〈彼とは、婚約寸前までいきました。(中略)実は婚約発表会見を1週間後に準備する、というところまでいきました。それでも、ふたりの周囲には反対する方がたくさんいました。自分の親、兄弟、彼のご家族の反対を前にしたら、私はそこから先に進めなくなってしまい…。迷いを振り切っても結婚する、という覚悟が私にないと知って、彼は去っていったのです〉

 これは芸能生活60年を記念した十朱幸代が、2018年10月に出版した自叙伝「愛し続ける私」(集英社)の一節である。著書では名前が伏せられているものの、「彼」というのが同年5月に、63歳の若さで亡くなった西城秀樹であることは、誰の目にも明らかだった。

 2人は1990年、34歳と46歳の年の差カップルとして、芸能マスコミを賑わせたが、西城がデビュー20周年を迎えた翌1991年の記念パーティーで、

「今、いちばん大事な時期。当面、結婚はありません。恋愛はしないわけじゃではないけど、(仕事への)エンジンが始動したところで、みなさん(マスコミ)が騒いだような関係ではない。大人の友達のひとりですが、今は話もしてません」

 そう宣言したことで、多くの芸能マスコミが2人の関係終焉を報じたのである。

 その後、西城は2001年5月に18歳年下の美紀夫人と結婚することになるのだが、とはいえ、なぜ十朱は二十数年の時を経て、「彼」との恋愛の真相を綴る心境になったのか。自叙伝の刊行記念トークショーを開催した彼女は、こう語った。

「反対された理由は年齢差です。私は50歳手前で、結婚すれば(相手の男性は)子供を持ちたいでしょうし、私自身も仕事と両立できると思っていたんですが、周りがすごい反対で、そこを押し切ってまで結婚する自信がなかったんです」

 むろん報道陣からは「相手の名前は伏せられていますが、その方とみられる西城さんが今年亡くなりましたが、どういった形でお別れされたんですか」という質問が飛ぶ。すると彼女は、

「お別れしてから全然、お目にかかっていないですし、遠くから拝見すると、素敵な家庭を持たれて、幸せにしていらっしゃったし、しばらくしたら病気になられたということも出てきたりして。驚きましたが、お別れしてずいぶん時間が経っているので、心の中で『さよなら』と…」

 担当編集者が「本に書かれていることが全てです」と付け加え、多くを語ることはなかった。

 このタイミングでの出版には、報道陣の間から「亡くなった元恋人との思い出を書き残しておきたかったのでは」という声が出た。十朱サイドは、執筆には1年の時間を要し、たまたまこの時期での出版となったと説明したが、はたして真意はどこにあったのか。

(山川敦司)

1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。

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