし、松重の予想に反し、2022年までにシーズン10を数え、2023年にも配信オリジナルシリーズと、現在に至るまで制作され続けている大人気作品となった。そうした人気を松重は「本当のことをいうと、自分でもどういうことなのかまだよくわからない」(「文春オンライン」2020年12月5日)と告白する。

いまだに自分は役者に「向いていない」と感じ、辞めようかなと思うこともあるという松重が、役者の世界に踏みとどまっているのは蜷川幸雄の存在があったからだと言う。一度袂を分かち、しかも足を洗ったこともある松重に蜷川は「お前、俺の芝居に出ろ」と何度も声をかけてくれた。

「『蜷川さんがこうやって使ってくれているんだから、蜷川さんの目の黒いうちは、僕は二度とこの世界を辞めたいなんて言えないな』という気持ちでずっと居た」(同)のだと。自分の才能を信じられなかった男は、自分の才能を信じた男を信じた。その自分との距離感を保つことで、道を切り拓いていったのだ。

文=てれびのスキマ

1978年生まれ。テレビっ子。ライター。雑誌やWEBでテレビに関する連載多数。著書に「1989年のテレビっ子」、「タモリ学」など。近著に「全部やれ。日本テレビえげつない勝ち方」

※「みん亭」の“みん”は正しくは王ヘンに民

※『月刊ザテレビジョン』2023年10月号

松重豊/※2022年ザ・テレビジョン撮影